★西洋絵画のスーパーモデル:7「ユディット」
2025/11/22
■妖艶な美しさで敵を欺いた高潔な未亡人「ユディット」
気分は穏やかで、スリリングな恋、悪魔的な欲望、などといった言葉から遠いところにいる今日この頃。
ユディットについて考えるのは少し気が重い。胸焼けしそう、と思いつつ、それでも重い画集を広げてみる。
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清楚な美女が大胆に太ももをさらしている。そしてその足が踏んでいるものは……なんと、髭に覆われた男の生首!
美女の右手には剣が握られているから、彼女が斬り落としたものに違いない。けれど、それにしては穏やかすぎる表情。
剣と生首がなければ、まるで足もとで彼女の幼児がたわむれているかのような、そんな姿だ。
この美女が、ユディット。
旧約聖書外典に登場するユダヤ人の寡婦で、敵の軍隊に包囲された自分の町を救うため妖艶に着飾り、敵の陣営にひとりでのりこむ。
宴会の席で敵の将軍ホロフェルネスを誘惑、一夜を過ごし、彼の泥酔に乗じてその首を斬り落としたという、ユダヤ人にとっては勇敢で高潔なヒロインだ。
ところで、「髭の生首とともに描かれた美女」といえば、もうひとり、サロメがいる。けれど以前、この連載でも紹介したサロメが、洗礼者ヨハネの首をはねさせた「残酷な悪女」であるのに対し、ユディットはあくまでも「高潔なヒロイン」。そして、高潔なヒロインのもつエロティシズムは悪女のそれ以上に、人々を魅了した。
もちろん聖書では赤裸々に語られていない。けれど、ホロフェルネスとユディットの関係性はひじょうにエロティックなものとして人々を刺激したのだ。
それは、おそらく次のような要素があるから、と私は考える。
1:未亡人という立場。
私の知るある男性は、未亡人という響きそのものがエロティックであると言いきっている。つまり彼の頭のなかには「未亡人=性の悦びを知っている女なのに、夫がいないためにその性が充たされていない」という図式がある。
2:ふたりは敵同士という状況。
「禁じられた……」的状況に興奮するのは人間の本能である。
3:死と隣り合わせの快楽。
ふたりで快楽を共有しながらも、一方は相手に首を斬られる運命にあり、一方はいま交わっている男の首を斬ろうとしている。
4:そして、3と連動するラストシーンはサディズムとマゾヒズムの世界であり、斬られた髭の生首は、斬られたペニスの象徴となる。
こう考えると、つくづく思えてくる。
エロティシズム(愛欲に関するあれこれ)は地域や時代を超える普遍的な「人間の本能」なのだな、と。
なぜなら、上に挙げた4つの要素は古今東西の小説や映画などに多分に見受けられるからだ。日本にもある。阿部定や、少し前にブームになった「失楽園」などは、まさに、「そのもの」。
そういう意味でもう一度、この絵を観てみれば、この絵のテーマが浮かび上がってくる。
「未亡人=エロティック」説の前述の男性は、この絵を観て「この顔、この足、なんともむんむんににおってくるねえ」と言った。少々、品性を欠く表現ではあるが、みごとにこの絵のテーマを感じとっていると私は感心した。
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そして、不思議なことに、穏やかだったはずの私の胸がざわざわと騒ぎ始めてしまっている。エロティシズムについて考えたせいか、それとも「ユディット効果」なのか。たった一枚の絵にこんなに影響される自分に呆れて、少しため息。
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◆「ユディット」伝説◆
旧約聖書「外典ユディット書」の物語のヒロイン。
ユディットはエルサレム近郊のベツレムに住む美しい未亡人。アッシリアの軍隊がベツレムを包囲したとき、神の霊感によって町を救おうと決意、アッシリアの将軍ホロフェルネスのもとへ、ベツレムを裏切ったふりをして赴き、その魅力で将軍の心をとらえる。酒を飲ませて泥酔させ、彼が寝入ったところで剣をふりおろし、その首を斬った。それを袋に入れて平然とベツレムに戻り、仲間を驚喜させたという。
剣と生首をもったユディットの姿は、クラナッハ、クリムトなど、西欧の画家たちによって多く描かれている。
*絵のタイトル「ユディット」
*画家:ジョルジョーネ(1476(8)-1510)
北イタリア、ベネチアの画家。10年ほどの短い創作期間に、光と色彩の調和がみごとな独特の画風を確立し、のちの画家に強い影響を与えた。若くしてペストに感染して亡くなったと言われているが、詳しいことはわかっていない謎に満ちた人物。実在そのものが疑われたことさえある。
*1999年の記事です。
◆現在の感想
このエッセイに出てくる「ある男性」とはいった誰? いくにんかの男性の集合体なのでしょうか、まったく覚えていません。あまりにも典型すぎて、だめだよ、こんな男性を登場させたら、と当時の私に言ってあげたい。
ユディット。もうユディットにはなれないなあ。まず、その魅力で将軍の心をとらえるだなんて。この年齢、こんなタイプの女を好む将軍がいなきゃ無理。そんなどうしようもないことを、タイプしながら考えていました。
