ゆかいな仲間たち よいこの映画時間

◎75本目『愛する人に伝える言葉』


【あらすじ】

 ガンで余命宣告を受けた男とその母が、どのように死と対峙していくかを描いた物語。
 人生半ばにして膵臓ガンを患ったバンジャマン(ブノワ・マジメル)は、母クリスタル(カトリーヌ・ドヌーヴ)とともに、名医として知られるドクター・エデ(ガブリエル・サラ)のもとを訪れる。ステージ4の膵臓ガンは治せないと告げられ自暴自棄になるバンジャマンに対し、エデは病状を緩和する化学療法を提案。エデの助けを借りながら、気丈に息子を励ます母親、毎日のように死を見る病院スタッフの心のケア、患者たちに明るい時間を提供する病院の数々の催し…。そして死を間近に迎えたとき、もっとも大切なことは何か。死ぬということ、看取るということ、看病するということ、そして生きるということを深く考えさせながら物語は進む。

 

路子
路子
パンフレットを読んで驚いた!
ドクター・エデを演じたガブリエル・サラは…。
役者ではなく、本当の医者だったんですね!
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
本当にびっくり!
この作品を観た人は、こんな医者がいればいいな、と思うだろうね。
しかもそんな医者が本当に実在するなんて!
路子
路子
すごくいい作品だった。
うん、うん。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
監督が「とにかく人々を美しく撮りたかった。」「病がもたらす見るのが恐ろしいような身体的破壊は描こうと思わなかった。」、と話していたけれど、それを踏まえた上で撮影された作品だったから、とても悲しくて涙が…みたいにはならなかったのかもしれない。
すごく苦しむといった描写はあまりされていなかったですよね。
病気がテーマの映画は、役者の演技が大袈裟で感情の表現が激しいことが多いですが、この作品は全体的にとても静かでした。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そう、静か。
どの登場人物も、感情を荒げるようなこともなかったですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
主人公のバンジャマンがちょっとふてくされたりはあったけれど…。
大袈裟ではなかったです。
りきマルソー
りきマルソー

 


 

路子
路子
患者へのセラピーとしてタンゴが出てきたから心躍ってしまった!
ダンサーが誰だったのかも気になる!
バンジャマンもタンゴを観ながら笑顔を見せていたけれど、そういうセラピーがあるのね。

ガブリエル・サラは、がん患者の生活を向上させることを目的に、実際にタンゴ鑑賞会や、音楽・芸術を取り込んだセラピーを行っているみたいで、監督も病棟内の見学をした時、セラピーの一環として開催されていたタンゴ鑑賞会を観て「作らなければいけない映画だと確信した」と思ったらしいですね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうそう。
入院生活中は、自分の殻に閉じこもり気味になってしまいますし、何もないと病気のことばかり考えてしまいますよね。
だから意識を他に向けさせるような催しがあるのは良いのかもしれないですね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ちょっとした喜びを感じられるよね。
催しみたいに大きなものではなくても、医者が自分の好きな柄のネクタイを(映画内ではバンジャマンが好きなクラゲ柄)してくれるみたいな、本当にささやかなことが大事なんだと思いました。
りきマルソー
りきマルソー

 

 

路子
路子
ブノワ・マジメル(主人公を演じた俳優)はジュリエット・ビノシュ主演の『年下の人』に出演しているでしょう??
彼はビノシュの恋人だったのよね。
ふたりの間には、子どもがいますよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうよね…。
ブノワ・マジメルがショーン・ペンに見えた…。
えっ?(笑)。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
昔と全然違うんだもん。
顔が変わっちゃってた。
たしかにかなり老けましたよね。
今回は役柄的に少し絞ったのかなという感じはありましたが、最近のブノワ・マジメルは老けて萎むというより、ジェラール・ドパルデュー化してきたという感じがします。ガチムチ感。
りきマルソー
りきマルソー
自分としては、やっぱり『ピアニスト』のイメージが強いです。
ドヌーヴとは『太陽のめざめ』や、アンドレ・テシネ監督の『夜の子供たち』で共演していましたね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ドヌーヴのセリフがほとんどなかったね。
しかもあのドヌーヴが、煙草も吸わず、お酒も飲まないなんて!
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そう!
世の中の流れかしら?
そんな流れがあっても、ドヌーヴだったら「煙草吸いたい」って言いますよ。
車の中のシーンだって、絶対に煙草が吸いたいと思っていたに違いないです。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
あの後、絶対に吸ってるよね(笑)。
たしかに(笑)。
「いつものドヌーヴ」ではなかったですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
監督がエマニュエル・ベルコだったから従っているのだと思う。
彼女のことを認めているもの。
役を引き受けた決め手はエマニュエル・ベルコだったから、と答えていましたよね。
エマニュエル・ベルコをすごく信頼している。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ベルコがドヌーヴと作った映画は3作品らしいけれど、もっと作っているイメージ。『太陽のめざめ』は観たことがあるけれど、そんなにしっくりはこなかった。
でも『ミス・ブルターニュの恋』は本当に大好き。
ドヌーヴ主演の『ハッピー・バースデー 家族のいる時間』で、ベルコと共演しているから、そう思うのかもしれませんね。
そういえば、『ミス・ブルターニュの恋』のラストシーンで使われた「人生は続く」というセリフが、バンジャマンが演劇を教えているシーンで使われていましたね。
「悲しい時でも人生は続く」、というセリフでした。
「人生は続く」というのが、監督のひとつのテーマなのかもしれませんね。
りきマルソー
りきマルソー

 

 

ガブリエル・サラが「真実とは100%混じり気なしの真実だけを指すのであって、1%でも虚偽が含まれていればそれは嘘です。」と話していることが、脚本にも活かされていたように感じました。
ドヌーヴが役を受けた理由の一つは、その考え方に共感したこともあるのかな、と思いました。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
「小さな嘘も優しい嘘もない。私にとっては嘘は嘘」というドヌーヴの言葉があるものね。
路子
路子
映画の中でも病状や病名を隠さず、バンジャマンに話していたね。
路子
路子
でも隠さないって難しい…もし自分だったらどうだろうと考えた。
自分でも、自分のことをどこまで隠して、どこまでオープンにしているかがわからなくなっているから、隠すことなく全部言えと言われたとしても、言いたくないのではなく、全部言えるのかな? って思った。
路子
路子
バンジャマンには、明確な真実として、「捨ててしまった子ども」という存在がいるけれど、多分言い切れないような小さな真実みたいなものは、他にもいっぱいあると思う。
そういう「小さい真実を剥ぎ取っていった時、最後にこびり付いているものは何だ」という問いが映画の中でありましたよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
りきちゃんなら何て言う?
えーっ…迷いますね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
難しいよね。
自分がその立場にならないと出てこない言葉なのかもしれないね。
切羽詰まらないと。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
本当に。
路子
路子
一昨日、私が、がんで余命2ヶ月しかないという宣告を受けるという、とてもタイムリーな夢を見たの。
余命2ヶ月となった時、できるだけタンゴを踊る、そして、今、書き残すべきものを書かなくては、と思ったのがとてもリアルだった。
そして、自殺ではなく病気で死ぬということに、どこかほっとしている感覚と、娘が悲しむだろうなという気持ちがあった。

ブノワ・マジメルも、この作品に出演したことで「より明確な優先順位をつけられるようになった」と話していましたね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ブノワ・マジメルといえば、母親の部屋が映るシーンで、壁に年齢ごとの自分の写真が並んでいてぎょっとしたと話していたね。
「監督がエマニュエル・ベルコでなければ、許可しなかったと思う」って。
そのことについては、細かく話してはいなかったですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そういうシーンがあるとは聞いてなかったのね。
きっと演技だったはずなのに、自分の人生と…。
リンクしちゃった。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そう。
自分の人生と重ねられたことで、自分自身が死ぬというイメージを持ってしまったのかもしれない。
よく使う手ではあるけれど、そんなシーンを観てしまったら現実の自分と役者として演じている自分とが曖昧になってしまうものね。

 

 

この映画の作りは、エピソード毎に病院スタッフの研修会が挟んであり、そこで語られることが伏線となっていましたね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
集団セラピーね。
看護する側のセラピーも本当に必要だと思う。
家族だけではなく…。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
看護する側の精神的負担は大きいもの。
研修会で、ひとりの看護師が「悪化している家族関係の間を取り持って欲しい」と相談されたけれど、結局は何もできないと答えるシーンがありましたね。
ひとこと言うのはきっと簡単。でも、言わないという主義を貫くことや、言わないことで自分ひとりの中でモヤモヤ考え続けなければならないって結構ヘビィ。
だからひとりで考え込まずに、問題をみんなで話し合い、考えるような場所があるって、たとえ直接的な解決に繋がらなくても大事だと思います。
りきマルソー
りきマルソー
それにしても…周りの人は本当に大変。
鬱の人とずっと一緒にいると、周りの人も一緒に崩れてしまったりするじゃないですか。自分もそうなりそうになったことがあるので、何となく気持ちは分かります。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
でも、バンジャマンも言っていたけれど、あくまでもこれは「僕の病気」、つまり病気になっていて、一番辛いのは患者自身なのよね。
そうなんですよ。
でも周りはその渦に引きずり込まれがち。
引きずり込まれることで、依存のような感覚になってしまうんですかね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
なんだろうね…。私も引きずられる気持ちがよくわかる。
家族の病気や治療のことを調べていると、そちら側に引っ張られてしまって、他のことが何もできなくなってしまうの。
自分がそこに引きずり込まれてはいけないのに…。

 

 

路子
路子
私がすごく好きなシーンは、ドクターが奥さんと車で出かけるところ。どんなに患者から「いてほしい」みたいな目で見られても自分のバカンスはたいせつにする。まずは自分が心身ともに健康であることが大事って、すごく共感する。
オン・オフを切り替えていましたね。
そうやって切り替えていかないと、人を助けるなんてことはできないのかもしれないですね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
自分の人生が充実していることで、はじめて何かを成し遂げられる、というのがこのシーンに表れていた。
バンジャマンと関係を持ってしまった看護師のユージェニー(セシル・ド・フランス)も、バンジャマンが亡くなる直前にお別れを言って、自分の生活に戻っていくのよね。
そういうところを割と強調して描いていたのがよかった。
強調の仕方が違いますよね。
愛を強調したり、御涙頂戴で掘り下げる映画って多いですよね。
でもこの作品はそういう強調の仕方をしていない。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ガブリエル・サラのインタビューを読むと、「死ぬのはそんなに悲惨なことではない」、と思っていることが感じられた。
「旅立ち」みたいなものだって。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そう。
その感覚を持っていないと、きっと医者の仕事は勤まらないのかもしれない。
路子
路子
「死ぬことの許可を与えてあげる」という表現もあったね。
患者は「ヒーロー」にさせられてしまうというエピソードのシーンですね。
周りからは、「病気に勝って!」 とか言われたりするけれど、患者本人からしてみれば、そんなことを言われるのはかなりのプレッシャーですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そう。
患者本人の主張が通らず、周りの判断でチューブに繋いだり、延命治療をしたりすることもよくある。
バンジャマンの母親はまさにそのタイプ。
「希望を捨てるな」という母親に対してドクターは「希望とはなんですか?」という問いを投げかけるけれど、本当にその通りだと思う。
とにかく命を続けることイコール希望なのかという問いでもあるし、それは誰の希望なのか、という問いでもあるよね。深い。
「もう頑張らなくてもいいよ、死んでもいいんだよ」と言ってあげるのも愛なのかもしれないね。
ドクターは相手の言葉に対して、問いかけるような話し方をすることが多かったですね。監督は「対話の達人」だと言っていました。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうそうそう。
自分では語らないのよね。

 

 

路子
路子
母親が「私のかわいい子」と語りかけながら、バンジャマンを抱っこしているシーンにはゾクッとした。
母親にとって、いつまでも「自分の子ども」ですからね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
それにしても、抱っこよ?
重たかっただろうなって…。
いや、持ってないですよ!
ドヌーヴ不自然だったじゃないですか(笑)。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
(笑)。
路子
路子
母と息子の関係は健全ではないと思った。
恋人を妊娠させた時、バンジャマンは自分の母親に「何とかして」と相談しているし、「何とかしてと言われたから何とかした」母親もいるし…その親子関係に恐ろしいものを感じた。
過保護ですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
かなりの過保護。
そういう育てられ方の中で、そんな恐ろしい親子の関係性を持っているから、バンジャマンは母親に対して横暴なのよね…。
30代後半にもなっているのに、小さい子が駄々をこねている感じ。
母親に対してあんな態度はないわよね!
親を気遣うという気持ちが一切感じられない。ワガママだし、ずっと子どものまま。
化学療法を受け始めた時は特に冷たいと思った。
治療を受け始めた時は、バンジャマンも病気と向き合い始めたばかりだし、治療が辛いからというのはあったかもしれないですよね…。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そりゃあそうだけれど…それにしてもね。
まあ、気遣わずに、それだけのことを言える相手なのよね。
「何とかして」と言った割には「子どもとの間を引き裂いた」と、母親を憎んでいる部分がありますよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そこが「甘え」なのかもしれない。
若い頃に相手の妊娠が発覚したことで慌ててしまったバンジャマンは、母親に相談し、すごい行動力で対処してもらった。でも、その結果、バンジャマンは自分の子どもを捨てることになり、それを母親のせいにしている。
母親が「自分で何とかしなさい」と言っていれば、もしかしたら今頃子どもと一緒に住んでいたかもしれないのにね。
この行動には相反するものがあって、頼ったはいいが、結局手を下したのは母親だから、母親のせいで子どもを捨てることになってしまった、という恨みに繋がる。
そのせいでバンジャマンは、自分は何も成し得なかったと思っている節もありますか?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ある。俳優としても落ちこぼれだしね。
若い頃は自分が子どもの父親になる責任は背負えないと思っていたけれど、ずっと責任を背負っていたとも言っていたよね。
そう思っていたのであれば、行動を起こせばよかったのに!
「見捨てた」という責任があるから会えなかったと理由づけしていましたよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
私の嫌いな、色々言いながら行動しない人なのよ(笑)。
(笑)。
理由づけして逃げてる。
行動しようと思えば、いくらでも方法はありますもんね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうそう、本当に。
バンジャマンに捨てた息子がいることを知っているドクターが、「息子との関係を修復したい」と言わせるために「意識のあるうちに解決することがあるのでは?」と、何度もバンジャマンに問いかけますよね。
その問いに対して、バンジャマンが「ない」と答えるのは何故だと思いますか?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
捨てた息子の話をすると「人生のデスクの整理」をすることになって、きっと息子に会うことになるからだと思う。
でも息子に会うと、もう一回捨てることになる。
もうすぐ死んでしまうから、ということですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そう。それが大きな理由だと思う。
だから生きているうちは会わずに、死んだ後に「実は財産を残していた」とするのが
彼の望みだった。だから自分から息子に会いたいとは望まなかった。
でも、息子が病室内にいたのを知りながら、バンジャマンは死んでいったという設定なのよね?
そうですよね。
あんなにずっと付き添ってくれていた母親ではなく、一瞬会いに来た息子の目の前で死んでいった。ちょっと複雑な気持ち。
りきマルソー
りきマルソー

 

 

監督は、息子を愛する母親を題材にしたメロドラマを作りたいと思ったことが作品の出発点だった、と話していましたね。
そんな時に医者であるガブリエル・サラと出会い、彼の医療に対する態度や想いを聞いてストーリーを膨らませたという感じですかね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
泣きどころや落としどころがはっきりしていたから、メロドラマを意識して作ったというのはよくわかった。
特に、ドクターから教えてもらった「赦してくれ」「僕は赦す」「愛している」「ありがとう」「さようなら」の5つの言葉を母親に伝えているシーンでは…。
みんなズルズル泣いてましたね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
あのシーンでは館内のズルズル度が激しくなってた。
私も泣いちゃった。
バンジャマンは5つの言葉を心からそう思いながら母親に伝えたと思いますか?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
赦すということを提言して、この事実をこういう風に受け入れてあなたを赦す、というような気持ちよりは、彼はドクターのことがとても好きだし、彼から色々と教えを受けているから、自分は死ぬ時くらい正しいことをして死んでいきたい、という気持ちの方が強かったと思う。
路子
路子
でも、私、「赦す」ってピンとこないのよね。
宗教観の違いがあるから?
私も、ドクターの信念は宗教観が強いなって思ってました。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
キリスト教の影響が強いよね。
私には「赦す」相手がいるかなって考えたけど…私は「赦す」という立場にないから、みんなに「赦して、赦して!」って言いながら死んでいきそうな気がした。
(笑)。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
監督はこの映画を死を語ることで生を描いた「人生の讃歌だ」と言っている。
余命宣告を受けたとしても、定命をどう生きるかというのを自覚して生きた方がいいのではないかという気持ちにさせてくれる映画でした。

  

~今回の映画~
『愛する人に伝える言葉』 2021年 フランス
監督:エマニュエル・ベルコ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ/ブノワ・マジメル/セシル・ドゥ・フランス/
ガブリエル・サラ

-ゆかいな仲間たち, よいこの映画時間