MODEな軽井沢 特別な物語

マノロ・ブラニクのジェスチャー◆2008.12.8

2020/04/22

かつて、マドンナは言いました。「ステキよ。セックスより長持ちするの」
「私の脚は、彼の靴によって与えられたようなもの」。こちらはキャロライナ・ヘレラ。
「ものすごくセクシーでストラッピー。靴そのものが女のひとみたいなの」。サンドラ・バーンハード。


各国の、あらゆる世代の女性たちが、マノロ・ブラニクに情熱を注ぎます。彼の靴はファッション通の間では「マノロス」で通り、それは世界一高級でフェミニンな靴の代名詞です。
日本で「マノロス」(←思いきって使ってみましたが、やはり私はだめ、照れずにはムリ……)が一躍有名になったのは、アメリカのテレビドラマ「セックス アンド ザ シティ」の流行。
主人公の一人、キャリーが熱愛していたのが、マノロ・ブラニク。
正確ではないかもしれないけれど、キャリーが誰かに「あのサンダル……」と言われて、「サンダルじゃないわ、マノロスよ」と言い返したシーンが、あったように思います。
サンダルじゃないのです、パンプスでもないのです、そして、きっと靴ですらないのです。マノロ・ブラニクなのです。すごいです。

さて、マノロの靴を担当する職人たち(工場はイタリアにある)について、マノロ・ブラニク本人は次のように語っています。
「とても小さな集団なんです。彼らはああいった靴をもう200年も作り続けているんですよ。伝統的技術の最後のとりでであるひとたちに靴作りをお願いできるのはこの上ない幸せです」
この工場では、一日にせいぜい80足くらいしか作れません。そして、この伝統的技術によって、十センチ以上のヒール、流麗なフォルムであっても、一度履いたら他の靴は履けないとまで言わしめるほどの実用性をもつのです。そうです。マノロの靴は「世界で唯一走れるピンヒール」の異名を持つのです。

 

マノロ・ブラニクはチェコスロバキア人の父とスペイン人の母のもとに生まれ、カナリア諸島のサンタ・クルス・デ・ラ・パルマで育ち、六カ国語を流暢に操るそうです。
ファッション評論家からも絶大なる讃美を浴びせられても、彼自身はけっして満足しません。

「私は良いものを作ってきたし、使えるもの、使えないもの、最悪の作品も作ってきました。だけどすべてを記録にとどめているから、何を避けて通ればいいのかが分かるんです。いつだってものを省くようにしています。これもいらない、あれもいらないって。そのうち私の靴にはストラップくらいしかなくなるでしょうね。私はほとんど存在しないようなものが好きなんです」
さいきんでは、全編が砂糖菓子のような映画「マリー・アントワネット」の靴のデザインを担当しています。

マノロと言って思い出すのは、数年前の銀座です。
久しぶりに会った友達が、「これからバーニーズに行くの。靴の修理をお願いしに」と言いました。
バーニーズの黒い紙袋には、黒いマノロ・ブラニクが入っていました。
「踵が壊れてしまって。ウオーキング用じゃないのに、歩きすぎたのね」
と彼女は言いました。
「……走れるけど、がんがん歩いてはいけないのね。送迎つきの人生にふさわしい靴ということ?」
と私は言いました。
「少なくとも、タクシー代を節約するために歩こう、という人生にはふさわしくないでしょうね」
と彼女が言いました。
あのときの光景が今、とってもリアルに甦ってきます。
そして彼女の最後の言葉に、マノロ・ブラニクの言葉を重ねてあらためて共感するのでした。

マノロ・ブラニクは言っています。
「私の靴はファッションではない、ジェスチャーだ」

参:「ヴィジョナリーズ」美しいマノロはこちらからどうぞ。

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