彼女だけの名画

●美術エッセイ『彼女だけの名画』9:マドリード、ふたりのマハ

2025/11/10

 

 

 バルセロナからシャトル便でマドリードに入った。

 マドリード滞在予定はわずか2日。この後はイタリアへ。慌ただしいスケジュールを組んでしまった。

 今回の旅はひとりではない。結婚を3ヶ月後にひかえた一つ違いの妹と一緒だ。独身最後の思い出よ、となかば強引に誘った。

 彼女は、私とまったく違ったタイプで、ひじょうにおっとりとしている。絵画にもあまり興味を示さない。70%は美術館目的の私と、グルメ・買い物大好きの妹がともに旅行をするというのは、冒険だった。

 けれど、彼女と一緒の美術館めぐりは意外と楽しかった。

 私は仕事柄、その画家のことや絵が描かれた背景などを、多少知っている。

 絵の前に立つときはできるだけ、頭と心を真っ白にしようとするが、やはりどこかで純白になりきれない。

 そんな私の横で妹が言う。

「この天使は、この男のひとの魂みたいだね」

「なんで綺麗な女のひとの横にはいつも犬がいるの」

「このひと、すごいでぶ。自信もっちゃう」

 そのたびに私は笑い、はっとさせられる。

 そう。「絵を観る」ことへの単純な楽しみが、そこにはある。

 ここ、プラド美術館でも、妹のおかげで私はいままでとは違った絵画鑑賞を楽しんでいた。

 私たちはにこにこと歩きながら、ゴヤの絵が飾られた一角に来た。

「宮廷画家としてのゴヤ」が描いた王族たち、そして、画家の内面が吹き出した「黒い絵のシリーズ」に圧倒される。

 そしてコーナーを曲がると、そこにはあの有名なカップリングの絵が2枚並べて飾られていた。

 

「裸のマハ」と「着衣のマハ」。

 画集で観たかぎりでは、とくに何も感じず、ただ「有名な絵」として認識していた。それだけだった。

 が、しかし。

 実物を前にして私は、2枚の絵が放つエロティシズムの芳香に、たちまち囚われてしまった。

「匂い立つ」とは、まさにこのこと。

 とにかく、すごい。

「裸のマハ」。

 鮮やかなグリーンが印象的なクッション。その上に横たわる黒髪の女性。

 両手を頭の後ろにまわす、という、あまりにもありふれた、ともすると陳腐な、けれど挑発的なポーズ。

 

 妖艶な微笑みを浮かべる彼女の瞳は、しかし、陶器のように艶やかな肌と合わせて「これから」を想像させない。その黒々とした瞳は潤んではいないし、そこからは深い充足感が感じられる。

 けだるく漂うエロティシズム。愛の行為のあとの、余韻。

 それに比べて「着衣のマハ」のなんて熱い肢体……!

 画集レベルではとうてい感じられなかった熱気がある。彼女のからだ全体から、むんむんと立ちのぼる欲望。

 彼女の潤んだ瞳。上気した頬。そしてわずかに緊張した腿のあたり。いまにもからだを起こしそうな、その気配。

 感じる。「着衣のマハ」は「これからのマハ」。

 だからこんなに熱い。

 ほんとうに、観ている私の頬が上気してしまうほど、あからさまな欲望が画面から匂い立ってくる。

 

 

 同じポーズをとっていても、こんなにも違うものなのか、とため息をつく。

 ……これだから、ほんものを観ないことには語れない。

 私は2枚の絵を前にして、この絵がなぜ、これほど人々に愛されているのか、はじめてわかったように思った。

 

 少しして、隣に立っている妹に尋ねた。

「どう?」

「うーん。左の女のひとのほうが可愛いね。裸のほうは……人形みたい」

 私は声をたてて笑い、妹の肩に手をおき、マハをあとにした。

 

***

「彼女だけの名画」第9回。「マドリード、ふたりのマハ」

絵画:ゴヤ「裸のマハ」「着衣のマハ」

1996年「FRaU」の原稿に加筆修正したものです。

*妹はこのころからずいぶん変わって、私よりずっとしっかりしたひとになりました。よく叱られているような気がします……。

 

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