▽映画 ◎Tango アルゼンチンタンゴ ブログ「言葉美術館」 私のタンゴライフ

▪️マイヤ・イソラと旅と転換期と

 

 先日踊ったアルゼンチンタンゴのお友だちが言った。

 アレキサンダー・マックイーンの記事、よかった。驚き、思いがけないこと、何かを感じたときに、自分自身の人生そのものとか、タンゴにつなげるところが、自分と似ているとも思った。

 それからタンゴの話になった。いいわるい、ではなくて、うまいへた、なんていうのではもっと、なくて、結局のところ、どんな生き方をしてきたか、ってことにつきちゃうんでしょうね。

 帰宅して考えた。だから、やっぱりどうしても行き着いてしまうな、と。合う合わない、興味がもてるもてない、好き嫌い、そういった問題なのかも、と。

 ここに書けば、読んで、何かを考えたりする人がいるんだ、って新鮮なよろこびもあった。そして家のなかにこもっていては得ることのできない刺激、「外」に出ないと感じられないことが、当たり前なんだけど、あるんだな、って。しみじみ。

 先日観たドキュメンタリーのヒロイン、マイヤ・イソラのことを想った。私はこの映画を観て、「外」に出よう、旅に出よう、と決めたのだった。

『マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン』

 マイヤ・イソラは、フィンランドのデザイナー。色あざやかなテキスタイル・デザインで知られる。代表作はマリメッコのウニッコ柄。私もとても好きなデザインで、家族のベッド関連のあれこれをこれにしていたこともある。

 マイヤ・イソラは、その生涯で、とにかく旅をし続けた人だった。1927年生まれ、2001年に亡くなっているから、彼女が若いころは現在のように自由自在に海外を飛び回れたわけではないのに。

 そして日記をつけていた。娘が一人いて、旅先から娘に宛ててたくさんの手紙を書いた。姉にも書いた。ドキュメンタリーは日記とそれらの手紙を中心に構成されているから、そのままマイヤの声を聞いているような感覚になる。

 デザイン、絵画の人なのに、だかこそなのか、その感受性と、それを表現する彼女の言葉に、文章に圧倒された。

 たとえば、彼女はパリが好きだったのだけど、そのパリをこんなふうに言う。

――パリは真珠色と深い紫、そして淡い灰色が混ざった街だ。

 目を閉じて色彩を想像して、ああ、そんなふうにマイヤはパリを見ていたんだ、とマイヤが見ていたパリに旅したような感覚になる。そして、私、一度でもそんなふうに見たことがあっただろうか、と自分にがっかりする。

 次の一節にはもう、泣きそうになってしまった。

――私の中では炎が燃え上がっている。自分自身を焼きつくすほどの炎で、それこそが私を突き動かす源だ。疲れを感じることもあるが、炎は舞い上がり、私を包みこむ。名前をつけるとすれば「熱情」だ。

 「熱情」、自分自身を焼きつくすほどの炎。私のなかに、ちろちろ、くらいはまだあるのかな、燃えつきないでいるのかな。

 29歳、結婚パーティーのときにお祝いのスピーチをくださった年上の男性が言ったことがふと思い出された。

「山口さんをひとことで言い表せば、熱い人です。ふれたら、アチチチってやけどしそうなほどです」

 いま、私のことをそんなふうに言う人はいないだろう。

 マイヤは三度の結婚と離婚を経験していて、多くの恋愛遍歴もあって、そんな母を娘はこんなふうに言っている。

「…その頃母と恋愛について話しました。母からよく話を振ってきました。母にとって恋は芸術活動の一つでした。新しい恋人からエネルギーをもらって自身の作品に活かすのです。そのことを母は『人を食べる』と表現しました」

 なんてことを言うんだ。人を食べる。そんなにはっきり言っていいのか。

 マイヤは私にはできないことをしている人。潔くて憧れる。

 いまの私のためにある言葉だな、と共鳴したのは次の一節。

――ノートルダム寺院で黄色いチューリップを見て涙をこらえきれなかった。
命あるものはいずれ朽ちていくのだ。
時間が止まったようだった。
物事には私には分からない別の面があるのだろう。
今私は転換期を迎えている。
だけどすべてが止まったままだ。

 そのまま私自身の言葉となって、ちょっと焦って、でも、と思い直してみる。すべてが止まったまま終わることは、きっと、ないから、すべてが止まったままの状況にたゆたっているのもいいんじゃない?

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