■■「ある海辺の詩人」と「暦ある暮らし」■■
2016/06/10
「あなたを温める灯りは必ずある」
というキャッチにこころひかれ、舞台がヴェネチアからすこし離れた島、キオッジャということもあって、観に行った。
少し早く着いてしまって、銀座だからふだんならウインドウショッピングでもするところなのだけれど、そんな気分ではなく、映画館に入って、ひとり座って上映時間を三十分以上待った。こんなこと初めて。
映画は、よかった。観て、よかった。
美しい映像が、数少ないけれど輝くようなセリフが、そして沈黙というものが、これほどまでに心の叫びを表現しうるのだということを、私は体感した。
映画館でだからこそ得られる体感だと思う。
これはひとつの出逢いだった。
直前にこのブログに書いた「Help!」が私をここに連れてきてくれた。そんなふうに思えた。
何も考えず、映画のなかのキオッジアに溶けこんだ。ラグーナに浮かぶ美しい漁師町。
以前に友とふたり訪れたヴェネチアで、別行動をした一日。
友はキオッジアに出かけ、漁師のおじさんたちのことを話してくれた。
主演のチャオ・タオが魅力的で、そしてその友に顔立ちも、慎みのあるところも、するどい感受性をもつところも、よく似ていて、懐かしかった。
私はこの映画にやわらかく慰撫された。
大岩綾子(寂綾ーじゃくりょう)さんが開催する『暦ある暮らし』の会と、似た感覚だった。
旧暦のある暮らしを私たちに教えてくれる会。
綾子さんの手づくりのお料理は、繊細で、あたたかく、おいしい。二時間、暦というもの、旬のものをいただくということの美しさを、私は彼女のお料理で教えられる。ほかのことは考えない。綾子さんのお料理に集中する。このような会を私はほかに知らない。
『暦のある暮らし』の二時間は、私にとって、食の映画なのだと思った。