◎58本目『ポルトガル、夏の終わり』
2026/03/06
【あらすじ】
ポルトガル、世界遺産の町シントラ。の美しく幻想的な風景を舞台に描いた人間ドラマ。
ヨーロッパを代表する女優フランキー(イザベル・ユペール)は病のため余命わずかであることを受け入れ、「夏の終わりのバケーション」を一緒に過ごそうと家族と親友をシントラに呼ぶ。
彼女は自分が死んだあとも彼らが困らないように「演出」をしておこうとするが、なかなか彼女の思惑通りにことは進まず…。

♥M
映画を観る気力のないりきちゃんが、無理やり観に来た記念の映画。
♣R
私と同じように、無気力な人たちがたくさん登場していましたね。
♥M
みんな覇気がない。
覇気のある人いた??
♣R
いないですね。
♥M
だからうるさい映画ではないし、暗かったり、ドロドロもしていない。
ただ、みんな覇気がない。
♣R
ポルトガルは、もっと陽気で、太陽で…みたいな、ラテンのイメージがありましたが、そうではないんですね。
♥M
りきちゃんが考えるポルトガルは、そういうイメージ?
ポルトガルは行きたいところのひとつなんだけど、隣のスペインが持つラテンのイメージとは全然違って、映画を観ていても、独自の文化があるような気がする。
♣R
壁画や部屋などで文化を感じられましたが、タイトルの割には、ポルトガルという場所についてはあまり描かれていなかったですね。寄り添う程度。
■複雑な登場人物の関係性
♣R
最初にドドッと説明なしに登場人物がたくさん出てくるので、人物の関係性を追うのが少し大変でしたね。離婚危機を迎えている夫婦とフランキーとの関係性も、どういう繋がりなのか、後半までわからなかったです。
離婚危機夫婦の奥さんであるシルヴィア(ヴィネット・ロビンソン)は、フランキーの義理の娘なんですよね?
ジミー(フランキーの今の旦那/ブレンダン・グリーソン)とその元奥さんとの子ども。
♥M
そうそう。それで、フランキーがジミーと再婚をした時に、フランキーと元夫との子どもであるポール(ジェレミー・レニエ)がシルヴィアとセックスをしてしまい、ポールは離れて暮らすことになったのよね。
♣R
ややこしい。
♥M
離婚の危機を迎えているシルヴィアは、何故そんなに別れたいと思っていたのかな。
もう限界だ、としか言っていない。何がそんなに限界なのかが分からなかった。
♣R
そこは描かれていなかったですね。
♥M
敢えて説明をしなかったのかな。
■余命が短い中での旅行

♣R
ユペールが素敵でしたね。
♥M
癌に侵されて、余命が半年もないとは思えないくらい、元気にプールに飛び込んでいたよね。
♣R
たしかに。
でも映画全体を通して、彼女の無気力さが際立ちましたね。
ベッドに座っている時もげっそりしているし、歩いている時も、いつものシャキシャキ歩く感じではなく、ずっとフラフラしている。
ヘアメイクアップアーティストの友人アイリーン(マリサ・トメイ)に会った時だけは、本当に好きな人に会ったという表情をしているのがすごく印象的でした。余命が短い時にする家族旅行に呼ぶくらいの関係性ですから、そんなに浅いものではないと思います。
♥M
もちろん。
フランキーは、ダメ息子の結婚相手にと思ってアイリーンを呼んでいるのもあるけれど、結局、夫のジミーとくっつく、というのを…。
♣R
感じ取っている雰囲気はありましたよね。
♥M
寂しいけれど、それすらもよしとしているような表情をしていたね。
好印象だった男は、夫のジミーくらいかな。
♣R
ジミーがフランキーとセックスをした後に、ピアノの部屋でごめんねと言うのは、体調が優れないのにこんなことをしてしまってごめんね、のごめんねですか?
♥M
あれは、フランキーの前で泣いてしまったことへの、ごめんねだよ(笑)。
♣R
そんな時に襲っちゃって、身勝手でごめんね…なのだと思ってました(笑)。
♥M
フランキーの前で泣くことは禁じられているから。
だから、私の中ではジミーの印象はよかった。
でも、息子はひどい。フランキーのブレスレットを森の中に投げてしまったり、遺産の話とかを平気でしたりね。
■都合よく解釈する男
♥M
アイリーン(マリサ・トメイ)が恋人ゲイリー(グレッグ・キニア)からのプロポーズを断るシーンがあるでしょう?
彼女は、プロポーズの場所がポルトガルではなかったらOKしていたかもしれない、ここには何かがある…と言ってたけれど、そこが分からなかった。
♣R
ニューヨークはごちゃごちゃしていて云々と話していたので、住んでいるニューヨークと比べると、ポルトガルは色々なものが澄んで見えるという感覚なんですかね。
♥M
でもそれだと、都会と田舎、という感じになってしまうでしょう?
♣R
たしかに。
♥M
アイリーンの恋人ゲイリーは、アイリーンに対して、結婚したらこういう生活をすればいい、君は仕事をしなくていいんだよと、言っていたけれど、アイリーンは本当は仕事を続けたいと思っているのに、どうしてそんなことが分からないのかな…。
♣R
でも、そんな人、いっぱいいますよね。
♥M
だってキャリアを積んでいるヘアメイクアップアーティストよ?
♣R
彼にとって、囲んでおくことが優しさだと思っているのかもしれないですね。
わざわざ働かないで、家にいればいいんだよ? みたいな。
♥M
そうかあ…。
♣R
ゲイリーがリスボンへ戻る話をした時、アイリーンは何故泣いたのだと思いますか?
彼の口調からすると、別れ話に対する謝罪の涙みたいな言いっぷりでしたけど、それが理由で泣いていた訳ではないような気がするんですよね。
♥M
あそこで泣いたのは、フランキーの余命が長くはないことを知ったからだと思う。
♣R
自分もそう思いました!
♥M
アイリーンはフランキーのことで泣いているのに、ゲイリーはそのことを知らないから、自分たちの別れが悲しくて泣いているんだと思っているけれど、アイリーンはそれを感じ取りつつも、まあいいや、そういうことにしておこう、と思ってる。
その気持ちはよくわかる!
♣R
男って都合よく解釈しますね(笑)。
♥M
女もそれを利用する(笑)。
■それどころじゃない
♥M
山の頂上に集まるというのは、何を表現していたのかな。
♣R
みんなで登ったのに、あっという間に降りてきましたよね。
♥M
みんなが集まってくるのを見ているフランキーの表情が、とてもよかった。
でも、集まって何かを話すでもなく、みんなで並んで、ただ帰っていく、というのがよく分からなかった。
♣R
散らばって景色を見ている感じですよね。
♥M
フランキーは、夕陽を見ながらスピーチでもしようとしたけれど、そんな気にならなくなったのかな。
♣R
例えば、ラストにフランキーが崖のところで自殺しちゃうとかいう突飛なことはなく、「THE 日常」を描いている。生も死も、恋の始まりも終わりも同性愛も全て詰め込んで、わっちゃわっちゃになっている感じはするけれど、世の中の単位で考えれば、ごく普通のことで、どこにでもあって、なんともない日常の風景なんですよね。
♥M
そう。日常の風景をポルトガルを舞台に描いている。
♣R
パンフレットの監督のインタビューには、こうあります。
「シントラは発見の町です。角を曲がった先に何があるのか予測できません。ところが登場人物たちは目に見えるものの一部にしか関心を向けていないのです。自分が見ているものについて、ほとんど話し合うことがありません。それはこの映画が表す二分性の一つです。彼らは異国の地にありながら、その土地に気をとられて我を忘れることがありません。それどころか、ほとんど気を留めることすらしません。山頂に登って、彼らは何をするのか……踵を返して戻ります。ポルトガル語で言う「ミラドウロ(展望台)」からの眺めを目にして、人生が立ち止まることはないのです。」
♥M
ポルトガルのどんな場所でも、彼らの人生にそんなに影響を与えないということね。
観光案内の人が、教会の話や、奇跡の泉の話をしていても…。
♣R
自分たちの話ばかりで、自分たちの人生を優先している感じでしたね。
旅行に来ている感じではなかったです。
♥M
そちらには引っ張られない何かがある…感受性の鈍い人を描いたとか?(笑)。
♣R
私でもそれは違うと分かりますよ(笑)。
♥M ♣R
それどころじゃない…。
♥M
人生の難しいシーズンにいる人たちを描いているということね。
♣R
そう考えると、ポルトガルの街並みのシーンとか、あれぐらいでちょうどよかったのかもしれませんね。
♥M
今の彼らにとって、ポルトガルの街並みは視界に入ってこないからね。
そう考えていくと、深い映画だった。
この後、路子さんがこの作品についてブログを書いています。
ぜひ、そちらも読んでみてください。
■「ポルトガル、夏の終わり」と精神の姿勢



