◎4本目 『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』
2021/11/05
【あらすじ】
仕事も順調、生活も安定した暮らしをしているデイヴィス(ジェイク・ギレンホール)。
仕事場へ送ってもらう途中に事故に遭い、妻を亡くします。
しかし泣くことのできないデイヴィスは…。
路子
最初に言って良いかしら?
映画が最後まで終わる前に席を立つ人が許せない(笑)。
映画が最後まで終わる前に席を立つ人が許せない(笑)。
出ようとした人のカバンか何かが、路子さんの頭にボコン!って当たってましたね。
りきマルソー
路子
本当に嫌だ! 毎回思うんだけれど。
ただでさえ通路狭いのに。無理して出るんだったら、ちょっと待てばいいのに。
りきマルソー
路子
私はいつも嫌なのよ。真ん中に座れば気にならないかもしれないけれど、自分がいつも端に座るから余計気になる。
どうしてあの数分が待てないのかしら。出る人に限ってよくつまずいたり、人の頭にぶつけたりする。明るくなってから立てば足元がよく見えるし、危険も無いのに、あの数分のがいつも苛立つんだよなって、今日頭をぶつけられて思った。
どうしてあの数分が待てないのかしら。出る人に限ってよくつまずいたり、人の頭にぶつけたりする。明るくなってから立てば足元がよく見えるし、危険も無いのに、あの数分のがいつも苛立つんだよなって、今日頭をぶつけられて思った。
気分台無しですよね。
りきマルソー
路子
危険な行為を冒してまで出る理由を聞いてみたい。
そんなにみんな急いでるのかしら。
今日はそれから始まります(笑)。
そんなにみんな急いでるのかしら。
今日はそれから始まります(笑)。
たまにエンドロールが流れた後に、映像が流れたりするじゃないですか?
りきマルソー
路子
ねっ! 最後まで観終ってこその一つのストーリーで、今日だって最後に「心を込めて」ってあった。あの一言があるのと無いのとでは全然違う。まだ今日のはそれくらいだったけれど、本当に全部終わった後に最後を締めくくる映像がぴゅって出たりする時もあるから、それを見逃す事にもなるのよね。
ライブでもそういう人いますよね。アンコールを待つ前に席を立って帰ろうとする人。
りきマルソー
路子
みんなにアンコールさせておいて、後ろ振り返りながら歩いて。
アーティストが出てくると立ち止まるみたいな。じゃあ最初からその場に残ってれば良いのに。
りきマルソー
路子
いつだったか、『ハンナ・アーレント』を観た時、とにかく凄い感動していたから、余計腹立たしいと思ったことがあったの。その時間帯は高齢者が多かったの。暗いうちからみんなゴソゴソ動き始めて、おじいちゃんとかおばあちゃんが転んだりして本当に危険なの。あの時にも個人的に質問したかった。「この数分を待たないで席を立つ理由は何ですか?」って。しかも足元フラフラして、転んでるの見て思ったの。あれは何かしらね。
結構な人数立ちますよね。
りきマルソー
路子
そうそう、そうなのよ。
ラストの場面、メリーゴーランドのシーンで終わらないところが「あっ、アメリカっぽい」って思いました。フランス映画だったら、ああいう抽象的なシーンで終わることが多いじゃないですか? ちゃんとオチを持ってくるところが…。
りきマルソー
路子
たしかにアメリカ映画らしいわね。
最後のカットなんて、希望に満ちてる!あぁー!みたいな感じで走ってく場面だったものね。
私も個人的には、メリーゴーランドのシーンで終われば良かったのにって思ったの。
最後のカットなんて、希望に満ちてる!あぁー!みたいな感じで走ってく場面だったものね。
私も個人的には、メリーゴーランドのシーンで終われば良かったのにって思ったの。
いかに観ている映画が偏っているか(笑)。
りきマルソー
路子
本当ね。何だか蛇足っぽい感じ。
そうそう。
りきマルソー
路子
そこまでしちゃうと、ちょっとしらけちゃう。
綺麗に終わったものを。
りきマルソー
路子
あのメリーゴーランドのシーンで、みんな泣いてる様子が劇場からも伝わってきた。
最後の最後に違うシーンを持って来たのは、カレン(ナオミ・ワッツ)と、その息子・クリスとの物語が置いてけぼりになっちゃうからですかね?
りきマルソー
路子
うん、多分ね。デイヴィスを立ち直らせる装置にすぎない。
りきちゃん的には映画はどうだった? でもパンフレット買ってるという事は、割と感動したということかしら?
りきちゃん的には映画はどうだった? でもパンフレット買ってるという事は、割と感動したということかしら?
私、割と何でも買いますよ(笑)。
りきマルソー
路子
買わないのもあるでしょ?(笑)。
観たものは買っちゃう?
観たものは買っちゃう?
うん、買っちゃう。
りきマルソー
路子
この間、グザヴィエ・ドランの『たかが世界の終わり』を観たのも影響していると思うけれど、割とそんなに緊張を強いられない映画だったわね。
デイヴィスの気分が高揚すると踊っちゃったりしてましたしね。
りきマルソー
路子
私、全体通してそんなに残る映画じゃないと思ってしまったの。最後のメリーゴーランドのシーンは、音楽や映像の全てが感動するように出来ているから、そこはちょっと胸がくぅーって熱くなった。
あとはそんなに。何処かで観たような風景だったの。今まで色々な映画で観てきている、こういうお話あるな、という感じが凄くした。
でも、じゃあ何の映画と似てるの?と、言われると、何一つ出てこないのだけれど。
再構築する為には、やっぱり破壊をしなくてはいけない、ということ?
あとはそんなに。何処かで観たような風景だったの。今まで色々な映画で観てきている、こういうお話あるな、という感じが凄くした。
でも、じゃあ何の映画と似てるの?と、言われると、何一つ出てこないのだけれど。
再構築する為には、やっぱり破壊をしなくてはいけない、ということ?
分解、破壊。
りきマルソー
路子
でも、もう分解じゃないわよね。あそこまでいくと。
最初は分解でしたけどね。
りきマルソー
路子
うん。その後は破壊行為。原題がそういう意味なのよね?
原題の『DEMOLITION』は、取り壊し・破壊っ、という意味ですって。
りきマルソー
路子
映画の内容は、このパンフレットの表紙みたいな感じだものね。分解とか、破壊とか。
ちょっと邦題を綺麗に持っていき過ぎましたよね。
りきマルソー
路子
でもこのタイトルで。
来ると思う。
りきマルソー
路子
私もタイトルで。りきちゃんもでしょ?
私もタイトルで。
りきマルソー
路子
まんまとやられたわね。
そうそうそう。
りきマルソー
路子
と、いうことは上手いのよ、この邦題タイトル。
たしかに。
りきマルソー
路子
ジェイク・ギレンホールという俳優さんが好きか嫌いかで、この映画は良い映画になるか、悪い映画になるか、分かれる。好き?
身体は。ナオミ・ワッツの干からび具合はとても良かった。
りきマルソー
路子
ナオミ・ワッツはとても凄い女優さんよね。
監督はカナダの出身ですって。
りきマルソー
路子
カナダの監督って、彼もそうよね?
グザヴィエ・ドラン。
りきマルソー
路子
デイヴィスは、奥さんのジュリアが運転する車に乗っている時に事故にあい、ジュリアが亡くなっちゃう。急にいつもいる人がいなくなったところから始まるのよね。でもデイヴィスは、全然悲しみというものが…。
無いように見える。ジュリアのお葬式で、泣くふりまでしますもんね。鏡の前で泣く練習をしてる。
りきマルソー
路子
でも泣けない。
あまりにも衝撃や悲しみが強い時って、感情が追い付かないって言いますよね。人が死んだ時に、お葬式での立ち振る舞いはちゃんとしているのに、式が終わると突然どっと悲しみがやってくる。そういうのに近いんですかね。それにしては、悲しみがやってくる迄に時間が掛かってるなって思いました。
りきマルソー
路子
それだけデイヴィスが繊細だったということ?
「あるものを無いようにして生きていた」みたいなことをデイヴィスが言っているから、本当にジュリアの死とカレンに出会ったことで、物事をちゃんと見られるようになったのかもしれませんね。
りきマルソー
路子
「視界には入っていたけど、見えてなかった」みたいにも言っているものね。
それは多分、ジュリアが死んだだけでは生まれなかった感情。
りきマルソー
路子
デイヴィスは彼なりにジュリアを愛していたと思う?
ラストでは愛してた、とは言っていたけれど…。ジュリアへの愛があったんだと、自分が分かった時に救われたみたいな感じかしら。
ラストでは愛してた、とは言っていたけれど…。ジュリアへの愛があったんだと、自分が分かった時に救われたみたいな感じかしら。
あれは真実かなって思います。偽りの「愛していた」という言葉では無く、自分なりに愛していた、ということですよね? 興味がないように見えていたけれど、自分なりにジュリアを愛していた。
りきマルソー
路子
自分で納得出来たというか、自分で感じる事が出来てから、急激に救いの方へ転換していくのよね。
最初は「妻を愛していなかったです」と、いつも電車で会う男の人に言うシーンがあり、ジュリアが死んでも哀しみが無いと自分で言ってる。でもそうではなくて、愛はあったんだ、というところで救われていく。
最初は「妻を愛していなかったです」と、いつも電車で会う男の人に言うシーンがあり、ジュリアが死んでも哀しみが無いと自分で言ってる。でもそうではなくて、愛はあったんだ、というところで救われていく。
あれは「愛していない」と、自分に嘘をついてたということなんですかね? それとも表面的に今迄「愛していない」みたいに過ごしてきたから、当たり前に出てしまった言葉なのか。
りきマルソー
路子
ジュリアが死んだという事実があるのに、あまりにもそれこそ哀しんでいる自分が分からなかったんじゃないかしら。
だからそこから導き出される答えは、デイヴィスの性格的に物事に無関心だっていうのもあるし、自分はジュリアの事を愛していなかったって思うしか無かった。自分は冷酷な人間なんだとか、そういった自分に対する責めもあったと思うの。
だからそこから導き出される答えは、デイヴィスの性格的に物事に無関心だっていうのもあるし、自分はジュリアの事を愛していなかったって思うしか無かった。自分は冷酷な人間なんだとか、そういった自分に対する責めもあったと思うの。
あの時点での自分自身の結論なんですね。
りきマルソー
路子
そう。周りから見れば病んでる状態での結論になるのだけれど、その時点での結論では愛してなかった。
自分を納得させたかったから?
りきマルソー
路子
この状態を自分なりに説明したかったんだと思う。涙も出ない、そんなに哀しいって感じも無い。何故かというと、ああ愛してなかったんだ、という、自分なりの結論を出したかったから。
だから始めの方のシーンのデイヴィスの答えとしては、「ジュリアを愛していなかった」というのは合ってる。嘘はついてないし、真実だったと思う。
たまにフラッシュバックみたいな感じで、ジュリアの姿がふわっと鏡の中や風景の中に出てくるけれど、 あれが出てくると、とても辛いと思っている。 喪失の恐怖と哀しみが相当なものであることが、そういったシーンで描かれているわね。
だから始めの方のシーンのデイヴィスの答えとしては、「ジュリアを愛していなかった」というのは合ってる。嘘はついてないし、真実だったと思う。
たまにフラッシュバックみたいな感じで、ジュリアの姿がふわっと鏡の中や風景の中に出てくるけれど、 あれが出てくると、とても辛いと思っている。 喪失の恐怖と哀しみが相当なものであることが、そういったシーンで描かれているわね。
路子
私が気に入ったエピソードは、自分の家を破壊している時に胎児の写真が出てくるシーン。 あれが妻と他の男との子ども、というところが非常に気に入りました(笑)。
あれがデイヴィスの子どもだったら、えっ?嘘?ベタ!って思ってしまったかもしれない。お腹の中に赤ちゃんがいた状態で死んだんだと、また自分を責めるのかな?って。ちょっとその展開は勘弁して、と、思っていたの。でも、ジュリアのお母さんが「他に男がいたの」って言って。あれは凄く楽しかったね。
あれがデイヴィスの子どもだったら、えっ?嘘?ベタ!って思ってしまったかもしれない。お腹の中に赤ちゃんがいた状態で死んだんだと、また自分を責めるのかな?って。ちょっとその展開は勘弁して、と、思っていたの。でも、ジュリアのお母さんが「他に男がいたの」って言って。あれは凄く楽しかったね。
私、逆にその展開がベタだなって思ってしまった。
りきマルソー
路子
本当!? 私はそっちの方がベタだと思ったから、わーいと思ったの(笑)。
(笑)。
りきマルソー
路子
さあさあ、どうする?って思ってしまったわ。
りきちゃんがベタだと言うのも分かる。その展開でちょっと救われちゃうものね。救いのひとつのきっかけになってしまう。でも確実にジュリアのお父さんは、それで自分に「負」を負ったのよね。今までデイヴィスを責めてばかりいたのに、娘には他に男がいて、赤ちゃんを中絶したというので、ちょっとごめんね、という気持ちがうまれる。
りきちゃんがベタだと言うのも分かる。その展開でちょっと救われちゃうものね。救いのひとつのきっかけになってしまう。でも確実にジュリアのお父さんは、それで自分に「負」を負ったのよね。今までデイヴィスを責めてばかりいたのに、娘には他に男がいて、赤ちゃんを中絶したというので、ちょっとごめんね、という気持ちがうまれる。
他に男がいるという話をジュリアのお母さんがした時、お父さんは階段でうなだれちゃいますもんね。
りきマルソー
路子
その後、デイヴィスが涙ながらに「ジュリア基金とは別のかたちで何かをしたい」と、お父さんに言うけれど、その時にお父さんが寄り添ったというのは、ちょっとその負い目があったから…という意味では確かにベタかもしれないわね。
他の男がいたのが表面的に見ていると全然分からない奥さんで、少し物事に無関心な夫だけれど、愛してる。とても良い人が亡くなった、というのが、表面を見ただけでは分からない。人間の複雑さがあって私は好きだった。
でも突然死んじゃうことを思うと、お家の中を整理しておこうって思ってしまうわ。色々な物が多分…(笑)。
他の男がいたのが表面的に見ていると全然分からない奥さんで、少し物事に無関心な夫だけれど、愛してる。とても良い人が亡くなった、というのが、表面を見ただけでは分からない。人間の複雑さがあって私は好きだった。
でも突然死んじゃうことを思うと、お家の中を整理しておこうって思ってしまうわ。色々な物が多分…(笑)。
路子
タイトルになった『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』というのは、何かの歌詞?
パンフレットには特に書いていないですね。ラストの場面で、「If it’s rainy, You won’t see me, If it’s sunny, You’ll think of me」と、書かれた付箋を車の中でデイヴィスが見つけて泣き出しますよね。映画の中では、邦題のような字幕でしたけど、このパンフレットにある星野概念さんのコラムの中では、こう書いてありますよ。
りきマルソー
「晴れの日は日よけを下ろすから私(付箋)に気づくよね」という付箋のつぶやきが連想させる、妻の「私のこと、たまには思い出してよね」という可愛いメッセージ。この小さな愛のメッセージが、デイヴィスの無意識あたりにある箱を空け、彼はそこにしまっていた妻への愛情をついに認識します。
この翻訳の方が映画の内容には合っているし、デイヴィスが泣き始めた理由も納得。
りきマルソー
路子
りきちゃん、ヴィスコンティの『べニスに死す』って観てる?
すごーく昔に。
りきマルソー
路子
じゃあ、タジオ少年分かる?
分かります、分かります。
りきマルソー
路子
ちょっと彷彿とさせない? カレンの息子のクリス。
髪型とか。
りきマルソー
路子
ちょっとタジオを意識してる?って思ったの。
美少年的な。
りきマルソー
路子
うん、とても。狂気をはらんだような危うい美少年みたいで魅力的だった。
クリスの「破壊」を一緒にするんですよね。
りきマルソー
路子
そうそう。そうしたらボコボコに破壊(何者かに殴られる)されちゃうんだけどね。
きっとそれで良かったんだと思います。ボコボコにされたけれど、そうされた事で自分自身の「再構築」になって、自分の中でスッキリしたんだと。そういう部分もきっとあったんだと思います。
りきマルソー
路子
カレンとデイヴィスはどういう感情で結ばれていたと思う?
出会った頃は、性的な意味でもちょっと気に入っていた部分はあると思います。最後のクリスからの手紙で、お母さんは付き合ってる人と別れた。ファックを楽しんで! みたいに書いてありますよね?
りきマルソー
路子
これからふたりは…という感じなのかしら。
そうかもしれませんね。
ストーリーの中で、デイヴィスとカレンの恋愛が入った関係性を出すのって簡単じゃないですか?
それをしなかったのは良かったかも。そうしてしまうと、恋愛の物語で完結してしまう。あくまでも、デイヴィスの人生の再構築の為に寄り添う人のひとりとして描かれてる。
ストーリーの中で、デイヴィスとカレンの恋愛が入った関係性を出すのって簡単じゃないですか?
それをしなかったのは良かったかも。そうしてしまうと、恋愛の物語で完結してしまう。あくまでも、デイヴィスの人生の再構築の為に寄り添う人のひとりとして描かれてる。
りきマルソー
路子
凄い逆境に置かれたりすると、性的な欲望が高まるってあるでしょう? お葬式とかもそうだし、喪服のエロティシズムとは別のところだけれど、戦争中や、テロがあった時とか。死というものを身近に意識している時は、性的な衝動が高まるというのはあると思う。
あのシチュエーションで、デイヴィスがカレンとセックスしてしまう、というのは当然の流れ。それは愛とかではなく、欲望として。それをしないということで、デイヴィスの傷の深さを描いているのかな、と思ったの。あまりにも傷の深さが酷いから、セックスをすることも考えられない。でも明らかにデイヴィスとカレンは、性的に惹かれ合ってる。
じゃあこの後、ふたりはきっと付き合うのね。
あのシチュエーションで、デイヴィスがカレンとセックスしてしまう、というのは当然の流れ。それは愛とかではなく、欲望として。それをしないということで、デイヴィスの傷の深さを描いているのかな、と思ったの。あまりにも傷の深さが酷いから、セックスをすることも考えられない。でも明らかにデイヴィスとカレンは、性的に惹かれ合ってる。
じゃあこの後、ふたりはきっと付き合うのね。
うん。
りきマルソー
路子
そういう終わり方だった。
クリスからの手紙が無ければ、カレンとクリスのその後について、どうなったかわからなかったですよね。
りきマルソー
路子
たしかにどこいっちゃったのかしらね?という会話にはきっとなっていたわよね。途中でカレン達消えてなかった? という風になってしまうから、やっぱり何かカレン達のことを表すものが必要だったんだと思う。この監督、終わらせ方を迷ったんじゃないかしら。
どっちにするか?
りきマルソー
路子
何処で終わるか。
ラストシーンで、クリスがデイヴィスをマンションか何かの解体破壊の場に呼び出すじゃないですか?
りきマルソー
路子
事前に解体破壊があるというのを聞いていて、それを見せようって事でしょう?
あれがデイヴィス自身の破壊の大団円でしたよね。そういったイメージ。
りきマルソー
路子
そうそう。
デイヴィス自身の最終的な壁が打ち破られた。だからこそ最後の最後で、デイヴィスが無邪気に走ってる。
りきマルソー
路子
分かりやす過ぎるというか、説明が過ぎるわね。だから私は最後でしらけてしまったの。
うん。そういうところがやっぱりアメリカ映画っぽい。白黒はっきりつける感じが。
りきマルソー
路子
起承転結があるというか。
「破壊」というのは、一度「無」にしろ、という意味なんですかね? 破壊をせずに、継ぎ足していくという方法では無く、一度無かったことにして整理をしていくことなんですか?
りきマルソー
路子
多分、それをしなくても大丈夫な人もいるんだと思う。ジュリアのお父さんみたいに、破壊しなくても「修正」しながら生きていける人もいるんじゃないかしら。
路子
私、一度ブログを落としたでしょう? あの時も一回「破壊」をするというか「無」にして、死ぬ代わりにブログを落としたの。そこからの「再構築」。今も再構築中だけれどね。だから、その気持ちは分かる。全部壊さないと、スタート出来ない感じ。デイヴィスはそういう風にしか出来ない人なのだと思う。
まあ、極端ではありますけどね。
りきマルソー
路子
はた迷惑だけれどね。誰もが心の中に持っている破壊の衝動を、ブルドーザーを持ってきて家を壊すとか、映画だからこその分かりやすい表現と、自分の実生活の中では出来ないことを映画の中ではやってくれてる。
疑似体験みたいな。
りきマルソー
路子
ああいうのは映画の醍醐味よね。
路子
でもこの映画は、物にしても、命にしても、破壊する為に割と安易に扱うわね。
自分の命でさえそんな感じですもんね。
りきマルソー
路子
デイヴィスが防弾チョッキを着て、クリスに銃を撃たせるシーンでしょう? クリスは鹿やリスを撃ちたいと言うけれど、何かを破壊したい、殺したいとか、そういう気持ちがある。防弾チョッキを着て撃たれるというのは、自分を罰してる行為なのよね。
路子
そういえば、工事現場の解体作業を手伝っている時の、足に刺さる釘の意味が分からなかった。けど、あれは痛みを感じて血を流す事で、感情が出始めたことを描いたのかしらね。
その銃のシーン、アメリカではあるのかもしれないけど、日本だったら少年に銃を撃たせるなんてしないじゃないですか? でもそれをさせることで、クリスの負の感情に対する憂さ晴らし的な意味合いがありますよね。
りきマルソー
路子
あるある。多分何かを撃ちたくてどうしようもなかったんだと思う。
よくニュースとかで、誰でもいいから殺したかったとか聞きますけど。
りきマルソー
路子
そうね。それをその銃を撃たせる事で発散させた。
路子
クリスが「僕、ゲイかな?」ってデイヴィスに聞くシーンで、ゲイとしてこれからどう生きていくかを教えるデイヴィスのアドバイスは正しいのかしら?
あれは正しいと思いますよ。おちゃらけた感じで返すことも出来るじゃないですか? ましてやアメリカだから、平気でしそうな感じがするけれども。正しいですよね。
りきマルソー
路子
「2、3年はちょっとカモフラージュをして、その後大都市のゲイが集まる地域に行け」みたいに言うのよね。
やっぱり中学とか高校みたいな狭いコミュニティの中では、ゲイは標的にされやすいと思いますし、自分の身を護る為には、時にはカモフラージュが必要というのは、本当に真実だと思います。それをちゃんとデイヴィスは的確に答えたことで、クリスにとっては気持ちが楽になった部分がある。
りきマルソー
路子
クリスが袋叩きにあったのは、そういう意味合いがあったのかしら?
うーん。クリスがひとりでクラブで踊っているシーンの後ですよね?
りきマルソー
路子
そこは明確にはされてないけれど、何となくそういう繋がりがあるのかなって。いじめとかも。
学校に行かない理由とか、問題を起こすとかも、そういった理由かもしれませんね。
そういえば、今迄「よいこの映画時間」で扱った映画、全部ゲイが関連してる。
そういえば、今迄「よいこの映画時間」で扱った映画、全部ゲイが関連してる。
りきマルソー
路子
本当ね、選んでないのにね(笑)。
今回だって本当にジャケ買い感覚(この映画のポスター)で来ちゃったものね。
やっぱり、映画を作ろうというクリエイティブの人達の中には、性的マイノリティの人が多いっていうのもあると思う。
今回だって本当にジャケ買い感覚(この映画のポスター)で来ちゃったものね。
やっぱり、映画を作ろうというクリエイティブの人達の中には、性的マイノリティの人が多いっていうのもあると思う。
あとは、テーマとして分かりやすいのかな。
りきマルソー
路子
うん、弱者としてね。社会的な弱者として定義する為には、ゲイだと設定した方が「ああ、マイノリティなんだ」という分かりやすさが出るわね。それを感じやすいんだとか、生きにくいと嘆いている人にしてしまうと、説明が大変になるかもしれないけれどね。
監督がカナダの人ですが、カナダってゲイに対してオープンな感じですよね。
りきマルソー
路子
そうなの? 性的なマイノリティの人が過ごしやすい場所なのかしら。
同性婚が認められていたり、プライド・パレードとかも盛大らしくて。
分かりやすさで出したというか、監督自体がごく当たり前にそういったものに触れる生活なのかもしれませんね。
分かりやすさで出したというか、監督自体がごく当たり前にそういったものに触れる生活なのかもしれませんね。
りきマルソー
路子
デイヴィスは後半部分になると凄く人間味あふれる人でしょ? それだけのものを持ってた人が、何かが起こるまで、無関心になれるものなのね。
そういう生活が当たり前だったということですよね?
りきマルソー
路子
うんうん。無関心でいられたのね。
突然自分自身の中で爆発が起こったみたいな感じ。
ジュリアが亡くなった後に、ジュリアがいたであろう手術室をデイヴィスは覗くけれど、感情が顔に出てなかったように見えました。でも、クリスがボコボコにされて、病院に運ばれてベッドで寝ているのを覗くシーンでは全然違う。
ジュリアが亡くなった後に、ジュリアがいたであろう手術室をデイヴィスは覗くけれど、感情が顔に出てなかったように見えました。でも、クリスがボコボコにされて、病院に運ばれてベッドで寝ているのを覗くシーンでは全然違う。
りきマルソー
路子
うん。全然違う。確かにそう。と、いうことは、私達も本当は見えていたり、感じたりしているはずのものに無関心でいる、ということかしら?
そうですね!
りきマルソー
路子
(笑)。
路子
この映画では、典型的な金融関係の仕事に身を置いてるマシーンみたいな人物を登場させてるから、それに比べれば私達はもうちょっとヒューマンよりというか、ちょっとおちこぼれ的だし、あんなんじゃないし違う!って思ってしまうけれど、きっとそうじゃないのよね。程度の問題というものがあるから、デイヴィスみたいに無関心でどうでもいいと見過ごしてることの中に、とてもきらめいてるのに、お前は見過ごしているんだよ!、というのを教えてくれた映画ってことでしょうか?
そうですね(笑)。
色々な物に目を向けなければならない。
色々な物に目を向けなければならない。
りきマルソー
路子
心の中で爆発が起きなくても、そういうのに気付かなきゃいけないよ、ということでしょうかね。
ジュリエット・ビノシュの『アクトレス』で、女優のマネージャが「深刻な映画だけが真実を描くわけじゃない」って言うシーンがありますけど、それに近いものがありますよね。私、ハリウッド映画ってあまり観ないじゃないですか? でも目を向けてみると、そこには真実がある。
りきマルソー
路子
要するに、人生の明確な目標というか、すべき事がデイヴィスにはあまりにもあり過ぎる。朝ランニングマシーンで走って、シャワーを浴びたり、そういう毎日の規則正しい日常があり、仕事があると、それ以外の事はそれこそ「それ以外」に分類されてしまう。種類は違っても、確かにそれはあるかもしれないわね。
だから今りきちゃんが言ったみたいに、娯楽映画や、ベストセラーの中にも、きらめくものがある、というのと共通してるかもしれない。それは違うと切り捨ててるものとかもね。
だから今りきちゃんが言ったみたいに、娯楽映画や、ベストセラーの中にも、きらめくものがある、というのと共通してるかもしれない。それは違うと切り捨ててるものとかもね。
それは違うって思うにしても、その違うの意味を見つける為には自分の中の引き出しを増やさないといけない。
りきマルソー
路子
例えば『君の名は。』をそれは違うって言う前に、観てから言えということね。でも全部拾ってたら、本当に時間が無いわよね。
引き出しをちょこっと増やして取捨選択をする能力。難しい。
りきマルソー
路子
難しいわよ。デイヴィスは、仕事休めと言われて稼がなくていい時期だから、あんな風にめんどくさいことや、カレンとクリスの親子に関わってるわけだけど、あれが日々の生活が大変だったら、子どもに銃を撃たせたり、自由にうろうろしたり、遊んでられないものね。
デイヴィスを見ていると、日々の生活行動からやらなくて良い事を削ぎ落していきますよね。凄く細かいことですけど、眉毛の手入れをしないとか、胸毛や腹毛を剃らないとか…。
りきマルソー
路子
そうそうそう(笑)。
あれ胸毛とかお腹の毛を毎日剃ってるの?
あれ胸毛とかお腹の毛を毎日剃ってるの?
ちくちく。
りきマルソー
路子
ちくちくするわよね?でもそんな風に毎日剃るんだったら、脱毛しちゃえば良いのにって思ってしまったわ。
海外の男の人は、毛の処理が大切なんですよね?
りきマルソー
路子
どういうこと?
アンダーヘアーも含めて、毛の処理が相手への。
りきマルソー
路子
敬意。
敬意。
りきマルソー
路子
だったら、永久脱毛があるわけでしょう? だってチクチクするでしょう?
知らない(笑)。
りきマルソー
路子
えー? 凄い気になっちゃった私。だってあれだけお金も持ってて、身だしなみを整えてる人だったら、毎日剃らなくても脱毛しちゃえば良いのに。今だと男の永久脱毛とかあるでしょう? 私は大反対だけど。そういえば、あれはちょっと謎のシーンだった。
日常的に剃ってたから?
りきマルソー
路子
剃るのが好きなのかしら。 お手入れとして。剃りフェチ?
毛を剃るシーンが。
りきマルソー
路子
凄く多かった!
多かったですよね。カレンの家で髭を剃るとか。
りきマルソー
路子
そうそう。髭もカレンの家だと良い剃刀が無いから、ちゃんと剃れない。最初ヴィーンってやった後に1回泡つけてもう一回やるんだけど、彼女のシェーバーだから、根こそぎ剃れなくて、変に髭が残ってるみたいなシーンだった。
何かしらの象徴があるんでしょうね。
そういえば、どちらもジュリアに対する行為ですよね。眉毛や腹毛を剃るっていうのも、ジュリアが生きていた時にしていたこと。眉毛を整えるのを途中で止めるのは、ジュリアが死んだ後。でも、髭を剃ったのは死んだジュリアの基金パーティーの為。カレンに対しては、そういう風にはしなかった。
そういえば、どちらもジュリアに対する行為ですよね。眉毛や腹毛を剃るっていうのも、ジュリアが生きていた時にしていたこと。眉毛を整えるのを途中で止めるのは、ジュリアが死んだ後。でも、髭を剃ったのは死んだジュリアの基金パーティーの為。カレンに対しては、そういう風にはしなかった。
りきマルソー
路子
社会的なものなのかしらね。社会と接する時に、どこまできちんとするかという事の象徴が、毛の処理なのかもしれないわね。でも凄く謎。今それが海外のスタンダードなのかしら。
誰か海外の知り合い、いないですか?
りきマルソー
路子
うーん。日本でも男の子達の脱毛が流行っいるものね。
(ここで海外での男の脱毛について調べ始める)
南よりも北の方がケアをする人が多いって。監督カナダ出身だから?
りきマルソー
路子
凄い北だもんね。
定期的に美容院でヘアスタイルを整えたり、化粧をしたりというのと同じ。オシャレとか見た目ではなく、衛生上の理由。体毛が無い方が、清潔に保てると。
りきマルソー
路子
男の人も? えー嫌だわ。そんなのが日常化しちゃったら私は淋しいな。
やっぱり単なる身だしなみの習慣としてやってたのね。だから奥さんに今日会うとか、奥さんと夜どうのこうのするとかではなく、髭を剃る行為の延長線上に体毛を剃る、というのをやっていたのね。でもジュリアが死んだことで、そういうのがどうでもよくなっちゃう。
やっぱり単なる身だしなみの習慣としてやってたのね。だから奥さんに今日会うとか、奥さんと夜どうのこうのするとかではなく、髭を剃る行為の延長線上に体毛を剃る、というのをやっていたのね。でもジュリアが死んだことで、そういうのがどうでもよくなっちゃう。
路子
悲しみの出方は人それぞれなのね。うつ病になっちゃう人もいれば、そうじゃない人もいる。
~今回の映画~
『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』 2016年3月 アメリカ
監督:ジャン=マルク・ヴァレ
出演:ジェイク・ギレンホール/ナオミ・ワッツ/クリス・クーパー/ジューダ・ルイス