☆51本目『女神よ、銃を撃て』
2020/02/06
【あらすじ】
麻薬の密売をしている3人組のひとりが麻薬を盗んでいたことがバレてしまい、麻薬組織のボスに多額のお金を要求されます。
メンバーのひとりロドルフ(ニコラ・デュヴォシェル)は、関係を持つ足の不自由な顧客の女性ジュリア(ダイアン・クルーガー)にお金を無心しますが、断られてしまいます。ふたりは何度か会う内に口論となり、ジュリアはロドルフを殺してしまい…。ドヌーヴはジュリアの母親ルイーズを演じています。
路子
この作品はアクション映画というよりは、人情話だったわね。
クスリの依存症であるジュリアは…。
クスリの依存症であるジュリアは…。
事故で足が不自由になり、痛み止めとしてクスリを使っているうちに、依存症になってしまった。
りきマルソー
路子
モルヒネみたいな感じで使っていたのね。
フランソワーズ・サガンみたいな?
りきマルソー
路子
サガンもエディット・ピアフも。よくあるパターン。
路子
この作品のドヌーヴは、夫の跡を継ぎ、社長として働いていて、お金もある。そして人情味もあり、自立している女性で、結構好きだった。
ロドルフを殺すつもりはなかったジュリアの殺人を隠すために、母親のルイーズ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は必死になってる。娘が崩れそうになって「つらいの…私はママほど強くない」と弱音を吐いている時も、「私だって強くないわ」と言いつつ、それ以上に娘を守りたいという気持ちがあるのが分かる。自分しか娘を守れないと思いながら、ひとりで奮闘している姿がよく描かれていたわ。
ロドルフを殺すつもりはなかったジュリアの殺人を隠すために、母親のルイーズ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は必死になってる。娘が崩れそうになって「つらいの…私はママほど強くない」と弱音を吐いている時も、「私だって強くないわ」と言いつつ、それ以上に娘を守りたいという気持ちがあるのが分かる。自分しか娘を守れないと思いながら、ひとりで奮闘している姿がよく描かれていたわ。
ジュリアは自分で人を殺したのに、奮闘している母親に対して、あたかも母親が殺したかのような態度を取る時がありましたよね。
りきマルソー
路子
ジュリアはダメダメちゃんな娘なのよ。
そのダメダメちゃんを演じているのは有名な人なんですよね?
りきマルソー
路子
そう、ダイアン・クルーガー。だからドヌーヴとの共演が話題になったの。
そんなに目立ってはいなかったですね。たまに入るセックスシーンの人みたいな扱い。
りきマルソー
路子
そういうセクシーなのが売りだったのかしら?
それにしても…。
りきマルソー
路子
迫力のない人物だったわね。ドヌーヴの後ろで薄れてた。でもそういう人物だったからこそ、奮闘している母親を演じるドヌーヴが際立っていたのかもしれないわね。
路子
映画の中では語られてはいなかったけれど、ジュリアの足があんな風になってしまったのは…。
もしかしたら、自分の責任だと思っているのかもしれませんね。
りきマルソー
路子
うん、そんな気がする。だから娘に対してとても甘いのかしら。その甘さが、ジュリアをあんな性格にしてしまったのかもしれないわね。
そうですね。
りきマルソー
路子
殺人を隠すぐらい過保護な母親だもの。
路子
ジュリアを守りたいルイーズは、なぜか麻薬密売をしていた3人組のひとりであるベン(ネクフ)と意思の疎通ができてしまっていたけれど、ベンって根は良い人なのよね。
たしかに。実の娘よりもベンの方が、本当の息子並みに心が通じ合ってる感じがしました。
りきマルソー
路子
タイトルで使われている『女神よ、銃を撃て』というのは、麻薬組織の人たちが家に押し入ってきた時に、ライフルを構えて追い返すルイーズをさしているのよね?
そうですね。ベンはルイーズのことを「あんたに会った時 幸運の女神だと思った」と言っていますから、「女神」の由来はきっとそのセリフから取ったのだと思います。
りきマルソー
路子
原題は『私たちを隔てるもの』というポエジーなタイトルなのにね。
路子
同じ不良グループの中でも、平気で人を殺せるような心底悪いことができる人と、そういうのをためらってしまう悪いことが出来ない人がいるんだな、と思った。ベンは本当に良い人として死んでいったわね。
路子
女神のために自分が罪をかぶって。
女神のために自分が罪をかぶって。
りきマルソー
ジュリアのためなんかじゃない。
りきマルソー
路子
自分の女神様のために罪を被り、絶対に嫌疑がいかないように遺書を残して死んでいった。ベンが死んでしまったのは悲しいけれど、心から、ああ良かった、と思えるような終わり方の映画だった。
~今回の映画~
『女神よ、銃を撃て』 2017年11月 フランス
監督:ティエリー・クリファ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ/ダイアン・クルーガー/ネクフ/ニコラ・デュヴォシェル