■人生の衛生術 「不道徳教育講座」 三島由紀夫■
2016/05/18
「お節介は人生の衛生術の一つです。われわれは時々、人の思惑などかまわず、これを行使する必要がある。(略)
お節介焼きには、一つの長所があって、「人をいやがらせて、自らたのしむ」ことができ、しかも万古不易の正義感に乗っかって、それを安全に行使することができるのです。
人をいつもいやがらせて、自分は少しも傷つかないという人の人生は永遠にバラ色です」
痛快な皮肉にみちた、お節介についての文章を今回、拾ってしまったのは、最近、知人(年下の、仕事関係で出会った、かわいいひと)から聞いた話が原因だろう。
知人は、ある年配の女性からの「親切」に困惑しているのだそうだ。
「あなたの味方だから言うんだけど……、から始まる一連の、人生教訓に満ちたアドバイスを聞きながらわたしは思ったの。これは実のところ、彼女の思想のおしつけに過ぎなくて、彼女はわたしのことが気に入らないのだと思う。このところだんだんひどくなってゆくのよ。彼女、子育てもひとだんらくして、どうも暇らしいの。自分の子育てに自信をもっていて、わたしが仕事を優先しすぎる、それでは子どもがかわいそうだ、なんて本気で言うのよ。どうしたらいいでしょう?」
「暇な女性」。
もう、これだけでかなり手ごわい。
お節介……、いいえ、「親切」に注げるエナジーの量が、私たちとはくらべものにならないからだ。
私はなるべく、自分のことを気に入らないだろうと思う人々とは接触しないように気をつけている。もともと人間不信なところがあるから、気の合う人、信用できる人に、もし出会えたならとってもラッキー。
たいていは、バツ、それが当然と思っていれば、病に倒れる率を減らすことができる。
私は年下の知人に、そのようにしか言うことができなかった。
昨日、軽井沢に雪が積もった。車のタイヤを交換していないので、朝出かけるのはさすがに恐く、夫を駅まで送ることができなかったので、タクシーを呼んだ。