◎8本目 『未来よ こんにちは』
2025/11/09
【あらすじ】
パリの高校で哲学を教えているナタリー(イザベル・ユペール)。
子どもも独立し、高齢の母親の面倒を見たりと、忙しく生活をする毎日を送っている。
ところがある年のバカンスの前に夫から離婚を切り出され、老いた母もなくなって、さらにさまざまな出来事がふりかかって……。
[word_balloon id="2" position="L" size="S" balloon="bump" name_position="hide" radius="true" avatar_border="false" avatar_shadow="false" balloon_shadow="true" font_color="#ffffff" bg_color="#dd3333" border_color="#dd3333"]路子:♥M[/word_balloon]
[word_balloon id="1" position="L" size="S" balloon="bump" name_position="hide" radius="true" avatar_border="false" avatar_shadow="false" balloon_shadow="true" font_color="#ffffff" bg_color="#000000" border_color="#000000"]りきマルソー:♣R[/word_balloon]
♥M
淡々とした…淡・淡・淡とした映画だったね。
♣R
ミア・ハンセン=ラブ監督の映画で、初めて寝なかったですが、イザベル・ユペールが出演していたからかな(笑)。
この監督の映画、ちょっと苦手で、フランス映画祭で観た2本はどちらも寝ちゃいました。
♥M
分かるような気がする(笑)。
パンフレットを見ていたのだけれど、30代のまだ若い女性の監督なのね。
この監督がそんなに若い女性とは意外だった。
(ミア・ハンセン=ラブ監督は1981年生まれ)
♣R
少し余計なものを描いているシーンが多いような気がしてしまいました。
♥M
余計なものなのね(笑)。
♣R
余計なものというか…2時間くらいでしたが、自分は少し長く感じてしまいました。
ミア・ハンセン=ラブ監督の作品は、いつも長く感じてしまうんです。
♥M
うん、長かった。
この監督の作品はどれも観てないわ。
♣R
『あの夏の子供たち』や『EDEN/エデン』はフランス映画祭で上映されていました。
♥M
両方寝た?
♣R
寝ました…。
『あの夏の子供たち』に関しては、半分以上寝てしまい、全然覚えてないです。
『EDEN/エデン』は90年代のパリのエレクトロ・ミュージック・シーンの話なのですが、それもちょっとしっくりこなかったんです。
今までは、この監督に対して、畑違いでちょっとこの人違うかな、と思っていた部分があったのですが、『未来よ こんにちは』で、ミア・ハンセン=ラブ監督作品を少し克服出来たような気がします。
♥M
でもたしかに、これが全然私の好きではない女優が演じていたら、寝ていたかもしれない。
だからユペールの力は大きいと思う…こういう映画は、本当に女優さんの力が重要よ。
これは映画館で観てよかった。
多分、おうちだと途中で止めて、何かをして、また観るってことをしてたかも。
♣R
私は家で観ていたら、多分寝ていました。
♥M
あっははは!
多分りきちゃんより私の方が重ねられると思う。
♣R
特に最初の方は、路子さんと重なる部分があるんだろうな、という目で観ていました。
本の表紙のこととか。
♥M
キャンディの袋で包んで、というシーンね。
中身と全く違う表紙にするなということよね。
すごく分かります。
♣R
ジワジワくる映画でしたね。
♥M
いい映画だったもの。
りきちゃんはまだジワジワ来なくてもいいと思うけれど(笑)。
ジワジワ来るし、好きな映画だけれど、監督がまだ若い、というのがね。
♣R
嘘くささみたいなものを感じてしまいますか?
♥M
そう感じてしまう…想像でしかないからね。
♣R
まだ、監督自身が身をもって体験したわけではない年齢ですからね。
『未来よ こんにちは』の予告では、全く違う話みたいに描かれていましたよね。
♥M
そうそう、全然違う。
予告では、旦那さんが恋をしたというのが大事件みたいに描かれていたね。
♣R
それで若い男の子と出会って、みたいな。
絶対にみんなそういう話だと思って観てますよ。
♥M
恋愛が基軸にあるような…。
♣R
あと、やたらと「おひとりさま」を強調していましたね。
(パンフレットに目を向ける私たち)
♣R
(ユペールのインタビューを見ながら…)
「私はどちらかというと暗めに、シリアスに演じる傾向があるのですが」
♥M
私も今同じところを読んでた(笑)。
「たびたび彼女(監督)からは、もっと軽く、もっと愛すべき人物として演じてほしい」と、言われたと書いてあるね。
♣R
冷たさみたいなものは感じなかったですね。
♥M
せかせかはしてた…すごくせかせかしていた。
♣R
ずーっと動いてましたね。
♥M
監督のインタビューの中で、ユペールに対してこんなことを言ってる。
「もっと穏やかで優しくて、無垢でさえあるような次元まで導きたかったのです」
♥M
今迄とは違うユペールを引き出したかったのね。
この作品、シナリオ採録が欲しいわね…哲学者の言葉とか書き留めたいのがいっぱいあったから、DVDでまた観そうな気がする。いい映画だった。
♣R
今はシナリオ採録があるパンフレットのほうが珍しいのかもしれませんね。
■「余計なもの」はリアル

♥M
さっきりきちゃんが「ちょっと余計なものが多い気がした」と言っていたけれど、多分、余計なものというのが現実なのよ。
映画的なモノの見せ方というのは、伝えやすいようにピックアップして、ここは別にいらないかな、という部分を省いていく作業をするけれど、この作品は、敢えて省いても困らない部分をそのまま出しているし、そのまま間違えてカメラ回しちゃってますみたいな感じで撮っている。
だからこそ、それがすごくリアルに見えるのだと思う。
眠くなる映画だけれど、割とこういう、嘘がないというか、人生ってこんなものでしょう?という現実的な映画は嫌いではないの。
ドラマチックではないし、年下の男の子 ファビアン(ロマン・コリンカ)が唯一の慰めになっていて、そこで恋愛に発展するのかな? と、思わせておいて発展しない。
でも、普通は発展しないのよ。それが冷酷なほどに…。
♣R
リアル?
♥M
うん、リアル。私は年齢も主人公のナタリーと同じくらいだと思う。
境遇も自分と重ねられるから、そういう意味ではすごく面白く観られた。
出版社からあなたの本は求められていないと言われ、本が出せなくなるところも他人事とは思えなかった。
自分がどんどんどんどん社会から求められなくなっている、「老いていく人」の立場になっていくという、境界線の年齢で、それがとてもリアルに描かれているのだけれど、それに対して深く絶望するという訳でも、頑張る訳でもなく、本当に冷静に現実を受け止めて、次の一歩を踏み出していくという感じは本当っぽい。
♣R
旦那から新しい彼女が出来たと切り出されたナタリーは、くさくさした気持ちがあるにせよ、否定をする雰囲気は出ていないですよね。
受け止めた上で、別れた後に旦那とどう接していくとか、これからの生活をどうしていくかとか、母親の問題もあったり、そういうのをちゃんと受け止めているところや、やけにせせこましく動き回っているところは妙にリアルに感じました。
♥M
旦那さんが「好きな人ができた。彼女と暮らす」と、言ったら、ナタリーが「何でそれを隠しておかないで言うの?」という場面は面白かった。
愛する人が他にいても、別にそれはそれで驚くべきことではないという、ザ・知識人っぽいところがね。
サルトルとボーヴォワールではないけれど、理性と教養で受け止めるって。
4人家族でフェリーに乗ってるシーンは、割と幸せで象徴的な4人として描かれているけれど、それから数年後、子どもたちも自立して離れていき、それぞれの人生を進んでいく。
死ぬまで一緒だと思っていた旦那にも好きな人が出来て離れていく。
結局みんなバラバラでひとりなのよね。
「余分なこと」がたくさんあるからこそ、それを淡々と見せつけられた感じがした。
♣R
普段の生活で慣れてしまってるから、余計なことだと思ってしまったんですかね。
そんなの知ってるよ!と、思いながら無意識に観ていたからなのかな…。
♥M
確かに多いけれどね。
♣R
どんどん人がいなくなって、ちょっと世話をするのが面倒くさいなと思っていたお母さんも亡くなり、少しは何か期待していたファビアンも少しずつ離れていく。
初めてファビアンの住む場所に行った時は、車で迎えに来てくれていたのに、2回目はあれ?いない…みたいな雰囲気だったし、水辺でファビアンが彼女とイチャイチャしているのを見て、彼が離れていくのを感じたり。
唯一の慰めと言いつつも、ファビアンも離れていく人物のひとりですよね。
♥M
ファビアンからの言葉は少し残酷だったね。
♣R
そうですね…彼女の今までの考えを否定していましたね。
逆にそういう風に彼が考えられるようになった、という喜びもあったのだと思いますか?
♥M
ナタリーは、そういう生徒を育てたかったと言っていたものね。
♣R
自分で考えることをする生徒を育てたいと言っていましたね。
ファビアンが成功例だって。
■ナタリーの思考回路

♥M
バカンスで使っているブルターニュの夫の実家に対する想いは、全てを象徴していると思った。
夫に対しての未練や、子どもを含めた家族との関係、子どもたちも自立して母親であるナタリーとも精神的に近いところにいない。
子どもにかけてきた人生も今はべったりではないし、旦那に対してもそんなにベタベタしていない。それこそ同志的な関係だからサバサバしているように見えるのだけれど、あのブルターニュの家に対する執着と愛情!
その家に行った時に泣いたりもするし、子どもたちと遊んだブルターニュの浜辺を思い出すと、言った時も泣いていた。だからそういう形では哀惜の念があるのよね。
やっぱり哲学を勉強したりしている人だから、自分の感情的な部分とかを全部理屈で解決しよう、という作業をずっとしてきた人なのだと思う。
だから好きな人ができたからその人と暮らしたいと旦那に言われた時も、感情的にはならないけれど、それが哀しくない訳ではない。
そういった部分を象徴的に表わしているのがブルターニュの家。
教養人や知識人の抑圧された物悲しさも感じた。
全部を分析して、今の状況を把握できる能力があるというのは、決して幸福なことではないかもしれないね。
♣R
自分の中で考えて分析して、というのが、瞬時に出来てしまいますもんね。
♥M
そうそう、瞬時に。
でもそれがナタリーにとっての「普通の思考回路」なの。
♣R
感情でうわぁーってなっちゃう人が劣っている、という訳ではないけれど…感情ではなく、そういう風に物事を考える人は、見ていて見苦しくないですよね。
みんな、感情で動く訳ではないし、ナタリーみたいにくさくさはしていても、こういう風に考えられる人はいる。
♥M
教師を続けていられるのは、そこなのかもしれないね。
哲学の教師が好きということでしょう? やっぱり作家じゃ無理よね。
何歳の設定なのかしら…50代くらい?
「40代で女は生ごみなのよ」みたいなことをナタリーが言っていて、えーんって感じだったけど(笑)。
だから49歳くらいの設定なのかな。
♣R
(パンフレットを見ながら)上野千鶴子の解説には、ナタリーは50代だと書いてあります。
ナタリーは、情緒不安定という訳でもないんですよね。
たまにふっと淋しさが込み上げたりはするけれど、それを引きずることが全然ないように見えるし、頭の回転がものすごく速い。
♥M
そうなの。こんな風にいられれば、割と強いよね。
私に足りない物が、ナタリーにはいっぱいある。
パンフレットに「ナタリーのせかせかとした歩き方は、どこかユーモラスで可愛らしい印象も与えますが」と、いうインタビューに対して、ユペールがこう言ってる。
「ナタリーがせかせか歩くのは、彼女が常に動き回っている人間だということを意味してます。映画では色々な事件が起こりますが、そこで困り果て、立ち止まるのではなく、動き、前に進んでいく人物だからです。」
♣R
ずっと動いてましたよね。
♥M
いつも歩いてる。パンツルックも多かった。
でもやっぱり「哲学」というものが重要な要素になっているわね。
♣R
もっとその分野を知っていれば、すごく深く入ってくるかもしれなかったです。
♥M
そうそう、もうちょっと知っていればね。
でもりきちゃんが言ってることをパンフレットの中で結構言ってるよ。
「ナタリーのファッションがとてもナチュラルで印象的でした。衣装はご自身で担当されたのですか」という質問に対してユペールは「この映画の中で、衣装がどのように変化するかが重要だ」と言っているし、衣装担当の人とも細かいところまで検討したと、書いてある。
♣R
苦手ながらもちゃんと汲み取ってますね(笑)。
♥M
すごいじゃない!
■作品内の演出
♥M
好きだねぇ。
枯れかれユペールのエロティシズムですね(笑)。
♣R
枯れかれ(笑)。
華やかな感じの写真よりも好きです。
私、ファッションは無頓着だし、普段から興味がないけれど、今回の服装はかわいいと思いました。いろんな衣装を着てますよね。
ピンっとしているちゃんとした服も、花柄のワンピースとかも、妙に少女っぽさが出ていてかわいかったです。
♥M
ナタリーの服装は、彼女の人物像に何を与えたかったのかしら? と、思いながら観ていたの。
特に花柄のワンピースとか。
♣R
やっぱり開放感ですかね。
街にいる時にはちゃんとした服装だけれども、ブルターニュやファビアンが住んでるヴェルコール山地に行く時は、ちょっと解放的な服になるので。
♥M
そうね、たしかに。
♣R
本当に洋服をたくさん着ていたイメージが強いです。
♥M
淡々としているから、ちょっとそこで心情を表現しようとした、というのはあるのかもしれない。
♣R
そういえば、色々なシーンで花が使われていましたね。
♥M
予告の最後では、自分の為に花を買うみたいなキャッチがあったでしょう?
だから自分で花を買うシーンがあるのかな? って思っていたの。
でもそんな場面はなかったね。
♣R
お母さんのところへ持って行く花を持っていたり、旦那さんが慰めで置いていった花だったり。
♥M
下のごみ箱にわざわざ捨てに行って、花を入れて捨てた袋だけを、戻って回収してくるのよね。
♣R
大きい机から小さい机に花を移動させ、その前に座り込む場面もありましたけど、花を見ていた訳ではなかったですよね。
♥M
生徒たちから貰った花でしょう?
だからそんなに花って…。
♣R
自分の為に花を買っていたかというと、そういう感じでもなかったですね。
♥M
違う違う。
♣R
日本と海外の授業の違いを感じました。
討論みたいな授業でしたよね。
♥M
自分で考えさせるような授業ね!
草の上で寝転がって討論するとかね。
♣R
海外では、学生も自発的に意見を言いますよね。そういう違いをすごく感じました。
あとは、ユペールの走り方がかわいかったです。映画の中で、せかせか動いていましたよね。
役柄なんでしょうけど、小走りの仕方がすごくかわいくて。
♥M
音楽の使い方はどう思った? 英語の曲が流れていたでしょう?
『アンチェインド・メロディ』とか。
♣R
そうですね、カントリー的なのとかも。
♥M
『ゴースト ニューヨークの幻』は、私が大好きな映画のひとつなのだけれど、その映画で使われている『アンチェインド・メロディ』が最後に流れていた。
私は『アンチェインド・メロディ』が好きだから、ちょっとほろ苦い感じだった。
あまり音楽がいつも流れているわけではなくて、音なしで進んでいくストーリーだったけれど、たまに歌詞入りで音楽がわあっと入ると、音楽の意味するもので何かを表したいんだろうなと思った。
■「猫」が象徴するもの

♥M
猫はナタリーの性格を象徴するものだと思った。
お母さんの猫を引き取った時に、最初はネコアレルギーだからといって邪険にしているけれど、段々愛情が移ってくるでしょう?
♣R
自分から猫にくっついたりしますよね。
♥M
そうそう、いなくなった後、帰って来た時に子どものように抱きしめたりする。
普通だったら、一人暮らしの女性と猫といったら絶対セットで一緒になっていくから、ああ、そういう風になっていくのかな…ちょっとつまらないな、と思っていたの。
でも猫をあげてしまうでしょう?
♣R
簡単に手放しますよね。
♥M
あれが割と爽快だった。
ナタリーが惨めったらしくなく、哀しみの中でも、それが哀しみではないみたいに私が見るのは、彼女の何かに執着をしないところだと思う。それが猫に象徴されていた。
お父さんの浮気を発見するナタリーの娘は、多分ナタリーとは違うタイプだと思う。
娘が出産して家族が病室に集まるシーンで、ナタリーが「お父さんやっと帰ったわね」みたいに冗談ぽく言った時に娘が泣くけれど、あの涙は何だったのかしら…何で泣いてるの?と、ナタリーも聞くけれど…。
♣R
娘は答えもしなかったですね。
♥M
「お父さんのこと悪く言ったから? 冗談よ」なんてナタリーも言っていたけれど、答えないで、ただ「赤ちゃんをそばに頂戴。」と言ってそれでそのシーンは終わる。
何で泣いていたのか…。
♣R
冗談を言ったからという理由で泣いた感じではなかったですね。
しかも赤ちゃんを受け取った瞬間、ものすごく笑顔になりますよね。
♥M
そうなのよ…もしかしたら母親の執着のない性格が哀しかったのかな。
愛されていない訳ではないのだけれど、娘は淋しさを味わってきたのかもしれない。
だから赤ちゃんを受け取った時の笑顔というのは、自分は多分違うし、ぽかぽかに愛そうみたいな風に思ったからなのかもしれないね。
♣R
ナタリーが子守歌を唄いながら、娘の子どもをあやしてる最後の場面はどう思いましたか?
♥M
全然分からなかった。
♣R
ナタリーにとっては…孫の力じゃないですけど(笑)。
♥M
孫の力(笑)。
♣R
一気に庶民的な話になってしまいますが、例えば、ずっと何もないと言っている生活の中で、これから愛情を注ぐものとしては、孫というのはナタリーにとって大きい存在になるのかなと思いました。
彼女の性格や執着のなさを考えると、また違う出会いがあれば、孫よりそちらを選ぶとは思いますが…。
♥M
ただそこで泣いている孫を自分があやそうと思って、孫だからかわいいなと感じながら温もりを抱きしめて、よしよしとやってるだけ、という感じがするの…猫と一緒よ。
♣R
本当に執着がないんですね。
♥M
そうなの、ないのよね。
♣R
猫の時と一緒で、あの時点では孫の力が発動している訳で。
♥M
でも帰った後は…。
♣R
多分、会いたいな、という気持ちはそんなに感じていないと思います。
むしろ、また授業のことを考えたり、本を読んだり、そういう日常にすっと戻るような気がします。
♥M
そうね…でも孫をあやしてるシーンからカメラがズレていって、部屋をずっと映して歌が流れてるでしょう?
部屋イコール彼女の居場所、そんなことを語りたかったのかな、って思ったのよ。

