軽井沢ハウス

■終章(エピローグ)■ 軽井沢ハウス、その後の物語

2017/05/17

『軽井沢ハウス物語』は家創りを終えた約四ヶ月後、二〇〇三年の一月から九ヶ月かけてメールマガジンの形で配信し、私のサイトと「アートハウジング」さんのサイトに掲載されました。
書き終えたのが九月ですから、あれから四年半、軽井沢ハウス完成からは五年半が経ったことになります。
現在の視点で、軽井沢ハウスにまつわるあれこれをお話しましょう。
 
(1)住み心地はいかがですか? 本当のことを教えてください!
 
「実際住んでみたら住み心地悪かった、なんて思っていたって言えないんでしょう? うひひ」
と、ときどきイヂワルを言われることがあります。というのは嘘ですが、「何年か住んでみて実際のところは、どう? 本当のことを教えて」と、こっそりお願いされることはあります。
自分でもときどき何が本当で何が嘘なのかわからなくなるんです。なんて言っている場合ではありません。これ、私が読者ならば、とても知りたいところです。
そしてここで「実はね、ひそひそ、こんなにダメなところがある家なんです」と告白したなら話は盛り上がるのでしょうけれど、実際には、「ごめんなさい」と意味不明に謝りたいほどに、とっても快適なのです。

①なんといっても「冬」の暖かさ!
 真冬日、昼間なのに外気温がマイナスという日などは、私はひとりつぶやきたくなります。「保温ポット」、と。
 床暖房の設定もそれほど高くなく、ペレットストーヴも一番低いエナジーなのに、家の中はすみずみまで暖かい(もちろん、無駄にエナジーを使うことがないように、室温は二十度以下になるようにしています)。
 真冬日もペレットストーヴを使用するのは午前十一時くらいまでで、あとは「保温ポット」状態。断熱性が高いことが体感できるのでした。
 窓を小さくとったり、その他あれこれとしつこくこだわったかいがありました。

②それから、夏! 
 まるで冷房設備があるかのように「ひんやり」しています。外気温が三十度を越す日(数日しかありませんが)はさすがに、家の中も汗ばむかんじですが、夏の間、一階は扇風機もほとんど必要としません。
 二階はもちろん一階よりも暑いですが、扇風機で充分。屋根に特殊なパネルを使っているからで、屋根裏ちっくな二階なのに暑くない。
 ただ畳ルーム、これは二階の西南に位置しているので、もし、ここで昼間仕事しろ、と言われたら暑い日があるかもしれません。誰も言いませんけど。
 とにかく涼しいので「冷房、入ってる?」と尋ねるお客様がいたりするのです。

③また、年月が経ってもずっとあの頃のまま……古ぼけてこないのも嬉しいです。
 先日、四年ぶりに我が家を訪れた方がおっしゃいました。
「しかしこの家は変わらないですねー、全くと言っていいほど変わらないですねー」
 最初から古い家を目指したので古びようがないのでしょう。作戦成功です。
  
(2)悔やんでいることはありますか?
 
「こうすればよかった!」と後悔していることはありますか?
 これも割と多い質問です。

 
■風除室? ガレージ? それから?■
 
「あーすればよかった、こーすればよかった」と思うことは、もちろんあります。ただし、長時間ではありません。「一瞬」なのです。ここがポイントです。
「一瞬」後、直ちに「いや、けれど、やはりどうやったって、こうにしかできなかった」と、無事に着地するのです。
たとえば、今でもときどき、我家では次のような会話、あるいは自問自答がなされます。

①たとえば春夏、夫と娘の自転車の使用が増える季節。
「あー。やっぱり玄関の外に風除室を兼ねた、自転車置き場をつくればよかった」
「確かに。でも、それは考えに考えて、予算の関係でカットしたところ。今、家創りを開始したとしても、予算の壁でそこはカットするでしょう」

②たとえば、外が凍る冬、常日頃から嫌いな買い物がいっそう嫌になる季節。
「あー。やっぱり、食材をストックする小部屋をつくればよかった」
「確かに。以下同文」

③たとえば雨が降り続く梅雨どき。
「あー。やっぱり駐車場にガレージとはいわない、せめて屋根をつくればよかった」
「確かに。以下同文」

■完全燃焼した後のように■
 
これは……、どこか似ていないでしょうか。何度も別れ話をくりかえし、何度もやり直しを試み、ぐちゃぐちゃになりへとへとになって終わった恋愛と……。
「あー。やっぱり彼(彼女)と別れなければよかった」
「確かに。でも、考えに考えて出した結論。もう一度つき合ったとしても、同じことでしょう」
つまり、とことんまで「それ」と「関わる」と、終了後は完全燃焼した後特有の、「後悔」とは別の種類のもの、ある種、爽快感ともいえるものが残るのではないか。「やるだけのことはやった」と思えるかどうか、が「その後」の気分に大きく影響してくるのかもしれません。
なので、「悔やんでいることはありますか?」との問いには「嘘っぽいかもしれないけれど、無い、です」と答えます。
「えー! だって『軽井沢ハウス物語』には、二階の収納部分とか畳ルームとか、そのへんが納得いっていないようにあったよ、それって後悔じゃないわけ?」と、つっこまれたら次のように答えます。
「代案が今でも浮かばないので(というか、考えていないのですが)、後悔しているとは言えませーん」
これって、やっぱり屁理屈でしょうか。

(3)私以外の住人について

ここで、軽井沢ハウスの住人二名の意識にちょっとだけふれておきましょう。

■夫の感想■
 
彼は今でも、「今度は土間があって縁側があってお風呂が家の真ん中にあって、それでいて浅間山がだーんと見渡せる家をつくろう!」などと楽しそうに言うときがあります。
「いつの日か、ぜひ、実現させてね」と私は答えます。
けれど、おそらく「家創り」というテーマは今のところ彼の人生において、かなり下位に位置する事柄なので、もし実現するとしても、ずーっと先か、実現はない、と私は読んでいます。
軽井沢ハウスについて、今、あらためて尋ねましたら、「いい家だ! すばらしい!」と、芝居がかった調子で答えるのでした。

■娘の感想■
 
家創り当時、娘は四歳から五歳の保育園児でしたから、彼女の意見を求めることはしませんでした。
今だったら、九歳になっているので完全無視は難しく、誰に似たのか自己主張ばりばりの性質なので、ややこしいことになっていたかもしれません。
彼女に会ったことのない人は、「お嬢さまは、あのリビングで、静かに読書などしているのでしょうね」などとおっしゃいますが、違います。
「走れるくらい広い家がいいなあー! それで、明るくて、壁が全部窓の家!」
などと夢いっぱいの眼差しで言っています。
そんな彼女は軽井沢ハウスが掲載された雑誌を眺めながら、他の住宅を褒め称えるが好きです。「あー! いいなあ! こういう家がいいなあ!」と叫びながら我が家とはまるっきり違うタイプの家を食い入るように眺めるのが、とても好きです
私はそんな彼女を横目でちらりと見て、心でつぶやくのでした。「悪かったわね、暗くて囲まれ感ありありの家で」。
一応、これを書くにあたって今、「どんな家がよかった?」と尋ねましたら、「二階に丸い部屋がいっぱいある家!」と言いました。残念ながら私にはうまくイメージできません。

■「その問い」に答える物語■

他二名の感想からもわかるように、「どんな家に住みたいですか?」という問いは、その人の性質、価値観をそのまま問うことになる重大な質問なのです。
私は家創りを通して、
「あなたは、いったい何に価値を見て、どのような人間関係を求め、どのような日々を送りたいのですか?」
と、常に誰かから問われているように感じていました。
『軽井沢ハウス物語』は、その問いに対する答え、とも言えるのではないか。今はそう思います。

あとがき
 
この本の誕生は、私にとって人生のボーナスのようなものです。色気のない表現ですが、そんなふうに思います。
ああ。生きていると、よいこともあるのね。
と、しみじみ思える、そんな仕事でした。楽しかった。
思えば、土地探しから家創りを経て、本書が誕生するまでの「一連の流れ」は、奇跡的だと思われます。このように一つの事柄が、人間の悪感情というものをあまり含まずに好転するということは、稀ではないでしょうか。
これは「一連の流れ」の中で出会った人たちが、私にとって得難い、奇特な……、いえ、素敵な人たちであったことを意味します。
物件探しで出会った土屋永幸さん(現在サイモン建設株式会社)からすべては始まりました。軽井沢ハウスが建つこの地にめぐり会えたのは一から十まで土屋さんのおかげ、その上、建築士の丸山輝彦さんにつなげていただきました。お二人だけでもかなり幸運だと思うのに、それからまだつながってゆきます。
『住まいネット信州』編集長の北村幸夫さんから、初めてのメールをいただいたのが、二〇〇四年の秋です。北村さんは、夥しい情報の中から私のサイトの『軽井沢ハウス物語』を発見、二〇〇五年春夏号の巻頭特集(『「軽井沢ハウス」から愛をこめて』というタイトルでした)で、実に二十ページにもわたって、我が家をご紹介くださいました。
その年の冬に、我が家で食事会を企画し、建築士の丸山さん、そして北村さんにお声をかけました。そのとき北村さんが「ぜひご紹介したい方が……」とお連れくださったのが、はせがわさとし さんです。
有名なクリエイターだというのに、ぜんぜん威張ったかんじがしないし、もっと親しくなったらすっごく面白そう。これが最初の印象でした。いえ、それより私とはせがわさんの携帯電話が「おそろい」だったこと(芥子色でしたね)の印象が強かったかもしれません。
それから少しして、はせがわさんが『新築提案』という雑誌を創刊する際、連載のご提案をいただきました。それが本書にも収録されている「軽井沢時間」です。さらに『軽井沢ハウス物語』の連載のお話をいただき、その際「将来的には一冊にまとめたい、と希望しています。あくまでも希望なのですが……」とはせがわさんは、彼特有のおとぼけ口調でおっしゃいました。
それから数年の間に、いくつかの出版社と『軽井沢ハウス物語』を本にしましょうか、といった話をする機会がありました。
けれど、どうしても私の希望とは異なった方角へ話が流れてしまう。「憧れの軽井沢ラグジュアリーライフ!」とか「ナチュラルスタイルのすすめ!」とか「新幹線で一時間! 第三のライフスタイルとは!」などなど。あるときなど、「この家創りの話は、障害がないから話題性に乏しい。夫婦がバトルを繰り広げる内容に変更したらどうですか?」とおっしゃる方もおいででした。
私はこういった中で、「だったら本にならなくてもいい」と思う(ふてくされる)ようになり、一方で、いつになっても構わないからこの家創りの話を、そのものとして、おもしろいと思ってくださる方に本をつくって欲しい、と強く願うようになりました。
ですから、色んな流れにのって、話がくるくるとよいかんじで転がって、北村さんのご協力をいただき、はせがわさんの手によって、大切な『軽井沢ハウス物語』が、そのままの姿でこうして本になることは、私にとって、今も、じわっと涙が浮かんできてしまうほどに、嬉しく、しあわせなことなのです。
「ありがとう」を言いたい人がたくさんいます。
しつこいくらいになりますが、土屋永幸さん、丸山輝彦さん、北村幸夫さん、そして、はせがわさとしさん。
酒井崇さん、山田安男さん、清水宏さん、山本今朝夫さん、羽毛田茂さん、山浦昌志さん、大西正美さん、安原良司さん、小幡純子さん、野本博史さん、坂本武人さん……、ここには書ききれないけれど、軽井沢ハウスに関わってくださったすべての方々。
宏お父さん、順子お母さん、幸治父、康子母。
そして最後に、軽井沢ハウスの愛しい住人たち、夫と娘にこの本を捧げます。

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