ゆかいな仲間たち よいこの映画時間

◎8本目 「未来よ こんにちは」

み:淡々とした。淡・淡・淡とした映画だったね。

り:私、ミア・ハンセン=ラブ監督の映画で、初めて寝なかった(笑)

み:あっ、そういう監督のなんだ。

り:うーん。

み:今パンフレット見てたんだけど、30代のまだ若い女性の監督なんだね。この監督がそんなに若い女性とは。意外だった。(ミア・ハンセン=ラブ監督は1981年生まれ)

り:旦那さんはあの人なんですよ。「アクトレス」のオリヴィエ・アサイヤス監督。30歳くらい違う。私、ミア・ハンセン=ラブ監督の映画凄く苦手なんです。フランス映画祭で2回観てるけど、2回とも寝た。

み:何か分かるような気がする。

り:今回イザベル・ユペールだったから寝なかった部分もあると思うんですけど、余計なものが多い気がしちゃって。ちょっと。

み:余計なものなんだ(笑)

り:余計なものというか…。長く感じました?

み:うん。

り:いつも長く感じてしまうんですよ。

み:この監督の作品はどれも観てないなあ。

り:「あの夏の子供たち」とか「EDEN/エデン」はフランス映画祭で上映してました。

み:両方寝たのね?

り:寝ました。「あの夏の子供たち」に関しては、半分以上寝ました。全然覚えてない。

み:(笑)

り:「EDEN/エデン」は90年代のパリのエレクトロ・ミュージック・シーンの話なんですけど、それもちょっとしっくりこなかった。今回は2時間くらいだったけど、長く感じる。

み:多分、余計なものっていうのが現実なのよ。映画的なモノの見せ方っていうのは、伝えやすいようにピックアップして、ここは別にいらないかなっていう部分を省いていく作業をするけど、これって敢えて省いても困らない部分をそのまま出してる。そのまま間違えてカメラ回しちゃってますみたいな感じで撮ってるでしょ? 多分、それが凄くリアルなんだと思う。私も眠くなる映画だけれど、割とこういう嘘が無いというか、現実的な映画は嫌いじゃない。人生ってこんなものでしょ?っていう作品が。全然ドラマチックじゃないし、ロマン・コリンカが演じる年下のファビアンが唯一の慰めになっていて、そこで恋愛に発展するのかな?って思わせておいて発展しない。普通、発展しないのよ。そう思わない? それが冷酷な程に…。

り:リアル?

み:うん、リアル。私、年齢もユペールが演じる主人公のナタリーと被るんじゃないかな。境遇も自分と重ねられるから、そういう意味では凄く面白く観た。出版社から貴方の本は求められていないと言われて、本が出せなくなる所も他人事とは思えなかった。自分がどんどんどんどん社会から求められなくなっている、「老いていく人」の立場になっていく丁度境界線の年齢なんだと思う。それがとてもリアルに描かれているんだけど、それに対して凄く深く絶望するっていう訳でも、頑張っちゃう訳でもなく。本当に冷静に現実を受け止めて、次の一歩を踏み出していくという感じは本当っぽい。

り:前半の設定とかは、少し「ミューズアカデミー」に似ている感じがしましたね。

み:哲学の教授だしね!

り:男の人に違う相手が出来る所とか。

み:私達の会話、「ミューズアカデミー」を品隲(ひんしつ)してるよね。会話の中の登場回数も多くない?(笑) テーマが哲学で、夫婦でも哲学を勉強していて、夫婦間で哲学の話が交わされたりね。

り:でも、「ミューズアカデミー」で出てくる奥さんとは全く違う反応。「ミューズアカデミー」の奥さんは、哲学の話をしていたのに、最終的には感情に身を任せてキレて。

み:旦那を理解しているのは私みたいな感じで、他の女の存在を許さない感じね。

り:ナタリーに関してはくさくさした気持ちがあるにせよ、否定をする雰囲気ではない。受け止めた上で、別れた後に旦那とどう接していくかとか、これからの生活をどうしていくかとか、そこに母親の問題があったり。そういうのをちゃんと受け止めている所や、やけにせせこましく動き回っている所とかが妙にリアルでした。

み:最初の部分、面白かったよね。旦那さんが「好きな人ができた。彼女と暮らす」って言ったら、ナタリーが「何でそれを隠しておかないで言うの?」っていう場面。人生を新しい人と歩みたいって言われると、ナタリーは初めて嘘っ!?って思う。だから愛する人が他に居ても、別にそれはそれで驚くべくき事では無いという知識人の哀しさがあるわね。サルトルとボーヴォワールじゃないけど、理性と教養で受け止めるって。

でも、バカンスを過ごすブルターニュの夫の実家に対する想いって、全てを象徴してなかった? 夫に対しての未練とか、自分がずっと続けてきた子どもを含めた家庭とか、子ども達も自立して母親であるナタリーとも精神的に近い所にいない。子どもにかけてきた人生も今はべったりじゃないし、旦那に対してもそんなにベタベタしてない。それこそ同志的な関係だからサバサバしている様に見えるんだけど、あのブルターニュの家に対する執着と愛情。その家に行った時に泣いたりもするし、子ども達と遊んだブルターニュの浜辺を思い出すって言った時も泣いた。だからそういう形では哀惜の念があるのよね。

み:やっぱり哲学を勉強したりしている人なので、自分の感情的な部分とかを全部理屈で解決しようっていう作業をずっとしてきたと思うの。だから好きな人が出来たからその人と暮らしたいって旦那に言われた時も、感情的にはならない。でもそれが哀しく無い訳ではないし、そういった部分を象徴的に表わしているのがブルターニュの家なんじゃないかなって思って。教養人とか知識人の抑圧された物悲しさも感じた。全部を分析して、今の状況を把握出来る能力があるって、決して幸福な事では無いかもしれない。

り:自分の中で考えて分析してっていうのが、瞬時に出来る。

み:そうそう瞬時。だからそれが普通の思考回路なの。

り:だからといって感情でうわぁーってなっちゃう人が劣ってるっていう訳では無いけれど、そこは「ミューズアカデミー」との違い。感情ではなく、そういう風に物事で考えるという人物は、観ていて見苦しくない。皆が皆、感情で動く訳では無いし、ナタリーみたいにくさくさはしても、こういう風に考えられる人はいるし。

み:やっぱり教師を続けていられるっていう所は、そこなのかもね。哲学の教師としているのが好きって事でしょう? やっぱり作家じゃ無理だよね。何歳の設定なんだろう。50代? 「40代で女は生ごみなのよ」みたいな事をナタリーは言ってて、えーんって感じだったけど(笑) だから49歳くらいの設定なのかな?

り:(パンフレットを見ながら)上野千鶴子の解説には、ナタリーは50代って書いてある。あっ、この写真良いなあ。


み:好きだね。枯れかれの(笑)

り:枯れかれの。

み:枯れかれユペールのエロティシズムですね。

り:華やかな感じの写真よりも好き。そうそう。私、ファッションは無頓着だし、普段から興味が無いけれど、今回は可愛かったですね。凄くいろんな衣装を着てますよね。ピンっとしているちゃんとした服も可愛いし、花柄のワンピースとかも妙に少女さが出て可愛いし。

み:ナタリーの人物像に何を与えたかったのかな?って思いながら、特に花柄のワンピースとか。

り:やっぱり開放感ですかね。街にいる時にはちゃんとした服装だけど、ブルターニュやファビアンが住んでるヴェルコール山地に行く時は、ちょっと解放的な服になるので。

み:そうね、確かに。

り:本当に洋服を。

み:沢山着てた?

り:うん。そういうイメージが。

み:淡々としてるからちょっとそこでっていうのはあるのかもね。

り:日本と海外の授業の違いを感じましたね。

み:そうね! 考えさせる授業ね。

り:討論みたいな。

み:草の上で寝転がって討論するとかね。

り:海外は、学生も自ら意見を言いますよね。そういう違いを凄く感じました。

り:ユペールの走り方が可愛かった。映画の中で、せかせか動いてるじゃないですか? 多分役柄なんでしょうけど、小走りの仕方が凄く可愛くて。

み:音楽の使い方はどう思った? 英語の曲が流れてたでしょう? 「アンチェインド・メロディ」とか。

り:そうですね。カントリー的なのとかも。

み:「ゴースト ニューヨークの幻」って私大好きな映画の一つなんだけど、「アンチェインド・メロディ」が最後に流れてた。あんまり音楽がいつも流れている訳ではなくて、音無しで進んでいくけれど、たまに歌詞入りで音楽がわあって入ってくると、音楽の意味するもので何かを表したいんだろうなって思う。しかし淋しいね、一人で。ナタリーの性格を象徴するもう一つの事。お母さんの猫を引き取った時に、最初はネコアレルギーだからっていって邪険にしてるんだけど、段々愛情が移ってくるでしょう?

り:くっついたりしますよね。

み:そうそう。居なくなった時には、帰って来た時に子どもの様に抱きしめたりする。普通だったら、一人暮らしの女性・猫っていったら絶対セットで一緒になっていくから、ああ、そういう風になっていくのかな?ってちょっとつまらないなって思ってたの。でもあげちゃうじゃない?

り:手放しますよね。

み:あれが割と爽快かな。

り:結構簡単に手放す感じですよね。「さよならなんて今更」みたいに娘に言ったりもするし。

み:だからナタリーが惨めったらしく無く、哀しみの中でもそれが哀しみでは無いみたいに私が観るのは、彼女の何かに対する執着の無さかなって思った。それが猫に象徴される。お父さんの浮気を発見するナタリーの娘は多分違うタイプ。娘が出産して家族が病室に集まるシーンで、ナタリーが「お父さんやっと帰ったわね」みたいに冗談ぽく言った時に娘が泣くけれど、あの涙は何だと思った? 何で泣いてるの?ってナタリーも聞くけど。

り:答えないですしね。

み:「お父さんの事悪く言ったから? 冗談よ。」なんてナタリーも言ってたけど、答えないでただ「赤ちゃんを側に頂戴。」って言ってそれでそのシーンは終わるでしょう? あれって何で泣いたんだろう。

り:冗談を言ったからっていう理由で泣いた感じでは無かったですよね。しかも赤ちゃんを受け取った瞬間に物凄く笑顔になりますよね。

み:そうなのよね。もしかしたら母親の執着の無い性格が哀しかったのかなって。愛されていない訳では無いんだけれど、ちょっと淋しさを味わってきたのかもしれない。だから赤ちゃんを受け取った時の笑顔っていうのは、自分は多分違うし、ぽかぽかに愛そうみたいな風に思ったからなのかなって。

み:結局一人なのよね。最初4人家族でフェリーに乗ってるシーンで、割と幸せな象徴的な4人として描かれているけど、それから数年後、子ども達も自立して、離れていって、それぞれの人生がある。死ぬ迄一緒だと思っていた旦那にも好きな人が出来て離れていく。結局皆バラバラで一人なんだなって。りきちゃんが最初に言ってた、余分な事がいっぱいあるからこそ、それを淡々と見せつけられた感じがした。

り:普段の生活で慣れてしまってるから、余計な事って思ってしまったんですかね。

み:確かに多いけどね。

り:そんなの知ってるよ!って思いながら無意識に観ているからなのかな。どんどん人が居なくなって、ちょっと世話をするのが面倒くさいなって思ってたお母さんも亡くなって、少しは何か期待していたファビアンも少しずつ離れていって。初めてファビアンの住む場所に行った時は車で迎えに来てくれていたのに、2回目はあれ?居ない…。みたいな雰囲気だったし、水辺でファビアンが彼女とイチャイチャしているのを見て、彼が離れていくのを感じたり。唯一の慰めと言いつつも、ファビアンも離れていく人物の一人ですよね。
最後はどう思いましたか? ナタリーが子守歌を唄いながら、娘の子どもをあやしてる場面。

み:全然分からなかった。

り:ナタリーにとっては…孫の力じゃないですけど(笑)

み:孫の力(笑)

り:一気に庶民的な話になってしまいますけど、例えばずっと何も無いって言っている生活の中で、これから愛情を注ぐものとしては、孫っていうのはナタリーにとっては大きいのかなって。そこでまた違う出会いがあったりすれば、彼女の性格や執着の無さを考えると、孫よりそちらを選ぶとは思うんですよね。

み:ただそこで泣いている孫を自分があやそうと思って、孫だから可愛いなって感じながら温もりを抱きしめて、よしよしってやってるだけって感じがするの。猫と一緒よ。

り:本当に執着が無いんですよね。

み:そうなの、無いのよね。

り:猫の時と一緒で、あの時点では孫の力が発動している訳で。

み:でも帰っちゃった後は。

り:多分、会いたいなっていう気持ちとかはそんなに感じないんじゃないかな。寧ろ、また授業の事を考えたり、本を読んだり、そういう日常にすっと戻ると思う。

み:そうね。でも孫をあやしてるシーンからカメラがズレていって、部屋をずっと映して歌が流れてるでしょう? というのは、あの部屋が指す彼女の居場所を象徴させてたのかな。


り:情緒不安定っていう訳でも無いんですよね。

み:そうなの。

り:たまにふっと淋しさが込み上げたりはするけれど、それを引きずる事が全然無い様に見える。頭の回転が物凄く速い。

み:こんな風にいられれば、割と強いよね。自分に足りない物が、ナタリーにはいっぱいある。パンフレットに「ナタリーのせかせかとした歩き方は、どこかユーモラスで可愛らしい印象も与えますが。」っていうインタビューに対して、ユペールが「ナタリーがせかせか歩くのは、彼女が常に動き回っている人間だということを意味してます。映画では色々な事件が起こりますが、そこで困り果て、立ち止まるのではなく、動き、前に進んでいく人物だからです。」ってあるよ。

り:ずっと動いてますもんね。

み:いつも歩いてる。パンツルックも多かったりしてね。でもやっぱり「哲学」っていうものが重要な要素になっているね。

り:もっとその分野を知っていれば、凄く深く入ってくるかもしれなかった。

み:そうそう。もうちょっと知ってればね。でもりきちゃんが言ってる事をパンフレットの中で結構言ってるよ。「ナタリーのファッションがとてもナチュラルで印象的でした。衣装はご自身で担当されたのですか」っていうのに対してユペールはこの映画の中で、衣装がどのように変化するかが重要だって言ってるし、衣装担当の人とも細かい所まで検討したってある。

り:結構汲み取ってますね(笑)

み:凄いじゃない!

り:苦手ながらも。

み:頑張ってる。

り:お花ってどう思いました? 所々出てきますけど。

み:予告の最後とかで、自分の為に花を買うみたいなキャッチがあったでしょ? だから自分で花を買うシーンがあるのかな?って。

り:そんな場面は。

み:無かったなかった。

り:お母さんの所へ持って行く花を持っていたりだとか、旦那さんが慰めで置いていった花を。

み:下のごみ箱にわざわざ捨てに行ったり。しかも花を入れて捨てた袋だけを戻って回収してくるというシーン。

り:大きい机から小さい机に花を移動させて、その前に座り込む場面もありましたけど、花を見ていた訳でも無いんですよね。

み:生徒達から貰った花でしょ? だからそんなに花って…。

り:自分の為に花を買ってたかというと、そういう感じでも無い。

み:違う違う。

(再びパンフレットに目を向ける私達)

り:(ユペールのインタビューを見ながら)「私はどちらかというと暗めに、シリアスに演じる傾向があるのですが」

み:私も今同じ所を読んでた(笑) 「たびたび彼女(監督)からは、もっと軽く、もっと愛すべき人物として演じてほしい」ってね。

り:冷たさみたいなものは無いですよね。

み:確かにせかせかしてたな。凄くせかせかしてた。

り:ずーっと動いてた。

み:映画も途中で出てきちゃったりしてね。気持ち悪い人がいたからなんだけど。監督のインタビューではユペールに「もっと穏やかで優しくて、無垢でさえあるような次元まで導きたかったのです。」ってある。今迄とは違うユペールを引き出したかったんだね。

最後の歌についてもパンフレットには書いてある。私は「アンチェインド・メロディ」が好きだから、ちょっとほろ苦い感じだったけど、インタビューに書いてある様に使われたっていう所までは分からなかったな。これシナリオ採録が欲しいよね。

り:昔はありましたよね。Bunkamuraのって。

み:うん。哲学者の言葉とか書き留めたいのがいっぱいあったから。これDVDでまた観そうな気がする。

り:「デブラ・ウィンガーを探して」をBunkamuraで観た時はあった。

み:それいつの? すっごい昔だよね(笑)

り:凄い昔ですよね(笑)(日本では2003年に公開)

み:りきちゃん生まれてたんだーぐらいの感じ。

り:生まれてますよ(笑) 今は採録ないんですね。あるほうが珍しいんですね。

み:良い映画だったと思うな。

り:ちょっと克服出来ました。ユペール出演っていうのはあるけれど、今迄はこの監督に対して畑違いで、ちょっとこの人違うかなって思っていた部分があったので。

み:でも確かにこれが全然私の好きじゃない女優がやってたら、寝てたかも。ユペールの力は大きいと思う。こういう映画って、本当に女優さんの力が重要。

み:ファビアンからの言葉はちょっと残酷だったよね。

り:うん。彼女の今迄の考えを否定してる。逆にそういう風に彼が考えられるようになったっていう喜びもあったんですかね。

み:そういう生徒を育てたかったって言ってたもんね。

り:自分で考える事をする生徒をって。貴方が成功例だって。

み:これは映画館で観て良かった。多分、おうちだと途中で止めて、何かをして、また観るって事をしてたかも。

り:私は家だと多分寝る。

み:あっははは! 多分りきちゃんより私の方が重ねられる。

り:特に最初の方とか、路子さんと重なる部分あるんだろうなっていう目で観ていて。表紙の事とか。

み:キャンディの袋で包んでってね。中身と全く違う表紙にするなって事だよね。

り:ははは(笑)

み:凄く分かりますよね。

り:じゃあ最後に。私、Bunkamuraのパンフレット嫌いなんです。こうやって、余計な広告を入れてくるのが嫌い。

み:そんなに他のって無いっけ?

り:うん、無いですね。

み:苦しいんじゃない?

り:そうそうそう。でも嫌なんですよ、余計な広告。

み:パンフレットを作る為に必要な広告なんだけどね。まあ目障りだよね。

り:折角この映画のパンフレットなのに、次回作の事をページ内に入れないで欲しい。世界が壊れるというか。このパンフレットはこのパンフレットの映画で。

み:完結して欲しいね。

り:そうそう、その映画だけで完結して欲しい。色とかは少なくても良いにせよ、こういうのは納得いかない。まあ、仕方ないんでしょうけどね。

(その後、違う映画の話をしている中で「未来よ こんにちは」の話題がちょこっと出てきましたが、それは次回のお楽しみに)

~今回の映画~
「未来よ こんにちは」 2016年 フランス・ドイツ
監督:ミア・ハンセン=ラブ
出演:イザベル・ユペール/アンドレ・マルコン/ロマン・コリンカ/エディット・スコブ

-ゆかいな仲間たち, よいこの映画時間