ゆかいな仲間たち よいこの映画時間

◎4本目 『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』

 




※公開中だけれど、ネタバレ要素たっぷりです。
まだ観てない人、これから観る人は気をつけて読んでくださいな。


み:最初に言って良い?
映画が最後まで終わる前に席を立つ人が許せない(笑)

り:出ようとした人のカバンか何かが、路子さんの頭にボコン!って当たってましたね。

み:本当に嫌だ! 毎回思うんだけど。

り:ただでさえ通路狭いのに。無理して出るんだったら、ちょっと待てばいいのに。

み:私はいつも嫌なのよ。真ん中に座れば気にならないかもしれないけれど、自分がいつも端に座るから余計気になる。
どうしてあの数分が待てないんだろう。出る人に限ってよくつまずいたり、人の頭にぶつけたりする。明るくなってから立てば足元がよく見えるし、危険も無いのに、あの数分のがいつも苛立つんだよなって、今日頭をぶつけられて思った。

り:気分台無しですよね。

み:台無しだし、本当に聞いてみたいんだよね。
危険な行為を冒してまで出る理由を。そんなに皆急いでるのかなって。
今日はそれから始まります(笑)

り:たまにエンドロールが流れた後に、映像が流れたりするじゃないですか?

み:ねっ! 最後まで観終ってこその一つのストーリーで、今日だって最後に「心を込めて」ってあった。あの一言があるのと無いのとでは全然違う。まだ今日のはそれくらいだったけど、本当に全部終わった後に最後を締めくくる映像がぴゅって出たりする時もあるから、それを見逃す事にもなるよね。

り:ライブでもそういう人いますよね。アンコールを待つ前に席を立って帰ろうとする人。

み:皆にアンコールさせておいて、後ろ振り返りながら歩いて。

り:アーティストが出てくると立ち止まるみたいな。じゃあ最初からその場に残ってれば良いのに。

み:いつだったか、私が凄く感動した「ハンナ・アーレント」を観た時、とにかく凄い感動してたから余計腹立たしいと思った事があってね。時間帯で、高齢者が多かったの。暗いうちから皆ゴソゴソ動き始めて、おじいちゃんとかおばあちゃんが転んだりして本当に危険なの。あの時にも本当に個人的に質問したかった。「この数分を待たないで席を立つ理由は何ですか?」って。しかも足元フラフラして、転んでるの見て思ったの。あれ何だろうね。

り:結構な人数立ちますよね。

み:そうそう、そうなのよ。


り:ラストの場面、メリーゴーランドのシーンで終わらない所が「あっ、アメリカっぽい」って思いました。フランス映画だったら、ああいう抽象的なシーンで終わる事が多いじゃないですか? ちゃんとオチを持ってくる所が…。

み:たしかにアメリカ映画らしいね。
最後のカットなんて、希望に満ちてる!あぁー!みたいな感じで走ってく場面だったもんね。
私も個人的には、メリーゴーランドのシーンで終われば良かったのにって思った。

り:いかに観ている映画が偏っているか(笑)

み:本当だね。でも何か蛇足っぽい感じがしちゃってた。

り:そうそう。

み:そこまでしちゃうと、ちょっとしらけちゃう。

り:綺麗に終わったものを。

み:あのメリーゴーランドのシーンで、皆泣いてる様子が劇場からも伝わってきた。

り:最後の最後に違うシーンを持って来たのは、ナオミ・ワッツ演じるカレンと、その息子・クリスとの物語が置いてけぼりになっちゃうからですかね?

み:うん、多分ね。ジェイク・ギレンホール演じる主人公のデイヴィスを立ち直らせる装置にすぎないという。
りきちゃん的には映画はどうだった? でもパンフレット買ってるって事は、割と感動したって事?

り:私、割と何でも買うじゃないですか(笑)

み:買わないのもあるでしょ?(笑)
観たものは買っちゃう?

り:うん、買っちゃう。

み:この間グザヴィエ・ドランの「たかが世界の終わり」を観たばかりだから、それもあると思うんだけど、割とそんなに緊張を強いられない映画だったよね。

り:途中でデイヴィスの気分が高揚すると踊っちゃったり。


み:私、全体通してそんなに残る映画じゃないと思うんだけど、最後のメリーゴーランドのシーンは、音楽とか映像の全てが感動するように出来ているので、そこはちょっと胸がくぅーって熱くなった。
あとはそんなに。何処かで観た風景だったの。今迄いろんな映画で観てきてる、こういうお話あるなっていう感じが凄くした。
でも、じゃあ何の映画と似てるの?って言われると、何一つ出てこないんだけど。
再構築する為には、やっぱり破壊をしなくてはいけないって事?

り:分解、破壊。

み:でも、もう分解じゃないよね。あそこまでいくと。

り:最初は分解でしたけどね。

み:うん。その後は破壊行為。
原題がそういう意味なんでしょ?

り:原題の「DEMOLITION」は、取り壊し・破壊っていう意味ですって。

み:映画の内容は、このパンフレットの表紙みたいな感じだもんね。
やっぱり分解とか、破壊とか。

り:ちょっと邦題を綺麗に持っていき過ぎましたよね。

み:でもこのタイトルで。

り:来ると思う。

み:私もタイトルで。りきちゃんもでしょ?

り:私もタイトルで。

み:まんまとやられたよね。

り:そうそうそう。

み:って事は上手いんだよ、この邦題タイトル。

り:たしかに。

み:ジェイク・ギレンホールっていう俳優さんが好きか嫌いかで、この映画は良い映画になるか、悪い映画になるか、分かれるよね。好き?

り:身体は。ナオミ・ワッツの干からび具合はとても良かった。

み:ナオミ・ワッツはとても凄い女優さんよね。

り:監督はカナダの出身ですって。

み:カナダの監督って、彼もそうだよね?

り:グザヴィエ・ドラン。

み:デイヴィスは、奥さんのジュリアが運転する車に乗っている時に事故にあって、ジュリアが亡くなっちゃう。急にいつも居る人が居なくなった所から始まるんだよね。でもデイヴィスは、全然哀しみっていうのが。

り:無い。無い風に見える。ジュリアのお葬式の場で、泣くふりをしますもんね。鏡の前で泣く練習をしてる。

み:でも泣けない。

り:よく、あまりにも衝撃や哀しみが強い時って、感情が追い付かないって聞きますよね。人が死んだ時に、お葬式での立ち振る舞いはちゃんとしているのに、式が終わると突然どっと哀しみがやってくる。そういうのに近いんですかね。それにしては、哀しみがやってくる迄に時間が掛かってるなって思いました。

み:それだけデイヴィスが繊細だったって事?

り:「あるものを無いようにして生きていた」みたいな事をデイヴィスが言っているから、本当にジュリアの死とカレンに出会った事で、物事をちゃんと見るって事に気付いたのかな。

み:「視界には入っていたけど、見えてなかった」みたいにも言うもんね。

り:それは多分、ジュリアが死んだだけでは生まれなかった感情。

み:デイヴィスは彼なりにジュリアを愛していたと思う?
ラストでは愛してたって言ってたけど。ジュリアへの愛があったんだって自分が分かった時に救われたみたいな。

り:あれは真実かなって思います。偽りの愛していたっていう言葉では無くて、自分なりに愛していたって事ですよね? 興味がない風に見えていたけれど、自分なりにジュリアを愛していた。

み:自分で納得出来たというか、自分で感じる事が出来てから、急激に救いの方へ転換していくよね。
最初は「妻を愛していなかったです」って、いつも電車で会う男の人に言ったりするシーンがあって、ジュリアが死んでも哀しみが無いって自分で言ってる。でもそうじゃなくて、愛はあったんだっていう所で救われていく。

り:あれは「愛していない」って自分に嘘をついてたって事なんですかね? それとも表面的に今迄「愛していない」みたいに過ごしてきたから、当たり前に出てしまった言葉なのか。

み:ジュリアが死んだっていう事実があるのに、あまりにもそれこそ哀しんでいる自分が分からなかったんじゃないかな。だからそこから導き出される答えは、デイヴィスの性格的に物事に無関心だっていうのもあるし、自分はジュリアの事を愛していなかったって思うしか無かった。自分は冷酷な人間なんだとか、そういった自分に対する責めもあったと思う。

り:あの時点での自分自身の結論なんですね。

み:そう。周りから見れば病んでる状態での結論になるんだけど、その時点での結論では愛してなかったんだって。

り:自分を納得させたかったから?

み:この状態を自分なりに説明したかったんだと思う。涙も出ない、そんなに哀しいって感じも無い。何故かっていうと、ああ愛してなかったんだっていう、そういう自分なりの結論を出したかったから。だから初期の場面でのデイヴィスの答えとしては、ジュリアを愛していなかったっていうのは合ってる。嘘はついてないし、真実だったと思う。
でもたまにフラッシュバックみたいな感じで、ジュリアの姿がふあっと鏡の中とか風景の中に出てくるけど、 あれが出てくるととても辛いっていう感情が表現されるでしょう? 喪失の恐怖と喪失の哀しみっていうのは相当なものなんだなっていうのは映画を観てる側には分かってくるよね。

私が気に入ったエピソードは、自分の家を「破壊」している時に胎児の写真が出てくるでしょう? あれが他の男との子どもっていう所が非常に気に入りました(笑)
あれがデイヴィスの子どもだったら、えっ?嘘?ベタ!って思ったのよね。お腹の中に赤ちゃんが居た状態で死んだんだって、また自分を責めるのかな?ってちょっとその展開は勘弁してって思ってたの。でも、ジュリアのお母さんが「他に男がいたの」って言って。あれは凄く楽しかったね。

り:私、逆にその展開がベタだなって思ってしまった。

み:本当!? 私はそっちの方がベタだと思ったから、わーいと思って(笑)

り:(笑)

み:さあさあ、どうする?って思った。
りきちゃんがベタだって言うのも分かる。その展開でちょっと救われちゃうもんね。救いの一つのきっかけになっちゃう。でも確実にジュリアのお父さんは、それで自分に「負」を負ったよね。今迄デイヴィスを責めてばっかりいたのに、娘には他に男が居て、赤ちゃんを中絶したっていうので、ちょっとごめんねっていう気持ちが。

り:他に男がいるっていう話をジュリアのお母さんがした時、お父さんは階段でうなだれちゃいますもんね。

み:その後、デイヴィスが涙ながらに「ジュリア基金とは別のかたちで何かをしたい」ってお父さんに言うけど、その時にお父さんが寄り添ったっていうのは、ちょっとその負い目があったから…っていう意味では確かにベタかも。
他の男が居たっていうのが表面的に見ていると全然分からない奥さんで、ちょっと物事に無関心な夫なんだけど愛していて、とても良い人が亡くなったっていうのを表面を見ただけでは分からない人間の複雑さがあって私は好きだった。
でも突然死んじゃう事を思うと、お家の中を整理しておこうって思うな。いろんな物が多分…(笑)
タイトルになった「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」って何かの歌詞?

り:パンフレットには特に書いていない。ラストの場面で、この内容が書かれた付箋を車の中でデイヴィスが見つけて泣き出しますよね。

「If it’s rainy, You won’t see me, If it’s sunny, You’ll think of me」

映画の中では、この映画の邦題のような字幕でしたけど、このパンフレットにある星野概念さんのコラムの中では、こう書いてありますよ。

「晴れの日は日よけを下ろすから私(付箋)に気づくよね」という付箋のつぶやきが連想させる、妻の「私のこと、たまには思い出してよね」という可愛いメッセージ。この小さな愛のメッセージが、デイヴィスの無意識あたりにある箱を空け、彼はそこにしまっていた妻への愛情をついに認識します。


り:この翻訳の方が映画の内容には合っているし、デイヴィスが泣き始めた理由も納得。

み:りきちゃんてヴィスコンティの「べニスに死す」って観てる?

り:すごーく昔に。

み:じゃあ、タジオ少年分かる?

り:分かります、分かります。

み:ちょっと彷彿とさせない? カレンの息子のクリス。



り:髪型とか。

み:ちょっと意識してる?って。そんな意識はしてないか。タジオ意識してる?って感じがしたんだけど。

り:美少年的な。

み:うん、とても。狂気をはらんだような危うい美少年みたいで魅力的だった。

り:クリスの「破壊」も一緒に行うんですよね。

み:多分、そうそう。そうしたらボコボコに破壊(何者かに殴られる)されちゃうんだけどね。

り:きっとそれで良かったんだと思う。ボコボコにされたけれど、そうされた事で自分自身の「再構築」になって、自分の中でスッキリしたんだと。そういう部分もきっとあったんだと思います。

み:カレンとデイヴィスはどういう感情で結ばれてたと思う?

り:最初出会った頃は、性的な意味でもちょっと気に入っていた部分はあると思います。最後のクリスからの手紙で、お母さんは付き合ってる人と別れた。ファックを楽しんで! みたいに書いてますよね?

み:これから2人は…っていう感じなのかな。

り:っていう部分はあるかもしれませんね。
映画の中でデイヴィスとカレンの恋愛が入った関係性を出すのって簡単じゃないですか?
それをしなかったのは良かったかも。そうしてしまうと、恋愛の物語で完結してしまう。あくまでも、デイヴィスの人生の再構築の為に寄り添う人の1人として描かれてる。

み:凄い逆境に置かれたりすると、性的な欲望が高まるってあるでしょ? お葬式とかもそうだし、喪服のエロティシズムとは別の所だけど、戦争中とか、テロがあった時とか。死というものを身近に意識している時って、性的な衝動が高まるっていうのはあると思う。
あのシチュエーションで、デイヴィスがカレンとセックスしてしまうっていうのは当然の流れで、それは愛とかではなくて、欲望としてなんだけれど。それをしないって事で、デイヴィスの傷の深さを描いているのかなって思ったの。あまりにも傷の深さが酷いから、セックスをするとかも考えられない。でも明らかにデイヴィスとカレンは、性的に惹かれ合ってる。
じゃあこの後、2人はきっと付き合うんだね。

り:うん。

み:そういう終わり方だった。

り:ラストにのクリスからの手紙が無ければ、カレンとクリスのその後について、どうなったかわからなかったですよね。

み:たしかにどこいっちゃったんだろうねっていう会話にはきっとなったよね。「えっ? あの2人ってこの後どうしたんだと思う?」って。途中でカレン達消えてなかった? っていう風になっちゃうから、やっぱり何かカレン達の事を表すものが必要だったんだと思う。この監督、終わらせ方迷ったんじゃないかな。

り:どっちにするか?

み:何処で終わるか。

り:ラストの場面で、クリスがデイヴィスをマンションか何かの解体破壊の場に呼び出すじゃないですか? 

み:事前に解体破壊があるっていうのを聞いてて、それを見せようって事でしょ?

り:あれがデイヴィス自身の破壊の大団円でしたよね。そういったイメージ。

み:そうそう。

り:デイヴィス自身の最終的な壁が打ち破られた。だからこそラストのラストで、デイヴィスが無邪気に走ってる。

み:分かりやす過ぎるというか、説明が過ぎるよね。だから私は最後でしらけちゃった。

り:うん。そういう所がやっぱりアメリカ映画っぽい。白黒はっきりつける感じが。

み:起承転結があるというか。

り:「破壊」っていうのは、一度「無」にしろっていう意味なんですかね? 破壊をせずに、継ぎ足していくという方法では無く、一度無かった事にして整理をしていくとか。

み:多分、それをしなくても大丈夫な人もいるんだと思う。ジュリアのお父さんみたいに、破壊しなくても「修正」しながら生きていける人もいるんじゃないかな。
私、一度ブログを落としたでしょう? あの時も一回「破壊」をするというか「無」にして、死ぬ代わりにブログを落としたの。そこからの「再構築」、今も再構築中だけれどね。だから、その気持ちは分かる。全部壊さないと、スタート出来ない感じ。デイヴィスはそういう風にしか出来ない人なんじゃない?

り:まあ、極端ではありますけどね。

み:はた迷惑だけどね。誰もが心の中に持っている破壊の衝動を、ブルドーザーを持ってきて家を壊すとか、映画だからこその分かりやすい表現と、自分の実生活の中では出来ない事を映画の中でやってくれてるっていう。

り:疑似体験みたいな。

み:ああいうのは映画の醍醐味だよね。

み:でもこの映画は、物にしても、命にしても、破壊する為に割と安易に扱うよね。

り:自分の命でさえそんな感じ。

み:デイヴィスが防弾チョッキを着て、クリスに銃を撃たせるシーンでしょ? クリスは鹿とかリスを撃ちたいとか言うけど、何かを破壊したい、殺したいとか、そういう気持ちがある。防弾チョッキを着て撃たれるっていうのは、自分を罰してる行為なのよね。
そういえば、工事現場の解体作業を手伝ってる時の、足に刺さる釘の意味が分からなかった。けど、あれは痛みを感じて血を流す事で、感情が出始めたっていう象徴なのかな、とも思ったりした。

り:その銃のシーン、アメリカではあるのかもしれないけど、日本だったら少年に銃を撃たせるなんてしないじゃないですか? でもそれをさせる事で、クリスの負の感情に対する憂さ晴らし的な意味合いがありますよね。

み:あるある。多分何かを撃ちたくてどうしようもなかったんだと思う。

り:よくニュースとかで、誰でもいいから殺したかったとか聞きますけど。

み:そうね。それをその銃を撃たせる事で発散させた。



み:クリスが「僕、ゲイかな?」ってデイヴィスに聞くシーンで、ゲイとしてこれからどう生きていくかを教えるデイヴィスのアドバイスは正しいですか?

り:あれは正しいと思いますよ。おちゃらけた感じで返す事も出来るじゃないですか? ましてやアメリカだから、平気でしそうな感じがするけれども。正しいですよね。

み:「2、3年はちょっとカモフラージュをして、その後大都市のゲイが集まる地域に行け」みたいに言うよね。

り:やっぱり中学とか高校みたいな狭いコミュニティの中では、ゲイとかは標的にされやすいおそれがあるし、自分の身を護る為には、時にはカモフラージュが必要っていうのは、本当に真実だなって思いました。それをちゃんとデイヴィスは的確に答えてくれたんだって事で、クリスにとっては気持ちが楽になった部分がある。

み:クリスが袋叩きにあっちゃったのって、そういう意味合いがあったのかしら?

り:うーん。クリスが1人でクラブで踊っているシーンの後ですよね?

み:そこは明確にはされてないけれど、何となくそういう繋がりがあるのかなって。いじめとかも。

り:学校に行かないとか理由とか、問題を起こすとかも、そういった理由かもしれませんね。
そういえば、今迄「よいこの映画時間」で扱った映画、全部ゲイが関連してる。

み:本当だね、選んでないのにね(笑)
今回だって本当にジャケ買い感覚(この映画のポスター)で来ちゃったもんね。
やっぱり、映画を作ろうっていうクリエイティブの人達の中には、性的マイノリティの人が多いっていうのもあると思う。

り:あとは、テーマとして分かりやすいのかな。

み:うん、弱者としてね。社会的な弱者として定義する為には、ゲイだって設定した方が「ああ、マイノリティなんだ」っていう分かりやすさが出るよね。それを感じやすいんだとか、生きにくいと嘆いている人にしてしまうと、説明が大変になるっていうのはあるかもしれないね。

り:監督がカナダの人だけど、カナダってゲイに対してオープンな感じですよね。

み:そうなんだ。性的なマイノリティの人が過ごしやすい所なの?

り:同性婚が認められていたり、プライド・パレードとかも盛大らしくて。
分かりやすさで出したというか、監督自体がごく当たり前にそういったものに触れる生活なのかもしれませんね。



み:デイヴィスは後半部分になると凄く人間味あふれる人でしょ? それだけのものを持ってた人が、何かが起こる迄、無関心になれるものなんだね。

り:やっぱりそういう生活が当たり前として生きてきたって事ですよね?

み:うんうん。無関心でいられたって事だよね。

り:突然自分自身の中で爆発が起こったみたいな感じ。
冒頭の病院のシーンで、ジュリアが亡くなった後に、ジュリアが居たであろう手術室をデイヴィスは覗くけれど、感情が顔に出てなかった様に見えた。でも、クリスがボコボコにされて、病院に運ばれてベッドで寝ているのを覗くシーンでは全然違う。

み:うん。全然違う。確かにそう。って事は、私達も本当は見えていたり、感じたりしている筈のものに無関心でいるって事ですね?

り:そうですね!

み:(笑)
この映画では、典型的な金融関係の仕事に身を置いてるマシーンみたいな人物を登場させてるから、それに比べれば私達はもうちょっとヒューマンよりというか、ちょっとおちこぼれ的だし、あんなんじゃないし違う!って思っちゃうけど、きっとそうじゃないよね。程度の問題っていうのがあるから、デイヴィスみたいに無関心でどうでもいいって見過ごしてる事の中に、とてもきらめいてるのにお前は見過ごしているんだよ!っていうのを教えてくれた映画って事でしょうか?

り:そうですね(笑)色々な物に目を向けなければならない。

み:心の中で爆発が起きなくても、そういうのに気付かなきゃいけないよって事でしょうかね。

り:ジュリエット・ビノシュの「アクトレス」を観た時に、ビノシュ演じる女優のマネージャが「深刻な映画だけが真実を描くわけじゃない」って言うシーンがありますけど、それに近いものがありますよね。私、ハリウッド映画ってあまり観ないじゃないですか? でも目を向けてみると、そこには真実がある。

み:要するに、人生の明確な目標というか、すべき事がデイヴィスにはあまりにもあり過ぎる。朝ランニングマシーンで走って、シャワーを浴びたり、そういう毎日の規則正しい日常があって、仕事っていうのがあると、それ以外の事はそれこそ「それ以外」って分類されちゃう。でもそれは確かにあるなあ。種類は違っても。
だから今りきちゃんが言ったみたいに、娯楽映画とか、ベストセラーの中にも、きらめくものがあるっていうのと共通してるっていうのはあるかもしれない。それは違うって切り捨ててるものとかもね。

り:それは違うって思うにしても、その違うの意味を見つける為には自分の中の引き出しを増やさないといけない。

み:例えば「君の名は。」をそれは違うって言う前に、観てから言えって事ですね。でも全部拾ってたら、本当に時間が無いよね。

り:引き出しをちょこっと増やして取捨選択をする能力。難しい。

み:難しいよ。デイヴィスは、仕事休めとか言われて稼がなくていい時期だから、あんな風にめんどくさい事とか、カレンとクリスの親子に関わってるわけだけど、あれが日々の生活が大変でとかだったら、子どもに銃を撃たせたり、自由にうろうろしたり、遊んでられないもんね。

り:デイヴィスを見ていると、日々の生活行動からやらなくて良い事を削ぎ落していきますよね。凄く細かい事ですけど、眉毛の手入れをしないとか、胸毛や腹毛を剃らないとか。

み:そうそうそう(笑)
あれ胸毛とかお腹の毛を毎日剃ってるの?

り:ちくちく。

み:ちくちくするよね? 私もそこでえっ!?って思っちゃって。でもそんな風に毎日剃るんだったら、脱毛しちゃえば良いのにって思って。

り:海外の男の人って、毛の処理は大切なんですよね?

み:どういう事?

り:アンダーヘアーも含めて、毛の処理が相手への。

み・り:敬意。

み:だったら、永久脱毛があるわけでしょう? だってチクチクするでしょ?

り:知らない(笑)

み:えー? 凄い気になっちゃった私。だってあれだけお金も持ってて、身だしなみを整えてる人だったら、毎日剃らなくても脱毛しちゃえば良いのにって。今だと男の永久脱毛とかあるでしょ? 私は大反対だけど。そういえば、あれはちょっと謎のシーンだった。

り:日常的に剃ってたから?

み:剃るのが好きなのかな? お手入れとして。剃りフェチ?

り:毛を剃るシーンが。

み:凄い多かった!

り:多かったですよね。カレンの家で髭を剃るとか。

み:そうそう。髭もカレンの家だと良い剃刀が無いから、ちゃんと剃れない。最初ヴィーンってやった後に1回泡つけてもう一回やるんだけど、彼女のシェーバーだから、根こそぎ剃れなくて、変に髭が残ってるみたいなシーンだった。

り:何かしらの象徴があるんでしょうね。
そういえば、どちらもジュリアに対する行為ですよね。眉毛や腹毛を剃るっていうのも、ジュリアが生きていた時にしていた事。眉毛を整えるのを途中で止めるのは、ジュリアが死んだ後。でも、髭を剃ったのは死んだジュリアの基金パーティーの為。カレンに対しては、そういう風にはしなかった。

み:社会的なものなのかな。社会と接する時に、どこまできちんとするかっていう事の象徴が毛の処理なのかもしれないね。
凄い謎。私も最初えっ!?って思ったんだもん。何でなんで?って。最初何してるか分からなくて、何をお腹に付けてるんだろうって思って。
今それが海外のスタンダードなのかな?

り:誰か海外の知り合い居ないですか?

み:うーん。日本でも男の子達の脱毛が流行ってるからね。

(ここで海外での男の脱毛について調べ始める)

り:南よりも北の方がケアをする人が多いって。監督カナダ出身だから?

み:凄い北だもんね。

り:定期的に美容院でヘアスタイルを整えたり、化粧をしたりというのと同じ。オシャレとか見た目ではなく、衛生上の理由。体毛が無い方が、清潔に保てると。

み:男の人も? えー嫌だな。そんなのが日常化しちゃったら私は淋しいな。
やっぱり単なる身だしなみの習慣としてやってたんだね。だから奥さんに今日会うとか、奥さんと夜どうのこうのするとかじゃなくて、髭を剃る行為の延長線上に体毛を剃るっていうのをやっていたんだね。でもジュリアが死んだ事でそういうのがどうでもよくなっちゃう。
哀しみの出方は人それぞれなんだね。うつ病になっちゃう人もいれば、そうじゃない人もいる。


~今回の映画~
「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」 2015年 アメリカ
監督:ジャン=マルク・ヴァレ
出演:ジェイク・ギレンホール/ナオミ・ワッツ/クリス・クーパー/ジューダ・ルイス

-ゆかいな仲間たち, よいこの映画時間