特別な物語 私的時間旅行

12.「雨と情熱に濡れた小旅行」

2020/04/22

雨が降っていた。窓から見えるせっかくの海もグレーで倦怠ムード。

「今日はいっぱい行くとこがあるのに、ついてないなあ」

ぼさぼさの頭のままベットでコーヒーをすすって私がぼやくと、

「でも、雨の礼拝堂ってのも一興でしょう」

と佐和子が言う。顔も髪もすでに整えられていて、行く気まんまんの気概がびしびしと伝わってくる。

その佐和子に

「少し急がないとバスの時間に間に合わないよ」

といつものように冷静に言われ、私はクロワッサンを頬張りながら支度をしたのだが、それでもやはり遅れ気味で、ホテルを出た時点でバスの時間まで7分しかなかった。
歩いて15分はかかる道である。小雨が降っていて、私たちは傘を持たずにいて、だから雨に濡れながら、走ることになった。

ふだん運動不足で朝食をとったばかりで走れば当然、横腹がつる。かくして私の横腹はつった。
佐和子は、たったったった、と駆けて行く。しだいに遠ざかってゆくその背中に私はよろよろと手を伸ばした。

さ・・・さわこ・・・・。

「先に行ってバスに待っててもらうからねえ!」
佐和子はくるりと振り返り元気に叫んだ。

ありがたやありがたや。私は「速歩、ときどき駆け足」に切り替え、なんとかバス乗り場まで無事着いたのであった。

私を乗せるとすぐにバスは走り出した。これから約一時間かけて、ヴァンスへ行く。
マティスの礼拝堂を見るために。

 

[雨のヴァンス]

ヴァンスにあるロザリオ礼拝堂。

最晩年のマティスが『探求を続けてきた道の最後に待ち受けていた運命によって、私の方が選ばれた仕事』と、文字通り心血を注いで完成させた聖なる空間。

『疲れ果て過重な負担をかけられ、打ちひしがれた人が、私の絵を見て、平和と安らぎを見出すことを望む』と言った、マティスの世界。

是非とも実際に訪れ、そこに舞う光の粒子や漂う空気を体感したい。

なーんて、いつだったかエッセイに書いたことがあるけれど、そこまでの想いがあるなら早く起きて用意しろよな、である。

バスは町を抜け、しだいに風景の中に木々が多くなり、山道に入った。気のせいだと思いたいが、雨足は強まっているようであった。

佐和子は私の斜め前の席で、シートに身体をくつろがせ、窓外を見ている。

何を考えているのか、身体を窓側に少し傾けているその微妙な角度には、なかなか風情がある。
でももしかしたら、「ち。やっぱり傘を持ってくればよかったぜい」と思っているのかもしれない。

ホテルの部屋を出る時、なんとなく「傘いらないよね」ということになった。

佐和子はどうだか知らないが、私は傘が嫌いだ。どしゃぶりの中を歩く趣味はないが、ごく普通の雨であればほとんど傘なしで外出をしたいと思う。都会に住んでいれば、たいていの場合それで平気なのだ。ちょっと濡れるのと、屋内で傘を持ち歩くのとを比べると迷わず前者を選ぶ(いばってどうする)。

二十代前半、初めてパリを訪れた時、傘を持たない人が多いのに感激した。雨が降っていてもみんな平気で歩いている。傘をさしているひとの方が少ないくらいだった。

そういえば、シンも傘を持たない。傘だけではなく、腕時計もしない。
と、またシンへ想いを馳せてしまう。

そうよねえ。出会った頃はそれが新鮮だった。まわりの男たちが腕時計に凝っていたから余計に新鮮だった。なんだか時間に束縛されていない感じがして良かった。
「どうしてしないの?」と聞いたら、「だって、時計なんてあらゆるところにあふれているだろう。駅、店、会社。必要ないからねえ」と言っていた。

なんかその応えも意味がなくてよかった。「ふふ。オレは何物にも束縛されないのさあ」なんて遠い目をされたら白けてしまっただろう。

まあ、なんにしても私が傘なしシンと時計なしシンを評価したのは、恋の初期に見られる完全な、あばたもえくぼ現象である。

今頃、彼は何をしているだろう。日本は夕方だから自宅で仕事をしているだろうか。私がいなくて伸び伸びしているか、それとも少しは不在を感じているだろうか。

そんなことをつらつら考えているうちに、ヴァンスに着いた。時計を見るとほぼ一時間きっかりだった。

雨足はそれほど強くはないが、それでも一粒一粒が大きくて、「傘が嫌いなのアタシ」を一瞬撤回したくなる程度には降っていた。私は躊躇した。
ところが佐和子は緑色も鮮やかなショールをひらりと頭からかぶると、「行こう」と地図を片手にまた、走り出したのである。

白い石造りの建物の町並みを、なるべく雨をさけながらひらりひらりとムササビのように移動する。私は必死にムササビ、いや佐和子に着いて行く。
しかしすぐに町並みは途切れてしまい、雨をよける場所のない道を私たちは小走りでさささささ、と走ることになった。

ガイドブックには、徒歩15分とあった。しかし「まだかまだか」と何度も思うくらいに遠く感じた道だった。
そしてようやく、ロザリオ礼拝堂へ着いた。

見学者用入り口の上に「聖ドミニクと聖母子」が描かれている。
極限まで簡略化された線なのに、聖母子の互いの愛情が表現されていることにまず驚き、中に入るのが楽しみになる。

ところが。

見学者用の扉1メートル手前に門があり、それは堅く堅く、閉ざされていたのであった。

「開かない」と、佐和子が私を見る。

髪も頬も鼻も雨に濡れている。口からは白い息が漏れ、それは彼女の嫌な予感の象徴のようであった。

「でも、ガイドの開館時間には合っているし、休みは11月ってあったよ」
と私は言った。「でも開かないよ」

「ここまで来たんだから、絶対観ていこうよ。誰か中にいないかな。頼めばなんとかなるんじゃないかな」

いつもの図々しさを発揮した私は建物の周りをめぐり、別の門をがしゃがしゃいわせたり、建物の中に人影がないか目を凝らしたりと、これが一民家であれば「不審な人」そのものの行動をとった。
けれど、人影はなく、門も開けず、やがて諦めなければならなかった。

それでもなんとなく去りがたくて、私たちはロザリオ礼拝堂の道を隔てて向かい側の、誰かさんの家の駐車場(屋根付き)で雨宿りをした。

うらめしく礼拝堂を見つめる、雨に濡れた女ふたり。

「あーあ」と佐和子がため息をつく。

「あーあ」と私。

しばらくして佐和子が言った。

「これはどういう意味なんだろう。もう一度来なさいってことかな」

「それはひじょうにいい解釈ですね」と私は言った。「こういう心残りがあった方が、また来るための理由付けになるから、いいことだよ」

「そうだよね」と佐和子がうなずく。「いいことかもね」

こういった具合に残念なアクシデント(というより事前の調査不足からくるボケである。冬の南仏はシーズン・オフだし、閉館時間などコロコロ変わるものなのだ)を都合良く解釈する能力にかけては私も佐和子もなかなかいけると思う。いばれることではないが。

 

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<ロザリオ礼拝堂の外観>

 

20分ほどそこにいて、それから私たちはまた雨の中を走り、バス乗り場で次のバスの時間を確かめた後、近くのカフェに入った。

 

[マルチェロ氏登場]

店内は暖房が強く効いていて、濡れた髪や服はみるみるうちに乾いていった。

私たちはもう当たり前になったパナシェとサラダ、そしてこの日は奮発して魚介のスパゲッティとクリームソースのスパゲッティを注文した。

パナシェを一口飲んでようやく人心地がついた。

「それにしても」と佐和子が笑う。「閉ざされているロザリオ礼拝堂の中をなんとか見ようと、雨で濡れた柵をさあ、必死につかんで覗き込んでいる姿は、涙をさそうねえ。私たちってば、まるで『フランダースの犬』のネロのようだよ」

ほんとにねえ、と私も笑った。パナシェがじわじわと身体に浸透してゆく。

スパゲッティは両方とも美味しく、私たちはそれらを綺麗に平らげ、「バスの時間までもう少しあるねえ」なんて話しているところに、赤ワインの入ったグラスが二つ運ばれてきたのだった。

若いお兄さんがグラスを注意深くテーブルに置き、「あちらのムッシューからです」と微笑む。その目線の先を追うと、四つ向こうのテーブルにいるおじさんが赤い顔でにこにこと、手を振っているではないか。

「どうする?」と佐和子。

「いいんじゃない?」と私。

そして私たちは、赤ワインを飲んだ。「ラッキー」と喜びながら。

しばらくすると、同じお兄さんが今度は小さなメモを持ってきた。メモは英語で書かれていた。

なになに?

とふたりで頭を寄せて解読する。
メモの内容は、「あなたたちのランチをおごりたい。車で町を案内したい。マルチェロ」とあった。

私たちは色めき立ちながら、この申し出を受けるかどうか相談した。
はっきり言って、魅力的だった。雨は降っているし、貧乏だし。

「めずらしくスパゲッティを二つ頼んだ時にこういうのがあるっていうのも、何かの指針かも」

と言った私はせこいが、

「サン・ポール・ド・ヴァンスまで送ってもらってバイバイすればね」

と言った佐和子もなかなかだと思う。

すでに私たちは彼の車を利用しようということで意見の一致をみていた。

「マルチェロって名前がいいじゃない。私、マルチェロ・マストロヤンニ(イタリアの名優。もう亡くなったが)のファンなんだ」

と自分の軽率な判断に意味のない理由づけをする私に「イタリア人には多いと思うけど」と佐和子はそっけなく言った後、「危ないよね。こういう軽率な日本女性が多いから、色々と事件が起きるわけよ」と笑った。

「やっぱり、やめとく?」と私。

「いいじゃない。二人だし、なんとかなるでしょう。面白そうだからやってみよう」
こういう時の佐和子はとても頼もしい。

そんなこんなで、うじうじとしていると、マルチェロおじさんが茶色のジャンバーを抱えてやってきて、「ぜひ、車で町を案内させて下さい」と言った。

ひとのいいおじさん、といった第一印象。でも、このテの悪事を働くひとに、いかにもひとの悪いおじさん、はいないと思う。

「この町でなく、私たちはサン・ポール・ド・ヴァンスに行きたいんです」と佐和子。

「それならここから車で10分だよ。まかせなさい。わたしを信頼して」とマルチェロおじさん。

かくして私たちは店を出て、おじさんのオンボロ車に乗り込んだのだった。店を出る時、ことの成り行きを知っている若いお兄さんの瞳を冷ややかに感じたのは私にやましさがあったせいだろう。

さて、車に乗り込んだ私はすぐに、車のドアと鍵をチェックした。いつでも逃げ出せるようにである。隣を見ると、さりげなく佐和子も同じ事をしていて笑ってしまった。

マルチェロおじさんはといえば、得意そうにヴァンスの町について語っている。

そういえばおじさんはワインを飲んでいなかったか? いや、イタリア人にとっては水同様だから平気だろう。そんなことを考え、けっこう緊張した。

車は山道をくねくねと走り、やがてサン・ポール・ド・ヴァンスに到着した。


[
童話の世界みたい]

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<童話の世界の小道>

サン・ポール・ド・ヴァンスは、20世紀初頭、ボナール、スーティン、シニャックらの芸術家に愛された村だ。

私の大好きなモディリアーニもその一人。シャガールは晩年をこの村で過ごし、この村の墓に眠っている。

中世の面影を残す石造りの家々、小さな石が敷き詰められた小道、黒い鉄の板で作られた店の看板、少し歩くとすぐに視界が開けて町のはじに出てしまう。

「童話の世界に入ったみたいだね」と佐和子が言う。「山の中腹に、こんな宝石箱のような町があるんだね」

雨がぽつりぽつりと降っているから道も空気も湿っている。それが佐和子の言う物語的雰囲気をより高めている。

 

[口説かれてサン・ポール]

さて、マルチェロおじさんだが。
彼はイタリアから単身赴任でヴァンスに来ていて、どうやら美術関係の仕事をしているらしい。ここでまた美術。不思議な符合だ。
そしてどうやら私に気を持っているのだった。隣にぴたりと張り付いて、熱心に町の説明をし、そして口説く。

そこはイタリア人だから半端でない。「運命の出会い」「ぼくの人生」といった言葉を繰り返し、今夜のデートを誘う。
はっきり断っても、めげない。佐和子は時折私たちの側に来て、マルチェロおじさんを牽制してくれる。
「なんだい? わたしはあなたのボディガードかい?」と笑いながら、「まかせなさい」と胸を叩く。うーん、頼もしい。

そんな感じでしばらく町並みを楽しんだ後、私たちはマーグ財団美術館へ行った。美術関係の仕事をしているマルチェロおじさんはむろん、一緒に入館する。

彼は美術館の中でも私から離れず、「運命の出会い」「ぼくの人生」を多用し、そして佐和子が側にくると、美術について熱く語り、佐和子が離れるとまた私を口説いてくれるのだった。

ところでマーグ財団美術館は、現代美術の宝庫である。
この美術館を訪れるだけでもコート・ダ・ジュールを訪れる価値があるといわれるほどなのだ。

画商で出版人のエーメ・マーグが設立したのだが、建築をカタロニア(スペイン)出身のセルトが担当し、それに協力してジャコメッティ、ミロ、シャガール、ブラックなどが美術館、庭、自然と解け合う作品を制作したという豪華さである。

正直言って、息を飲むほど感動的な作品には出会わなかったが、これだけたくさんのジャコメッティの彫刻をまとめて観たのは初めてだったので、訪れて良かったと思えた。

ジャコメッティの彫刻にはいつも背筋が伸びる。

マルチェロおじさんはさっきからずっとある画家について語っている。

「ゴーゴ、僕はゴーゴが大好きなんだ。彼を本当の天才というんだ。ゴーゴの絵には魂がある。そう思わないかい?」

「ゴーゴって画家、私は知らないのです」

「そんなことはない! 超有名な画家だよ!」

「だって、知らないんだもん。もう一回言って」

「ゴーグ」

「ゴーグ?」

「ゴーゴ」

「やっぱり知らないです」

という会話を繰り返して、「でも彼のひまわりの絵は・・・」と彼が言ったところで私はようやく気づいたのだった。

あ。ゴッホのことね。

「知ってます知ってます。ゴッホですね」

「ゴーグだよ」

「はいはい、それ、知ってます。私も好きです。アムステルダムのゴッホ美術館では、心臓が止まるような時間を過ごしました」

マルチェロおじさんは、それからピカソやモディリアーニについても熱く語った。
私はそれだけで、「このひと、悪い人じゃない」と思ってしまったのだが、浅はかだろうか。

美術館を一通り見たところで、私は佐和子との打ち合わせ通りのことを彼に告げた。

「ここまで送ってくださって、ランチもごちそうになって、ありがとうございます。けれど私たちは夫とニースに来ていて、今はそれぞれ別行動なのですが、次のカーニュ・シュル・メールのお城で夫たちが待っているのです。彼らはとても嫉妬深く、あなたの車に乗っていくと大変なことになるので、ここでお別れしたいと思います」

いつの間にか佐和子も加わり、「そうなんです。夫が待っているんです。彼らはとても嫉妬深いんです」と胸の前に腕を組み、真剣な表情である。

おじさんは悲しそうな表情で「運命の出会いなんだ。僕の人生において重要な出来事なんだ。あなたの夫はいつでもあなたと会える幸運な男だけど、ぼくには今夜しかチャンスはないんだ」と訴える。

さすがはイタリア人。

それでも再びおじさんの好意にお礼を言って私たちはバス停に向かって歩いた。おじさんは最後には手を振って見送ってくれた。

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<マルチェロ氏撮影>

「いいひとだったね」と私は佐和子に言った。

「うん。いいひとだよ。だけど、あの目はすごかったね。あなたをじっとみつめるあの目。あの情熱には脱帽だよ。まあ、素直でかわいいともいえるけど。まったく、わたしと一緒にいると絵の話をするのに、少しでもわたしの姿が見えなくなると、必死に口説いていたでしょう。声が聞こえるからわかるんだよなあ」
と佐和子は笑って、続けた。

「でも、わたしも一瞬だったけど、夫もちの気持ちが味わえて新鮮だったよ。マルチェロおじさんに言いながら、ほんと、カーニュで夫が待っているような気になってきたよ。いいじゃない。夫婦二組で来て、それぞれ自由行動している設定ってさあ。なんだか小説的だわ。・・・といっても、シンさんだと、おとなしくカーニュで待っている感じじゃないし、あら、余計なお世話? わたしもそういう夫を選びそうにない。しかも彼らは嫉妬深いなんて、かけ離れていて、やっぱり嘘っぽいか」

 

[カーニュ秘宝館]

この小さな冒険に少し興奮しながらバスに乗って数十分、誰も待っていないカーニュ・シュル・メールに着いた時は、すでに夕刻だった。

「カーニュの町は、市街地、海辺のクロ・ド・カーニュ、丘の上のオ・ド・カーニュからなっている。一日とってゆっくりまわってほしい」とガイドブックにも書いてあるのに、私たちに時間はなかった。

私がここに来たいと思ったのは、この町が「コート・ダ・ジュールのモンパルナス」と呼ばれていることと、「モディリアーニ通り」があるからだった。
と言っても、正直なところそれほどの強い思いではなかった。

訪れなくては。訪れるべきだ。
という強迫観念があったのだと思う。

20世紀初頭、若き芸術家たちのたまり場だったパリのモンパルナスも、そこで短い生涯を燃やし尽くしたモディリアーニも、私は好きだった。

モディリアーニとその恋人ジャンヌの悲恋には強烈に惹かれたし、過ぎし日のモンパルナスの熱気にも憧れて、一時期はそれこそ夢中になったものだ。

けれどそれはすべて過去の話である。

アートへの熱が本当に自分の中にあるのかわからなくなっている状態、がこの時の私であった。

それなのに私はカーニュ・シュル・メールには行くべきだ、と思っていたのだ。

こういう、なんか未練がましい、じめじめしたところが我ながら嫌になる。昔つき合った男とすっぱりと関係を絶てない姿とそれはひじょうに似ていて嫌だ。

この旅行で自分自身の進むべき道がだんだん見えてきていて、それはおそらくアートに関することではない、と思っていて、それなのに、私はカーニュを訪れた。

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<モディリアーニ通りを見つけた。ただそれだけ>

だから、町の印象は薄い。モディリアーニ通りを発見して、写真などを撮ってはいるが、感動はちっともなかった。
そんな中でひとつだけ、印象に残った場所があった。

カーニュの丘の上には中世の城が建っていて、その中に地中海美術館があるのだが、閉館で入れなかった。そこで私たちは同じ城の中にある小さなギャラリーに入った。

入り口にひとりの青年がいて、彼は身体と言葉が少し不自由で、そして笑顔が素晴らしかった。その彼が案内してくれた先は・・・。

薄暗い、空間だった。

そしてそこに展示されているのは、オブジェというかインスタレーションというか、いずれにしても、ひじょうにセクシャルなテーマなのであった。

男性器をかたどったものが壁にかけられ、部屋の隅に置かれたテレビからはあやしげな映像が流れ・・・。

古城の中で、男性器鑑賞にひたる女二人。

ふりむけば笑顔の青年。

ああ・・・。

ギャラリーを出て、佐和子を見ると、ぼーっとしている。

「すごかったね」
と私は言った。

佐和子は、「なんなんだ、これはいったい・・・」と頭を抑えた。「あの青年の爽やかな笑顔と、城の内部の雰囲気と、展示品のギャップにわたしはおかしくなりそうだよ」

私は笑って、「熱海の秘宝館を思い出したな」と言った。

「行ったことあるの?」と佐和子が訊ねた。

「あるよ」

「さすがだね」

「ええ」

その後、ルノワール美術館へ行ったが、時間ぎりぎりで閉館していて見られなかった。

雨に濡れた私たちをみかねてか、受付の年輩の女性が、バス停近くまで車で送ってくれた。

車にめぐまれた一日ではあったが、私も、そしておそらく佐和子も身体はぐったりと疲れていた。
ふたりともほぼ無言で、停留所に立ち、ニース行きのバスをひたすら待っていた。

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