5.「人生で重要な決定がなされる時に、ラッパは鳴らない」
2020/04/22
[なんて爽快な気分]
5日目の朝、私と佐和子は小さなスーツケースに荷物をぎゅうぎゅう詰めて、ガリバルディ駅へと向った。
列車に乗るためだ。行き先はストレーザ。
今回の旅行でとても楽しみしていた場所のひとつ、マッジョーレ湖が私たちを待っている。
いつからマッジョーレに焦がれていたのか、もう記憶も薄れているが、きっかけは一冊の本だった。
それは、今は亡き渋澤龍彦さんの「ヨーロッパの乳房」という滞欧紀行文。
その中でマッジョーレ湖に浮ぶ島の素晴らしさが、彼独特の視線で綴られていて、私をそそった。
ミラノから列車で一時間。
車中で私と佐和子はこわいほどハイであった。
理由ははっきりしている。
それは、ミラノからの解放感であった。
<小さくて静かで、グレーの駅だった。
穏やかな気持ちになる駅だった>
言うまでもなく、修平さんガイドのミラノでの経験は有益で、貴重なものだった。
けれど、ガリバルディ駅を列車が出た瞬間から、ようやく二人の旅が始まった、と大きく息をついたのだ。
けらけらと笑いこけながら、しゃべりまくり、一時間はあっという間だった。
「人生で重要な決定がなされる時にラッパは鳴らない」
と、アメリカのバレリーナ、A.デ.ミルは言った。
ミラノでの数々の体験が今後の私たちにとっていかに重要なものであったか、しみじみと実感するのは、数年経ってからである。
[湖の恋人たち]
ストレーザ駅に降り立つと、一組のカップルが私たちを待っていた。
サビーナとリカルドだ。
彼女たちとは初対面。私たちのガイドをしてくれることになっていた。
このいきさつがまた私には面白かったので簡単に話そうと思う。
まず、私の友人、画家であり舞台美術家の大久保祥子さん登場。
彼女はミラノで仕事をしていて最近日本に帰ってきて、ひょんなことから知り合った。
その彼女がイタリア人の友人クリスティアーナを連れて我が家に遊びに来た。当然、私は旅行の計画をウキウキと話した。と、クリスティアーナが目を輝かせてこう言った(日本語がとても上手)。
「マッジョーレには是非行って! 私の友達がそこに住んでいるから連絡しておく。
サビーナっていうのだけど、彼女は日本で働いていて今、ちょうどイタリアに帰っているところなの。いろんなとこに案内してもらってね。私とは比べ物にならないほど、日本語が上手だから安心して」
あと一週間ずれていたらサビーナは日本に来てしまって、ガイドを頼めなかったという。
佐和子にすぐ電話して「これはもう、あなたたちはマッジョーレに行きなさいと目に見えない力が働いているとしか思えないわ、ねえ?!」
「そうよーそうよー、ああ、マッジョーレ!」と二人して興奮したことはいうまでもない。
そして、今、私たちはその地に降り立ち、サビーナとリカルドと握手をしている。
リカルドは日本語勉強中ということで片言であったが、サビーナの日本語は驚くほどに完璧だった。
目を閉じて聞いていたら、日本人と信じて疑わないだろう。
いや、それ以上、つまりとっても美しい日本語で、そして二人が醸し出す雰囲気も、穏やかで美しかった。
私は二人に出会えたことを、大久保祥子さんやクリスティアーナに、そして「めぐり合わせ」としか表現できない「なにか」に感謝しなければならない。
彼らふたりの存在、それ自体が、私たちの旅行に、淡い色彩ではあるけれど決して消えることのない刻印を残すことになる。
[あばたもえくぼ、のマッジョーレ湖]
私はサビーナに言った。
「まず、今日泊まるところを確保したいのだけど、どこか安いホテルをご存知ですか?」
サビーナは少し考えて、リカルドに相談した。リカルドが物静かにそれに答え、そしてサビーナが言った。
「ほとんどのホテルは営業をしてませんが、小さなところならいくつかあると思います。歩いて見つけましょう」
私たちはストレーザ駅を出て、マッジョーレ湖に向かう道を歩いた。
シーズン中にはかなりの賑わいを見せるという通りも、今は人通り少なくひっそりとしている。鼻が赤くなるほど空気はつめたく、空は薄青色に晴れているのに街の印象はグレー地にアイボリーの皮膜がかかった、といったかんじ。
まさに冬の湖畔のイメージである。
列車でたった一時間なのに、解放感も大いに手伝って、ミラノとはまるで別世界に思えた。
リカルドが小走りで小さなホテルに入っていって、やがて穏やかな笑顔を浮かべて出てきた。外見はかなり疲れているホテルであったが、部屋が空いているという。問題は宿泊費だ。
中に入って、オーナーに聞く。日本円にして、ひとり3000円くらい。
私と佐和子は顔を見合わせ、そして同時に頷いた。
「ここにします。お願いします」
そしてスーツケースを置いて、憧れのマッジョーレに臨んだのであった。
マッジョーレ湖はたいへん、たいへん美しかった。
もう、マッジョーレに対する思い入れはたっぷりで、恋焦がれていたものだから、それが今、目の前にあるというだけで、美しかった。
もし、ゴミが浮いていたとしても美しく感じたに違いない。
これだけ想っていたのだから感動せねば、という強迫観念もあったのだろうけど、「あばたもえくぼ」そんな言葉を思い出す。
これがマッジョーレ湖、これが・・・。
と、私はしばし思いきりうっとりと、ひとりの世界にひたったのであった。
美しい、と連発してしまったが、湖の何が美しいのか、疑問に思うところである。
それは水の透明度でも湖の形でもなく、ただ、「ふんいき」なのである。
もしかしたら、「憧れのマッジョーレに来た」というシチュエーションが私にそう思わせたのかもしれない。
「島にいってみますか?」
サビーナが遠慮がちに私に声をかけた。
私は大きく頷いた。
もちろん!
だって、そこに渋澤大先生がお書きになっているバロック庭園とか、贅のかぎりを尽くした絢爛な宮殿があるのだから。
ところが、船の切符売場に行ったリカルドがちょっと困った顔で戻ってきた。
次の運航まで一時間以上待たなければならないという。
どうしよう。
佐和子に聞くと
「どっちでもいいよ。私は湖の側にいるだけで幸せだから」
とほんとにどっちでもいいような感じで言う。
<マッジョーレ湖にて。左からサビーナ、わたし、リカルド>
[頭痛とシン・シック]
普通の状態であれば、ここで私は「どこかでお茶でもしながら待とうよ」と提案しただろう。
しかし、この時の私には頭痛の種があった。文字どおりの意味である。
実は今朝起きた時から偏頭痛がしていて、最初はこめかみのあたりがずきずきしていたのだが、ストレーザについたあたりから、それが頭のてっぺんまで広がり、それはかなりの痛みとなって私を襲っていたのであった。
迷っていると、サビーナが「私たちは車で来ていて、お連れしたいところがあるのですが、先にそちらに行きますか? 車で3〜40分走りますが・・・」と言う。
車、ドライブ、30分。ラクそう。
迷わず、そちらを選んだ。
車は街を抜け、やがて山道を登り始めた。
「ちょっと目を閉じてるね」と佐和子に言って私はシートに身体を埋めた。
頭が痛かった。目を閉じるとぐわんぐわんと暗闇が回転するほど痛かった。
きっと痛そうな表情をしていたのだろう。佐和子が「大丈夫?具合悪いの?」と言った。
私が「ちょっと頭が痛いのよう」と情けない声を出すと、「どれどれ」と言いながら手を延ばし、首の辺りをぐりぐりと揉んでくれた。うまかった。その指の動き、力加減。
「ああ、気持ちいいよう」と声を出すと、サイドシートからサビーナが振り向き、にこにこと笑った。
その穏やかな笑顔と佐和子のマッサージに私はひととき癒された。
もちろん窓を流れる景色は美しかったが、私は自分ではない誰かに身体を触られるのはなんて気持ちがいいのだろう、とそんなことばかり考えていた。
ある男性の話を思い浮かべた。
そのひとは50歳くらいのおじさまなのだが、ある時お酒を飲みながらこんなことを言った。
「人間の手にはものすごいパワーがあるんだ。好きな女の子が生理痛が激しくて、そんな時、僕はじっと彼女のお腹に手をあててあげるんだ。ただ、それだけなんだ。でも、彼女の傷みは和らぐんだ」
佐和子にぐりぐりとされながら、ああ、彼の言ったことは本当だな、と思う。「気」とか色々あるのだろうけど、それは愛情の力なのだろう。
また甘ったるく解釈するねえ、と誰かから言われそうだが、私はそう思う。
頭痛は確かに和らぎ始めていた。
血行がよくなったからだよ、なんて言わないで欲しい。それ以上に、愛情の力なのである。自分でマッサージをして気持ちいい? 愛情の力なのよ、絶対。佐和子よ、感謝。
そして、この時同時に私は旅行に出て初めてのホーム・シックならぬ、シン・シックになった。
シンとは私の結婚相手である。
佐和子には申し訳ないが、この手が彼のものだったら・・・、と思った。彼の体温が恋しくなった。
景色は美しく、同乗者全員が優しい空気をまとっているというのに、私は彼恋しさに涙が出そうだった。
時差を計算して、今、東京は夕方だなあ、なんて思って、彼が自宅の仕事部屋で電話をかけている姿を想像して、当然私はそこにいなくて、どこにいるかといえば、北イタリアの山道を登る車の中。
ひどい距離だ、と思った。そして彼と遠く離れていることがひどく理不尽なことに思えた。
ああ、どこからか声が聞こえている。
(好きでしてる旅行でしょう?楽しいんでしょう?理不尽なのは、彼と離れていることを理不尽、なんて思うあなたそのものでしょう?)あるいは、(たかだか二週間の旅行で・・・)
これらをシンプルにまとめるとこうなる。
(ばかじゃないの?)
わかっている。わかりすぎるほどわかっているし、自分でも意外だったのだ。
成田を飛び立った時には想像もしていなかった現象なのだから。
どうしようもない。
思ってしまうことは、どうしようもない。
そしてこのシン・シックは、あとから思えば今回の旅行の大切なテーマのひとつでもあったのである。
<頭痛に悩まされながらこんな山道を登りました>