◎79本目『山逢いのホテルで』
2024/12/30
【あらすじ】
「バルバラ セーヌの黒いバラ」で強烈な印象をのこしたフランスの女優ジャンヌ・バリバール主演。
年齢を重ねたひとりの女性の人生の転換点を、緻密にふかく描いた珠玉の一本。
スイスアルプスの圧倒的な山々、実在のリゾートホテル、ふもとの小さな町が舞台。
ヒロインのクローディーヌは障がいのある息子をひとりで育てている。仕事は仕立て屋。毎週一度、白いワンピース、ブーツという装いで山の上のリゾートホテルを訪れ、一人旅で短い滞在の男性客とその場かぎりの関係をもつ。
それは彼女の現実逃避であり、日々を生き続けるために必要なことであり、そして
それ以上のことを求めてはいなかった。
ところが、ひとりの男性との出逢いによって、ある意味安定していたルーティーンの日々に変化が訪れ、自身の生き方そのものと対峙することになる。
※2024年12月現在公開中・ネタバレがあります。
路子
よかったねー。(しばしよい映画を観たことの興奮のなかへ)
よかった。すごくよかった。
りきマルソー
路子
ホテルで男の人を選ぶ時は、3日以上滞在している人は選ばないという。真剣にその場限りにしたいのね(笑)。
ホテルの従業員とはすっかり顔馴染みで、お金を渡せば宿泊者の情報を細かく流してもらえるという(笑)。
りきマルソー
路子
良いよね。
私もどこかに通ったら、素敵な人に出逢えるのかな…と、いけない見方をしてしまいました(笑)。
私もどこかに通ったら、素敵な人に出逢えるのかな…と、いけない見方をしてしまいました(笑)。
(笑)。
りきマルソー
路子
さっき、りきちゃんから主人公のクローディーヌを演じたジャンヌ・バリバールは、『バルバラ〜セーヌの黒いバラ〜』でバルバラを演じた人だと聞いて驚いちゃった。
ちょうど昨日、バルバラを聞いていたところだったの。
またバルバラの映画を観直したくなっちゃった!
バルバラのことを昔、ブログに書いたこともあるの(ブログ「言葉美術館」:「バルバラ」と孤独と音楽関連の映画と)。
ちょうど昨日、バルバラを聞いていたところだったの。
またバルバラの映画を観直したくなっちゃった!
バルバラのことを昔、ブログに書いたこともあるの(ブログ「言葉美術館」:「バルバラ」と孤独と音楽関連の映画と)。
私は彼女のタバコの吸い方が気になっちゃいました。
煙を出した途端、鼻の中に吸い込まれるのがちょっとおかしかったです(笑)。
煙を出した途端、鼻の中に吸い込まれるのがちょっとおかしかったです(笑)。
りきマルソー
路子
それが本当の煙草の吸い方らしいよ!
そうなんですか??
すごい勢いで吸い込まれるので、つい笑ってしまいましたよ。
すごい勢いで吸い込まれるので、つい笑ってしまいましたよ。
りきマルソー
■『私に構わないで』
路子
映画館だからこその入り込み方が出来る映画だった。
家で観るとしたら、集中力が必要かもしれない。
家で観るとしたら、集中力が必要かもしれない。
シンプルなストーリーでしたが、舞台になるホテルの立地が本当に素晴らしく、結構集中して観てしまいました。
山の壮大さや、少し異質さを感じるダム、そしてそこに建つホテル。
あの臨場感は、やっぱり映画館で観てよかったと思えるものでした。
ピアノで奏でられていた優しい音楽もよかったです。
山の壮大さや、少し異質さを感じるダム、そしてそこに建つホテル。
あの臨場感は、やっぱり映画館で観てよかったと思えるものでした。
ピアノで奏でられていた優しい音楽もよかったです。
りきマルソー
路子
同じことが繰り返されているのに、何か意味があるのではないかと追ってしまう映画だった。
路子
原題の『Laissez-moi』の意味を知りたい。
原題がスクリーンに映し出された時、「ほっといて」か「そばにいて」か、どちらの意味だったかを思い出せなくて、動揺してしまったの。
原題がスクリーンに映し出された時、「ほっといて」か「そばにいて」か、どちらの意味だったかを思い出せなくて、動揺してしまったの。
最初からそんな難題が出てきたら、ずっとモヤモヤしちゃいますよね(笑)。
りきマルソー
路子
だって、どちらを選ぶかで、映画の見方も変わってくるもの!
英語にすると『Let me』、日本語だと「私に…をさせておいて」とも訳せるみたいですが、秦 早穂子さんのエッセイを読んだところ、「ほっといて」「自由にさせて」とも訳せるみたいです。
りきマルソー
路子
「ほっといて」の方だったのね!
「私に構わないで」ということだから、そのタイトルで映画を観たら、結末はすぐに分かるね。
「私に構わないで」ということだから、そのタイトルで映画を観たら、結末はすぐに分かるね。
でも、そのどっちだったかな? と、いうのがあっても楽しめる映画だったと思います。
りきマルソー
路子
フランス語が分からなくて良かったです(笑)。
■私を忘れたい
クローディーヌが、自分の周りの人たちやホテルで会っている男の人たちと深く関係を持とうとしないところも、原題に結びついているような気がして、妙に納得してしまいますね。
りきマルソー
路子
後腐れがないようにね。
割と自由に生きている女性に見えた。
障がいのある息子がいることで、すごく不自由な感じはするけれど、気晴らしにホテルに行って、自分が情事をしに来ていることがホテルの従業員に知られていても平気。
むしろ共犯者みたいに情報を流してもらって、良さそうな人だったら関係を持つ。
割と自由に生きている女性に見えた。
障がいのある息子がいることで、すごく不自由な感じはするけれど、気晴らしにホテルに行って、自分が情事をしに来ていることがホテルの従業員に知られていても平気。
むしろ共犯者みたいに情報を流してもらって、良さそうな人だったら関係を持つ。
路子
電車やロープウェイに乗ったり、歩いたりしながら、かなりの時間をかけて行っている訳でしょう?
ダムの横をかなり長い距離、歩いているように見えましたね。
りきマルソー
路子
しかもブーツで。
よほどのものがないと行かないと思うから、彼女にとって情事が「よほどのもの」なんだろうね。
よほどのものがないと行かないと思うから、彼女にとって情事が「よほどのもの」なんだろうね。
路子
私にはできない…まず怖いもの。
でも、クローディーヌはきっと「怖い」とは思っていないでしょうね。
でも、クローディーヌはきっと「怖い」とは思っていないでしょうね。
セックスの時は、あまり満たされた顔をしていなかったですね。
りきマルソー
路子
でも翌日は、鼻歌を唄ったりしてルンルンしてる。
だからやっぱり、すごく気分転換にはなっているのだと思う。
私たちからすると、行為の時間はそんなに素晴らしくないように見えるけれど、多分、それはそんなに問題ではない。
だからやっぱり、すごく気分転換にはなっているのだと思う。
私たちからすると、行為の時間はそんなに素晴らしくないように見えるけれど、多分、それはそんなに問題ではない。
自分ではない別の人になりたいと言っていましたもんね。
りきマルソー
路子
そう…「私を忘れたい」というのがキーワード。
「私を忘れたい」ってすごいな…。
クライマックスシーンあたりで流れるシャンソンでも、そう歌われていたね。
「私を忘れたい」ってすごいな…。
クライマックスシーンあたりで流れるシャンソンでも、そう歌われていたね。
あのシャンソン良かったですよね。
りきマルソー
路子
クローディーヌが、新しい人生を始めるんだと思っている時に流れるのよね。
私も後でチェックしたいと思った。
途中でシャンソンのボリュームがわぁーって上がっていった時にゾクッときちゃった。
私も後でチェックしたいと思った。
途中でシャンソンのボリュームがわぁーって上がっていった時にゾクッときちゃった。
※Viktor Lazloの「Canoë rose」という歌でした。
■父親からの手紙
実生活を忘れたいが為にしていることなのに、出会った男たちの話を「父親からの手紙」として書き綴り、息子へ毎回送っているんですよね。
りきマルソー
路子
あれ面白い設定よね。
息子は身体だけではなく、知的障害もあるから、何歳になってもずっと幼いままみたいな感じ。
息子は身体だけではなく、知的障害もあるから、何歳になってもずっと幼いままみたいな感じ。
路子
クローディーヌは何歳ぐらいの設定なのかしら?
息子は20代後半から30代くらいに見えましたよね。
りきマルソー
路子
25歳くらいで産んだとしたら、50代半ばくらいの設定かしら。
フランス人は日本人と比べると年齢が上に見えるけれど、私より年下だと思う。
フランス人は日本人と比べると年齢が上に見えるけれど、私より年下だと思う。
路子
息子の大好きなダイアナ妃が事故で亡くなるシーンが出てきていたけれど…。
と、いうことは、舞台設定は少し前ってことですよね。
りきマルソー
路子
そうなの。
ダイアナが亡くなったのが1997年。
その設定にしたのは何故かと思ったら、携帯電話がそこまで普及していない頃なのよね。
日常的に携帯電話が無い方が、ドラマティックだと、監督は思ったのかもしれないね。
ダイアナが亡くなったのが1997年。
その設定にしたのは何故かと思ったら、携帯電話がそこまで普及していない頃なのよね。
日常的に携帯電話が無い方が、ドラマティックだと、監督は思ったのかもしれないね。
■孤立を選んでいる理由
クローディーヌは、細かいことまで気にしてしまう…というか色々なことに気付いて反応をする人ですよね。
りきマルソー
2番目に関係を持った男の人とのエピソードは特にわかりやすいシーンで、お金が欲しくてしている訳ではないのに、セックスの後にお金を渡されたり、自分のブーツをぞんざいに扱われたりすることで、気分を害しているように見えました。
でも、そんなにはっきりとしたことではない、もっと細かいことや、ちょっとした一言などでも気に障ったり、悲しんだり、モヤっとしたりしているのかなって思いました。
でも、そんなにはっきりとしたことではない、もっと細かいことや、ちょっとした一言などでも気に障ったり、悲しんだり、モヤっとしたりしているのかなって思いました。
りきマルソー
彼女は、息子に対しての責任感が強い人だと思います。
その責任感が故に、障がいを抱えた息子がいることに対して、後ろめたさみたいなものも持っているのかもしれない、と思いながら観ていました。
障がいを持っている息子がいるということで、今まで周りからひどい態度を取られたこともあると思うんです。
だから周りとの関係性の間で起こることにとても敏感で、人に迷惑をかけてはいけない、なるべく自分が傷付いたりしないようにと、自分や息子に害のありそうなものをすぐに遠ざけたり、排除したりしたりしてるのかな、と思いました。
その責任感が故に、障がいを抱えた息子がいることに対して、後ろめたさみたいなものも持っているのかもしれない、と思いながら観ていました。
障がいを持っている息子がいるということで、今まで周りからひどい態度を取られたこともあると思うんです。
だから周りとの関係性の間で起こることにとても敏感で、人に迷惑をかけてはいけない、なるべく自分が傷付いたりしないようにと、自分や息子に害のありそうなものをすぐに遠ざけたり、排除したりしたりしてるのかな、と思いました。
りきマルソー
路子
障がいを持った息子がいることで、同情されたくないと思っているのかしら?
余計なフィルターをかけてほしくないというか…。
余計なフィルターをかけてほしくないというか…。
路子
ミヒャエル(ホテルで出逢って好きになった男性)に息子のことを聞かれた時、「聞かないで」と、答えていたけれど、お互いのことを話しているシチュエーションなのに、何で答えないんだろうと思った。
もし、障がいを持っていない息子だったら、答えていたのかしら…今まで、散々そういう視線を浴びてきたから、もうそんなことは言いたくないと思っているのかな。
もし、障がいを持っていない息子だったら、答えていたのかしら…今まで、散々そういう視線を浴びてきたから、もうそんなことは言いたくないと思っているのかな。
でも、周りの人に冷たい目で見られているとか、そういうことはあまり描かれていなかったですよね。
りきマルソー
路子
クローディーヌのところに洋服を作りに来た女性が「あなた偉いわよ」、と言ったのを「息子だから」と、そっけなく言って軽く無視したくらい。
■クローディーヌとブーツ
路子
さっき、りきちゃんが話していたブーツの話に戻るけれど…男の人が足でブーツを彼女の方にずずっと渡すシーンが重要なシーンみたいにアップで映されていたでしょう?
これは何を意味するのかと考えながら観ていたの。
「女性のブーツを足で扱う」という動作ひとつで、この男がどういう人物かが全て分かるけれど、その男は重要な人物ではないから、そんなことは描かなくても良いはずなの。
これは何を意味するのかと考えながら観ていたの。
「女性のブーツを足で扱う」という動作ひとつで、この男がどういう人物かが全て分かるけれど、その男は重要な人物ではないから、そんなことは描かなくても良いはずなの。
路子
その後にあるミヒャエルとの会話で、「どうして好きになったか」を彼に聞くシーンがあったけれど、彼は「この山の中をブーツで歩いている、そりゃ興味があるよ」と答えるのよね。
あのブーツは、いつもホテルに行く時に着る白いドレスと同じくらい、彼女にとっては重要アイテムなのだと思う。
あのブーツは、いつもホテルに行く時に着る白いドレスと同じくらい、彼女にとっては重要アイテムなのだと思う。
色々なシーンでブーツを映していましたよね。
りきマルソー
路子
色々なシーンでブーツを映していましたよね。
路子
わざわざダムのあるホテルに行く時は、白いドレスとブーツがセットになってる。
あのブーツは、いつもの私を忘れ、別の私になるための必須アイテムなのね。
あのブーツは、いつもの私を忘れ、別の私になるための必須アイテムなのね。
■新しい人生
路子
ミヒャエルはとても良い人だった。
私も惚れちゃう!
私も惚れちゃう!
良い男でしたよね!
りきマルソー
路子
クローディーヌはミヒャエルと数回しか会っていないのよね?
そうですね。
りきマルソー
路子
でも、それですごく惹かれて。
初めて会った時や初めてセックスをした時に、彼に惹かれているのが感じられましたね。
りきマルソー
路子
あの感覚はわかる。
出会った男性と新しい人生がある、と目の前に急に提示されたクローディーヌは、息子を施設に預けて、家も売って、新しい人生を始めようとワクワクしている。
出会った男性と新しい人生がある、と目の前に急に提示されたクローディーヌは、息子を施設に預けて、家も売って、新しい人生を始めようとワクワクしている。
自分がずっと望んでいたものですからね。
りきマルソー
路子
そうなの。
だけど、ホテルに行っている間に息子を預けている隣の家のおばさんに「(そんなことは)間違っている」と… 。
だけど、ホテルに行っている間に息子を預けている隣の家のおばさんに「(そんなことは)間違っている」と… 。
諭されるんですよね。
りきマルソー
路子
でもそれを振り切って行こうとする…そこまでしてしまうのよね…。
ミヒャエルが、彼女に「一緒に行こう」と誘うダムの管理室のシーンは本当にずるいと思った。
やっぱりシチュエーションは大事よね。
ミヒャエルが、彼女に「一緒に行こう」と誘うダムの管理室のシーンは本当にずるいと思った。
やっぱりシチュエーションは大事よね。
ダムの地下にある、湖の中が見える窓のところですね。
「何トンもの水が迫ってきているんだ」と、ミヒャエルが話すシーン。
「何トンもの水が迫ってきているんだ」と、ミヒャエルが話すシーン。
りきマルソー
路子
そう。
そんなところで「一緒に行こう」なんて言われたら、「一緒に行くわ」って言っちゃうよ、ドラマティックすぎる(笑)。
そんなところで「一緒に行こう」なんて言われたら、「一緒に行くわ」って言っちゃうよ、ドラマティックすぎる(笑)。
■渇いた慟哭
クローディーヌとミヒャエルの別れのシーンは本当に良かったですね。
りきマルソー
路子
うん、あのシーンもすごかった。
ジャンヌ・バリバールの演技が凄すぎる。
「やっぱり行けないわ」とかの言葉もなく…。
ジャンヌ・バリバールの演技が凄すぎる。
「やっぱり行けないわ」とかの言葉もなく…。
過呼吸のようになった後、ちょっとした顔の表情だけで…。
りきマルソー
路子
そう。それだけで「ひとりでもう行って」というのが伝わる。
それこそ『Laissez-moi』ね。
ミヒャエルも抵抗せずにアルゼンチン行きのバスに乗ってしまうのも、その姿がスクリーンに映されないのも、「THE・フランス映画」という感じ(笑)。
それこそ『Laissez-moi』ね。
ミヒャエルも抵抗せずにアルゼンチン行きのバスに乗ってしまうのも、その姿がスクリーンに映されないのも、「THE・フランス映画」という感じ(笑)。
クローディーヌが施設に入った息子に会いに行くラストシーンも良かったです。
息子に「お母さん、どこかに行っちゃうの?」と、聞かれた時に、彼女は「ずっと一緒にいるわよ」とは言わないんですよね。
息子に「お母さん、どこかに行っちゃうの?」と、聞かれた時に、彼女は「ずっと一緒にいるわよ」とは言わないんですよね。
りきマルソー
路子
そうそう。
きっとクローディーヌが旅行鞄を持って、旅行に出かけるような格好をしていたから、息子はそう尋ねたのかもしれないけれど、彼女は「分からない」と答えるのよね。
きっとクローディーヌが旅行鞄を持って、旅行に出かけるような格好をしていたから、息子はそう尋ねたのかもしれないけれど、彼女は「分からない」と答えるのよね。
路子
ダイアナ妃が亡くなって悲しんでいる息子のために、摘んだ野の花を渡したけれど…友達に呼ばれて息子はさっさと行ってしまう。野の花を置いてね。
彼女は息子の名前を呼び止めるけど、息子は振り返っただけで、もうお花なんていらないみたいな感じで行ってしまうのよね。
彼女は息子とふたりきりで暮らし、障がいのある息子の面倒をずっと見なくてはいけないと思っていたし、施設に預けるのですら躊躇していた。
それなのに息子は既に施設の生活を楽しんでいる。
それがとても象徴的なシーンだと思って、とても胸に沁みた。
彼女は息子の名前を呼び止めるけど、息子は振り返っただけで、もうお花なんていらないみたいな感じで行ってしまうのよね。
彼女は息子とふたりきりで暮らし、障がいのある息子の面倒をずっと見なくてはいけないと思っていたし、施設に預けるのですら躊躇していた。
それなのに息子は既に施設の生活を楽しんでいる。
それがとても象徴的なシーンだと思って、とても胸に沁みた。
路子
そして、その後につづくクローディーヌの涙のない嗚咽!
息子が既に自分の人生を歩んでいるという事実を突きつけられて、息子のためと思ってした自分の選択が…。
息子が既に自分の人生を歩んでいるという事実を突きつけられて、息子のためと思ってした自分の選択が…。
路子
間違っていたかもしれない!
間違っていたかもしれない!
りきマルソー
路子
「えっ…嘘…。」ってことあるじゃない?
息子のためだと思っていたのに、息子にとって自分はもういなくてもいい存在なのかもしれない。それだとしたらミヒャエルと一緒に行っても良かったのかもしれない…という感じ。
行けば良かった、じゃないのよね。
息子のためだと思っていたのに、息子にとって自分はもういなくてもいい存在なのかもしれない。それだとしたらミヒャエルと一緒に行っても良かったのかもしれない…という感じ。
行けば良かった、じゃないのよね。
もっと曖昧な感じですよね。
りきマルソー
路子
そう。
曖昧な感じの、もうどうしようもない感じの嗚咽だったと思う。
すごかった…しかもそのシーンで終わるのよ??
曖昧な感じの、もうどうしようもない感じの嗚咽だったと思う。
すごかった…しかもそのシーンで終わるのよ??
素晴らしいラストですよね!
りきマルソー
路子
余韻どころの話ではないわよ!
ラストシーンのあの場面に全部持っていかれた!
ラストシーンのあの場面に全部持っていかれた!
路子
何かの転機が訪れると、そこでどちらを選ぶかでその後の人生が変わるのよね。
彼女はこの後どうなるのかしら…どこに行くのか分からないけれど、旅行鞄は持っている。連絡先も分からないけれど、もしかしたらミヒャエルを追ってアルゼンチンに行ってしまうかもしれないね。
彼女はこの後どうなるのかしら…どこに行くのか分からないけれど、旅行鞄は持っている。連絡先も分からないけれど、もしかしたらミヒャエルを追ってアルゼンチンに行ってしまうかもしれないね。
~今回の映画~
『山逢いのホテルで』 2023年 スイス・フランス・ベルギー
監督:マキシム・ラッパズ
出演:ジャンヌ・バリバール/トマス・サーバッハー/
ピエール=アントワーヌ・デュべ/ヴェロニク・メルムー