私的時間旅行

14.「人生は美しい」

2016/10/21


Italy57

<ニース駅で>

ところで、私と佐和子はずっと同室だった。

実は旅行前、きっと全日同室では「うっとうしい」だろうから、とニースではそれぞれ一部屋ずつの予約をいれていたのだった。
ところが、実際旅行を始めてみると、嫌になるどころではなかったので私はこの旅行の手配をしてくれた弟(旅行会社勤務)に連絡を入れ、「やっぱり同室にしてくれい」とわがままを言ったのであった。

これは、今考えてもよっぽどタイミングがよかったとしか思えない。
そういう「時」だったのだ。
お互いのステージが同じで、言語も一致し、そして何よりテーマが同じだった。

いや、それぞれが胸の内を語ることによって、それぞれのテーマが見えてきたのだが、それが結果的に同じであったということは奇跡的な一致だったと思う。


[
あなたと吸う煙草はとてもおいしい]


佐和子と私の重要な「一致」のひとつに、煙草があった。
喫煙。
この、時代に逆行する嗜好品を当時はふたりとも愛していたのであった。

他の人たちはどうだか知らないが、私も佐和子も煙草を吸わない人の前では、ほとんどその味も分からないほどに恐縮しながら喫煙する小心者だった。
だからお互いが喫煙することがいかに重要な一致であったことか!

ふたりとも、一日に吸う量は決して多くはない。通常で五~六本というところだろう。ところが旅行中は増えた。理由は単純。お互いと吸う煙草がとてもおいしかったからだ。

成田を出る際に私たちは二人で1カートン、細いメンソールの煙草を買っていた。直径四ミリほどの超極細だ。日本に売っていないので、海外に行く時フライト前に成田でこれを買うのは私のちょっとした楽しみだったのだ。
そしてその煙草は、南フランス最終日に心温まるひとときをもたらしてくれた。
アンティーブからヴァロリスにいく途中、お昼を食べたカフェでのことである。

私たちはいつものように巨大なアンチョビがのったサラダとパン、そしてパナシェの簡単な食事を済ませ、いつものように、煙草を吸っていた。

すると隣のテーブルに座っていた二人の老婦人から声をかけられた。

私たちの細い煙草に興味を持ったらしい。なので、私たちは煙草をあげて、四人でにこにこしながら吸った。吸い終えると、今度は老婦人の一人が自分のお皿にあるものをぜひ食べて見ろ、と言う。見れば大きな丸皿の上にぺらぺらに薄いクレープ。その上にほんのちょっぴりのシナモンとシュガーパウダー。私と佐和子は彼女たちが差し出すままにそれを一口ずついただいた。

やがて二人の老婦人は席を立った。
手を振りながら彼女たちが私たちに言った言葉は私でも理解できた。
ボン・ボヤージュ!

彼女たちがカフェを出ていった後、佐和子が周りを見渡して言った。

「ご老人が多いカフェだね。独りで食事している人もいるし、さっき出ていったおじいさんはチケットみたいなのをレジで出していたよ。福祉で支給されたチケットかもね」

らしい見方だなあ、と私は思った。佐和子の着眼点は私にとっていつも新鮮で楽しい。私ならチケットにも目を留めないし、福祉で支給、なんて発想、絶対にない。

「それに、みんなけっこう煙草吸ってるね」

「そうだね」と私も店を見渡した。

「ねえ、ところで、だけど・・・あなたはなぜ煙草を吸うの?」と佐和子が尋ねた。

「そうねえ、なぜかなあ。私が初めて煙草を吸ったのは二十七の時。それ以前にも興味はあったけど、二十七になるまでは絶対に吸わない、ってこだわりがあった」

「なぜ?」と佐和子。

「子どもが吸ってはいけない、って思ったから。二十七になったらいいかな、ってなんとなく思ってた。許されるかな、って。だから初めて吸ったのは二十七の誕生日。で、美味しかったのが運のつき。・・・うーん。吸う理由、ねえ。煙草に火をつけて一本を吸い終えるまでの一連の流れが好きで、一人で吸っている時は、より一人になれるというか、好きな時間だから、かな。あなたは?」

私が逆に尋ねると佐和子は、もう一本吸おう、と煙草に火をつけてから言った。

「私は二十六まで嫌煙家だったから、煙草を吸う男と吸わない男が酔ったときに、お互い、煙草を吸わない(吸う)お前がうらやましい、って言い合っているのを聞いて、何いってんだか、と思ったけど、今は何となくわかるなあ。吸う理由については、つい最近のはしりがきがあるよ」と、佐和子は青いマーブルの手帳を取り出した。

「タイトルはね、けむり」

佐和子は「はしりがき」を読み上げた。

けむり

心の中の何かを吐き出すように
たばこのけむりを吐く
白いけむりは いやがるかのように
私からはなれて 空に消えていく
吐き出したくて たばこを吸うのか
そのために必死にたばこを吸うのか
吐いたときの一瞬の解放感のために
毒といわれるものを吸う
それよりもっと毒あるものを
このからだから吐き出すために
今また けむりを大きく吐いて
冷たい空気を深く 深く吸い込む

 

「おしまい」と手帳を閉じ、照れ隠しのように
「だからね、ひとの迷惑かえりみない汚い煙草の吸い方をするやつは最低だと思うけど、煙草を吸うひとに、弱みを持つ者同士のシンパシーをもつこともあるんだ」

と早口で言って、ほとんど残っていないパナシェを飲んだ。

 

[慎ましい女の色香]

佐和子と寝泊まりを一緒にしていて感動したことがある。
それは佐和子の慎ましさであった(なんか演歌調だ)。

二週間同室であったにもかかわらず、私は佐和子の裸を一度も見ていない。彼女はシャワーを浴びた後バスルームできちんと着替えてから出てくるし、朝の着替えもバスルームでするからだ。

これは私にとって新鮮で、美しい行為だった。だから私も佐和子に倣った。湯船につかりすぎてどうしても熱い時は「バスタオル巻いて出るよ」と声をかけ、そうしたけれど、裸のつき合いでない距離感は妙に心地よかった。

もともと私も、「女同士なんだから」的に平気で裸をさらすことには抵抗があった。
だから週に一度通うスポーツクラブなんかでは、毎回うんざりさせられていた。見たくもない裸を見させられるからだ。下着姿ならまだマシ、全裸のまま歩き、ドライヤーを使い、ローションを塗りたくる女性の多いことといったら!

私は自分が慎み深い女だとは露ほども思わないけれど、それでもその光景には辟易した。美しいヌードならまだいい(皆無だが)。でも、弛んだ太股や吹き出物に荒れた背中、日焼けのダメージでどす黒くなった二の腕。
それを堂々と人前に晒すとは、なんと強靱な精神の持ち主なのだろう、と思う。

大学時代のサークルの合宿でも同様だった。同じ部屋の女の子がピンセット片手に平気で脇の毛を抜くのを初めて見た時にはさすがに驚いたが、それも次第に慣れた。私もいつしか下着姿でうろうろするのが平気になっていた。
だからこそ、この旅行での佐和子の慎みが新鮮だった。そこには日本女性の美しいたたずまいがあった(ますます演歌調)。

佐和子のことを褒めすぎだと言われそうだけど本当にそう思ったのだからしかたない。
私が男だったら、絶対この慎みを愛する。平気で裸で歩き回る女性よりも(ブリジット・バルドーなら許せるが)、私はこちらに美と色香を感じる。

というような話を旅行の中盤に佐和子にしたところ、「そういわれてもねえ、自分の身体に自信がないからだよ。身も心も裸になれるひとがほんとにうらやましい」と言っていた。

そう!
「心も」がおそらく佐和子のテーマだった。

それはバルカモニカでの「私は表現したいんだ、と心が叫びました」、フランス入国時の「もっと女であることを楽しんでもいいんじゃないか」と無関係ではない。
表現・・・の方は佐和子自身の問題なので私の出る幕はないが、女を楽しむことについては、私は喜々として、「まずは外見から行こうよ、ね!」と『踊り子』した倉庫で艶めかしい服を勧めていたりしたのだった。

そして実際に胸もとも広く開いた、身体の線のでる薄手のワンピースなんかを着た佐和子は本当にムンムンの色香を放ち、私は「もっともっと」とアヤシイヒトのように、佐和子に肌の露出(真冬だというのに!)と身体の線の強調の要求をエスカレートさせていったのだった。

ニースのホテルを出発する日の朝、佐和子は踊り子した時に買った光沢のあるブルーのツーピースを着た。
それはバレリーナのレオタードのようにぴったりと身体にフィットする生地だった。もちろん胸のラインも、それからロングスカートに包まれた腰や腿のラインも、くっきりと出る。それを着た佐和子は部屋の鏡の前に立ち、自分の姿をじっと見つめていた。
私は離れたところで着替えをしていて、それをたまたま目にしたのだが、自分自身の姿をじっとじっと見つめる佐和子の表情に着替える手をとめた。

その横顔には、とまどいとためらいと、それから自信とが複雑に混在していた。
私は佐和子の横顔に見入った。
そして引き算をした。
あの表情-とまどいとためらい=・・・すごいことになりそうだ!

列車の中で佐和子はこう言った。

「色っぽいと言われる度にドキっとした」

「外見が色っぽいのは、内面に対する裏切りのような気がした」

「色っぽいと言われる度に自分が嘘つきのように思えた」

「色っぽくてはいけない、っていつも自分を律してきた」

もしかしたら、「身も心も裸になれるひとがうらやましい」佐和子が裸になった時、そこに現れるのは「欲望のおんな」なのではないか。
けれど彼女は「サバサバした」性格でそれを覆ってしまっていて外に出ないようにしている。だから人から色っぽいと言われると、動揺してしまうのではないだろうか。
だとしたら、佐和子ってば、なんてややこしい女なんだろう。

私は一人で勝手に佐和子を分析し、ますます今後の佐和子が楽しみになってきたのであった。

 

[ロンダニーニのピエタ]

さて、愛すべきコート・ダ・ジュールに別れを告げた私たちはミラノに向かった。

ミラノのガリバルディ駅に着くとすぐにインフォメーションで適当なホテルを紹介してもらった。そして急いでチェックインを済ますとすぐにホテルを出た。ミラノでどうしても見ておきたいものがあり、時間がなかったからだ。

アートへの情熱が冷えつつある今でも、心から見たいと思っていたもの。

そして佐和子にもぜひ、見て欲しかったもの。

それは、スフォルッツァ城にある『ロンダニーニのピエタ』、ミケランジェロ最後の作品である。

『ロンダニーニのピエタ』は未完の彫刻だ。
制作している途中でミケランジェロは亡くなってしまった。
八十八歳だった。
ミケランジェロといって、まず思い浮かべるのは何だろう。
フィレンツェのダビデ像、ヴァティカンのピエタ、最後の審判・・・。

四年前にイタリアを訪れた時に私はそれらの作品を見ていた。
『最後の審判』なんかは、作品から発せられるエネルギーに背筋をきりっと正したものだ。

けれど、私が最も感動したのは、それらではなく、その時初めてその存在を知った、
『ロンダニーニのピエタ』だったのである。
ピエタは、たいてい聖母マリアが息子イエスの亡骸を膝に抱き悲嘆している、
という形で表される。

が、このロンダニーニのピエタは全く違った。
ある角度からは、イエスがマリアを背負っているように、またある角度からは、マリアがイエスを支えているように、見える、痛ましくも慈愛に満ちた彫刻だった。

未完の作品、ミケランジェロ最後の作品、という要素もなかったとは言えない。
けれど私はその彫刻にいたく感動したのだった。
私はとても感動した作品があると、それを再び見るのがこわくなる。
その時の感動が薄れてしまうのが嫌だからだ。

けれどロンダニーニのピエタに関しては、それはなかった。説明するのは難しい。
私はそこに永遠を見た、としか言いようがないのだ。


そして、美術館の閉館ぎりぎりで飛び込んで、他の作品をとばして、ロンダニーニのピエタの前に立った私は、やはり来てよかった、とこころ静かに思った。

私と佐和子の他にひとはいなくて、そこには不気味なほどの静寂があるのだが、石造りの広大な空間のせいか、近くに立っているはずの佐和子の存在が遠く感じられる。
私たちは無言で、かなり長い間、そこにいた。ロンダニーニのピエタ。

これが、佐和子との二人旅の終着点。

いったいどんな意味があるのだろう。

私はそんなことを考えていた。

やがて佐和子の声が聞こえた。

本当にすぐ近くにいるのに、遠くからのそれのように聞こえる。

佐和子は静かにこう言った。

「ある意味で、これも結婚なんだね」

その時、どこからか博物館のスタッフがやってきて、もう時間だから出て下さい、と告げた。ちょっと苛立っている様子だった。

私たちは急いで広い城の出口へ向かった。

外に出ると、もう暗くなっていて、いくつかの星と太った三日月が見えた。

なぜか立ち去りがたく、私は「ちょっと座らない?」と佐和子を誘い、門を出てすぐのところの石の上に腰掛けた。

空を見上げた。「親子なのに」と佐和子が言った。

「結婚っていうのはおかしいか。・・・でも、いだきあっているかんじがした、すごく。魂のいだきあい、っていうことを考えたら、結婚って言葉が出てきたな」

月はとてつもなく明るく、佐和子の横顔がくっきりと浮かび上がっている。

「『足跡』っていう詩を思い出したよ」

白い息を吐きながら佐和子が言った。

「また、おもしろそう」と私は言った。佐和子は笑って、正確に覚えてないから、その内容になってしまうが、と律儀にことわってから話し始めた。


人生を終えたある男が、自分が歩いてきた道を振り返る。

するとそこには二組の足跡がある。一組は自分で、もう一組は自分と共に歩いてきてくれた主イエス・キリストの足跡。

それを見ながら男は、ああ、あのときはあんなことがあった、と思い返している。

でもある時期、一組の足跡しかないところがある。

思い出すと、そのときはひどく辛い時期だった。

吐くような思いで毎日を過ごしていたあのときに、自分の横にはイエスがいなかったのか。男は、なぜなのだ、とイエスに問いかけた。イエスは答えた。

あなたが暗闇のなかで苦しみ惑っていたあのとき、あそこに残っているあの足跡はわたしの足跡です。男は、それならばわたしの足跡はどこに、と尋ねた。するとイエスは言った。わたしがあなたを背負っていたのです、と。

 

見上げれば、闇の中、月明かりに浮かぶスフォルッツァ城。

ああ。ロンダニーニのピエタよ、佐和子よ。

人生は美しい。

 

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<スフォルツァ城>


[
佐和子の恐怖体験]

スフォルッツァ城近くの地下鉄の駅で私たちは別れた。
佐和子には所要があったのだ。私はホテルの部屋で佐和子を待つことにした。

佐和子が戻ってきたのは二時間後だった。
ドアがノックされ、「わたし、」という佐和子の声を確かめてドアを開けた私は、「おかえり。ありがとう」と言いながら驚いてしまった。佐和子が息を切らし、こわばった顔で立っていたからだ。
佐和子は何も言わずに素早く中に入ると、ドアを閉め、荷物を置き、私の顔を見て言った。

「く、くつろいでるねえ」

「うん」と私は答えた。

「き・・・、気が抜けた・・・」

そう言って佐和子はベッドに倒れ込んだ。

そして恐怖体験を語ったのであった。

「わたしは地下道を歩いていた。ホテルに一番近い出口まで出ようと、地下街の閉まったシャッターの前を歩いていた。

ふと気がつくと地下道にはわたしと、少し後ろを歩く人のふたりだけ。
何だかいやな気がした。

地下鉄の改札を出て何本かに分かれている地下道の別れ道のところで、所在なげに立っていた若い男がいた。何となくこちらを見ていたように思った。後ろを歩いているのがその男のような気がする。
地下道の出口に行くまでに追いつかれそうだ、どうしよう! と思ったとき、その出口から男女の二人がこちらに歩いてくるのが見えた。わたしは立ち止まり、かばんのなかにある地図を出し、こっちでいいんだっけという動作をした。

後ろを歩いていた男がわたしを追い越した。
やはりさっき見た男だった。20代前半だろうが、何人かはわからない。

0君が、ミラノ駅周辺はとても危険だから気をつけろ、と言っていた。
いかにも、な日本人ひとり、両手に大きなバックをふたつも下げて、標的にしてくれといわんばかりのわたし。
わたしを追い越した男は、前を不自然な感じで歩き続けていた。背中がこちらを意識していた。

わたしはその男がある程度離れたところで、元来た方向にダッシュした。彼が振り向く前に他の地下道に入れるように。走って、地下鉄改札近くの出口から地上に出た。人は多くはないけど地下道よりはましだった。わたしはひたすら小走りにホテルに急いだ。早くあなたのいる部屋に戻りたかった。

ホテルまであと一区画だと思ったとき、ぞくっとするものを感じた。
ふと振り返ると、今すれ違ったばかりの男がわたしを見ている。

あっ、地下道の男!

向こうもハッとしたのがわかった。
泣きそうな思いですぐに歩きだした。できるだけ早足で。
男はやはり後ろをついてくる。
走り出したら向こうも走って追いかけてくるだろう。
店やホテルがぱらぱらとあるに過ぎない通り。東京でいえば東京の八重洲口に似ているかもしれない。人は数十メートル先にぱらぱらといるだけ。
足音がすぐ後ろにきた。
自分のホテルはまだ先だ。追いつかれてしまう。もうだめだと思ったときに、別のホテルの玄関がみえて思わず飛び込んだ。

フロントにひげをたたえた男性がいて、泊まり客かと思ったようだった。
わたしは恐怖と興奮にかられながら、必死に、男に追いかけられているので、しばらくここにいさせてくれと言ったけれど、まったく通じなかったように思う。

そのホテルの玄関と窓にはレースのカーテンがかかっていたけど、向こうからあの男がこちらを伺っているように思えて仕方なかった。

フロントの男性は無表情でこちらをじっと見ていた。英語は通じなかったけれど尋常でない様子なのはわかったようだった。優しくはしてくれなかったけど、思えば彼も度肝を抜かれたのかもしれない。血相変えたアジア人の女が入ってくるなり、よくわからない英語を必死に言い続けるのだから。

玄関から見えないように柱の影に隠れて、どのくらいの時間が経っただろうか。
その間にフロントには別の客がチェックインして、フロントの男性は何事もなかったように応対していた。

この女は何だろう、というそれらの客の視線をはずしながら、もうあの男はいなくなっただろうか、それともどこかで待ち伏せしているのかと考えたりしていた。

わたしの存在など気にしていないかに見えたフロントの男性だったが、客がいなくなると、玄関の外に出てあたりを見回し、またフロントに戻った。
わたしに何を言うわけでもなかったけれど、その様子を見て、そろそろ大丈夫かもしれないと思い、ホテルを出るため、フロントの男性に礼をいった。彼は無表情に頷いただけだった。玄関から外を見て、通りに誰もいないのをみはからい、息を深く吸い込んで、一気に走り出た。
自分の泊まるホテルは50メートル先を曲がってすぐだ。男がいたかはわからない。
とにかく走った。
そしてホテルに駆け込み、一気に自分の泊まる部屋まで駆け上がった。

「そして、のんびりくつろいでいるあなたの顔を見て、切れそうなほど張りつめていた緊張がどっと解けたのでした」

「ぶ・・・、無事でよかったねえ」と私は言った。

「まだこわいよ。危なすぎる」と佐和子は言った。

「旅行の最後の最後にそんな目に合うなんて気の毒な」

「ほんとだよ。いったいなんなのよ」

それから私たちは、近くのレストランで食事をした。
ビールを飲んで、ピザを食べた。

ああ、最後の夜だ、と思いながら。
シンに会えるのが嬉しいような、まだまだ佐和子との旅行を続けていたいような。
佐和子が何を思っていたのかは知らない。
けれどいつになく口数の少ないふたりなのであった。

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