◎2本目 『たかが世界の終わり』
2025/12/04
【あらすじ】
若手作家として活躍中の ルイ(ギャスパー・ウリエル)は、自分がもうすぐ死ぬことを家族に伝えるために故郷に戻ってきた。12年ぶりの帰郷。疎遠にしていた家族(母、兄夫婦、妹)は、ルイを温かく迎えたり、冷たく接したり、それぞれの想いで彼に接する。自分の死期が近いことを伝えることが目的ではあったが、他愛のない会話や言い争いのなかで、なかなか告白できなくて……。

♥M
『たかが世界の終わり』みたいな映画を観てしまうと、本当に映画は映画館で観なきゃって思う。
良かった、この作品を映画館で観て…これDVDじゃダメだわ。
これだけの集中力で観ないと。
♣R
だいたいは、また観たいとは思ってもDVDでいいかなって思うことが多いですが…。
♥M
これは絶対劇場ね。
♣R
そうそう、ドランの映画に関しては絶対に劇場!
グザヴィエ・ドランは、映画館向けの映像を撮るのが本当に上手い。
『私はロランス』にも印象的なダンスのシーンや、主人公ふたりが練り歩くシーンがありましたが、
『たかが世界の終わり』の中に登場した、主人公の過去の思い出の「日曜日」を描いたシーンは、それらに匹敵するくらいの映像でした。
すごい集中力で観てしまいますよね。
♥M
まばたきしたら分からなくなっちゃう。
瞳のまなざしの一瞬に全てがこめられてるから、まばたきしている間に見逃したら、彼らの心情を汲み取ることができなくなっちゃう。
♣R
ものすごく疲れますよね。良い意味での疲れ。
ちょうどいい長さでした?
♥M
うん…何分くらいの作品だった?
♣R
99分です。今回の作品はあまりにもよかったので、CDもパンフレットも買ってしまいましたが、パンフレットのサイズ感がいいですよね。
♥M
取っておくのにもいいし、バッグにも入るし。
(パンフレットを見ながら…)しかもとても質がいい。
この言葉もいい。
「これが最後だなんて、僕たちは哀しいくらい不器用だった。」
♥M
これが家族が全員で会う最後なのよね。
みんなルイが死んだと聞いたら、自分は最後、彼に何を言っただろうと回想することになるわけよね。
チラシのコピーも、全部いい。
「愛されたい、愛されたい。嫌われても、愛されたい。」
「溢れるほどの愛が、手のひらからこぼれていく。」
「理解できない、でも愛してる。」
「愛が終わることに比べれば、たかが世界の終わりなんて。」
「人は誰しも、愛し、愛されたいのです。
分かり合うのは難しいけれど、いつかきっと届くはずです。」
♥M
「愛されたい、愛されたい。嫌われても、愛されたい。」
この言葉が一番響くかな。
♣R
今作はジャン=リュック・ラガルスの『まさに世界の終わり』が原作なんですね。
■美しき俳優 ギャスパー・ウリエル
♥M
りきちゃん、最初から涙してたのは、どうして?
わかるような気はするけれど…。
♣R
ドランの映画は、自分が何で泣いているのかわからなくなる時があります。
いわゆる泣けるようなシーンでなくても泣ける。
冒頭で主人公のルイが、自分の余命が短いことを家族に伝えに行くために飛行機に乗っている場面、演じているギャスパー・ウリエルがものすごく美しいですよね。
♥M
あの人って『サン・ローラン』でサン・ローラン役だった人?
♣R
そうです!
♥M
全然違う。
『サン・ローラン』の時より全然よかった。
♣R
私、『サン・ローラン』は、ただ悶える映画だと思っています(笑)。
♥M
それは、ギャスパー・ウリエルのほかに、ルイ・ガレルが出演しているからでしょう?
♣R
もちろんそうですけど(笑)。
『サン・ローラン』のギャスパー・ウリエルは、私のどこかにものすごく引っ掛かったんでしょうね。
最初から「うーん…もう!…」って悶えてしまいました。
♥M
好みってこと?
ルイ・ガレルとどっちが好き? ふたりが来たらどっち取る?
♣R
ギャスパー・ウリエル!
ギャスパー・ウリエルを最初に知ったのは、アンドレ・テシネ監督、エマニュエル・ベアール主演の『かげろう』で、この時のギャスパー・ウリエルは、まだ少年でした。
どこか影のある感じがして、すごくいい俳優だなと思っていました。
♥M
今回の映画は、主にまなざししか映さないのよね。
♣R
あまり全体を映していなかったですよね。
♥M
そうそう、陰影でね。
♣R
全体的に正面、顔のアップが多かったですね。
♥M
うん、多かった。
ギャスパー・ウリエルの横顔がすごくきれい。
あれはいいと思った。
瞳と、目が潤んでるのか、潤んでないのか、微妙なところも。
♣R
横顔もいいですよね(笑)。
ドランの作品は、たまにものすごく美しいシーンを挟んできますよね。
今回も、カーテンが風で揺れているシーンや、過去に過ごした家族の思い出の「日曜日」のシーンとか、空の青さとか。
♥M
肩車をしていたのはパパでしょう?
♣R
そうだと思います。
ああいうシーンはズルいですよ…いつもああいうシーンで私は泣かされてる。
♥M
ルイと昔の恋人との性愛のシーンとかね。
■音楽の盛り上がりの罪
♥M
パパが出てくる思い出の「日曜日」のシーンで、突然音楽が盛り上がって、無理やり引き込まれていくという「音楽の盛り上がりの罪」。
♣R
ドランの得意技ですよね。
♥M
『Mommy』の時もそうだったね。
シーンだけで意味なんて何もなくていい。
ストーリーも分からない時点で「何かがある」というのを、例えば音楽や主人公の存在とかで感じて、じわーんとするってあまりないよね。
モノローグで流れる歌の前の独白も、もちろん内容が内容なだけにぐっとくるけれど、歌だけで私も涙が出ちゃった。
飛行機のシーンがモノローグとして始まって、それから歌が流れ始める。
歌詞もメロディも、とてもよかった。
私はそこでグッときちゃって。
(Camille「Home Is Where It Hurts」という歌。直訳は「家は痛むところ」。家は安らぎの場、愛の場とは対局にある表現)
♣R
ドランの映画は、音楽の選曲が秀逸ですよね。
♥M
いいよね!!
『Mommy』の時もそうだったけれど、歌詞が翻訳でちゃんと流れてたね。
♣R
ドラン映画は、歌も重要ですよね。歌も含めて物語。
だから、言語がわからない身としては、ちゃんと字幕があって本当によかったと思っています。
♥M
台詞と同じくらい重要な意味があるからね。
モノローグのあの歌だけで、「家族」「家」というのはそういう場よね、というのが最初に提示されるし、歌声もとても切なくてよかった。
そこだけで情感が溢れてきちゃう。
♣R
どのシーンを切り取っても心に痛みが伝わりますよね。
胸を鷲掴みにされるって、本当にこういう感じなんだなって思います。
■「不器用な家族」を演じる名優たち
♥M
しかし、しかし、しかし、不器用過ぎる!
不器用過ぎる人たちばかり。
♣R
その不器用さを演じる俳優たちが本当に素晴らしかったです。
♥M
マリオン・コティヤールやレア・セドゥが出演していて…。
♣R
ギャスパー・ウリエルやヴァンサン・カッセル、ナタリー・バイも出演している。
有名な人ばかりが出演しているから、少し不安でした。
♥M
もうそれぞれにカラーが付いているからでしょう?
♣R
そうそう、名優ばかりだと、ちょっとうんざりしてしまうんですよね。
それを私、岩井俊二監督の『花とアリス』ですごく思ったんですよね。
♥M
その映画も、いろんな有名人が出演しているの?
♣R
あまりにも出演し過ぎて、そこに頼り過ぎちゃってる感じ。
でも今作は全然そういう風には感じませんでした。
♥M
全員、有名な人に見えないくらいだった。
♣R
光り輝くという感じでは…。
♥M
ない。
だから多分、俳優たちのことを詳しくない人が観たら、そんなに有名な人たちが出演しているとは思わないと思う。
マリオン・コティヤールだって全然。
♣R
どうでした?
マリオン・コティヤールもレア・セドゥもそんなに好みではないんですよね?
♥M
両方とも好きではないけれど、あまりにも抑えられているから、名もない人たちが頑張ってるくらいの感じがして、全然嫌じゃなかった。
レア・セドゥが、とてもよかった(笑)。
♣R
ならよかった(笑)。
ビッチ感や、激しさ、すごく叫ぶシーンとか、そういうレア・セドゥの演技は、前から好きでした。
♥M
クレイジーにね。
ルイのお兄さんの妻・カトリーヌ(マリオン・コティヤール)は鈍くさい感じの役柄。
執拗につまらない話をする。
何とかその場を盛り上げたくて、つまらない話を結局してしまうという、あれがよく出てたね。
♣R
マリオン・コティヤール、上手かったですね。
♥M
本当にダサく見えたから上手いのよ。
♣R
母親役のナタリー・バイも、とてもよかった。
♥M
ナタリー・バイは有名な人?
私はすごく好きだけど…髪型も似てるし(笑)。
♣R
(笑)。
知っている人は知っているけれど。日本ではそんなに有名ではないのかもしれないですね。
トリュフォーやゴダールの映画によく出演しているみたいです。
フランス映画祭でナタリー・バイの映画を割とよく観ていたので、私は昔から好きです。
エアロビのシーン好きでした。
みんなで楽しくなった瞬間に…。
♥M
ルイのお兄さんのアントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)がニコってするのよね。
♣R
そうそう、ニコって。
その後に、ルイがアントワーヌにウインクをパッって。
♥M
あそこは美しいシーンだった。
自分もニコって笑ってしまったの…私、すごくホッとしたんだなって思った。
♣R
緊迫した状況がつづくと、ああいうキラキラしたシーンが気休めになるというか、ホッとしますよね。
♥M
だからこそ際立つのよ。
あれが普通の映画の中にあっても、ふーんっていうシーンなのに…ズルいよね(笑)。
不愛想な人が笑うだけでホッとする、ということあるでしょう?
私はいつもニヤニヤしてるから、笑っただけでホッとさせるなんてズルいなって思うんだけど、それと似てる。
■家族のなかに居座る「恐怖」
♥M
ルイ役のギャスパー・ウリエルは、ほとんど台詞がなかった。
二言三言で返すと劇中でずっと言われていたけれど、だから余計に瞳の動きがあったのね。
(パンフレットを見ながら)ギャスパー・ウリエルがドラン監督との仕事について言ってる。
「今回のような至近距離での撮影では特に、顕微鏡で覗かれているのと似ていて、呼吸一つひとつ、まばたきの一つひとつをカメラが捉えてくれているという感覚は素晴らしい」
♥M
本当にそんな感じよね。
「あなたの映画は、これまで息子と母親の関係を扱ってきました。でも今回は、家族の映画ですね。あなたにとって“家族”とは何ですか? という問いに、ドランはこう答えてる。
「よくわからない。答えられないよ。家族は家族だ。家族という言葉がすべてを言い表している。それ以上のことは言えないよ」
♥M
本当ね…言えたら作らない。
♣R
ドランの作品は、お母さんがキーパーソンになっていることが多いですよね。
♥M
それがメインのテーマだったりもするでしょう?
♣R
私はそう思います。きっとテーマのひとつですよね。
彼にとって、「お母さん」と「ゲイである自分」というのは、大きなテーマで、ブレない部分ですよね。
ちゃんと自分の知っている範囲を描いている感じがします。
♥M
「知らないことは書けない」と、サガンも言っていた。
彼女は、いつも中流、上流あたりの恋愛関係ばかりで、社会の貧困とかを描いてないと言われていたけれど、私は知ってることしか書けないのよって。そこがいいんでしょうね。
主人公のルイみたいに、家族の中で一人だけ浮いてる人っているでしょう?
才能や、いろんな要素よって浮いてしまう人。
私、自分がそんな感じがするから、よく分かる。
愛していないわけではないし、家族もみんないい人たちなんだけど、誰ひとりとして同じ精神圏にはいない。
兄のアントワーヌが車の中で、「早めに空港に着いて、一人で何もせず待っていたんだ…」みたいに話すルイに対して「そういう訳の分らない話が嫌なんだよ」って苛立って言うシーンがあるでしょう? あれってきっと、訳の分からない自分に対するコンプレックスがあるから苛立つのよね。
そういうところもすごく分かった。そしてそれを言われてしまうルイ。家族の中で異物であることを再確認させられる瞬間。
♣R
だからみんな、ルイに対して恐怖を感じてるって。
♥M
そう、恐怖なの。
恐怖を感じていて、何で帰ってこないの? というのはありつつも、ルイがいないことでの平和だったり、いないことで均等が保たれてた。
そこに「異物」であるルイがポコンと侵入することで、何かが変わってしまうのではないかと恐れている。
ルイ以外の家族が、自分たちの無知さや無教養さとか、そういうものが、ルイがいることで明らかになってしまうのではないかという恐怖感はあったと思う。ルイにつまらない人間だと思われたくないという気持ちも。
ルイは、そこに存在しているだけで、そういう影響を及ぼしていてしまう人なのね。
兄のアントワーヌは、ルイの余命のこと、気付いていたのかな?
何かあるかもしれないって。
♣R
みんな気付いていたのかな…。
兄の妻カトリーヌは何かを察している感じがしましたよね。
♥M
最初から意味のある目をしている。
でもあの性格で気付くと思う?
♣R
そのあたりは最後まで描かれていませんでしたね。
ルイがカトリーヌに「しっー」っていう動作を最後にするから、なおさら分からない。
♥M
以前住んでいた家の家具が置いてある部屋で、カトリーヌがルイに「あとどのくらい?」と聞くシーンがあったでしょう?
パンフレットのストーリーを見ると、カトリーヌは「瞳の奥の何かに気づいてる」って書いてある。
♣R
ルイとカトリーヌは初対面のはずなのに、初めて会ったという感じがしなかったですよね。
♥M
(パンフレットを見ながら)「カトリーヌはその答えをルイがアントワーヌに話すことを望んでいた」ってある。
この映画の原作者は、エイズで若くして死んだって。彼の自叙伝的要素があるって。
♣R
兄のアントワーヌも何か気付いているような感じがしましたよね。
妹のシュザンヌ(レア・セドゥ)も何かしら…。
♥M
不安を感じているようだった。
♣R
でも、ルイの母親(ナタリー・バイ)だけは、そういう風には感じなかったです。
母親はわざと明るくしている感じがしました。
♥M
そうね、うん。
でも、みんな、不安を感じているのよね。
♣R
本当に「恐怖」ですよね。
♥M
不安どころじゃない、「恐怖」。
♣R
主人公も家族に対して「恐怖」を感じているし、家族も彼を「恐怖」だと思ってる。
♥M
だからみんなおかしくなってる。
みんなおかしくなることで、みんなそれぞれお前おかしいんだよ!って言い合っている訳でしょう?
♣R
そうそう。
♥M
家族って本当に難しいんだな、というのもすごく感じた。
難しくて当たり前?
♣R
難しいから、言い争いをしてしまったり、うまくいかなかったりするんですかね。
■不器用な愛
♣R
終盤で言い争いをしているシーンで、兄のアントワーヌに感情移入しちゃいました。
うちも以前、姉が家を出て行ってしまったことがありまして…。
♥M
それは結婚で?
♣R
いえ。家を飛び出してしまって。
姉が家を出てしまったので、自分は母とふたり暮らしになったのですが、姉が出てしまった分、自分が頑張らなくてはいけないという気持ちと、少しいい子でいなくてはいけないという気持ちがありました。
本当は喋らない人間なのに喋るように見せているとか、自分を作り上げているところとか、ルイを殴ろうとした時の傷ついた拳のアップのシーンにグッときてしまいました。
♥M
自分で何かにあたってるっていうことでしょう?
♣R
そうです。そういうところにグッときてしまって。
♥M
それは自分に投影してってこと?
自分に重ねたという?
♣R
それもあります。何で分かってくれないんだ!みたいな気持ちですかね。
アントワーヌはそういうことも言っていましたよね。
♥M
うん。一番理解されていないのは、もしかしたらアントワーヌかもしれない。
言葉が達者じゃないから感情表現が上手く出来なくて、結局、人にあたったり、怒りや人を傷つける言葉で嫌われちゃうみたいなところはある。
ルイは、劇作家だけあって、それを全て知性で分かってしまう。
アントワーヌのそういう部分も全部分かる訳だから、帰れって言われた時、素直にそれに従うの。
♣R
母親は子どもたちのそういう部分を分かっているのかもしれませんね。
やっぱりそこは…。
♥M
母親だから?
♣R
そうですね…母親だからなのかな…。
シュザンヌやアントワーヌが思っていることも分かった上で、母親が「ふたりの背中を押してあげられるのはあなただ」、とルイに言うシーンがありましたが、それぞれの人物の立ち位置が冷静に描かれていましたよね。
♥M
アントワーヌがルイに帰れと言ったのは、恐怖感から?
それとも家族の均衡を取り戻すため?
♣R
均衡を取り戻すというのもありそうですし、それこそ、実は真実を知っていたからなんじゃないかとも思います。
♥M
そうそう。
そうすると、「これ以上、みんなと仲良くしたところで死ぬんだから、余計な愛情を増やすな、哀しみが深くなるだけだ」ということなのかな。
♣R
ルイにこれ以上言わせたくないというか…逃げ場を作ってあげたとも考えられますね。
♥M
そう考えていくと、表面的な怒鳴り合いや悪口の言い合いがあるのに、じつは、みんなそれぞれの愛に溢れてるってこと…。
本当に表し方が不器用なのよね。
ルイが帰ってきたことに対して、全員が恐怖を感じること自体もきっと愛なの。
帰ってきたことで恐怖を感じるとか、何か言いたいことがあるから言わせなきゃ、でもそれを聞きたくないから阻止したい、みたいな心の動きは、愛情がなければきっとないのよね。
それこそ「愛の反対は無関心」という言葉があるけれど、無関心だったらまずそこまでは思えない。
♣R
妹のシュザンヌも、長い間ルイに会ってないけれど、彼に対する愛は強いですよね。
♥M
だからシュザンヌも聞き出そうとするのよ...何で今まで帰ってこなかったのに急に帰って来たの?って。
でも、やっぱり答えを聞くのが怖いから茶化しちゃう。
愛というものが基本にあるからこそ、あれほど動揺して、みんなあたふたしちゃうのよね。
みんなステレオタイプじゃないのね。
カトリーヌも、あんなに鈍臭くて、表現も下手だし、人が面白いと思っているかどうかも分からない話を永遠とするような人だから、何も勘付かないはずなのに、初対面のルイの瞳に何かを感じている…そんなところが好きだな。
人間のいくつも持っている色々な部分、こういう人は絶対こうですよ、というのがない複雑さを感じられる…。
♣R
一筋縄でいかないですね。
♥M
いかない。この人は実はこんなところがあるんだみたいな。
あれだけ怒鳴り散らしてるアントワーヌだって、ニコって笑ったりする。
原作にはいろんなシーンがあるのだろうけど、どこをピックアップして映像で残していくかというのは監督の手腕だと思う。
♣R
カンヌでグランプリ受賞したのも納得の映画でした。
これ、路子さんが好きそうな言葉じゃないですか?
「無関心な知恵より、情熱的な狂気の方がいい」
(グザヴィエ・ドラン カンヌ国際映画祭「たかが世界の終わり」グランプリ受賞スピーチより)
♥M
アナトール・フランスの言葉ね。これを拾うドラン…私が目指すところよ(笑)。

~今回の映画~
『たかが世界の終わり』 2016年 カナダ・フランス合作
監督:グザヴィエ・ドラン
出演:ギャスパー・ウリエル/レア・セドゥ/マリオン・コティヤール/ヴァンサン・カッセル/ナタリー・バイ





