MODEな軽井沢 特別な物語

◆ヘアスタイルと視線◆2009.8.10

2020/04/22

20年近く私と友達でいてくれる奇特な美女2名と、集いました。
あんな話こんな話と、様々なテーマで盛り上がりましたが、数あるテーマの一つに「髪の、基本的な、長さ」がありました。

20年ですから、みんな色々なヘアスタイルをしてきています。
それでもやはり「基本」はあるもので、それはそのひとのイメージ、というのでしょうか。
Aさんといえば落ち着いたセミロング、Bさんといえばすっきりショート、Cさんといえば、自然なロング……みたいなかんじです。

たとえば、落ち着いたセミロングといったイメージのAさんが、どんなに頻繁にショートウエーブや、ロングウエーブにしようとも、もしかしたら、20年間で「セミロング」にしていた期間が他よりも短いとしても、イメージはそれなのです。
こんなかんじの。↓

これって、なんなのでしょう……、どういうことなのでしょう……。

どうでもいいことを考えるのがほとんど趣味の私は数日、ふとした拍子に考えていました。
そして、もしかしたら、と思いついたのです。

このイメージはもしかしたら、本人の意思が作り出しているものなのかもしれない……。
つまり、「私はこのスタイルがもっとも落ち着くの」「これが最も自分好みの自分なの」
といった意思です。念力みたいに。

私は、ひと月ほど前、ほぼ十年ぶりに髪を短くしてみました。
周囲の評判は、「明るくなった」「おどろおどろしさがなくなった」「魔女じゃなくなってほっとする」等、つっこみどころ満載なコメントではあるものの、おおむね、好評のようでした。
(ここまでは短くありません。↓)

(でも「好評」というのもくせもので、みんながみんな真実を言っているとは限らない。
内心「わあ……どうして切っちゃったんだろう、前のほうがよかった」とか「なんだかヘンな感じ。イメージとそぐわない」とか「このひとはいったいどこにゆこうとしているのだろう」と思ってはいても、「すっきりして、似合うわよ」と言える「オトナ」はこの世に多く生息しているのです)。

周囲の評判とは関係なく、私は短い髪だと落ち着きません。
「これが最も自分好みの自分なの」とは、言えないのです。やはり長くなくては、と思ってしまうのです。
こんなかんじに↓

……と、理屈っぽく「意思」だとかなんだとか考えた後、ヘアスタイルがらみで過去の恋愛などを牛みたく反芻していたら、あることに気づいてしまいました。

私には意思もなにもあったものではないのでした!

そのとき好きだったひとの好みに合わせて髪を切ったり伸ばしたり、ストレートにしたり巻いたりしていたのは、いったい誰。

やはり、服装もそうだけれど、私の場合、不特定多数はまったく重要ではなく、ごく少数の、あるときにはたった一人の、視線だけが大切かつ必要なのでした。

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