■緊急事態下日記 ブログ「言葉美術館」

■緊急事態15日目。美しい知性と超陽気な動画

2020/04/23

 今日発表された数字。国内の感染者数11496人(前日比+371)、死亡者数277人(前日比+17)、回復者数2040人(前日比+68)。

 すべてが増えている。でも、これはほんの一部。そして、すべてが「コロナ」だけとは限らない。

 ネット上でも、私が知る限り、いろんなひとが顔を合わせないで、議論を交わしている……いいえ、喧嘩している。有名無名問わず、相手を非難し、馬鹿呼ばわりし、そして自分自身への疑問をもたないひとが多い様子。

 私は今日は30分くらい、コロナ関係の情報収拾していたのだけど、そういった喧嘩を眺めていて、思い出したことがあった。

 以前、このブログでも書いた、加藤陽子さんの言葉だ。

 2014年9月の記事から。(全文はこちらです「徒党を組まない思考への意志」)

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 集団的自衛権についての一般の人たちの討論会のようすを見た後で意見を述べるのだけど、ほかの人たちの言葉、姿勢がぜんぜん心に響かなかったなかで、加藤陽子さんは違った。彼女は自分の立場での意見を言う前に、一般の人たちの討論会についての「感想」を述べたのだ。それが私には面白かった。

 こんなふうな感想だった。

「学識もあり経験もあり、同じバックグラウンドもちながらも意見は変わる。
危険とか安全感というのは、ある意味、ひじょうに情報が限られているなかでは、個人のパーソナルな部分によるところが大きい。
 だから一度、たとえば6:4で賛成反対で別れたなら、それ以上、お互いがどんな情報を出し合っても、説得を試みても歩み寄らないのではないか。」

 これ、私が解釈したように書いている。

 おんなじ情報を共有していても、そこから感じとる危険性とか安全性とかは、そのひと個人の感受性、性格によるものなのだということ。

 だからどんなに意見の違う相手をこちら側に引き寄せようとしても、それは無理なんじゃないか。よほど大きな力が働かないかぎり。

 そういうことなのだと思う。

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 現在の、さまざまなテーマでの、さまざまな意見の戦いを見ていて、加藤陽子さんの言葉が沁みて、加藤陽子さんの本を読み直した。

『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)

 写真。お花がまだ綺麗に咲いてる。お花の色と本のカヴァーが合ってる。

 

 さて、この本、高校生に語る、という形だから読みやすい、はずなのに、私にはぎりぎり。

 私は加藤陽子さんの姿をテレビで見て、それからユーチューブで講演を聞いたりしている。話す姿勢、まなざし。私が好きなひとのひとりだ。

 たとえば、本のなかのこんな記述はいかが?

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歴史という学問は、分析をする主体である自分という人間自体が、その対象となる国家や社会のなかで呼吸をしつつ生きていかなければならない、そのような面倒な環境ですすめられます。

となりますと、歴史的なものの見方というのは、いきおい、国家や社会のなかに生きる自分という人間が、たとえば、なぜ三一〇万人もの人が犠牲となる戦争を日本は行ってしまったのか、なぜ第一次世界大戦の悲惨さに学ぶことなく戦争は繰り返されたのだろうか、という「問い」に深く心を衝き動かされたときに初めて生ずるものなのだと思います。

つまり、悩める人間が苦しんで発する「問い」の切実さによって導かれてくるものなのだと私には思えるのです。

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 歴史という「学問」に、加藤陽子という、ひとりの人間が、「生きている」。私はこういうのが好き。

 連想ゲームみたいになってくる。「悪の凡庸さ」のハンナ・アーレント……、それから、芸術のほうでとても影響を受けた若桑みどりさんもそう。

 これも過去記事から。2012年12月の。(全文はこちら。「芸術のほんとうの力」

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「いまでも、私がいっていることはあいかわらずある種の人にとっては危険きわまりないことなのです。ある友人は、そういう学説は発表しないほうが無難だ、と忠告したくらいです。

 ときには、ひとは命がけで描いたり、書いたりしてきたのです。それはいまでも同じことです。

 でも、たとえ危険があったとしても、真実は追求しなければなりません。

 いちばん恐ろしいのは自分のいっていることが真実ではないということだけです。」

 そしてラスト。

「たとえそこに描かれた思想や信仰が今は滅びてしまい、意味を失ってしまっているとしても、絵は残ります。

絵の生命は死ぬことはなく、古びることもなく、それを人が見て美しいと思うかぎりつねに現在です。

それこそが芸術のほんとうの力なのです。」

 画家が伝えようとしたことを理解するためには、画家がそのイメージにこめた意味や思想を理解することが必要、という立場に立ちながら、芸術のもつ「美」というエナジーにずっと魅せられているかんじ、人間の創ったものへの愛おしさ、畏怖……そういうものが行間からにじみ出ていてそれが私の胸をうつのかもしれない。

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 話が、あいかわらずまとまらないけれど、いまのような非常事態のなか、さまざまなひとたちが意見を述べているけれど、そのひとが加藤陽子さんやハンナ・アーレントや若桑みどりさんのような美しい知性をもっているかいないか、ということは、ちゃんと見たい、と思った、ということ。

 それから。

 このところのニュースで、やはり話題として多くなってきているのが、テレワークの導入により夫婦仲にいろんな問題が生じている、ということ。そして、それについて、あれこれとアドバイスをするひとたちも増えてきているみたい。

 どうしたら仲良く自宅にいられるか。

 うーん。ようは、好きか嫌いか、だと思うんだけど、それ言ったらおしまいなのかな。でも、テクニックでもって、なんとかしようって、私はどうもだめ。

 ああ、そうか。恋愛感情についてふれているアドバイスは、私が見た限りではあまりなかったから、そもそも、私とは考えるモトのところが違うのかもしれない。

 でも一度、この問題については、ちゃんと考えて書き残しておきたいと思っている。

 

 今日は一日、原稿に集中できた。一歩も外に出ずに仕事を進めることができた。こんな日がたくさんあればいいのに。

 起きてすぐに、この動画を観たからかな。

 タンゴのなかやまたけし先生のブログで、先生の先生であるジュニオールがユーチューブに動画アップしてる、ってあったから検索して色々観ていたら、ひとつ、めちゃくちゃ笑えるのがあったの。笑いたい人用です。こちら。

 

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