MODEな軽井沢 特別な物語

◆受け身のファッション◆2010.3.8

2020/04/22

先日、ひさしぶりにひとりきりで新宿を歩いて、いつもは行かないお店をいくつかのぞいて来ました。
若い女の子たちをターゲットにしたお店です。
ストレッチの黒いスカートがあったので、つい手にとって見ていると、お店のお姉さんがさかんに勧めます。
お姉さんに教えてもらって気づいたのですが、そのスカートは、ところどころシースルーになっているのでした。
わあ。
さすがに年齢が許されないと思って買いませんでした。

それにしても新宿駅周辺は、銀座とはまったく違った色彩です。
おもいきった色彩やかたちのファッションをして楽しそうに歩いている人たちが多いので、ついまじまじと見てしまいます。
そのとき、「ああ、あれだ」と思い出した言葉がありました。
イギリス、「ダンディ」の権化であるジョージ・ブランメルの言葉でした。
彼は言っています。
「街を歩いていて、人からあまりまじまじ見られるときは、きみの服装は凝りすぎているのだ」
もちろん、なににしても「~しすぎ」はよくないので、「ダメだよ、それ」という意味です。
それで、家に帰って生田耕作の名著『ダンディズム――栄光と悲惨』を読み返して、それからふと『てつがくを着て、まちを歩こう』(鷲田清一著)を手に取り、読んでいましたら、ブランメルが出てきてびっくりしました。(精読していなかったということです、いままで)
↓((今朝の美しい雪景色を背景にした文庫本))

鷲田氏は私と同じブランメルの言葉を引用して、さらに次のように言っています。

「ひとは目立つ服を着ることで、つまり引き算ではなく足し算で「個性」を表現しようとする」
でも、それは、
「他人の視線の対象となることで、自分の存在を確認していたいという受け身のファッションである」
とおっしゃいます。
それをさらに発展させて、
「そこには『愛する』というより『愛させてほしい』、『信じる』というよりも『信じさせてほしい』といった受け身の生き方、『癒されたい』という待ちの姿勢に通じるものがある」
とおっしゃるのでした。

面白い考え方だなあ、と思います。
自分はどうなのか、受け身のファッションなのか、それとも……なんてことを考えるのに、よいテキストでした。

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