▪️「センスを磨く 刺激的で美しい言葉」の風景
新刊が出て嬉しいことのひとつは、優しいお友だちから書店の風景が届くこと。ここに、こんなふうにあったよ、という言葉とともに写真が送られてくること。
ファッションデザイナーたちの言葉をテーマに綴ったエッセイの写真も届いて、そのたびに、彼らが足を止めて、携帯電話を取り出して、ちょっとこっそりモードでぱちりと撮って、私の連絡先を探して写真を添付して送る、という一連の流れを想像して胸があたたかくなる。ありがとう。
編集者さんから「パネルを作りました!」とのご連絡が。
出版社の方々も一生懸命、本を売るために動いてくださっている。当たり前だと思うのは間違っている。あらためて感謝の念がじんわりとわきおこる。
本を出すたびに、書店に並んでいる自分の本を見るたびに、SNSで心に響いたという趣旨の感想を目にするたびに、やはりいつも自分が願っていることをあらためて知る。
メイ・サートンと同じように。
ーー私の仕事を発見してくれるであろうどこかにいる誰かの孤独と私の孤独とのあいだには真のコミュニオンがある。
過去記事をたどれば、ノートにこの言葉を書き写したのは2004年の秋だとある。右側に小さく踊るような字で「このように思いたい信じたい」と書いてあるのだと。
communionって、感情、精神、思想の結びつき、交わりのこと。それがあるのだと、20年間、思いたい信じたいを続けているということになるのか……。しみじみとしている水曜日の夕刻、シェアラウンジでひとり。