特別な物語 私的時間旅行

10.「テーマは、女を楽しむこと、にしましょうか」

2020/04/22


[
南フランスへ!]

 

今日はいよいよ、フランス入国の日である。

私たちは朝霧の中、静謐なラグーナに別れを告げ、8時45分発の列車に乗った。

ヴェネチアからミラノまで約3時間、駅で3時間の待ち時間を過ごし、ニース行きの列車に乗ってさらに5時間、計8時間(待ち時間をいれれば実に11時間)の長旅である。

乗り物があまり得意でない私にとって本来ならそれは、へこたれそうな時間であったが、私はへこたれるどころか、わくわくしていた。
ずっと行きたかった南フランスに、ああ、ようやく・・・! という想いでいっぱいだったのだ。

行きたい、と思っていて、その気になれば容易に行けるのに、なぜか縁がなくて行っていない場所というものがある。
私の場合それが南仏だった。

私は、フランスという国が好きだった。初めてパリを訪れた時、なぜか懐かしく、その後訪れたロンドン、フィレンツェ、アムステルダム等のどの都市でも感じることができない、それはとても不思議な感覚だった。

その感覚は帰国してすぐに私にフランス語を学ばせたが、もともと語学のセンスがないものだから1年で挫折、それでもフランス語の響きは好きだからフランス映画を観ると、音だけで陶然としてしまう。

南フランスは私の好きな芸術家が愛した地でもある。

マントンのジャン・コクトーが手がけた市庁舎には絶対、行く。

私たちは列車の中で、ガイドブックや資料を広げながら、これからのスケジュールをたてた。

もし、行きたいところが違えばヴェネチアのように別行動しよう、ということだったのだが、なぜか意見は一致し、一番能率の良い行程を、地図をみるのが大好きな佐和子が組み立てた。

それが一通り終わり、私たちはまたいつものおしゃべりに興じた。

列車の中は比較的空いていて、私たちはそれぞれ二人分の座席を確保し、ゆったりとした気分で変わりゆく景色を楽しみ、そして途中で何度も喉を潤すためにミネラル・ウォーターを飲んだ。ほんとうに、しゃべりすぎなのである。

 

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<列車の中で>

 


[
佐和子の恋]

どんな話の流れでそうなったのか、佐和子が過去の恋の話を始めた。

私は彼女のそういった話を聞くのはこの時が初めてだった。

おんな二人でいて、話がそちらの方向に行かない方が不思議である。けれど私と佐和子は会うといつも、お互いの仕事のこととか、夢とか、そんなことばかりを話していた。

だから彼女の話はひとつひとつが極めて新鮮だった。

彼女曰く、「なぜか、いつもうまくいかないんだな、これが」。
そして少し遠い目をして「その歴史は小学校までさかのぼるのであった」と話し始めた。

思い起こせば小学校以来、男性一般とのつきあいかたが不自然だったかもなあ。
男子が立候補しないから仕方なく生徒会長になった小学校時代。男ってしょうがない、って思っていたら中学二年で男子三人に思いっきりいじめられて、マンションの屋上で、涙でぼーっとしながら、この柵越えたら楽になれる、って思う日々があって、なんだか、思いっきり、怖くなっちゃった。

高校短大って女子校だし、なんか自然に振る舞うことを身につけられていないっていう感じかなあ。でも、社会は共学だからねえ。
わたしは男の人と張り合ってしまって、『負けるが勝ちよ』ができない。
たぶん、わたしの場合、女として気負っているのと、男性に対して自意識過剰なのとがごちゃごちゃになっているのだと思う。

「また自己分析してしまった」と言って佐和子は笑った。

佐和子の過去の恋の話から私が思うに、彼女はとても真面目なのだ。
自分がそうだから、よくわかる(周りがなんといおうと、私は自分で真面目なつもりである。いや、真面目すぎるのではないか、と思うほどである。それはイコール頭でっかちであって、しばしば、感情や身体の訴えを軽視した。ほんとうよ!)。

けれど佐和子と比べたら、私は自分を真面目だなどとは到底言えない。
そう指摘したら、

「そんなことないよお、私だって、今度こそ上手くやろうと、いわゆる可愛い女、になろうと努力してるんだよう」

と佐和子は唇をつきだして抗議するのだった。

 

[予測不可能な男]

それから佐和子は私の結婚について話し始めた。

ときに佐和子はシン(私の夫)と仲良しである。
結婚後よく3人で飲んだ。酔っぱらってきて、私が話すのも面倒になっている時に、二人で真剣になって「人生」について、とか、坂本龍馬について、なんかを激論していた。

そんな時間を何回か過ごし、いつだったか佐和子は言っていた。

「あなどれない、おもしろい男だ」と。

ヴェネチアでシンから受け取ったファックスを私は佐和子に見せていたのだが、それについて、「あの街頭詩人について語るのが今から楽しみだわい」(.8.『心のセンサー・・・』)と佐和子はにやにやしていた。

「失礼だとは思いつつ言ってしまうけれど」と、佐和子は話し始めた。

20代はけっこう張り合っていたと思うんだよね、わたしたちって。
シンパシーを感じるから、あんないっときの面接会場にいたというきっかけだけで、その後も会う仲にはなったけど(2『私は表現・・・』)。
仕事を選ぶ場で会ったから、どうも生き方とか仕事とかの話が中心で、プライベートな話ってほんとにしなかったよね。

わたしは高飛車なので、あんまり人を認めないんだけど、山口ってすごいやつだったんだと、あなたの結婚を通して気づいたのよ。
すっごい見直したっていうか、彼を選んだあなたを。予測不可能な男性を選んだあなたを。
失礼でごめん。っていうか、張り合っていたから、認めたくなかったんだろうね、仕事とかでは。
それがシンさんが出てきちゃって、ああ、これは降参だと。そしたら人間的にぐっとあなたに近づけたのだと思う。

私は何度も瞬きをしながらしみじみと佐和子を眺めてしまった。

人は誰かに理解されたいと願って生きている。

けれど、自分を本当に理解してくれる人など希で、だからその人に出会った時、人はこのうえない喜びを味わう。

もう、佐和子については、この人は私にとってそうなのだと、この旅行が始まってから何度も感じていたけれど、この言葉は私を非常に喜ばせた。

シンも、私も理解されている。シンと私の関係性を理解されている。

そう私に確信させるものが佐和子の言葉にはあった。
私はこういった言葉を表現できる佐和子の人間性に感服した。

[色っぽいことは悪いこと]

「あなたは女であることを、楽しんでいるよねえ」と、佐和子がぽつりと言った。

「うん、そうかも」と、私はうなずく。女であることで苦しんだ経験はない。

佐和子はうんうんとうなずいて「私はさ、きっと楽しんでいなかったんだね。分析するに」と言った。

「またすぐ分析する」と私は笑った。

「悪かったね、分析好きはそっちも同じでしょうよ。・・・こう見えても私さ、色っぽいって言われることもあるのよ」

「だって色っぽいもん、その、なんともいえないけだるい雰囲気なんてそそられると思うよ、男ならさ」

「でもね、言われる度に、ドキっとして」

「なんで?」

「私、性格はこうサバサバ、ガサガサしてるでしょう? それなのに外見が色っぽいのは、内面に対する裏切りのような気がして、色っぽいって言われる度に、自分が嘘つきのように思えて、いけない、外見もサバサバしなくては、色っぽくてはいけない、っていつも自分を律してきたような気がする。色っぽいって言われると、そんなことないよお、なんてムキになってさ、だって、なんか悪いことをしているような気になっていたから」

悪い、と思いつつも私は笑いこけていた。佐和子はそんな私に構わず続けた。

「でも、あなたを見ていると、違うんだなあ、って思ってきて。もっと女であることを楽しんでもいいんじゃないか、って思えてくるよ。女であることはマイナスじゃないんだ、ってね」

「私のように、できるだけ色っぽく見せようと虚飾をまとっている女を見ていてそう思うの?」と私は言った。

「いいんだよ、きっと、それで。それが本当だよ」

「よし、じゃ、フランスは女を楽しむ、ってことをテーマにしましょうか。でもあなたがその気になったら、きっと鼻血でちゃうよ。フェロモン、むんむんでさあ」

「そうなるかなあ。でも外見が解放されても、内面がサバサバのままじゃ駄目だね。どうしたらいいだろう」

と、佐和子の表情は次第に真剣味を帯びてきている。

私は佐和子に言った。

「あのね、ひとつ指摘していい? あなたって、サバサバじゃないよ。サバサバな面もあるけど、奥深いところは私なんかよりエロいと思う。そういう危うさがあるもの。ふふふ」


[
南フランスのテーマが決まった]

思うに、ヴェネチアは別としてもミラノ、ストレーザの湖では、押し寄せてくる刺激をなんとか上手に受け止めようと必死だった。

そしてそこで想うのも、佐和子との会話に見られるように「人生(なんと壮大なテーマ!)」であった。

けれど、ヴェネチアを出て、ミラノからニースに向かう列車の中から私と佐和子のテーマは「女」に移行し、それはコート・ダ・ジュール滞在中二人から離れることがなかったのだ。

ずっと後になって佐和子が言ったのだが、フランスの「女であることを祝福してくれるような雰囲気は忘れられない。今でも肌で感じる。人の視線もいやらしいのではなく、それぞれの魅力をほめてくれるような」空気のせいかもしれない。

陽が傾き、車窓を流れる景色が夕闇に包まれ、やがて夜の闇にしずんだ。

さすがに私たちも少し疲れ、しゃべるのをやめて、それぞれの時間を持った。

佐和子は熱心にニースとその近郊の地図に見入っている。ほんとうに地図の好きなひとだ。
私はといえば、目を閉じて先ほど佐和子と交わした会話を反芻していた。軽い眠気におそわれて、目を閉じようかと思った時、乗務員が回ってきた。
パスポートのチェックだ。

「いよいよ、フランスね」と私は言った。

周りを見渡すと乗客の数がだいぶ減って、簡単に数えられるほどになっている。

「さらば、イタリアよ」と佐和子が言った時、アナウンスが流れた。
それはフランス語だった。
国境を越えたのだ。

私はあの時ほど、フランス語に懐かしさを感じたことはない(ろくに話せないのに、懐かしいなんていっていいのだろうか。いいのである。なにか懐かしいひとのふところに飛びこんだような気がしたのだから)。
ずっと、イタリア語と英語だった。イタリア語はまったくわからなくて、あの独特の勢いある言語に「頭の中がくるくるする」と嘆いていた私である。

フランス語の響きが好きだ。アンチ・フレンチの人には「け」と言われそうだが、好きなのだからしょうがない。

そしてやがて、コート・ダ・ジュールの海岸線が、そのラインにつながるつましいイルミネーションが見えてきた。

私はぐっと胸がしめつけられた。

列車で国境を越え、好きな国に入ることのすてき、をじっくりと味わった。それは列車でヴェネチアに入った時にもなかった感動であった。

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<ニース。海岸線の美しきイルミネーション>

 


[
ニースのイルミネーション、そして波の音]

列車はマントン、モンテカルロ、モナコと停車し、そしてようやくニースに到着した。

プラットホームに降り立ち、時計を見る。時刻は8時少し前。

すでに暗いし、ホテルまでタクシーを利用するのが懸命であることはわかりきっていた。荷物もある。
しかし、私も佐和子も気分は爛々であった。

駅でホテルまでの道を聞くと、歩いて20分ほど。

「歩こうか」と佐和子。

「いいね」と私。

かくして私たちはガラガラガラガラとスーツケースをひっぱりながら、夜のニースの街を闊歩したのであった。

ヴェネチアの夜佐和子が言ったように、「アドヴェント(待降節、クリスマスまでの4週間)」である。街は美しく、かわいらしいイルミネーションで飾られていた。
私たちは口を半分開けて、ぼーっとのぼせたようにメインストリートを歩いた。
しばらくして佐和子が言った。「暑くなってきた」

「言えてる。コート脱ぎたい」と私は言った。すでに背中が汗ばんでいる。

あの極寒の湖や、ヴェネチアが嘘のような暖かさであった。

「さすが、コート・ダ・ジュール!」

とうかれる私に、

「なにがさすがなんだか・・・」

と鼻の頭に汗をかきながら冷ややかにつっこみを入れる佐和子なのであった。

一度、暗い小道に入り込んで、そこの怪しさにひやりとしたものの、すぐにメインストリートにカムバックし、私たちは無事にホテルまでたどりついた。

海岸沿いに立つ立派なホテルであった。

ホテルのフロントで、早速私はフランス語を試した。しかし、相手は英語で聞き直してきて、英語で答える。それでも私は何度かチャレンジした。だって、せっかく、フランスなのに・・・! との想いが強かった。
が、敵は私以上にしぶとかった。
執拗に「たのむから英語で話してくれ、おまえのフランス語はわからんよ」攻撃(目がそう言っていた!)を繰り返し、結局私は英語に切り替えた。

「ちぇっ。少しぐらい相手してくれてもいいのに」と私が嘆くと、「そこはフランス人、冷たいねえ」と佐和子は言うのだった。

さて、ここはコート・ダ・ジュールの海岸沿いのホテルである。
当然私たちは期待していた。海が見える、波の音が聞こえる広い部屋を。
しかし、案内されたのは、角部屋で、しかも海の見えない、狭い部屋だったのである。
ここには3泊する予定であった。

「納得できない」と、私は言った。

「言えてる」と佐和子。

「かえてもらおう」と私。

「え?」と佐和子は私を見た。

私はつい先ほど、私たちを案内してくれた女性を思い浮かべた。
美人であるがきつそうな女性であった。きびきびしすぎているといった印象を持った。彼女がおそらく私たちの担当だろうから、彼女を攻略しなくては。
海の見える部屋がいいんですう、なんて甘えても「いっぱいです」と嘘を言うだろうな、あのテの女性は。
私はもっともらしい理由はないかと部屋を眺め渡した。

そして壁にかけられている一枚の絵に目を留めた。

これだ、と思った。

電話をかけて、部屋を替えて欲しい旨を伝えた。するとすぐに、思った通り彼女がやってきて、「どうしました?」と職業的口調で尋ねる。

私は、すっと壁の絵を指して言った。

「あれが嫌なんです。とてもじゃないけど、ここでは眠れない」

普通の絵だった。少し暗い色合いであったが、なんのへんてつもない絵だった。
けれど私はさも恐そうな表情をつくり「どうしても嫌なんです」と言った。
「それじゃ、絵を交換しましょう」と言われたらおしまいだ、とどきどきしたが、そんな様子は微塵にも出さず、私は「ゆずれないわよっ」という態度で彼女の返事を待った。

すると彼女はあっさりとうなずき、別の部屋を案内してくれたのだった。

「なーんだ、意外といいひとじゃない」「見直したぞ」と私たちは日本語でささやきあった。

そしてその部屋は、先ほどの部屋の2倍の広さがあり、ベランダつきで、コート・ダ・ジュールの海が道一本隔てて、眼前に広がっていたのである。窓を開けると波の音。

あまりの違いに私たちはあっけにとられていた。

佐和子が言った。
「言ってみるもんだねえ」

それからスーツケースを開き、クローゼットに納め、ワインと軽食を買うため私たちは再び夜の町に出た。

その夜は部屋で海岸線の夜景を眺めながら「ディナー(クラッカー、チーズ、パプリカ、フルーツ)」をとり、美味しいワインに酔い、波の音に包まれて早い時間に眠りに落ちた。

 

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<今夜のディナー。ああ。波の音が聞こえてきそう>

 

 

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<ホテルの窓から。明日の朝はどんな色の海が広がっているだろう>

 

 

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