MODEな軽井沢 特別な物語

◆プラダを“着たい”悪魔◆2009.2.23

2020/04/22

このところのファッション雑誌でよく目にするプラダの広告、プラダのワンピース。
久々に、「欲しいなあ」と心から思いました。「これを着て出かけたいなあ」とつくづく思いました。

私の心(お洒落心、あるいは物欲)を刺激してやまないワンピースをデザインしたのは、ミウッチャ・プラダ。プラダのデザイナーです。1950年生まれ。

「日常を贅沢に飾る」。

これをコンセプトに、「革新的」な素材と「斬新」なデザインを「伝統」と調和させ、世界を魅了するデザイナー。
「ミウッチャ・プラダほど女性の内面を表現できるデザイナーはいない」と評されてもいます。

プラダは、もともとは1913年創業の皮革製品店でした。
ミラノの一等地にオープンした店は時代の流れに上手く乗れることができませんでしたが、三代目のミウッチャ・プラダが家業をついでから、いっきに有名になったのです。

そのきっかけとなったのは、一家に一台……ではなく一家に必ず一つはあるだろう、とまでいわれたプラダのバッグです。
落下傘なんかに使う素材を応用した、超軽量で丈夫な黒いバッグ、逆三角形のプラダのロゴがついている……といえば、たいていの人は、
「ああ、あれね!」
と、思い浮かべることができるのではないでしょうか。

次に靴を手がけ、その次にレディースウエア。
この最初のコレクションが1984年だったといいますから、歴史はまだ浅いのです。それなのにこの威力!、おそるべしプラダ……、です。

1993年からセカンドラインの「ミュウミュウ(miu miu)」をスタートさせました。この名前はミウッチャの子ども時代の愛称です。

さて。
ミウッチャ・プラダですが、コム デ ギャルソンの川久保玲と争うほどのマスコミ嫌い、インタビュー嫌い、写真大嫌い! ……な方だそうで、ショーの最後に、どんなに拍手が鳴り止まなくても、ほとんど姿を現さないのだそうです。

そのミウッチャ・プラダにインタビューできた貴重な日本人が堀江瑠璃子氏。
私がこのコラムの参考文献としてとってもお世話になっている「世界のスターデザイナー43」の著者の方です。
堀江氏がミウッチャから聞き出したことをご紹介します。

「アイデアの宝庫ともいえる過去に原型を探り、そこに鋭敏に切り取ったいまの時代の気分をどう反映させるか。そして次に私自身がどんなものを着たいか。私のコレクション作りの出発点は、いつもそこにある」

「トレンドセッターとして時代の気分をどうやってつかみとるのか」という堀江氏の質問に対しては、
「それは国際的なニュースからでも書物からでもなく、まさに勘。とても本能的なものだわ」。

最後に、「プラダ」を語るときにはずせない映画「プラダを着た悪魔」について。

これは、ミウッチャ・プラダが衣装を担当したわけではなく、映画の中でも、さまざまなゴージャス・ブランドの衣装のひとつとして、プラダが登場するにすぎないのですが、やはりそのタイトルには「プラダ」しか、考えられません。

「G&G」とか「ディオール」「アルマーニ」「ヴィトン」でも、どうもだめです。あえていけそうだな、思えるのは「シャネルを着た悪魔」ですが、でも、どうも……イメージが違ってきます。

「プラダ」がぴったりくる理由としては、おそらく、こういうことでしょう。
それほどまでにプラダが「旬」「憧れ」「セレブ」……という、流行(モード)になくてはならない要素を、ふんだんに持ち合わせているから。

……以上、映画の部分、私の勝手な考えですが、そのように思いました。

今、素敵な方から「なんでも好きな服を買ってあげよう」と言われたら、迷わず、最初の写真のワンピースをお願いします。
一番右のにするか真ん中のにするかは、まだ迷っています。
こういうことを想像しているときは、とっても幸せです。

-MODEな軽井沢, 特別な物語