▽映画 ブログ「言葉美術館」

▪️『メイ・ディセンバー』と「どこに」出かけるか、ということ

 

 

 親友が誘ってくれた試写会に出かけてきた。試写会は久しぶり。そして渋谷、ユーロスペースも久しぶり。

 平日19時スタート、満席の会場、おそらく映画好きな人たちがぎゅうぎゅうに集っている空間。

『メイ・ディセンバー ゆれる真実』。監督は『キャロル』(最高に美しい映画、大好き)のトッド・ヘインズだからとても楽しみだった。

 実在の「メイ・ディセンバー事件」を題材にしているのだけど、観終わったあとこんなに考えさせられる映画は久しぶりだった。感動した、というのとは違う。いや、面白い映画だった。けれど、なにかがもやっとして、自分のなかの、もやっ、の正体を知りたくて考える、そういう体験。

 13歳の少年と36歳の女性(夫と子どもがいる)が「恋愛」をして、でも少年の年齢が法的にアウトだから女性は投獄される。そして獄中出産、出所後に元少年と結婚。

 という事件を映画化するために、ヒロインを演じる女優が実在の人物のリサーチに乗り出す。そしてのめりこんでいって、どうなるの、という、ざっくりとそういう内容なんだけど、やはりジュリアン・ムーアとナタリー・ポートマン、ふたりの女優が不気味すぎた。不気味なほどに壮絶な演技力で、シンプルなストーリーをひじょうにややこしくしてくれていた。

 終了後、トークイベントがあった。登壇者が誰なのか知らずにいたのだけど、思いがけず精神科医の斉藤環さんのお話を聞けて感無量。斉藤環さんの本に、人生が困難な一時期、救われたことがあったから。

 そこでも語られていたけれど、過去の出来事を、その記憶を、年月を経て、他者に語るということ。何を語り、何を語らないか、ということ。そしてそれを口にすることで、それまで気づかなかった自分のなかの想いに気づくことがあるということ。
 意識的ではなくても、過去の出来事を自分が望むように脚色することも、容易に起こりうるということ。

 私は、自分のことを、自分の過去のある事件を、誰かに執拗に問われたなら、いったいどんなふうに語るのだろう、と考えた。きっと、都合のよいように、現在の自分を肯定するような、そんな語り方をするのだろう。嘘ではなくて、選んだことしか語らない、しかもある側面からしか語らないことで、自分を再度傷つけないようにするのだろう。そしてそれを自分のなかの真実として塗りこめてゆくのだろう。

 塗りこめて塗りこめて、それを何度か繰り返せば、自分のなかの揺らぎようのない真実ができあがる。

 もうひとつ感じたことは、実在の事件をベースにしているから、現在存命中の人もいるわけで、その人たちの心境に想いを馳せた。

 監督は、これはコメディ、と言っていて、劇的な音楽の使い方なんかから明らかなのだけれど、事件の当事者、周囲の人たちはどんなふうにとらえるのだろう、と考えると複雑な想いがこみあげる。

 「映画を作るということ」に対する風刺があったとしても。

 表現したいことがある。それを表現するときに、実在の事件をベースにする必要性、その強度について、あらためて考えさせられた映画だった。もやっ、の正体はこのあたりだろうか。

 そんなことを考えなければ、映画としてはほんと、かなり面白い。親友とも観終わったあと「いやあ、面白かった!」と言い合いながら渋谷の街を歩いた。

 メイ・ディセンバー。5月、12月。かなり年齢差があるカップルのことを言うって、いままで知らなかった。この映画のカップルの場合、歳の差は23。

 ところで、映画館を出たら、出口にそれぞれのチラシを手にした人たちが出てくる私たちを待ち構えていて、口々に「ぜひ観にきてください」と言いながら、映画のチラシを渡してくれた。初監督作品なんです、今週末まで上映しています! などの声とともに私はチラシを受け取った。彼らの情熱にぐわんとつつまれて瞬間、強い幸福感を味わった。

 表現したいことがあり、表現をしている人たち。彼らの、一人でも多くの人に作品を観てほしいという想い。熱い。いいなあ。

 ほら、だから出かけるって、やっぱりだいじ。こもってばかりの日々だったから、とても新鮮だった。でもきっと、出かけるだけではだめで、どこに出かけるのか、ということ。そんなこともあらためて考えた。

 考えることたくさんの試写会体験だった。

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