彼女だけの名画

●美術エッセイ『彼女だけの名画』13:フィレンツェ、美しき受胎告知

2025/11/10

 

「路子さん、僕いつも疑問に思っていることがあるんだけど、キリスト教文化が生み出した芸術、たとえば宗教画ね、それはキリスト者でないものにとっても芸術なんだろうか」

 私に問いを投げかけたのは40代後半の男性。彼は野心みなぎる実業家で、頭も体も全身仕事モードで人生突っ走っているかんじなのに、ときたま、こんなことを言う。

 私は彼が好きだ。魅力的だと思う。恋愛についても熱く語り、彼にしか通用しない理屈みたいなものをもっていて、納得できないこともあるけれど、ときおり、ぐさりと突き刺さることを言ってくる。

 「路子さん、やっぱりね、自分の人生を生きなくては。自分のステージをもたなくてはね!」

 けっして目新しい言葉ではないのに、ぐさりときたのは、「恋人とふたりで人生を歩みたい」と熱望し「自分」という単位を見失いつつあった時期に聞いたからだろうか。

 魅力的なひとは、そういうタイミングも見逃さない。

 話を戻す。

 冒頭の彼の問いかけを受けて私は、いままで観た宗教画のなかで、感動したものを思い浮かべてみた。

 いくつかあるなかで、そのとき浮かんだのは、フィレンツェのサン・マルコ修道院にあるフラ・アンジェリコの壁画だった。

 

 サン・マルコ修道院は、別名を「フラ・アンジェリコ美術館」というように、その一角は彼の一連のフレスコ画で飾られている。

 「美しい天使を描く画家」として私はアンジェリコを認識していたが、一階にあったいくつかの作品を観ても、ただ「やさしい宗教画だなあ」と思う程度だった。

 けれど、一階をぐるりと観て、二階に行くために階段を昇り始めたとき、いきなり「受胎告知」が目に飛びこんできた。

 足が止まり、その絵を見上げる格好で、立ちつくしてしまった。

 それは、目隠しをされたままビルの屋上へ連れていかれて、目隠しを解かれたとたん、美しい夜景が目の前に広がったときのように、あるいは、足もとを見ながら山道を歩いていて、ふと顔をあげたら突然美しい景色が目の前に広がったときのように、思わず声をあげてしまうような、そういう衝撃だった。

 

 処女マリアに救世主の身ごもりを告げる大天使ガブリエル。

 七色の虹のような翼、淡いピンクのドレス、そして敬虔な姿勢で、とまどいながらも告知を受け入れるマリアの真摯なたたずまい。

 ふたりの間の無言の会話が聞こえてきそう。

 私はキリスト者ではないけれど、その絵は、そんな私でさえも、その場に跪きたいと思わせるような何かが、あった。ふかい想いが胸の奥の奥に満ちた。

 この絵を描いた画家の想い(フラ・アンジェリコは修道僧でもあった)と、この絵が完成したときの人々の反応。そして現在に至るまで、500年以上もの間、いったいどれほどの人々がこの絵の前に立ったことか……。

 それにしても美しい。そう、やわらかで静謐な美しさがある。

 

 私は実業家の彼にこの体験を話し、それからこう言った。

「芸術とは何か、という根源的な問題はあると思うし、さまざまな考え方があるでしょう。でも私が考える芸術はとても単純。美であり感動なんです。それらを与えられたとき、私にとってそれは芸術作品になる。だから、それが宗教画であるとかないとか、そういう分類は私のなかにはないんです」

 

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「彼女だけの名画」第13回。フィレンツェ、美しき受胎告知

絵画:フラ・アンジェリコ作「受胎告知」

1996年「FRaU」の原稿に加筆修正したものです。

 

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