▽映画 ブログ「言葉美術館」

▽マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ

 

 レベッカ・ミラー監督の新作、というだけでかけつけた。

 レベッカ・ミラー。私のなかの名作『50歳の恋愛白書』(邦題が悲しい。原題は「ピッパ・リーのプライヴェートライフ」)の監督。作家のアーサー・ミラーと写真家インゲ・モラスの娘。そう、アーサー・ミラーはマリリン・モンローの三番目の夫でマリリンの最後の作品『荒馬と女』の脚本を書いた人。インゲ・モラスは『荒馬と女』のスティール・カメラマン。ふたりは、マリリンの映画の撮影現場で恋におち、アーサーはマリリンと離婚し、インゲ・モラスと結婚。やがて元夫と新しい妻との間に女の子が産まれたと聞いてマリリンは傷ついていた。マリリンは子どもを強く望んでいたけれどできなかったから。

 この娘というのがレベッカ・ミラー。『50歳の恋愛白書』で彼女の感覚にひどく共鳴していて、同時代の表現者のなかで、こんなに共鳴することってそんなにないから、私はとても楽しみに出かけたのだ。ヒューマントラストシネマ有楽町。

 それで、映画は面白かった。私はやっぱりこの人の感覚が好き。人間関係のとらえかた、男女間に生じるさまざまなことに対する見方、胸がすーっとするほどに、「合って」いる。

 映画の内容は、ひと組の夫婦がいて、夫のほうが、マギー(独身)を好きになって、妻と離婚してマギーと結婚するんだけど、数年してマギーはこの夫に冷めてしまって、「よく考えれば、夫と元妻、このカップルって、お互いにまだ好きあっていて、こちらがほんとうのカップルなんじゃない? そうよ、だったら戻ればいいのよ」ってことで、夫を元妻に戻す作戦をたてる、という、そんな内容。

 映画は上映中だからまだ細かなことは言わないけど、私はつくづく、どうしようもなくカップルであるカップル、ってあるんだなあ、と思った。

 第三者から見れば、最初から最後まで、物語のなかで、どの「ふたり」がフィットしているのかが、あまりにも明白。なのに、現実世界、自分のことになるとまったくわからなくなる不思議。

 私が日ごろからすごく重要なテーマとしている「組み合わせ」が、ここでも重要なテーマとなっている。同じ人なのに、誰と一緒にいるかで、まったく違う特質をもった人になる。自分のことも合わせて考えて、やはり、いつもの結論にたどりつく。

 問題は、誰と一緒にいるときの自分が一番好きなのか、ということなのだろう。

 「マギーズ・プラン」。この映画を観て私は、いまよりももう少し、感情に正直なラインで行動してみようと思った。私のこと、わがまま放題しているように思っている人も多いだろうけど、そうかもしれないけれど、本人からしてみれば、わがままどころではなく、あれもこれも我慢しっぱなし。マギーズ・プランの登場人物たちのように、みっともなくても、誰かに迷惑をかけたとしても、それでも、もう少しだけ、正直に、私、言いたいことは言いたい。言わずに後悔するなんて、そういえば、一番嫌いなことだった。

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