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◆人間の限界なんて

2018/04/11

 「サイン・シャネル カール・ラガーフェルドのアトリエ」(2005年)というドキュメンタリーを観た。

 カール・ラガーフェルドはシャネル社のデザイナーだけでなくほかのブランド、自身のブランドのデザイナーも手がける、ファッション界のカリスマ的な存在。

 私はラガーフェルドそのひとにそれほど興味があるわけではないけれど、このドキュメンタリーは、ひとつのコレクションまでの裏側を取材したもので、それぞれの部門のアトリエのお針子たちの悲喜こもごも、どたばたが描かれていて面白かった。

 あの華麗なコレクションを創っているのは、彼女たちなのだ。表に名前が出ることはない、彼女たちなのだ。週末には家事に追われ、コレクション前は恋人と会う時間も作れないような、そういう人たちなのだ。

そんななかで、私のなかで異彩を放って輝いていたのが、マダム・プージュー。

ガロン職人。ガロンって縁飾りのこと。

 彼女はパリから車で1時間半くらいの田舎に暮らしている。ふだんは農作業に従事し、ガロンのオーダーがあればガロンを創る。ガロン職人になったのは1947年、2005年当時75歳。生前のココ・シャネルを知る人のひとり。

ガロンをマダム・プージューにオーダーするのはシャネル社の伝統。

博物館に陳列しているような年代物の織り機を前にした、緻密な手作業の様子は、なにかとても美しいものを前にしたときのように私をひきつけた。

 背中はまがりシワでいっぱいの顔、関節症も患っているという。けれど、美しいガロンを創れるのは彼女ひとり。

 シャネル社が研修生を送りこんだこともあるというけれど、その技術を身につけることができたひとはいなかった。

 だから彼女が死んだら、彼女のようなガロンを創るひとがいなくなるということ。けれど、その技術を誰かに引き継ぎたいという想いは彼女にはない。自分が死んだ後、何年後かわからないけれど、あたらしい方法で美しいガロンを創る人が出てくるだろうね、不可欠な人間なんていないのよ、と笑う。

 コレクション直前になって、ラガーフェルドの希望でドレスが増えて、ガロンのオーダーも増えた。

 取材の男性が尋ねる。

「徹夜してるのですか? どのくらい?」
「シャネル社からオーダーが来てからずっと」
「ということは15日間も?」
「徹夜とはいっても1日2時間は寝てるよ」
「疲れませんか?」
「疲れないね」
「その秘訣は?」
「人間の限界なんて自分の思いこみしだいよ」

 私はほんとうに胸をうたれた。そしてほんとうにその通りだと思った。

 人間の限界なんて自分の思いこみしだい。

 マダム・プージューの表情があたまから離れない。

 きっと世界中に、有名ではなくても、こんなにも自分の仕事に尊厳をもち、美しく生きているひとがいるのだろう、そう思う。

 そして私がなぜマダム・プージューの言葉にこんなに胸うたれたのか、よくわかる。

 この言葉は、まさにいまの私に向けられた、彼女からの贈り物だからだ。そして私はそれをとても大切なものとして受けとったから、受けとれたから、こんなに胸うたれている。

 ドキュメンタリー番組を観ただけのこと、そこに登場していた人の言葉に感動しただけのこと。現象としてはその通りかもしれない。

 けれど、私は、こういうことも、出逢いだと思う。

 まず、あふれるほどの情報の海のなかで、私がそのドキュメンタリーを観たということ。次にそのタイミング。いつそれを観たか聞いたかということ。こちらの心身の状態。すべてが一致したときにしか起こらないことだからだ。

 限界、もちろん、人間に限界というものはあるのだろう。けれど、私はそれをあらかじめ自分で決めることだけはしたくない。

 人生において、稀なシーズンにいるいまくらいは、もうすこし、自分を信じて、もうすこし、精一杯に近い状態で創作をしたいと願う。

 

 マダム・プージュー。

 コレクション当日、彼女はもちろん招かれて自分の仕事の成果を見た。想像を絶するほどのお金、世界各国から集った有名人たち。華麗なるコレクションが終わった。

 多くの人が少しでもその場にいたくて、余韻に酔うなか、嵐が来ていて馬たちが心配だから、と、マダム・プージューはそそくさと帰って行った。

 彼女の「仕事」はすでに終わっているからだ。この部分も考えさせられる。なんのためにそれを、仕事を、するのかということ。

 こんなひとと出逢ってしまうと、どうしても自問したくなる。

 ねえ、私。自分の仕事にほんとうに尊厳をもてているの?

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