★西洋絵画のスーパーモデル:4「サロメ」
2025/11/22
■「惚れた男」への強い想いが、永遠の妖女「サロメ」を生み出した■
ある男に惚れた。男のすべてが魅力的で、あなたはそれをどうしてもその男を手に入れたい。その欲望はからだ中を激しく駆けめぐり、あなたの頭は男の唇にふれることでいっぱいになる。
男に迫る。けれどあなたがキスをしようとするのを男は許さない。ああ、どうしても、どうしても、彼の唇が欲しい……。
さて。あなただったら、どんな手段を考えるだろうか。
今回のスーパー・モデル、サロメは聖書にも登場するユダヤの王女。
「永遠の妖女」と呼ばれる彼女を、古来からどれほど多くの画家が描いてきただろう。その数は聖母マリアやヴィーナスに匹敵するほど、と言ってもいい。
サロメと聞いて多くの人が頭に浮かべる「エロティックで残酷な女」のイメージが定着したのは19世紀末。
イギリスの劇作家オスカー・ワイルドが聖書のイメージを超越した「サロメ」を書き、ビアズリーが妖艶な挿絵を描いて、サディスティックで退廃的な美の世界を完成させてからだ。
***
サロメは王宮の囚人、洗礼者ヨハネに惚れた。
彼が欲しい。
欲求を満たそうと彼に迫るが、ヨハネは冷たく拒絶する。
ある夜、ヘロデ王(サロメの義父)の誕生日。サロメの美しさに魅せられた王は彼女に踊りを希望する。その褒美になんでも好きなものをあげるから、と。
みごとな踊りが披露され、それに満足した王は彼女に尋ねる。
「何が欲しい?」
サロメは答える。
「洗礼者ヨハネの首を」
王は一瞬怯むが、約束は約束。ヨハネの首を切り、持ってくるようにと家来に命じる。
そして褒美……愛す男の首を手に入れたサロメが陶然とそれに迫るのが「クライマックス」のシーンだ。
「ああ、ヨハネ。
おまえは私が唇に接吻するのを許そうとはしなかった。
さあおまえの唇に接吻しよう。触れた果実にするようにお前の唇を噛むだろう。
そうだヨハネ、私はおまえの唇に接吻するのだ……」
そしてビアズリーのサロメ。
蛇の髪をしたメデューサのような凄まじい横顔。
ヨハネの首から滴り落ちる血は、黒く澱んだ水のなかへ。そしてそこから咲く、百合の花。
本来は純潔のイメージとして描かれる百合が、ここでは不気味に邪悪な芳香を放っている。
***
さて、冒頭の問いに戻って、この狂気じみたサロメのやり方に「あら、私も同じにするわ」と答える女性はほとんどいないだろう(と思う)。
たんなる物語の世界としてやり過ごし「私とはまったく別世界」と感じるひとが多いだろう。
けれど、ちょっとだけ立ち止まって考えて欲しい。
ほんとうに、あなたのなかに「サロメ」が潜んでいないかどうか。
どうしても自分のものにならない男の頭をつかんで、強引にこちらを向かせたい、という強い想い。
そして、まさにサロメのように、首を切り落としてまで、その唇に触れたいという、切望。
……似たような気持ち、抱いたこと、私はある。
それはもちろん、愛と呼ぶにはあまりにも澱んだ想いだけれど、いま現在もなお、サロメ人気が衰えず、サロメに魅せられている男も多いという事実は、男側にもその願望があるということで、ならば、女も自分のなかのサロメ、いつでも登場できるべく飼い慣らしておくのも、いい。
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◆「サロメ」伝説◆
サロメは、もともとは洗礼者ヨハネ(キリストに洗礼を施した聖者)の殉教にまつわる、聖書の一挿話のなかに端役として登場するにすぎない。しかも、そこでは母親の言うなりで、ヨハネの首も母親に相談して決めている。それを私が本文で紹介したような女として創りあげたのが、オスカー・ワイルドだ。
ビアズリーのほかに「サロメの画家」として有名なのに、ギュスターヴ・モローがいる。モローのサロメは絢爛たる華やかさ、豪奢な肉体で、観るものを幻惑する。
*絵のタイトル「サロメ クライマックス」
*画家:オーブリー・ビアズリー(1872-1898)
19世紀末、イギリスの画家。雑誌「イエロー・ブック」の美術主幹をつとめる。それはその名に因んでイギリスの1890年代を「イエロー・ナインティーズ」と呼ぶほど、一生を風靡した。サロメの挿絵はビアズリーのもっとも有名な作品。
*1999年の記事です。
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◆現在の感想
このところのこころの状態もあり、サロメが遠いです。
