▪️決して終わらない映画と『コンペティション』
期間限定のひとり暮らし中にはいつも、たびたび自問する。期間限定ではないひとり暮らしが自分には可能なのだろうかと。できるかできないか、ということであれば、できるかもしれない。けれど。
仕事に集中できなくて、かといって外出する気分でもなく、そんなときは映画を観る。トークイベントで娘が言っていた。「母は浴びるように映画を観ています」と。そうなのかな。先日は四本観た。
大好きな女優ペネロペ・クルスと、好きな俳優アントニオ・バンデラスが出ているので気になっていた『コンペティション』が面白かった。
映画業界のこと、映画制作に携わる人たちの姿をブラックユーモアでチクチクと、ときには、ぶすっと刺すようなテイストがスリリングで楽しかった。
天才映画監督役がペネロペ・クルス。やはりすばらしい存在感で目が離せない。
終盤、彼女がちょっとしたスピーチをする場面がある。
「最高の映画。それって何? ときどき思うの。みんなが納得する基準はあるのかと。たとえば、嫌いな映画でもいいと思えるのか? いいと思うのがいい映画? それは自分の凝り固まった好みを再認識してるだけかも。何を好むか注意を払わないと。人は理解できるものを好み、理解できないものを嫌う。大事なことの多くは理解できないものにあるのに」
たいせつなことの多くは理解できないもののなかにある。
ここにはっとした。
理解できないもののなかに、たいせつなことがあるんだよ。
とは思わないけれど、理解できない、という感覚をいだいた初期段階で、考えることを放棄してしまうことは、人としての魅力みたいなものの衰退につながるのではないか、とは思った。
なぜ理解できないと思うのか、なぜ、嫌いなのか。それを考えることをしないと、何も変わらないまま月日だけが流れていって、深みのない人間ができあがる。こわい。
映画のラスト、ここで終わるのかな、もう少しストーリーがあるのかな、と思った瞬間、ペネロペ・クルス演じる映画監督が観ている私に向かって語りかけたから驚いた。
「映画はいつ終わるの? 今? エンド・クレジットが出る時? 出口で感想を言ってる時? 明日? 来月? 1年後? あるいは思い返すたび? ENDの文字で終わる映画もある。でも中には…あるのよ。決して終わらない映画が」
決して終わらない映画。から連想する自分の人生の出来事を考えて、たしかに、とソファに深く沈みこんだ。ある。ずっと続いたまま、終わらない映画が、私の人生のなかに、いくつか。なんどかENDを見たはずなのに、続いている映画が、たしかにあるなあ。