●美術エッセイ『彼女だけの名画』12:ウィーンのファム・ファタール
2025/11/10
美しさで男を「誘惑」する女。
男の運命を「狂」わせる女。
「危険」な女。
私が憧憬をいだく女の、ひとつのイメージ。
その美しさで男たちを虜にし、男の運命を狂わせる、危険だけれど魅力的な女、「ファム・ファタール(宿命の女)」。
「ファム・ファタール」をテーマにしたサロンや講演会に集まる女性たち(このテーマのとき、男性はひじょうに少ない)の顔はみな似た輝きをもち、会場は一種独特の高揚感に包まれる。これはファム・ファタールという存在、それ自体に、私を含めて参加者の女性たちが強い刺激を受けているからだろう。
もし「そういう女はどうも苦手」とか「あんまり興味ないなあ」という男性がいたら、彼らに言ってあげたい。
安心して、あなたたちは出逢わない。ファム・ファタールは、破滅的恋愛を受け入れる願望、覚悟をもつ男しか相手にしない。傷つくことを恐れ、安易な恋愛ごっこしか知らない男は、たぶん、「彼女たち」の視界には入らない。
というのは「彼女たち」ファム・ファタールは、男たちの内側に存在するもの、と私は考えるからで、とすれば、女は誰でもファム・ファタールになる可能性を秘めている。いっけん、おとなしく可憐な女性であっても、その奥底に存在する危険な香りに呼応し、はまってしまった男にとって、彼女はファム・ファタールになる。
そういうものだと思う。
ファム・ファタールは、個人個人がもつ情熱、あるいは情念というものが生み出す、限りなく幻に近い実像なのだろう。
しかし、それが写真や絵画によって命を与えられたとき、「限りなく幻に近い実像」が「ファム・ファタル」としてくっきりとそこに立ち、時代を超え、普遍的魅力を手にすることになる。
彼女をはじめて観たときのことを思うと、あの夜の夢が、蘇る。
2年前のウィーン。世紀末文化に憧れて訪れた街。
南駅近くの「オーストリア美術館」で私は一枚の絵を前にして立ちつくしていた。
「ユディト」。
いかにも挑発的で喜びに満ちた薄開きの口もと、画面から漂う濃厚な妖気にめまいをおぼえる。
右足から左足へ体重を移動したとき、ぎいっと鳴った床の音すら、彼女が創り出した効果音に聞こえる。
「ユディト」は旧約聖書に登場するユダヤ人の寡婦の名。
敵の軍隊に包囲された自分の町を救うために彼女は妖艶に着飾り、敵の陣営にひとり乗りこむ。
そして宴席で敵の将軍ホロフェルネスを誘惑、一夜を過ごし、彼の泥酔に乗じてその首を切り落とした。ユダヤ人にとっては高潔なヒロインだ。
絵をよく観ると、右下にホロフェルネスの生首がある。彼女はそれをつかみ、恍惚とした表情を浮かべている。
このひとが、エロティシズムの画家クリムトのファム・ファタール。
つきあい始めて2ヶ月の恋人たちの別れ際のようにせわしくからみつく「エロス(性、生)」と「タナトス(死)」。両者の摩擦から生じる匂いが画面におさまりきれずに溢れ出す。
かなり強烈だった。
美術館を出たあとも、ホテルに戻ってからも、ユディトの表情が目の前にちらついた。
その夜、私は夢を見た。
彼女と愛を交わす夢だった。
***
「彼女だけの名画」第12回。ウィーンのファム・ファタール
絵画:クリムト作「ユディトI」
1996年「FRaU」の原稿に加筆修正したものです。
当時は「ファム・ファタール」に夢中になっていたことを思い出します。ほんと、はげしく憧れていて、ファム・ファタール研究に勤しんでいました。いま読むとだからやっぱり、すごくりきんでいて熱っぽいです。
