■サガンとヌレエフ、fulfil
『私自身のための優しい回想』。
サガン43歳。バレエダンサーのルドルフ・ヌレエフとの思い出を綴った、ある箇所が胸にしみる。
「一つの動詞が絶えず彼の口にのぼってきた、それはfufil (達成する、十全に充たす)という動詞だった。
I want to fulfil my life と彼は言うのだった。
そして fulfills this life のためには、過去においても、現在も、そして将来においても、つねに彼の芸術、舞踏だけがあるのだった」
そしてある午後、サガンはヌレエフのレッスンを見学しにゆく。そして魅入られる。
集中のレッスン、そのレッスンの描写。
ああ。私、サガンがほんとうに好き。
レッスンを終え、汗をぬぐうヌレエフ。サガンは書く。
「私はfulfilという動詞で彼が何を言おうとしているのかが判りはじめていた」
「サガンという生き方」でもこの箇所は引用した。
「書く」「踊る」、その表現方法は異なるけれど、サガンは感じとったのだ。
そう、同じ表現者として、何をなそうとしているのかを。その孤独な道を。
ヌレエフについての描写は、そのままサガン自身のこと。
私は? このところ、ちょっと疎かにしていたみたい。だめじゃない、自分の満足レベルをそんな下に設定したら。
自分自身のほんとにほんとの精一杯のものを書かなくちゃ。
こんなふうに、私の背筋を伸ばしてくれる。これが芸術のちから。