○女性芸術家4「ドロテア・タニング 真のバースデイ」
2025/11/22
■ドロテア・タニング(1910-2012)
私が参考にした本によると1912年生まれとなっていて、1942に描かれた油彩の自画像『Birthday』も30歳の誕生記念となっているので、タニングが1912年生まれ、って言っていたのかと。
アメリカ、イリノイ州生まれ。1936年、NYで開かれた「幻想芸術ーダダ、シュルレアリスム展」に衝撃を受け、画家としての人生を歩み始める。マックス・エルンストとの出逢いは彼女をシュルレアリスムのグループに引き入れ、絵画だけでなく、舞台衣装、小説などでも才能を発揮した。パリでエルンストが死去したのち、NYに住み、制作を続けた。
*写真はタニングの『Birthday バースデイ』の翻訳本。
*1995年「藝術倶楽部」に連載したものです。
(『Birthday』1942年)
どの絵からもきわめて似た芳香が漂う。こんな絵を描く女性はすごくエキセントリックなひとに違いない。
わくわくしながら「バースデイ」というタイトルの彼女の自伝を読んだ。
タニング自身、「自伝ではなく、物語」と断っているように、現実と夢との間を自在に行き交うその文章は、私にはひじょうに読みにくかった。そのうえ、全体にわたって、友人たちや美術界、そして金銭問題に関する攻撃的な姿勢が目立ったから、私はわがままな友人に振り回されているような感覚をいだきながらページを繰った。
しかし、それでも一気に読んでしまったのは、彼女の「物語」が全編「マックス・エルンスト」一色に染められていたからだ。
マックス・エルンスト。
シュルレアリスム運動の中心的存在で、その芸術も高い評価を得た画家であり、女性遍歴も華々しく、それだけ追っていてもかなり興味深い人物だ。
タニングは30歳のとき、51歳の彼と運命的な出逢いをした。
彼女がどれほどマックスを誇りに思い、そして愛していたか。
「バースデイ」の第一章のはじまりを紹介する。
「はじまりーーマックス・エルンスト。
私たちのそれまでの人生の一刻一刻が、その前も、そのまた前もが私たちの出会いのときだった。」
このかんじがずっとずっと続く。
「バースデイ」はタニングが74歳ころに出版された本だから、ふたりが出逢ってから40年余りが経過していることになる。にもかかわらず、出逢いのころの感覚を保ち続けていることが私には驚きだった。いや、保つなんていう言葉ではぜんぜん足りない。もっと呪縛めいている。
そして、もうひとつ。
マックスは、マックスなら、といったフレーズがそこかしこに見られる「物語」のなかには、芸術家同士のカップルにありがちな「嫉妬心」とか「ライバル意識」といったものが、まったくといっていいほど、ない。
私の感覚では、ドロテア・タニングというひとは攻撃性と合わせ、人生をそのまま受け入れて楽しむ術を知っているひとのように見える。
内容を紹介しよう。
「注目されたり、……そんな世俗的な成功は、少なくとも私が目標としていたことでは全然なかった。そんなところに自分自身が見出せるはずもなかった。むしろ社会の隅っこの、私自身の場所にとどまっている方がずっとましだった。そこでは思うまま芸術を創ることができたし、相互に助け合い、深め合うこともできた。……人間は水からできているという。だったら私はさしずめ川で、海へ向かってとうとうと流れていき、その途中で、ごく自然にもうひとつの流れと合流したということだ。」
そして、芸術家カップルに寄せる私の心配事(嫉妬、ライバル心がもたらす破局)に関してはいとも簡単にこう言ってのける。
「ひとつの方向をふたりで共有しても、女から、想像力やものを創る能力を奪ってしまうことには決してならない。」
さらに芸術家マックスとの関係についてはこう言う。
「かくも素晴らしく、かくも神秘的な人物の、ある意味では助力者でいることは、決して苦痛でも自分をおとしめることでもなかった。」
マックス・エルンストはすでに成功していた芸術家であり、年齢差も考慮して、タニングが彼から得るものは大きかったとして、このふたりの関係を「上=マックス、下=タニング」と見るのは簡単だ。
しかし私はそうは思わない。
夫マックスの才能を認め、そして自分自身の芸術をもちながら、ふたりがふたりであることで自己実現できると信じたタニングの素晴らしさは、マックスに多くのものを与えたに違いない。
最後に紹介する彼女の言葉は、いまの私自身のひとつの理想でもある。
「私たちのあいだには時間が、まさに一刻一刻秒読みできるような時間が流れていた。それはあまりにも長く、またあまりにも密だったので、いつの間にか〈彼〉というのはほとんど〈私たち〉と同義語になった。」
マックス・エルンストと出逢った30歳の誕生日記念に描いた「バースデイ」。自伝と同じタイトルの自画像。誕生日という意味だけではもちろん、ないだろう。
ーー彼に出逢ったとき、真の意味で、私は生まれた。
タニングの声が聞こえてくるようだ。

