▽映画 ブログ「言葉美術館」

▪️『シャンボンの背中』にすくわれる

 

 

  どうにもならないどうにもならない、って胸の奥深いところで永遠につぶやいているような時間が多い日々を過ごして、こんなときは、と映画を浴びるように観るけれども、刺さるものがなく感性がどっかにいってしまった、どうにもならない、やっぱりどうにもならない、となっていた昨夜遅くに観た『シャンボンの背中』。

  カタルシス。

 そうか私は自分の居場所にいなかったから、しんと落ち着くような感覚から見放されているようなかんじだったのだ。

 二十代の終わりから三十代のはじまりにかけて、サガンの小説のなかでひたすら安らいでいた、あの感覚が、あざやかによみがえる。

 涙がわあ、と溢れ出るのではない。ただ、ひとつひとつの情景が、まなざしが、セリフが、そして音楽が胸に沁みる。私はこの世界で生きていたいんだ。逃避でもなんでもいい。たまらなく好きだ。

 監督はステファヌ・プリゼ。『愛されるために、ここにいる』の人だから、この人の世界が好きだということになるのだろうけれど、いいものはいい、好きでたまらない。

 せつなく美しいシーンで流れていた「La Valse trste かなしみのワルツ」(Franz von vecsey)をリピートして、なんとか自分にしがみついている火曜の午後。

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