モームから受けとったこと、2週間ぶりのタンゴで感じたこと

次の作品をなかなか書き始められない。書きたいテーマだし、いつも考えているし、頭のなかでぐるぐると文章がめぐっている。けれど、決定的なものがつかめない。散漫なイメージが綿埃のように漂っている。
締め切りのことを考えると、そろそろどうにかしないといけない。なのに、こういうときに限って、心を乱す出来事が起こったりするから、アン・モロウ・リンドバーグの、何かと気を散らすことが多い生活のなかで、いかに自分の軸を保つかが重要、車輪の軸のようにね、という教えを念仏のように唱えなければならない。
そんなある夜、明日はあの本を読んでみよう、と思って翌日読んだ本がサマセット・モームの『サミング・アップ』。モームが64歳のときに発表された自伝だけれどモーム本人は「本書は自伝ではないし、また回想録というのでもない」と言っている。サミング・アップとは要約といった意味。自分の人生を自分で要約。
何度目かの再読だけれど、驚くほどに心に響いた。以前はそれほどでもなかったところも、細かく響いた。
モームがこの本を書く理由について述べている箇所などは、「あ、私がいままさに準備している本を書く動機とひどく似ている」と興奮してしまった。彼は次のように言っている。
「本書を書く目的の一つは、長いあいだ心に取り憑いていて落ち着けなくなっていたいくつかの思いから、自分を解放することである」
けれど、この本のなかには、自分自身が同性愛者だったことはいっさい語られていない。90年近く前に発表された本だから無理もない。同性愛が犯罪であった時代を彼は生きてきたのだから。
そして、重要だと思われるその事実について書かなくても、これだけのものが書けるということ。
今回の読書では次の箇所にラインを強く引いた。
「自分の胸のうちを全て公開する気はない。読者に私の心のどこまで入って来てもらうか、限度を設けさせて頂く。自分の胸中に留めおくことで足りている事柄もあるのだ。誰でも自分についての全てを語ることは出来ない」
そうだ、そうなのだ。あの時代のことを書く上で、あれもこれも書かなければいけないのか、どこまで書かなければならないのか、あれは書きたくないし知られたくない、そんなのがたくさんある時代だというのに。だったらそもそも書かなければいいのでは……そんなかんじでぐるぐる迷っていたから、力強く響いた。次作に向かう力を受け取った。
昨夜は2週間ぶりにタンゴを踊った。四ツ谷のタンゴバー「シン・ルンボ」のミロンガ「Switch スイッチ」。フロアを眺めていて感じたことは、すべてのものは変化してゆく、という当たり前の事実。物悲しさもある。けれど私はしんとしずまりかえったようなきもちで、すべてのものは変化してゆく、を感じていた。