ふたりの映画鑑賞記/よいこの映画時間

◎59本目『マティアス&マキシム』

2026/03/06

【あらすじ】
友人の妹から頼まれ、短編映画で男性同士のキスシーンを撮ることになった幼馴染のマティアス(ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス)とマキシム(グザヴィエ・ドラン)。
そのキスをきっかけに、ふたりは互いのことを意識しはじめるのだが…。




♥M
りきちゃん、どうだった?

♣R
ぜひ先に路子さんの感想を聞きたいです。

♥M
私の感想?
自分の中のピュアな恋心とかが、なくなってしまったのかもしれない(笑)。

♣R
この映画は、ドランが20代の頃を思い返した映画なんですよね。

♥M
うん。でもあまりにもピュアすぎて。
繊細で微妙な感覚が描かれているんだろう、というのは分かるのだけれど…新鮮な路子ちゃん戻ってきて! と、思いながら集中して観てた。

♣R
戻って来ましたか?

♥M
なんとなく。
でも、そういう感覚が薄れてしまっているのがショックだった。

♣R
音楽は今回はクラシックが多かったですね。

♥M
おばさまたちは誰も聴いてくれないけど(笑)。

♣R
ピアノのシーンですね(笑)。

♥M
音楽と映像で高揚させるのが、本当に上手い。「ザ・ドラン」ってかんじね。

この作品は、何かの映画に感銘を受けて作ったのよね?

♣R
ルカ・グァダニーノ監督の『君の名前で僕を呼んで』です。
元彼と別れる直前くらいに、手を繋ぎながら観た思い出が(笑)。

♥M
そのことだけで涙が出そうね(笑)。
私は観ていないのけど、りきちゃんとしては、どちらがよかった?

♣R
全然種類の違う映画なんですよね。
『君の名前で僕を呼んで』は、それこそ恋愛が中心軸です。
恋愛初期のわくわく感や欲望がストレートに描かれていて、とても美しい作品でした。
その時は、彼氏と今このタイミングで一緒に観た、ということに何か意味があったような気がしました。

■怪物みたいな人たちだけど愛されたい


♥M
ある一定の年齢の女性たち…50歳以上くらいの感じかな。そういう女性たちの描き方がね。
みんな愛がある人たちだから、決して悪い人ではないのだけれど、怪物的な描かれ方をしてたね。

♣R
がははは的な。

♥M
ドランの映画では、そういう女性たちがいつもそんなふうに描かれているけれど、今回は集団でいたから、特に際立ってた。
ドランは年配の女性たちを別の人種だと思っている節があるけれど、嫌いという感情や憎しみを持っているわけではないよね。母親をふくめ、彼女たちからの愛情が欲しくて、その裏返しとして悪意みたいなものも感じる。

♣R
強がり?

♥M
うん。自覚していると思う。
こんな怪物みたいな人たちだけど愛されたい、というのがよく分かる。それにしても根深い!

♣R
ずっと描き続けていますからね。

♥M
そう。そして今回はその部分がサイドストーリーになるはずだけれども、割とメインストーリーのような感じもするの。

♣R
自分もそう思いました。

♥M
ママとの怒鳴り合いとか、友達同士のバカ騒ぎが多いのは、ちょっと苦手。

♣R
『マイ・マザー』(グザヴィエ・ドランの初期作品)も、途中で観るのをやめたと言っていましたね。

♥M
そうね、それで今回は、映画を観る前にアルコール問題の話をしていたから、余計にね(笑)。
マティアスとマキシムが喧嘩をして、マティアスが「アザ野郎」と、言ってしまったのも、アルコールのせいっていうのもあるものね。

♣R
あのシーンで、信頼している友人同士の空気が凍りつきましたよね。

♥M
アザがある設定にしたのは、なぜかな。

♣R
あんなに目立つアザがあったら、何かしらの反応をする人がいるような気がしますが、「アザ野郎」のシーンまで、誰一人としてそこに触れないですよね。

♥M
マキシムは顔にアザがあることで、色々な傷を負ってきただろう、ということにも一切触れない。

♣R
触れているのは、喧嘩の時と、鏡に向かっている時ぐらいでしたね。

♥M
自分がマイノリティであることの何かを表現したかったのかな。

■分類はドラマ?


♥M
恋愛が中心にくる話なのであれば、そこを際立たせるサイドストーリーになるはずなのだけれど…。

♣R
恋愛中心ではないですよね。

♥M
そうなの!

♣R
今回の映画は恋愛映画やピュアなラブストーリーと言われていますが、生活の中のほんの一部に恋愛部分が描かれているぐらいで、他の生活も同じくらい際立っていますよね。

♥M
お母さんとの確執とかの部分も多い。あとは、友達との関係性もね。

♣R
その部分が大きかったですよね。
ドランが「僕にとってこれはゲイについてではなく、人生についての映画なんだ」と、言っていました。多分、映画の配給的には恋愛推しでしょうが、この映画は本当に人生についての映画。
人生のあるシーズンを切り取って、しかもまんべんなく切り取った、ごく「普通」の日常を描いた映画。レンタルのDVDで言えば、恋愛というよりは、ヒューマンドラマとかに入るジャンルですよね。

♥M
うん。ラブストーリーではなく、ヒューマン、青春といった部類。
恋愛映画と思っていたから、気合いの入った観方をしてしまったけれど、ラストの終わり方を観て、そんなに気合い入れなくてもよかったのかな、って思った。
ふたりきりで盛り上がる「あのシーン」が出てくるまで、ずいぶん引っ張るな、と思っていたけれど……。

♣R
宣伝では、友達の妹が撮るマティアスとマキシムのキスシーンがいかにもメインみたいになっていましたが、一瞬のシーンでしたよね。
だからあの宣伝の仕方は、映画の本質を裏切ってしまっているような気がします。
そして、ドランの「この映画のテーマは決して同性愛ではない。テーマは愛なんだ」という言葉に対して、普通の恋愛の話だ、という配給の仕方は…まあそうかもしれないけれど、その強すぎる推し方は違うよねって思います。

あとは、この映画を観て、ドランの言葉に対する返答かのように、「あっ、本当に普通の恋愛映画だったね」と、言う人もいて…「お前、それは違うんじゃないかい?」と言いたくなる。
なんか色々引っかかるんですよね。

■男同士の友情


♥M
マティアスが、出張で来ていたケヴィン(ハリス・ディキンソン)とストリップを観にいっているシーンで、結婚や貞操について話していたでしょう?
今の時代、ちょっと婚外交渉をするだけで叩かれてしまうけれど、私は、婚外交渉を責めるのはナンセンスだと思っている。
だから、いま、結婚制度そのもの、貞操とは、欲求とは、不倫って何? とか、浮気とはどういう意味なのか……そういうことを歴史的な観点から研究してみるかな、なんて思ってたところだったから、興味深かった。

♣R
ケヴィンは典型的なストレート男性のような人物でしたが、彼もマティアスに対して、何かしらの興味を持っていたように感じました。

♥M
マティアスとマキシムは、撮影の時のキスをきっかけに、同時に惹かれ合い始めたのかな?
それとも自分に同性愛的な傾向があるということに無自覚だったのかな?

♣R
自分は、キスの前はマキシムはマティアスを、キスの後はマティアスがマキシムを意識しているような目線を感じました。

ドランはインタビューで、ふたりともストレートの設定だと言っていましたが…自分はいまいち男同士の友情っちゅうものがよく分からないです。
昔から友達以上の気持ちがあったのか、その気持ちに気付かなかったのか、気持ちはあったけれど気持ちに嘘をついていたのか、片一方は恋愛対象だったのか、本当に「ただの友達」だったのに、キスが起爆剤みたいになって、その日を境に突然気持ちの変化が訪れたのか…そこは正直分からないですね。

♥M
マキシムはバスの中で可愛い男の子に微笑まれたり、微笑みを返したりしていたでしょう?

♣R
ストレートとして生活をしていたとしても、何かしらの興味みたいなものを、潜在的に持っていたのかもしれないですね。

■他人の痛み


♥M
ラストの方で、マキシムが7歳の頃にマティアスが書いた農場の絵を見て泣き出すけれど、例えば、その頃から家族ぐるみで付き合いをしてきた彼らの友情が、30歳頃になって初めて恋愛や欲望になることはあるのかな。
異性愛の場合は、友情から恋愛へとわりと抵抗なく入っていけるけれど、同性愛の場合は、まずそれはあり得ない、という所からスタートするわけでしょう?
そこが決定的に違うよね。
それはそれとして、ずっと幼い頃から知っていた友達に対して、突然欲望を抱くものなの?
マティアスはキス以来、寝ても覚めてもみたいな感じになるのに、ラブシーンでは、自分は手を伸ばしておいて、逆に手を伸ばされると拒絶してしまう…。

♣R
やっぱりヘテロの恋愛として観るのは、難しいんですよね。
路子さんがさっき言っていたように、ストレートの男女だとすんなりいくものが、同性同士になると、難問のようなものが間に入ってきてしまう。
そこには、葛藤や痛みがあるから、それらを分からずして、「普通の恋愛」だと言うのは、やっぱりちょっと違うし、無神経。
そういえば、柳美里がこんなことを言っているんです。

「他人の痛みを思い知れ、などという言葉を平気で口にできる人は、他人の痛みを想像する想像力が欠如していると思います。大切なのは、他人の痛みを痛むことはできない、ということに痛みを感じるかどうかなのでは」

♣R
軽々しくそう言ってしまう人は、他人の痛みを想像できないような人なのだと思います。

♥M
難しいね。同性愛なんて特別に変わったことではないって…それはたしかにそうだとしても、それを主張しすぎると、なんだか意識しすぎていて、逆に偏見が見えてきてしまうみたいな。

♣R
なんやかんや言ったり、言われたりすることなく、本当に「普通」みたいにして描かれる日は来るんですかね…。
まあ、やーやー言いたい人の気持ちと、やーやー言うなという人の気持ち、両方分かるから、なんとも言えないですよね。

♥M
言いたくなるということは、何か引っかかるから言いたくなる訳で、それだけの引っかかりがあるということは、ある意味、成功しているのかもしれない。

♣R
注目していることには変わりないですからね。

■「普通の映画」だと言う人々


♥M
同性愛者の立場から見て「当事者ではない人が何を言うか!」みたいなものは、りきちゃんの中にあるの?

♣R
もちろんありますよ。

♥M
それは、子どもを持っていない人に、子育てについてあれこれ言われたくない、というのと似ているのかなあ……まあ、経験者ではない人に何か言って欲しくないというのは誰でもあるよね。

私は、同性愛について語る際に、同性愛者に対して偏見を持っていません! みたいなオーバーな書き方に対して、ものすごく抵抗があるの。
その時点で上から目線になっている気がする。マジョリティ目線みたいな。

♣R
そこなんですよね。
今回、「普通の映画」だと言っている人たちの発言は、そんな感じがするんです。

♥M
「私たちは差別をしていないし、偏見も持っていない」というのを主張したい人たちがいるけれど、私はその言葉を口にするときは躊躇が大事だと思ってて、私はそういうことを無神経に叫びたくはない。

♣R
マイノリティの中でもさらなるマイノリティがあるくらいですから、全く偏見を持っていないとか、差別しないという人は、いないと思います。
私だって女性と仲がよかったりするけれど、ミソジニー的な考えを持ってますし。

♥M
差別、偏見…絶対に何かしらあるよね。

♣R
と、言いつつも、上から目線の人たちに対して壁を感じていたり、羨ましさや憧れを持っていたりもするような気がするんですよね。

♥M
ドランは「普通」と言っているけれど、やっぱり同性同士というところで、そこには障害があると思う、普通ではない、というのが正直なところ。
さっきも話したけれど、これが男女の幼なじみであったら、恋愛に発展する可能性はもっと早くからあったと思うし、それを自分の中で認められないというところに「障害」というものを感じる。もちろんラブストーリーなのだけれど、やっぱり男同士が惹かれ合った時のラブストーリーなのだと思う。

♣R
それでいいような気がします。

♥M
そっちの方が不自然じゃなく、現実。
時代は、ドランがそういうことをわざわざ言わなくてもいい時代になってきているのかもしれないけれど、それでも騒ぐ人がいるから、あえて言うんだろうなぁ(笑)。
この先、あのふたりはどうなると思う?

♣R
マキシムはオーストラリアに行くと思いますか?

♥M
あのくらいだったら行くと思う。
2年経って戻ってきて、また悶々すると思う(笑)。

♣R
何もないということはないと思います。

♥M
でも、かと言って、オーストラリアに行かなくなったり、マティアスがマキシムに会いに行くとかはなさそう。

♣R
一瞬の通過点みたいなものだったのかもしれませんね。


後に、路子さんがこの映画についてブログを書いています。
私がうまく表現できなかったことを、そして路子さんが想ったことを言葉にしてくれました。
ぜひ、そちらも読んでみてください。
■ドランの「マティアス&マキシム」、アイデンティティを追求する覚悟



~今回の映画~
『マティアス&マキシム』
2019年カナダ
監督:グザヴィエ・ドラン
出演:ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス/グザヴィエ・ドラン/
ピア・リュック・ファンク/サミュエル・ゴディエ/アントワン・ピロン/
アディブ・アルクハリデイ/ハリス・ディキンソン/アンヌ・ドルヴァン/
ミシュリーヌ・バーナード/キャサリン・ブルネット/マリリン・カストンゲイ

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