私的時間旅行

2.「私は表現したいんだ、と心が叫びました」

2016/10/21

[感動はしたが、冷えつつあるものは再燃しなかった]

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<松山修平さんのアトリエで。彼の世界が広がる独特の空間だった。
バールはここからすぐのところにある>

 

バルカモニカをあとにした私たちは再び修平さんの車に乗り込み、ミラノへ戻った。
修平さんは三人の男の子の父親でもあり、学校へ彼らを迎えに行かなくてはならないからだ。
私と佐和子は修平さんのアトリエ近くのバール(カフェのこと)で一時間ほど時間をつぶすことにした。その後、修平さんの知り合いのアーティストを訪ねる予定になっていた。

そのバールで佐和子と交わした会話が、いや、厳密に言えば、佐和子が私に言った言葉が、帰国してからの私の方向性を決定づけることになろうとは!


あの、暖房がききすぎたバールの空気、泡がカップからこぼれそうなカプチーノ、今となっても忘れがたい。

バルカモニカからの帰途、車中でずっと、私はひとつのことを考えていた。

あの無数の岩石画。

あれは確かに、無条件に私を圧倒する力を持っていて、バルカモニカを訪れたことはおそらく私の人生において、得難い経験のひとつなのだった。
ただ、私は修平さんの言った「現代アートととりくむにはまずここからだと思うんです」が、理解できなかった。
なるほど、うん、この岩石画は「原点」なのだろうな、とは漠然と思うのだが、その言葉が私の心になじまないのだ。現代アートととりくむなんて私にはできない、と消極的だったからだろうか。
いや、私は本当は修平さんの言葉によって、バルカモニカに大きな期待を寄せていたのかもしれない。「バルカモニカが私の芸術に対する情熱を再燃させてくれるのではないか」と。

そして、それはなかった。
感動はしたが、冷えつつある熱を再び熱くはしなかった。

残念だった。期待した反応が自分にみられなかったことが、やはりショックだった。
今までやってきた道を、もう一度始めから歩き出すより、そのまま進む方がずっと楽なのに、と舌打ちしたい気分だった。

 

[あれは絵画のエッセイではないね、と彼女は言った]

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<私たちが気に入った走る男。頭上のものは太陽みたいだけど、
いったい何だろう。
股間に下がるものも笑いを誘う>


今、佐和子はバルカモニカで買ってきたポストカードを取り出し、「走る男」の図像を眺めている。
「楽しそうに走っているねえ」と、彼女の方がよっぽど楽しそうだ。

きっと私より大きな感動を得たであろう佐和子を少し羨みながら、私は彼女に車中で考えていたことを話した。
佐和子はふんふん、と頷きながら聞いていたが、しばらくして、こう言った。

「私、あなたのエッセイをずっと読んでいるけれど」と。
「え? ずっと、ってひとつももらさずに?」私は驚いた。
「うん、立ち読みだけど」
「ちょっと、それはすごいことだよ。多分、そんなひと、他にいないよ」
「そうかなあ。だって、興味があるから、当然ざんしょ」と佐和子は笑った。

私はめちゃくちゃ嬉しかった。
あの、現在の自分をぎゅっと絞るようにして書いている文章をきちんと読んでくれている人が少なくとも、ここにひとりいる。

なんて奇特なひとなんだろう、この佐和子というひとは!
私は彼女を大切にしよう。なんだか根っこの部分で、この人は“失ってはならない人”に違いない。絶対そうだ、と瞬時に確信した。
それは今までの、これまた大切な話を忘れてしまうくらい、私にとっては重要なことだった。

じんじんと涙腺がゆるみつつある私に「それでね」と佐和子が続けた。
「うん」と私はあわてて頷く。

「いつも思っているんだけど、あれは絵画のエッセイという感じがしないよね。絵画は、たまたま、それが絵画なのであって、たとえば、それが映画であっても、誰かの言葉であっても、何でもいいような気がする。あなたは自分が伝えたいことを文章という手段で表現しようとしているのであって、それは何も絵画のエッセイという形である必然性はないのでは?   うん、だから、今言ったこと、わかるよ。芸術でなくてもいいんじゃない?少し、そういったことから離れてみたらどうかなあ」

「なんとまあ、的確な」と、また呆然としてしまう私。
「あなたもそんなのとっくに気づいているんでしょ」って、クールに、クールに言うんだ、この人は。

「でも、認めるのがいやでね、たぶん」
「どうして?」
「今までやってきたことがもったいないような」

「でも、ひとは変わるから」

と佐和子はこれまたクールに、私の胸を打つのであった。

佐和子には悪いけど、彼女が言った言葉は別に「名言」ではない。

「いつまでも同じ事をやっていると思わないでくれ!」

と仲間に言ったのは天才ピカソ。
まあ、彼ほどの天才でなくても、いつまでも同じ事やってられないのは私も同じなのだった。

そう、佐和子の言葉は当然のことを言っているだけなのだ。だけど、その当前のことを認めたくなくて、私は苦しんでいるのではないか。
おそらく、佐和子の言葉が私の胸を打ったのは、そのタイミングにある。

人に大きな影響を与える言葉というのは、もちろん言葉自身の重みもあるけれど、タイミングが大切なのだと、改めて思った。

それにしても、佐和子の一連の「たいしたことじゃないよ」的物言いは私をとても気楽にする。これは彼女の一つの才能だな、と思った。

[彼女の涙の理由]

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<今回の旅行のカメラはコンタックス。けっこう高価なはずなのに
佐和子の「ふつーのカメラ」と差がないのが悔しい。センスの問題>

 

私はたくさんの泡と格闘しながらカプチーノを飲んだ。

しばらく二人して無言でいて、それから私は佐和子に尋ねた。

「ねえ、今夜ワインでも飲みながら、と思ったんだけど。さっき、バルカモニカであなたは何にそんなに心動いたの?」
「聞くとおもったよ」

と佐和子は笑い、それから抑揚のない声で言った。

「私は表現したいんだ、と心が叫びました」

私をとりまく空気がぴんとはりつめた。
佐和子は少し笑って、
「ってメモしたの。岩に座ってた時。これに」
と、グリーンの綺麗なマーブル模様のノートをひらひらとかざした。

「岩を削ることは本当に大変なのに、あんな無数に描いたのはなぜか。何のために?・・・・・・多分、描きたいから、ただそれだけなんだよね。単にそういうことなんだな」

私は何度も頷く。

「不思議なんだけど、あの時ひたすら、聖書のある言葉が浮かんでね。涙が止まらなくて。まるで、ひとつの歌のフレーズが頭でぐるぐるまわって消えないような感じ。なんで涙が出るのかまったくわからないんだけど」

「それ、聞きたい」

少し声がかすれる。あ、私高揚しているんだな、と思う。

「旧約聖書のヨブ記なんだけど」佐和子はテーブルの上の灰皿を片手でいじりながら続けた。
「うん」

「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう・・・・・・。


人生最後は差し引きゼロでいいんだと。
何かをしたら必ずその成果を得なくてはいけないということはないんだと。
ものになりそうもないとか、今からじゃ遅いとか、まったく関係ないや、って思った。

私はこうしたいんだ、でいいんだと思った。
たぶん、9000年前の人間の真っ直ぐな気持ちに心底圧倒されたのね。

私は、表現をしたいのだよ」

その静かだけれど、確固たる意志をもった言葉は私をぶるっとさせた。


[6年前、センセイになろうとしていた私たち]

ここで、佐和子について少し語りたい。
私が彼女と出会ったのは、この旅行に先立つこと6年前、某F女学院高等部の会議室だった。
今となっては記憶も薄れつつあるが、当時高校教師に情熱を持っていた私はそこの採用試験を受けに行ったのだった。

お堅い学校で受けに来ている人たちも不思議な雰囲気で・・・・・・、いや、はっきり言おう。かなりセンスがなくて、その中で佐和子は浮いていた。スーツの着こなしや髪型に美に対するこだわりがあった。私は少しほっとしていた。
筆記試験の後個人面接があり、ずらりと並んだ面接の先生方が私に対して質問をしたのだが、それは教育についてでも、専門分野についてでもなく、「あなた、男友達多いでしょう?どうですか?」だった。

私は“おくゆかしく”答えた。

「多いかどうかは他の方の事情を知りませんのでなんともいえませんが、おります」

面接はそれで終わった。「落ちたな」と確信した。
「何だ?!今の質問は。いったいどんな意味が?!」

憮然として面接室を出て、それから解散の時間まで長い時間待たされた。
帰り道、自然と一緒になったのが佐和子だった。

佐和子は「あなた、お酒は飲みますか?」と聞かれ、「たしなむ程度に」と“おくゆかしく”答え、面接は終わった。

「落ちたな」と確信したという(今、書いていてはっとした。あの面接官たちはあなどれないぞ。なんと人物洞察に長けていることよ!)

こんな感じで佐和子とのつきあいが始まり、私たちは年に数回会っていた。


佐和子は銀座のある研究所に勤務していて、意義ある仕事に燃えていたが、あまりの多忙さとストレスで体を壊して退社。
フリーで編集の仕事をしつつ、将来を模索していた。

この旅行に出かけたのはそんな時だった。彼女は私以上に、何かを必死で探していたのかもしれない。

[ああ、すばらしきイタリアの格言よ]


「修平さん、そろそろだね」と腕時計を見て、「イタリア語、忘れちゃったから、もう一度、聞こう」と佐和子が言った。
「なに?」
「修平さんが教えてくれたの。バルカモニカで。イタリアの格言を」
「へえ、どんなの?」と私は身を乗り出す。
「それが、タイムリーな言葉でねえ」
「うん」と、促す私に佐和子はセリフを棒読みするような感じでこう言った。

「おそくなってもやったほうがいい」

そこで修平さんがバールのドアを開け、大きな声で「お待たせしました!」と私たちに声をかけた。

そしてカウンターで、エスプレッソをダブルでオーダーし、それをバーボンのロックでも飲むみたいにぐいっと飲みほし、「行きましょうか!」とこれまた大きな声で言った。
私たちはあわててコートと荷物を抱え、彼の車に乗り込んだ。画家、松山修平は本当にアクティブな方なのであった。

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