8.「心のセンサーが、同じように動いてる」
2020/04/22
ヴェネチア二日目は終日別行動、ということになっていた。
佐和子にとってヴェネチアは特別な町であるし、私は二度目なので、どう考えても別の方がいい。
それに、もともと二人とも一人気ままに歩くのが好きなので、ここらでひとつ、そんな一日を設けましょう、そうしましょう、と気が合ったわけだ。
昨夜の盛り上がりで、眠る時間こそ遅かったが、飲みすぎたわけではないので、目覚めは爽やかであった。
30歳になって、ただただ深酒をするということから随分遠ざかったなあ、と思う。
加齢による体力の衰えでしょう、酒が弱くなっただけでしょう、という声がどこからか聞こえるが、翌日を台無しにするような量を飲むのは馬鹿馬鹿しい、とようやくセーブできるまで「成長」した、と言って欲しい。
ホテルの窓からはブルーグレーのラグーナが見える。
佐和子は私より一足早く支度を終え、ヴェネチアの地図を広げている。目の輝きが尋常ではない。私の百倍くらい胸ときめいているに違いない。
私は彼女の興奮の邪魔をしないよう静かに支度をして、そして二人でホテルのロビーへ降りた。
フロントで部屋のキーを預ける。と、キーを受け取った初老の男性が、私宛のファックスを差し出した。
シン(初めて読む人のための注:私の夫)からだった。
ホテルの名前入りの少し膨らんだ封筒を私はバックにしまい、エントランスを出たところで佐和子と別れた。
[東京の街頭詩人]
今日の予定はまだ決めていない。
とりあえず、朝食をとろうと、少し歩いて、ラグーナが広く見渡せるカフェに入り、窓際の席を選んで座った。
一応メニューを広げて、でも頼んだのはコーヒーとサラダだけ。たいてい一籠のパンがサービスされるので、私などはこれで充分なのだった。
運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、私はバックから封筒を取り出し、シンからのファックスを読んだ。
一枚目は仕事の連絡であり、いくつかすぐに返事を出さなければならないものがあって、うっとうしかったが、二枚目は面白かった。
簡単な近況に続いて、こんなことが書かれていたのだ。
・・・、と、こんな毎日ですが、昨夜、街頭で詩集を買ったよ。
街頭に立ち、自分の「志集」を売っていた彼女は、34歳。
彼女を初めて見たのは僕がまだ20歳の頃、今回のように新宿の街頭に立っていた。
数年前にも一度見かけて、今度会ったら、買おうと決めていた。
なにしろ、僕がまだカメラマンの助手をしている頃からずっと、僕がカメラマンとして独立し、やめて、東京を離れ、それから東京に戻って来て、いくつか仕事を変わって、そして結婚なんぞして、なんてことしている間も、彼女は街頭に立ち、「志集」を売っていたんだ。
それで驚いたことに、昨夜の彼女は、初めてみかけた時の、あの時のままの顔をしていた。僕の印象に過ぎないんだろうけど、そこだけ時間が動いていないようだった。
今回も、「あっ」と思って、でも、一度は通り過ぎた。だけど、戻って、買った。
300円で、薄いものだけど、なかなかのものだったよ。旦那が71歳っていうのも面白いな。
少し、紹介します。
それでは、旅行、楽しんで!
短い二編の詩が書き移されていた。
それは、どちらも重たく、鋭く、何度も読ませ、考えさせられるものだった。
(本当ならばそのままここに紹介したいのだが、「志集」の最後に「無断掲載固くお断り」とあり、彼女が街頭詩人として、その表現手段を選択しているのなら、それは彼女にとってとても大切なことなのだろう、と思うので、やめておく)。
<本当に静かだった。ひとりだということを
ぞっとするほどに感じたひとときの風景>
[私たちの関係の根幹にあるもの]
コーヒーを飲んで、サラダを食べて、パンをほおばりながら、私はしみじみと感じていた。
シンの存在を。
離れていても、離れていることを思わせない。一方で、離れていることをとても理不尽に感じさせる彼という存在を。
私がストレーザで頭痛に苦しみ、シンを恋しく思ったことは前に書いた。
そしてシン・シックが今回の旅行の一つのテーマでもあった、とも。
旅行中、私は何度も、シンを恋しく思った。何かに感動するたびに、ああ、彼がここにいればなあ、と思った。
ならば、佐和子とではなく、シンと来るべきだったのか。
ややこしいことに、それは違う。
シンとではなく、佐和子と一緒、というところに、今回の旅行の意義はあった。
もちろん、それは佐和子という人のオモシロサを満喫することと、シンと離れて有意義な時間を過ごす、という両方の意味を含む。
あまりにも近くにいると見えなくなってしまうものがある。
離れることによって、見えてくるものがある。
そもそも、この旅行を決めた理由は、
「ここから抜け出さなければ大事なものをなくしてしまう。かなり真剣にそれを恐れた。行かなければ駄目になる。本気でそう思った。(1 真冬の女二人旅にはワケがある)」からである。
その時もぼんやり自覚してはいたが、旅行に出て、はっきりとした。
それは、ひとつにはシンとの関係性があったのだ。
世の中には様々なカップルがあり、夫婦がある。
私たちの関係の根幹にあるのは、なんだろう。
日常生活の中では、いちいちそんなことを考えもしない。
けれど、こうして離れてみて、心動く出来事や風景に出会うと、そんなことを考えてみたくなる。
これはよく思うことなのだが、人と人との付き合いにおいて、それが男女の間では特に、そのひとの何に惹かれたのか、が長く付き合っていく上で重要なことだ。
カレの仕事にかける情熱、カノジョの心根の優しさ、など、相手に惹かれる要素は、それこそ様々だ。
私たちの場合は互いに、おそらく、サイノウ、だった。
才能、と漢字で表現すると、ちょっと立派すぎて違う気がするので、サイノウ、とすることにする。
シンは、「女らしさ」にメロメロになる男だ。
いわゆる、色気があり、男に求められても「いやよいやよもすきのうち」を大真面目にできる、あぐら、立て膝などもってのほか、下着姿を見せるのも恥じらうような、そんな女性が、本来好きなのだ。
そして、堂々と胸を張って言うことでもないけれど、私は違う。
けれど、シン曰く、「そこに惚れたんじゃないから、あーたが、立て膝つこうがオナラしようが、何とも思わないよ」なんだそうだ。
これを聞いた時、私は緊張したものだ。
なぜって、サイノウの部分で頑張らなければいけないのねえ、それ以外にはノウのない女ということねえ、と思ったからだ(これなら「いやよいやよもすきのうち」のフリをするほうが楽ではないか!)。
一方、私はシンのサイノウ(この場合、感性、がたくさん含まれる)に惚れたわけだ。
だから、彼が例えば、部屋を散らかすのが平気であったり、私のお気に入りのランチョンマットをぐちゃぐちゃに汚す食べ方をしたり、とんでもない格好で外出したり、アイシテイルという言葉を全く口にしない男であっても、本質的には何の問題もない(もちろん日常的な文句はブチブチと言っている)。
サイノウが無くなる、というのは本来ありえないことだと思うので、私が彼から離れることがあるとすれば、他の男性との出逢いしかない。
それまた、ちょっと面倒だけど楽しい可能性(おっと、話がずれてしまいそうだ)。
というわけだから、私はシンからのファックスの内容が嬉しかった。
全く別の土地で別のことをして、別のものに出会っていても、心のセンサーが同じように作動している、と感じたからだ。
そして旅行前、目的の見えない暗い日々を過ごし、シンにあたりちらしていた自分の姿にぞっとした。
いけないいけない。
この旅行を終え、帰宅する時には、生き生きとしていたい、と強く願った。
[ブラーノ島へ]
<漁師の町ブラーノっぽい風景>
ラグーナは相変わらずブルーグレーだ。
今日は一日中薄曇りかもしれない。きっと冷えるだろう。
一枚下着を余分に着てきてよかった、なんて色気のないことを思って、それから、島に行こう、と思った。
船に乗って、島へ行こう。
ガイドブックを広げた。
そこには5つの島が紹介されていて、私はブラーノ(Brano)島を選んだ。
「観光地の雰囲気から遠いゆったりと人々の暮らすのどかな漁師の島」という文に惹かれたからだ。
ずっと、「観光」をしていたので、なんにもなさそうな所に行きたかった。
一時間ほど町をぶらぶらとしてから、私は小船に乗りこんだ。
風が冷たく、手袋の中の指先がかじかむ。
約30分で島に着いた。
ブラーノ島は、実に色彩の薄い、地味で静かな島だった。
あまりに印象が薄いので、あのエピソードがなければ、島を訪れたことすら忘れてしまっただろう。
色彩の薄い町だからこそ、際立っていた、あのひととき。
あるレストランでの、出来事だった。
[ドゥ ユウ ノウ コウジ キヌタニ?]
島に着いた私は文字どおり、ぼーっと過ごした。
小さな公園のベンチに腰掛けて、ただ、ラグーナを眺めたり、閑散としているレース編みの店をひやかしたり。
二時間くらいいて、もうほとんど島を見てしまって、お腹も空かないし、次の船で戻ろうか、と考えながら、通りを歩いていた時。
大きな声が響いた。
立ち止まって声の方を見ると、島の中にあってはちょっと目立つレストランの入り口で、樽のようなお腹を突き出した赤ら顔のおじさんが何か叫んでいる。
どうやら、私に向って、らしい。
警戒して4メートルくらいの距離を置いたまま近寄らないでいると、英語で「日本人かい?」と聞いてくる。
うなずくと、「おいしいから、ここでランチを食べていきなよ」と、手招き。
なーんだ客引きかい、と思って、「お腹が空いていないので、いいです」と言って私は歩き出した。
すると、彼は私の背中にまた叫んだ。
「コウジ・キヌタニを知ってるかい?」
なに? コウジ・キヌタニ? え? 絹谷幸二のこと?
絹谷幸二といえば、イタリアでフレスコ画を学び、世界的に活躍している超有名な画家だ。
そして、私は彼の絵が好きだった。
「絹谷幸二、知ってます」
私は吸い寄せられるように引き返し、彼の前に立った。
すると、彼は満足そうにうなずいて、
「日本人でも知らない人が多いのに、嬉しい。僕はね、彼の友達なんだ!」と胸をぽんぽんと叩いて誇らしそうだ。
「ほんとう?」と、疑り深い私。
彼はそんな私にかまわず陽気に言った。
「入って入って、キヌタニの絵も飾ってあるから、見て行くといいよ」
絹谷幸二の絵・・・。私はまたしても吸い寄せられるように彼の大きな背中に続いて中に入ったのであった。
<レストラン内部。これらはほんの一部。
おどろくほどたくさんの絵が飾られていた>
[陽気なことは偉大なこと]
そのレストランは表からはわからないが、この島のどこにこんなに人がいたのだろう、と思うほど、たくさんの人で賑わっていて、ほとんど席が空いてなかった。
彼は近くにいた従業員に何かを指示し、私は奥の小さなテーブルに通された。
すぐに赤ワインが運ばれてきた。
ここでもケチな私は「だから、お腹空いていないから、何もいらないんだってば」などと言う。
するとおじさんは「心配することはない。これは僕のサービスだから。ワインならお腹が空いていなくても飲めるでしょう」と言うのだった。
あら、サービス? ならば素直に「ありがとう」。
店内を見渡せば、壁一面に、大小様々の絵画が飾られている。
ここのオーナーはかなり絵が好きなんだなあ。
壁の絵を眺めながら赤ワインを半分くらい飲んだところで、またおじさんが姿をあらわし、キヌタニの絵を見に行こう、と言った。
<絹谷幸二氏の水彩画>
絹谷幸二の絵は二階への階段を登る、そのサイドの壁の上方にかけられていて、それは、物憂げな女性が描かれた水彩画だった。
こってり強烈なフレスコ画でしか絹谷幸二のことを知らない私にとって、それは意外な作品だった。言われなければそれが彼の作品とは絶対にわからないだろう。
それを正直に告白すると、おじさんは疑われたと思って、「何を言う、ここにちゃんとサインがあるだろう」と少しばかり憤慨した様子。
私があわてて、そういう意味ではない、と説明すると、おじさんは「うんうん。でも僕はこういうキヌタニの絵も好きだよ」と言って、しみじみと絵に見入るのであった。
「キヌタニはこの島に滞在して、絵を描いていた時があって、そのころ知り合った。 実は僕も絵を描いているんでね」
「まあ、それではぜひ見せて下さい」と言うと、急にシャイな感じになって、「いや・・・ここには飾っていない。でも・・・、奥から持ってこようか?」
私はおじさんに、やはりここでランチを食べたい、と言い、何か美味しいスパゲッティを、とリクエストした。 たくさんの絵と絹谷幸二の水彩画を見せてもらったことに対するささやかな気持ちである。
テーブルについて、魚介のトマトソースのスパゲッティを平らげたところで、ふたたび、おじさんが姿をあらわし、「おいしいか?」と聞いた。
ほんとに、美味しかったから、その通りに言うと、「ほらね、食べてよかっただろう」と得意そうだ。
おじさんはこのレストランのオーナーだったのである。
それからしばらくして、少年のような従業員が二人、両手に絵を下げてやってきて、私の席の周りの床に絵を立てかけた。
周囲のお客さんが何事かと覗き込む。
次に私のテーブルに今度は小さなグラスが置かれた。中には琥珀色の液体が。
「グラッパだよ。これもサービス」
グラッパ。美味しいけれどきついお酒だ。私はお礼を言って、ちびちびとグラッパを舐めながらおじさんの絵を眺めた。
「いいですね。私は好きです」
正直に言った。
おじさんは照れてそれでも嬉しそうに、「描くのが好きでね、趣味だね」と笑った。
なんてインパクトのある絵なのだろう。
そう。おじさんの絵にはなにか、とても強烈な命が宿っていて、そこにマイナスのエネルギーが感じられなかった。
それはすばらしいことだと私は思った。
それに、誰の絵にも似ていない。
オリジナリティーがあった。
グラッパの力もあって、私は自分の話をしはじめた。
仕事のこと、アートを扱うことに疑問を感じてしまって・・・なんてことを、つたない英語でなんとか伝えようとした。
別におじさんからのアドバイスを期待して、ではない。
おじさんには、どんなことを話しても、包み込んで、それからふわっとそれを解き放ってしまうような強い明るさがあったのだ。
おじさんは、ふんふんとうなずきながら聞いてくれて、こう言った。
「でもね、絵はすばらしいよ。僕は絵から離れるなんて考えられないよ。
絵を見ることや、描くことは、息をしているのと同じくらい自然なことだよ。
たぶん・・・あなたがここに来て、僕とこうして、絵の話をしているということは、とても重要なんだと思うよ」
それからおじさんは分厚いノートを持ってきた。この店を訪れた人たちの軌跡が残されているノートだった。
彼は私にもそこにサインをするように言い、それから私にノートはないか、と尋ねた。
小さなメモ帳を手渡すと、その一番後ろのページに後からは到底判読できない「達筆」で、自分の名前と住所、電話番号を書いてくれたのだった。
ワインとグラッパをサービスしてもらったこと、絹谷幸二の水彩画が見られたこと、そしておじさんとおじさんの絵に出会えたこと、スパゲッティが大変おいしかったことへのお礼を述べ、私はレストランを後にした。
別れ際、おじさんはイタリア風に私を抱擁し、
「大丈夫大丈夫、あなたの絵を見る時の目は美しい」
と、日本人が言ったらぶっと吹き出してしまうようなセリフを、それはそれは甘くささやいたのであった。
<おじさんとおじさんの絵とグラッパに酔った私>