彼女だけの名画

●美術エッセイ『彼女だけの名画』2:ロンドン、「ベアタ・ベアトリクス」

2025/11/10

 

 

「ほんとうに好きなこと」は「仕事」にしないほうがいい。「仕事」になった段階でそれは「好きなこと」ではなくなるから。

 進むべき道を模索していた二十五歳。悩める私に、相談相手の年上の女性はそう言った。

 それから一年後、アートサロンを設立。

 講演、執筆、そして絵画のコーディネートなど、絵に関する仕事を三年程続けた去年の夏、私はロンドンを訪れた。

 ロンドンに向かう飛行機のなかで滞在中の予定を組み立てる。まずはテイト・ギャラリー、そしてナショナル・ギャラリー、ロンドン国立絵画館も見ておかなくちゃ……、と頭をぐるぐる回転させる私に、もうひとりの私が問う。

「そこは、本当に行きたいところなの? 仕事の関係上、行っておいたほうがいいから、行くんじゃないの?」

 正直な話、次から次へと企画を考え、それを実現させるという生活のなかで、私は自分自身を疑い始めていた。

 それは四年前、相談相手の女性が言ったように、「好きなこと」が「好きなこと」ではなくなってきているのではないか、という漠然とした、でも私にとってはとても怖い疑念だったから、このロンドンへの旅が、何かを与えてくれることを私は願っていた。

 一日目の朝、黒塗りのオースティン(ロンドン・タクシー)に乗りこむ。タクシーで移動なんて贅沢、ほとんどしないけれど、昨夜空港から利用した地下鉄の雰囲気を好きになれなかったし、なんたって、オースティン。この車の姿かたちが好きだった。

 真夏のロンドン。

 パワーのない太陽のもと、どこか影のある街並みが流れる。

 ゆったりと流れるテムズ川。その大河を見守るかのように、私の目指すテイト・ギャラリーは静かに佇んでいた。

 ロンドン初日の美術館として、ここを選んだのは「ベアタ・ベアトリクス」を観るためだった。

 画家ロセッティが、恋人リジーへの鎮魂歌として描いた作品。「私が好きな絵画ベスト3」に入る一枚だ。

 この絵を観て、こころからの感動があるかどうか、知りたかった。ほんとうに私は「好きなこと」をしているのかどうか知りたかった。

 正面入り口から中央ギャラリーを進み、左へ。ラファエル前派の世界が広がる幻想的な絵画が私を迎えてくれるはず。鼓動が高まる。大きな期待感。部屋に足を踏み入れ、左の壁に目をやる。あった! ベアタ・ベアトリクス……。

 その瞬間、胸がぎゅっとなり、呼吸が止まったような気がした。

 

 至福のベアトリーチェ、という意味のこの絵画のモデル、リジーのエクスタシー。鳥がリジーにもたらすのは眠りを誘うケシの花。

……いつだったか、「まさにエクスタシーの表情ね」と画集を観てため息をついた私に恋人が言った。

「いや、手を見てごらん。力が抜けているだろう。これは魂が昇天する瞬間じゃないかな」

 彼の言葉を思い出し、絵をじっと見つめていると、リジーがふっと上方に消えていってしまうような気がした。

 究極のエクスタシーは死、なのか。

 おさまらない心臓の鼓動。私は胸を押さえ、近くのソファに腰を下ろした。そして再びリジーを観る。鼓動が落ち着くのにしたがって、今度はじんわりとしたよろこびが私をつつんだ。

 私はやっぱり、こういうのが好き。「絵」が好き。そこか生まれるイマジネーション、そして画家がキャンバスに塗りこめた魂を感じるのが好き。

 それは美術館中の人々に告げてまわりたいほどの強い想いだった。

***

「彼女だけの名画」第2回 ロンドン、「ベアタ・ベアトリクス」

絵画:ロセッティ作「ベアタ・ベアトリクス」

1996年「FRaU」の記事に加筆修正したものです。

*「テイト・ギャラリー」は現在の「テイト・ブリテン」です。

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