■「快楽主義の哲学」 澁澤龍彦■
2016/05/18
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道徳なんて、まったく相対的なもので、その国や地方の風俗や習慣から生じたものであり、もっと簡単にいってしまえば、偏見の結果にほかならないのです。
「偏見をなくせ。」ということは、「道徳をなくせ。」ということと、ほとんど同じです。道徳教育とは、偏見教育のことです。
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ということを重々承知した上で、道徳うんぬんを論じないと、道徳というものは、人間関係をゆがませるもの、あるいは野蛮な圧力以外の、なにものでもなくなる。
ということを重々承知しているひとは、安易に、あるいは無邪気に、あるいは愚鈍に、「道徳」という言葉を使わない。
ぜんぜん自覚のないひとが、好んで使う。
さいきんつくづく思う。日本の場合、道徳という言葉の対極にあるのは「ユーモア」ではないかと。
ふたたび、澁澤龍彦。
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心理学的な分析によると、ユーモアは、外界からの苦悩をおしつけられることを拒否し、自我を優越的な地位に引きあげて、自分のまわりに厚い防御の壁を築き、(略)
こういう心理的な操作を自由になしうる人が、ユーモリストと呼ばれます。
ユーモリストは、人生の失敗にくじけない、強い柔軟な精神をもった快楽主義者です。
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やっぱり美しいのはモラリストではなく、ユーモリスト。
ユーモリストのほうが、難易度、くらべものにならないほど高くて、だけど、私は好き。