▪️『歓びを歌にのせて』ガブリエラの歌
昨年末12月の中旬から、精神の引きこもり状態になって、いくつかの楽しいこと、いくつかのやるべきことを経験しつつ、静まった部屋のなかにいた。
なんにもする気がおきない、どうやって生きてきたんだっけ、というお馴染みの状態になった期間もあったけれど、それでも次の本のことがあって、それに関することをすることでなんとか自分を保っていた。
たくさんの本を読んで、たくさんの映画を観た。
どうやって生きてきたんだっけ、のときは本が読めない。軽めの映画やドラマしか見られない。考える力がないから。考えるとへんなところに落ちてしまいそうで怖いから。
だから本を敬遠して、深く考えることを強いないような映画やドラマ、ミステリーやサスペンスばかりを観ていた。
立ち直ってくると、本来自分が興味のある分野の映画が観られるようになる。本も読めるようになる。
次の本で使いたい本のなかの言葉、映画のなかの言葉を確認するため、内容をもう一度きちんと把握するために、「どうやって生きてきたんだっけ」とは違う状態で今度は本を読み、映画を観る日々を続けている。映画なら1日に3本から4本。
いまは配信で観られるようになったからずいぶん便利になった。5つの動画配信サイト、サブスクリプションで利用している。それでも「なぜ、これがないのか」という映画もたくさんあって、そんなときはTSUTAYAディスカスを利用してDVDを借りる。
いままでに数回観たけれど、もう一度観たい映画、第1弾は6枚のDVDをオーダーした。
ガルシア・マルケス監督の『彼女を見ればわかること』『美しい人』『愛する人』、ロマン・ポランスキーの『赤い航路』、アラン・レネの『六つの心』、そしてスウェーデンのケイ・ポラック監督の『歓びを歌にのせて』。
すべて、次の本のため、と思えるからさぼっているかんじにならなくて精神衛生上よい。しかも、ずっと前に観たものだから、そのときと比べられてそれも意義深い、ような気がする。
昨夜遅く、6枚の最後に観ようと決めていた『歓びを歌にのせて』があまりにも胸をうって、動揺している。以前観たときよりも、ずっと響いた。2004年公開の映画を私は2009年の6月に観ていて、このブログにも書いている。
さいきん、えーん、わーん、というように泣いていないので、たぶん、どこかにたんまり涙のモトみたいのが溜まってしまっているように思うのだけれど、そしてたぶんこうして泣かない時間を過ごしていると、泣くまでの距離が長くなるような気がしているのだけれど、この映画でもすごく心がゆさぶられて、いろんなことを突きつけられて、そして自分が信じたいものが提示されているのに、流した涙の量は少ない。それが不思議だった。何を意味しているのだろう。涙も諦めるのだろうか。
映画の話。
世界的名声を誇る音楽家が体を壊して、少年時代を過ごした故郷に帰り、そこで聖歌隊の指揮を頼まれて、村の人たちと交流を始める。老若男女、村の人たちがそれぞれにかかえているもの、音楽家がかかえているもの、交わるもの、生まれるもの。
音楽家の、少年の頃からの夢は「音楽で人々の心を開くこと」。
音楽家が最初に田舎の聖歌隊のメンバーに熱く語る。
「なによりもたいせつなのは、よく聴くことだ。すべての音楽はすでに存在している。常に我々の周囲を満たし、息づいている。あとは我々がそれを聴きとって、つかみとればいい」
「よく見る」ことはつよく意識していた。けれど「よく聴くこと」はどうだったのだろう。そんなふうに自問した。アルゼンチンタンゴのことを想った。
「人はみな、自分の〈声(トーン)〉をもっている。その固有の〈声(トーン)〉を探すんだ」
これは物を書くときにも意識していること。「自分の声」をもつということ。あらためてずしんときた。
音楽家が歌が上手になりたいと願う若い女性に話す。
音楽家「一度、演奏会の途中に停電になって真っ暗闇になった。楽譜も指揮者も見えないのに楽員は演奏を続けた。暗闇で互いに音を聞き合ってね。私にとってもはじめての体験だったが、58秒続いた。全員の心が見事に一体となった」
女性「58秒?長い時間だわ」
音楽家「1982年のプラハ、私は19歳。…つまり、音楽はそこにある。それが音楽の秘密だ。あとは音楽を手に取るだけ」
音楽はそこにある。これもまたアルゼンチンタンゴを想った。魂レベルのことを想った。
DVに苦しむ女性が、勇気をふりしぼって夫の元から逃げ出す。夫はその後殺傷事件を起こして逮捕される。面会室で妻が夫に言う。
「私たち一緒には暮らせない。治療を受けて。いつか子どもたちに会えるようになって。恨んでないわ。あなたも努力したのだから。不思議ね。みんな、それぞれ努力しているのに…」
この先にセリフはなく、彼女は立ち去る。
ーー不思議ね。みんな、それぞれ努力しているのに…
胸にふかく突き刺さった。
みんな、それぞれ努力しているのに、うまくいかないことがこんなに多い。
みんな、それぞれ努力しているのに、こんなにすれ違う。
いくらでも出てくる。そして「不思議ね」は真実なんだと思う。
そしてこの夫に殴られながらも聖歌隊をやめない「妻」はガブリエラという名で、映画の中盤、彼女のソロシーンがある。
スウェーデンの有名な歌手ヘレン・ヒョホルムが演じているので、歌声に圧倒されるのだけれど、歌詞がまた、たまらなかった。とくに響いた箇所は。
この世に生きるのはつかの間だけれど
希望にすがってここまで歩んできた
私に欠けていたもの そして得たもの
それが私の選んだ生きる道
(そしてラストの)
私は こう感じたい
「私は自分の人生を生きた!」と
死を前にして「我が人生に悔いなし!」という人もいるみたいだけれど、私はそんなふうに思えないから言えないし、ある種のおおらかさがないとそんなことは言えないと思っている。私の人生は悔いの積み重ねで、不味そうな段々のケーキができるくらい。
そんな私でも死を前にして「私は自分の人生を生きた」、そう感じたいとは思ったのだ。
たくさんの映画を観るなかで、本を読むなかで、そんな内容のばかりだから死を強く意識して過ごして、昨夜少ない涙のなかで、けれどつよく思ったのは、いまはここにいる、ということだった。
残りがどのくらいなのか、どんなふうなのか、わからないけれど、努力したって不思議なほどにうまくいかないこともあるだろうけれど、過去の悔いを反芻する夜も多いけれど、それでもしょうがない、それが私の生なのだから。
私はこう感じたい。
私は自分の人生を生きた、と。
***
*ガブリエラの歌の動画と歌詞(字幕をメモしたもの)https://www.youtube.com/watch?v=m9lc7xhTNxI(ここには埋め込めないみたいなので、YouTubeで。「ガブリエラの歌」で出てくるはずです)
私の人生は今こそ私のもの
この世に生きるのはつかの間だけれど
希望にすがってここまで歩んできた
私に欠けていたもの そして得たもの
それが私の選んだ生きる道
言葉を超えたものを信じつづけて
天国は見つからなかったけど
ほんの少しだけそれを垣間見た
生きている歓びを心から感じたい
私に残されたこれからの日々
自分の思うままに生きていこう
私はそれに価(あたい)すると誇れる人間だから
自分を見失ったことはない
今までそれは胸の奥で眠っていた
チャンスに恵まれない人生だったけど
生きたいという意志が私を支えてくれた
今の私が望むのは日々の幸せ
本当の自分に立ち戻って
何にも負けず強くそして自由に
夜の暗闇から光が生まれるように
ここまでたどり着いた私
そう 私の人生は私のもの!
探し求めていたまぼろしの天国
それは近くにある
どこか近くに
私は こう感じたい
「私は自分の人生を生きた!」と