ゆかいな仲間たち よいこの映画時間

☆28本目『昼顔』

2020/02/06


【あらすじ】

美しく若いセヴリーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、医者のピエール(ジャン・ソレル)の妻として、裕福な生活を送っていたが、夫を愛する一方でマゾヒズム的な願望を心に秘めており、日々、妄想の世界にのめり込んでいた。
ある日、夫の友人であるユッソン(ミシェル・ピコリ)から、「アナイスの館」という娼館の話を聞いたセヴリーヌは、抑えきれない自身の欲望を満たすため、「昼顔」という名の娼婦として働き始める。

夢と現実を行ったり来たりするお話なんですね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
リンリンリン、という馬車の鈴の音が聞こえているときは夢…というより妄想の世界のお話になっているのよね。
娼館で働き始めたセヴリーヌが夫に対して「日ごとに愛が深まるわ」と言うのは、何となく分かるような気がします。他の人と会う事で、大事な人の存在を再確認できる。本当に好きだって事を実感できる。
りきマルソー
りきマルソー
(特別ゲストのひさしさんが登場!)比較対象ってことですか?
ひさし
ひさし
それともちょっと違うんですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
だってもう絶対にこちらの人の方が良い、というのが自分で分かっているものね。
そうそうそう。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
その気持ちをより強固にしたいのかしら。他の人に会ったり、寝たりするのは、意識的に愛を再確認するために行くの? それともなんとなくフラフラーっとそうなって、結果的に再確認できたという感じ?
ふたりの関係が安定して、不安になってくると、そうなる事が多かったです。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ふたりの間に刺激剤みたいなものを入れたいのかしらね。
たしかに。で、結局、他の人と関係を持つことで、本当に好きな人を思い出してしまったり、好きだというのを再確認したりしますね。そういう部分は、セヴリーヌに共感します。あとは、セヴリーヌが娼婦として初めて男の人に抱かれた後、家に帰ってすぐに身体を洗ったり、下着を暖炉で焼いたりするじゃないですか。私も最初の頃はそんなだったなーって。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そんな時もあったのね(笑)。
自分は何してるんだろう…という気持ちで、家に帰ってからすぐにお風呂に入って、服も全部着替えたりして。そんな懐かしい感覚も。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
あっはっは!(笑)。
あっはっは!(笑)。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
懐かしいのね。りきちゃんが言った感覚も、もちろんあるけれど、原作者が語っている中に「偽りのない深い愛情と執拗な肉情の欲求との間の、恐るべき隔離」というものがあるの。
セヴリーヌは「自分の性(さが)だ」と、言うくらいにM的なものをすごく求めているし、ノーマルセックスでは感じない、という性癖がある。でも、夫のピエールはとても健全な人だから、彼女は自分自身の願望を話せない。
彼のことは人間として尊敬しているし、大切にしてもらっているし「あなたへの愛は快楽を超越してるわ」と言うくらい愛している。
ピエールを愛することと、自分の性的な欲望は、まるっきり別物。これがひとつの大きなテーマだと思うの。


路子
路子
私も共感出来る部分はあるけれど、出来ない部分としては、全然知らない人とセックスをすることかしら。だから今日も、自分の平凡さにコンプレックスを抱いてしまったの。相手を選べるんだったら良いけれど…。

もうその時点でちょっと違いますよね(笑)。
りきマルソー
りきマルソー
そういうのに対する憧れのようなものは無いんですか?
ひさし
ひさし
路子
路子
それこそ映画の中で、鈴の音と一緒に出てくる馬車と一緒。妄想、憧れなのよ。
『軽井沢夫人』ですね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そう。馬車の部分が、夫人の妄想の部分。妄想で、欲求を満たしたの。
バンコクへ行った時も、オイルマッサージをされている時に、『軽井沢夫人』の妄想シーンでこういうシチュエーションを使ったな、って思ったりしたけれど、実際にそういうシチュエーションに出くわすと…。
冷静になっちゃう?
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
そう! 頭が冴えてダメなの。妄想していた方が気持ち良い。もしかしたら、セヴリーヌも、妄想がとても好きなのかも。


路子
路子
ゲイの世界にも、お金でやり取りするような場所があるんでしょう?

ありますね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そういうところに、りきちゃんが興味を示さないのは、どうして?
うーん。きっとあれが欲しいんですよ。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
あぁ、あれね!
心と身体が別、ではなく両方いっぺんに欲しい。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
りきちゃんは、精神と肉体の乖離がそんなに無いタイプなのよね。だからセヴリーヌとは真逆。


路子
路子
娼館で男に抱かれたあとの、セヴリーヌの満足しきった顔!

恍惚とした顔ですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
「最高に感じたわ」ってね。同一人物とは思えないぐらい。
娼婦仲間とトランプしたりして、妙に居場所を見つけた感がありますよね。
ひさし
ひさし
路子
路子
煙草吸ったりね(笑)。 でも、家と娼館では全然違うけれど、どちらも本当の姿なのよね。
『哀しみのトリスターナ』のヒロインと比べると、すごく優しい女性に見えるでしょう? 愛があるでしょう?
あっはっは(笑)。 全然違いますね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
『昼顔」の方が有名だから、娼婦を演じて、悪徳の役だ、と言われているけれど、いやいやいや、トリスターナと比べてごらんなさい? と、言いたくなるわ。
映画としては、『哀しみのトリスターナ』の冷酷な感じが、すごく好きです。でも、共感できるのは『昼顔』ですね。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
トリスターナに何も共感できないもの。 『昼顔』がヒットしたのも、非難する人はいたかもしれないけれど、多くの人が持っているものを表現したからだと思う。

路子
路子
それにしても美しかった。
イヴ・サンローランとドヌーヴの組み合わせがパーフェクトすぎる。イヴ・サンローランの服が象徴する気品と美しさで、娼婦の役が際立っていた。そういうのも含めて、傑作と呼ばれているんでしょうね。

上品なものを汚したいというか。
ひさし
ひさし
路子
路子
そうそう。だから、それまでセヴリーヌに言い寄っていた夫の友人のユッソンが、セヴリーヌが娼館で働いていることを知ったとき「興味を失った」って言うのも分かる。貞淑な人を誘惑するのが面白いのであって、自ら「さあ 抱いて」というような相手はつまらないってことよね。
そういう男はいっぱいいますよね。分かりやすいところだと、処女が好きとか。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
浮気とかの経験が無かったり、旦那しか知らない人妻が良いとかね。
「男は初めての人になりたがり、女は最後の人になりたがる」。
性欲は人間の三大欲求だけれど、欲望は侮れないわね。
社会的にはあまり取り上げれられないし、裏でしか語られないけれど、だからこそ、この時代にこういう話を映画化したのはすごいことだし、それをあんな風に演じたカトリーヌ・ドヌーヴってやっぱりすごいと思う。
きっと自分で望んで出演を決めたんですよね。向上意識と、何でも演じてみたいという欲望がすごい。そして今なお、それが失われていない。ドヌーヴが「徹子の部屋」に出演をした時、「自分のやりたいことがまだたくさんあるから、仕事を続けています」って言ってましたね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
徹子さんに「(19年前に「徹子の部屋に出演した時と)変わらない」と、言われた時に、「変わったと思いますし、変わらなければならないと思う」とも言っていたわね。
インタビューでも、変わらないということへの怖さを語っていますね。「オマージュとか添え物のようにされるのは嫌だ」とも言っていました。
ひさし
ひさし
路子
路子
「ケーキのトッピングにはなりたくない」ってね。
フランス映画界のトップの位置に立ってなお、まだそう言っているのがすごいですね。
ひさし
ひさし

路子
路子
映画の出演依頼、ゲスト出演とか端役でのね、それがあった時に、自分がケーキのトッピングかどうかを考える。自分の役を取り除いて映画が成立するのであれば、自分が出演する意義は無い、ということ。


路子
路子
「ファム・ファタル、魔性の女を演じるということは、実生活での何かが役に立っているんですか?」というインタビューも結構受けているんだけど、ドヌーヴは、いつもきちっと、「そういう考えはしないで欲しい」と言ってる。でも、なんらかの反映はあると思うの。

『哀しみのトリスターナ』が自分に近いって言っているくらいですもんね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
実生活ではしたことがないようなことも役の中ではできるけれど、表情とか雰囲気とかは、自分に無いものだと演技で出せないと思うの。だから、『哀しみのトリスターナ』で、胸を見せて蔑む笑顔や、『昼顔』での心から肉体的に満足しているような表情をしているのを見ると、実生活でね、関わった男たちは、さぞかし翻弄されたんだろうなと思う。
ドヌーヴも、翻弄することをためらわない。
ひさし
ひさし

路子
路子
そう。翻弄する方が好きなタイプね。


路子
路子
セヴリーヌは、結婚しているけれど、まだ夫とはセックスしていないのよね?

しばらくしてから、一緒のベッドで横になっていましたけど、夫が「気にするな 無理しなくていいよ」って言ってるぐらいですから。
ひさし
ひさし
路子
路子
そうよね。若くして結婚しているし、夫ともまだだとしたら、彼女は処女だったのかしら。と、いうことは、処女のまま娼館に行った、ということよね?
小さい時、男の人の膝に座らされて、肩を抱かれながら、ほっぺにキスをされている回想シーンがありましたよね?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
どこまでされたのかしら。その時に、嫌だと思う気持ちと裏腹に、すごくゾクゾクとするものを感じた、というのが彼女の性癖を表しているわね。でも、セックスそのものは、していないと思うの。自分では意識をしていないけれど、欲求がたまりにたまっていて…。
常に妄想をかきたてていますもんね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そう。性的な夢を繰り返し見ている。そんな状態だから、娼館の話を聞いた時に、ピンッ、ときて、欲望に抵抗できなくてそこへ向かう。
迷いながらも、吸い寄せられるように行きますよね。
ひさし
ひさし

路子
路子
本当にその通り。ずっとそういうものを求め続けていたのよね。聖体拝受のときも口に入れられないくらいに、精神的には潔癖さがあったりする。
頭の中は貞淑でありたいと思っているけれど、身体が違うものを求めている。
娼館のマダム・アナイスのところに行ってから、セヴリーヌはイキイキしていくし、日に日にピエールを愛していると、実感していく。あの感覚はよく分かる。

路子
路子
アナイス・ニンが、同じ日にヘンリー・ミラーと、夫のヒューゴに抱かれた時、夫が眠っている横でつけた日記に「汚れのない気分だ I feel innocence 」って書いているの。
欲望に忠実であるその姿が、セヴリーヌにとても重なった。
性的にも満たされ、愛も感じられているから、精神的に安定している。

自分から夫に「一緒に寝る?」と、聞きますよね。
ひさし
ひさし
路子
路子
そう。今までは、ベッドで一緒に寝るのも拒んでいたのに。だからあのまま上手くいっていれば、子どもを作ることもできたかもしれないわね。あのチンピラのマルセルがいけないのよ! 結構好きだけど(笑)。

私も(笑)。
りきマルソー
りきマルソー


マルセルかわいいですよね。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
まあ純情!
まあ純情!
りきマルソー
りきマルソー

好きになっちゃったんだねぇ(笑)。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
好きな子の前では、意地悪したくなっちゃうんだねぇ(笑)。 クレイジーさが良いわよね。急に出てきた異分子みたいで。
ちょっとやりすぎ感はありましたけど。
ひさし
ひさし
路子
路子
そうね。でも、それが面白かった!
セヴリーヌは、マルセルを特別な存在だと思っていたんですか?
ひさし
ひさし
路子
路子
彼女からの気持ちは、そんなに無いと思う。
夫婦でパリを離れている時に、夫がセヴリーヌを問い詰めていますよね?「誰かを愛してるんじゃないか?」って。
ひさし
ひさし
路子
路子
気もそぞろだからよね。あれは、娼館のことを考えていただけだと、私は理解したのだけれど…。
早くあの生活に戻りたい。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
うん。マルセルを愛していたわけじゃないと思う。お客の中でも、割と手荒く扱ってくれ、楽しいことをしてくれる人にすぎないと思う。
初めてマルセルに会った時に言われた「俺をだます女は殺してやる」という言葉に対して、セヴリーヌは「タダでもいいわ」と即答してますよね。それはきっと惚れたわけではなく、自分のM的願望を刺激してきたからですよね。
りきマルソー
りきマルソー
じゃあ、踏み越えた関係を迫られたとしても…。
ひさし
ひさし

路子
路子
それは勘弁してくださいよの世界。


マルセルは、セヴリーヌの中の何か一面を表しているのかな、と思ったんです。彼は窮地に陥ると、親指をしゃぶりますよね。そこに幼児性や衝動的なものを感じるんです。肉体的なものを満たしているというか…。
ひさし
ひさし

路子
路子
理性なんてなくて、肉体とか衝動とか欲望とかだけがある。
その割には、あっさり撃たれて死んでしまいましたね。
ひさし
ひさし
路子
路子
そういえば、撃たれるシーンは、ゴダールの『勝手にしやがれ』のシーンに似ていたわ。ゴダールの方が先?
『勝手にしやがれ』は1959年、『昼顔』が1967年です。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
ゴダールの方が前ね。ジーン・セバーグが新聞を売っているシーンや、ジャン=ポール・ベルモンドが死ぬシーンと似ているところがあるの。オマージュ的なものがあったのかしらね。


セヴリーヌは、どこまで夫に求めていたんでしょうね。
ひさし
ひさし

路子
路子
彼女は多分、貞淑で、セックスにあまり興味がない妻だと、思っていて欲しかったのかな。
どう思われても良いから、自分の欲望に忠実に生きるんだ、と、外に出ていくタイプではなかったんですかね?
ひさし
ひさし
それはそれ、これはこれってことですかね。
りきマルソー
りきマルソー
夫という表があってこその裏であり、その裏の面に自分でもっと踏み込んで行って、これが自分だ!と決めると、今度はそれが表になっちゃうのかなって。
ひさし
ひさし
路子
路子
それだと、彼女の本当の喜びでは無くなってしまう。いけないことをしている感じが必要なのよ。
夫がいるからこそ、安心して出かけられる。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
そうそう。ピエールがいるからこそ、いけない感じも高まるのよ。

路子
路子
私、分からないことがあるの。
原作者は、セヴリーヌはようやく落ち着いた愛を手に入れ、状況に満足し、夫ピエールへ献身的に愛を注ぐ、というところを感動的に描きたかった、と言ってる。ラストシーンで、彼女はなんであんなに幸せそうなのかしら。

ニコッと笑いますよね。
ひさし
ひさし

路子
路子
そこからまた妄想の世界へいくのよね。


路子
路子
セヴリーヌが「昼顔」として娼館で働いていることを、あの友人のユッソンが夫ピエールに話してしまうでしょう?
夫に知られたことで、自分の正体を知られたことによる安心感と、新たな関係性が築けるかもしれないという希望を持ったのかしら。それとも、愛している人に自分の本性を知られた喜び? 妄想の中で自分を痛めつけているのは夫よね。だから本当は一番愛している夫に痛めつけてほしいんだと思うの。

でも、自分からは言い出せなかった。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
あの彼には言い出せないわよ!
失う可能性が高いですもんね。受け入れてくれる人もいるかもしれませんが。
りきマルソー
りきマルソー
僕は逆に受け入れられてしまうことで、全部無力化されてしまうことの方が、怖いと思います。
ひさし
ひさし
路子
路子
受け入れられると、つまらないのかしら。
そうですね。ピエールがそれすらも受け入れるとしたら、逃げ場がないような気がして。
ひさし
ひさし
路子
路子
受け入れるとしても、受け入れるということ自体が、セヴリーヌの欲望とは違うのよね。だから、ピエールの本性がSだった、ということくらいしか、解決策は無いのよね?
そもそも、一人の人間にそれを求めるのが難しいですよね。
ひさし
ひさし
路子
路子
そうそう。世の中の多くの人は、与えられた環境のなかで、それなりの生活をしている。でも、何かしらの秘密、人には言えない欲望をもっている。それをすごく強調して描いた話であって、実はそんなに特殊な話では無いのよね。
よくある話を。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
分かりやすくしただけ。

路子
路子
このあとはどうなると思う? まだまだ若いセヴリーヌはまた同じことをすると思う?

すると思いますよ。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
繰り返すわよね。私もそう思う。
僕は無いと思いました。セヴリーヌは、自分を壊しながらも、自分を発見した。だからそれで満たされたので、定期的にそういうものを発散したいとは、ならないかと。どっちもありかなとも思いますが。
ひさし
ひさし
路子
路子
夫ピエールの事故があったから、一応ピリオドが打たれたことにはなっているけれど…。
それこそ、「精神と肉体の隔離」であるとすれば、一時は心が満たされるけれど、夫が治ることがないのなら、身体は今後満たされない。そうすると、再び同じモヤモヤとした気持ちが戻ってきて、ついつい…みたいになると思うんですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そういうのを繰り返しながら生きていく、哀しい人間の性というか。
バレる、バレないの、ヒヤヒヤした感じも、彼女はどこかで良いと思っている部分もあると思います。
りきマルソー
りきマルソー
友達や旦那にバレたとか、ハードルを越えることにヒヤヒヤがあるんですか?
ひさし
ひさし
路子
路子
タブーに対する侵犯のよろこび。
その快感がある限り、たしかに止められないかもしれませんね。
ひさし
ひさし
路子
路子
結局、ハラハラドキドキする危険な感じが、彼女にとっては、生きているという実感を得ることに繋がるのよね。穏やかな中では安住できない人、という意味では私も共感します(笑)。

~今回の映画~
『昼顔』 1967年5月 フランス
監督:ルイス・ブニュエル
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ/ジャン・ソレル/ジュヌヴィエーヴ・パージュ/ミシェル・ピコリ/ピエール・クレマンティ

-ゆかいな仲間たち, よいこの映画時間