路子先生との時間

ささくれが命取り、『軽蔑』

2017/02/21

きのうは夕方からめまいと雲のうえを歩いているような浮遊感に襲われ、それからの時間をベッドのなかで過ごした。勉強は諦めて、ポータブルDVDで映画を見ることにした。

ゴダールの『軽蔑』。
12月の芳野まい先生のフランス語講座で紹介され、同じくゴダールの『女は女である』とともに借りていたのだが、積読ならぬ積見になっていた。

先日路子先生と話をしたときに、BB(ブリジット・バルドー)の話になり、家に『軽蔑』(BBが主役)があるけど、ゴダールってみるのに気力がいるし、観ずに返そうと思ってるーなんて話したら、『軽蔑』は原作(アルベルト・モラビィアの小説)もしっかりしているしおもしろいわよ、というので、そのひと言におされて鑑賞。


主人公演じるのは、29歳の女盛りのBB。隠すのがもったいないとばかりに、その肢体をおしげもなく披露してくれている。それを拝めるだけで、ああみて良かった、と思うほど美しい。カプリ島での黄色いバスローブも海の青に映えるし、赤いバスローブ1枚でソファに横たわるBBは天衣無縫な魅力に溢れている。

最初にBBと脚本家の夫役のミシェル・ピコリの長いピロートークのシーンがあるのだが、ほかの女優さんだったら冗長に思われるかもしれないこの場面も、BBだから許される。

この映画ではBBはあまり笑わない。はじめは「私のおしり、かわいい?」などと言って愛らしかった彼女も、途中から態度が一変、「軽蔑したわ」という言葉とともに夫にかなり高慢ちきな態度をとる。でもそれもBBだから許される。夫は、原因不明の妻の心変わりに困惑し苛立ちながらも、ぶざまなほどに、BBの後ろをおいかける。

この映画をどう解釈するかは、題名となっている『軽蔑』をどううけとるかだと思う。
路子先生が、「ゴダールにしてはストーリー性もあって、わかりやすい」という通り、神話になぞらえて観客へ暗示する場面があるので、『軽蔑』の理由は伝わってくる。

ただ、我々観客にはわかるが、その台詞を発する夫本人が、まったく気づかないというところに面白さがある。不機嫌の発端には薄々気づいても、それが別れにつながるほどの重大なことだとは思っていないため、妻の突然の心変わりが理解できない。

私たちの生活でもよくある、「もう、なんでわかってくれないの!ばかばか!」という男女の気持のすれ違い(男女のものごとの受け取り方の違い)が、これでもかというほどに映画に映し出されている。かといって男がニブいというわけではなく、逆だって当然ありうるだろう。

そしてラストは、最初の『軽蔑』の発端となった車で破滅する(誰が、とは書きません)。ゴダール作品は最後によく人が突然死ぬので、またか……と思いつつ、「ああ、最初にあの車にのらなければ……」となんとも歯がゆい気持ちで終わる。

あんなにラブラブだったのに、たった1日で全てが変ってしまうなんて。ゆで卵はもとに戻せないように、一度冷めた愛は、二度ともとに戻ることはない。

すべてが一瞬で無に帰してしまう儚さ。  「セ・ラヴィ(それが人生なのよ)」とBBはいうけれど、それが映画のなかだけでなく、自分の人生にも起こりうることに、怖さを感じる作品だった。

軽蔑 [DVD]

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