○女性芸術家6「レオノーラ・キャリントン」
2025/11/22
■レオノーラ・キャリントン(1917-2011)
(リー・ミラー撮影)
画家。彫刻家。小説家。
イギリスに生まれる。シュルレアリズムの芸術家として知られる。マックス・エルンストと別れたのちはニューヨーク、メキシコで芸術家仲間(フリーダ・カーロやレメディオス・ヴァロたち)と交流を深めた。
*1995年「芸術倶楽部」に連載した原稿です。
この原稿を書いてから25年以上が経ち、現在はフェミニストの人たちが「ミューズ」について、キャリントンが言ったこととほぼ同じことを言っています。
私はフェミニズムについて語るほどの勉強をしていませんが、ミューズを語られるとやはり黙っていられないかんじもするので、一度ちゃんと向き合って書いてみたいと思っています。
この原稿は当時、ということでお読みください。
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「私は誰かのミューズになっている暇はなかった。家族に反抗したり、画家になるための勉強で手一杯だった。」
頭を殴られたかのようなショックがあった。
芸術家にインスピレーションを与える存在としての「美神(ミューズ)」をライフワークにしていて、私自身も誰かのミューズでありたい、と願っていたときに知ったキャリントンの言葉。
「ミューズに憧れるだなんて、自ら創り出すことのできない女、私はそうではない」
キャリントンが私にそう言っているように思えたからだ。
キャリントンは「女性」と「ミューズ」の同一化について「たわごとね」と一蹴。ミューズは男性がつくりあげた偶像、と言い切った。
リー・ミラー(この連載でも扱った)が撮ったキャリントンのポートレートがある。
彫りの深いエキゾチックな美人。その瞳には強い意志がみなぎっている。
画家としてのキャリントンが、その存在を世に知らしめたのは、1936年にロンドンで開催された国際展。鋭敏な感受性、洞察力。その作品は注目を浴び、この展覧会でキャリントンは一夜にして芸術世界で有名になった。とくに当時の前衛芸術家のグループ、シュルレアリストたちが彼女の作品を絶賛、同年ニューヨークにおける「幻想芸術、ダダ、シュルレアリスム展」のカタログにその作品を掲載した。以後、キャリントントンとシュルレアリストとの交流が始まる。
しかし、シュルレアリスムは、男性芸術家たちのグループだった。
リーダーであるアンドレ・ブルトンはたしかに、女性を尊重していた。女性の力を認めていた。けれどそれは「独立した女性」としてではなく、あくまでも「男性を支え、男性をインスパイアする女性」としてであった。
アーティストである女性にとって、このブルトンの感覚は、ばかげた「たわごと」にすぎなかった。
キャリントンは同時代の女性アーティストのなかでも、この部分に敏感に反応、男性本位の芸術に抵抗した。
冒頭の言葉が語るように。
そんな彼女の人生に大きな影響を与える男性として登場するのが、マックス・エルンストだ。
以前、このシリーズでドロテア・タニングをあつかったとき恋人とした登場したこのエネルギッシュな芸術家は、キャリントンをも魅了したのだ。
キャリントンが20歳のとき、ふたりは出逢い、エルンストは彼女と暮らすために妻と別れた。
フランス、サン・マルタン・ダルデッシュでの幸福な生活。キャリントンが小説を書き、エルンストが挿絵を描く。そして出版。愛の共同制作という最高の仕事。ゆかいな仲間たちとの水泳、刺激的なパーティー。
しかし長くは続かなかった。
ナチスによるフランス侵攻、そしてアメリカ人(ドイツにとっての敵国人)であるエルンストの強制収容所連行。
2年間にわたる甘い生活は強制終了させられた。
この時期のキャリントンの作品には彼女の内面の叫びが色濃く表れている。小説にしても絵画にしてもいずれも「苦悩色」に染められた作品群だ。
けれどキャリントンはここで終わらない。
その後のニューヨーク、メキシコでの精力的な創作活動には、彼女の「表現する」「発信する」ことへの情熱がある。
シュルレアリストたちの作品がそうであるように、キャリントンの絵画は、私のようなしろうとにとっては、わかりやすくはない。
けれどただ感覚的に、女性の生命エネルギーを私は彼女の作品から受け取る。
それはあまりにも豊かなエネルギーだから男性を排除する必要はない。彼らを受け入れたうえでの女のエネルギーだ。
この絵、「ベイビー・ジャイアント」。巨大な人物が優しくたいせつに手にする卵。
この小さなひとつの卵に画家キャリントンはなにをこめたのだろう、と考えればいつまでも眺めていたくなる。
やはり生まれ出る生命、そして生み出す力だろうか。女性がもつ底知れないエネルギー、その可能性を私はそこに見る。

