ポルトガル&イタリア旅行記*4日目
2025/11/06
★9/28★フェラガモ軍団のフィレンツェ、グッチガーデン「硬いプリン」の衝撃、Yが飛び跳ね、世界最古の薬局からローマを経てリスボンに至る
◾️フェラガモのイベントで賑わう古都フィレンツェ
今日は夕刻までフィレンツェ観光をしたのち、列車でローマのテルミニ駅まで行き、そこから空港専用の列車でローマ・フィウミチーノ空港へ。そこから飛行機でポルトガルのリスボンへ入るという予定。
いま、書いていて、すごく疲れそうな1日だと思う。なぜ、そのような日程を、と思う。しみじみと思う。
さて。
フィレンツェには1泊のみ。そしてこのホテルだけが朝食つきだった。ほかは朝食つきか否か選べたのだが、ここだけ問答無用だったのだ。
私たちは可能な場合はホテルでの朝食をつけない。ブッフェスタイルが多く、少食なのでなんだか損をしている気分になるというケチくささのためと、私が朝起きてすぐには食べられないからだ。
だからこの日も「もう行こうよー」というYに「まだ何も食べられないよー」とねばったりしていた。10分くらいだが。
食べられないと言いつつも、巨大なクロワッサン中心にわりとがっつり朝食をとり、部屋に戻って力づくでスーツケースに荷物をおしこんだ。特にYは昨日の戦利品があったので大変そうだった。
フロントでスーツケースを預かってもらって、フィレンツェの街に繰り出す。
Yの足取りが軽いような気がする。昨日の戦利品をさっそく身につけているからだろうか。きっとそうに違いない。今日は「グッチガーデン」に行くから、それを意識した服装なのね。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームが見えたりかくれたり。
適当に、どんな道でもシニョーリア広場に着けばいい、ということでぷらぷらと散策。フィレンツェの市庁舎ヴェッキオ宮殿前のシニョーリア広場。Yのお目当ての「グッチガーデン」はその広場に面していたからだ。
けれど、なにやら街中にスポーティーな人たちが目につく。
日曜日だから観光客が多いのはわかるけれど、スモーキーブルーのおそろいのTシャツを着ている人たちが目につく。走っている人もいるし、歩いている人もいる。カフェでお茶している人も、美術館の入り口に並んでいる人もいる。
「FERRAGAMO フェラガモって書いてあるのはわかるけど、なんだろう」
「サルバトーレ・フェラガモはフィレンツェの人だからね、何かのお祭りかな」
「命日とか?」
「いや、命日にマラソンみたいなことしないでしょ。走っていない人も多いし」
そんなことを話しながらシニョーリア広場に着いて、わあ、と思わず声をあげた。広場が人であふれている。スモーキーブルーの人たちもたくさん。
夕刻までフィレンツェにいたけれど、どこを訪れてもスモーキーブルーのTシャツを見かけたので、フィレンツェの思い出はスモーキーブルーに染まっている。
あとで調べてわかったのだが、この日、9月28日の日曜日は毎年恒例のフェラガモのチャリティイベント「CORRI LA VITA コリ・ラ・ヴィータ」の開催日だった。
CORRIは「走る」、VITAは「命」という意味がある。歩いてもいいし走ってもいいというスタイルの「非競争型スポーツイベント」。
乳がんの予防、早期発見、治療研究のためのチャリティで、10ユーロ以上の寄付でフェラガモのサイン入りのイベントTシャツがもらえる。今年の色は「ダークパウダーブルー」なのだとウエブサイトにあった(「スモーキーブルー」って表現、けっこういいセンいってるわと自画自賛)。
それで、これに参加した人は、さまざまな美術館や施設に無料で入場できて、そしてカシーネ公園がスタート地点(9時過ぎ)、ゴールがシニョーリア広場。となれば、すべて納得なのだった。
◾️きらびやかな「グッチガーデン」で懐かしさがこみあげる
さて、Yの目的地「グッチガーデン」は、アレッサンドロ・ミケーレがグッチのクリエイティブ・ディレクターをつとめていた2018年に、彼の発案で誕生した。これまでのグッチのプロダクトが展示されたギャラリー、最新の限定品のショップなどがあって、まるごとグッチの世界を堪能できる館となっている。
たいへんきらびやかだった。
アレッサンドロ・ミケーレ(いまはヴァレンティノのクリエイティブ・ディレクター)のファンのYは、ここでしか手に入らない限定品を買おうと、レターセットの前に立っていて、店員さんがとても丁寧に説明してくれていたが、私が背後から近づき、両替電卓アプリで日本円をたたきだすと「ありがとう、正気に戻ったわ」と言って、売り場から離れていた。
天井までのガラスケースに宝石のように飾られた、ものすごい数のバッグの展示が圧巻だった。
亡くなった母のことを思った。
母はなぜかグッチのバッグが好きだった。海外旅行に行くたびに買っていたし、東京に出てきたときはグッチのお店に行きたがった。
なぜグッチなの? と聞いたら、「グッチが好きなの、なんといってもグッチ」と言っていた。「あなたはブランド物、もつの嫌うからね、あげたいバッグがいっぱいあるのに」とも言っていた。
ずいぶん前、いつだったか新宿の高野フルーツパーラーの隣のだったか、グッチのお店に入ったら、赤いハンドバッグに、母曰く「一目ぼれした」。なのに「贅沢だよね、たくさんもっているし」と言って買わなかった。しばらくして、どうしても忘れがたく、いくつものお店を探したけれど在庫がなかった。「一目ぼれしたらね、そのときに買わないとなくなっちゃうんだよ」と自分に言い聞かせるように言っていたあのときの母の声が、グッチガーデン、バッグが展示された部屋で聞こえたように思った。
そうだね、すべてはそのときにしないとね。誰かに何かしてあげたいと思ったら、思ったそのときに。どこかに行きたいと思ったら、思ったそのときに。
そんなことをきらびやかなバッグのギャラリーで考えていた。
◾️「硬いプリン」の衝撃
館を出て隣接してるカフェ& カクテルバー「Gucci Giardino 25 グッチジャルディーノ 25」に入った。
テラス席がメインだからか、それとも無差別主義なのか、アジア人であっても希望したテラス席にちゃんと案内された。
私はビールをオーダー。美しいボトルに、それこそ一目ぼれした。Yは「ぜんぶ食べられないかもしれないけど、ティラミス頼んでいい?」とにこにこしている。どうぞどうぞ。
そして運ばれてきたティラミスはビッグサイズで全身グッチだった。これは人気が出るでしょう。写真に映えすぎるもの。Yはあらゆる角度から熱心に写真を撮っている。
シニョーリア広場にはたくさんの人たち。どんどん数が増えてきている。
私は広場を眺めながら、思いついたままを考えることなくYに言った。
「それにしても、あの広場には有名な彫像がたくさんあるよ? ミケランジェロのダビデ像もレプリカだけど、あるよ? 見なくていいの?」
Yが私を穏やかに見つめて、諭すように言った。
「あの広場にね、有名なスイーツ店がたくさんあるよ? 美味しいって評判のすごく硬いプリンも売られてるよ? 行かなくていいの?……って言われたらどう?(私はスイーツにほぼ興味なし)」
絶句する私にYは「そういうことなんだよ」と、じつに穏やかに諭すように言ったのであった。
私は衝撃を受けていた。
ミケランジェロのダビデ像と硬いプリンが並列で、ドヤ顔で語られたということに。そしてその内容がひどく納得できることに。
旅行中、何度か思い出しては笑うことになる、それはとても衝撃の発言だった。
◾️フィレンツェの街角で、日本からの通知にYが飛び跳ねる
カフェを出て街をぷらぷらと歩く。途中、Yが「フェラガモ美術館、行きたい?」と尋ねた。
サルバトーレ・フェラガモのこともデザイナーの言葉の本『センスを磨く 刺激的で美しい言葉』を書いたときに研究して、その真摯な靴づくりの姿勢に胸うたれたものだった。
彼は、フィットしない靴を履いているため足の形が歪んだり痛んだりすることをなんとかしたくて、人体構造を研究することから靴づくりを始めた。そして絶対にフィットしない靴を履いてはいけない、と強くうったえていた。
お店で履いてみて、とても気に入って、でもちょっと合わないな、と思ってもそのうち慣れるか、と買ってしまう行為を、それはダメダメと言っていた。「靴は履いた瞬間から快適でなければならない。店を出る時点でフィットしない靴は、永遠にフィットしない」と。
そんなフェラガモの美術館。でも私は首を横に振った。フェラガモだったらきっとスモーキーブルーのTシャツの人たちでいっぱいだろう。気が乗らなかったのだ。
そんなわけで街をぷらぷら。午後の1時ちょっと前、Yが立ち止まって言った。
「予約開始の時刻だ。ちょっと待ってて」
Yは街角にたたずんで、iPhoneを真剣な眼差しで操作している。
イタリアはサマータイム中のため日本との時差は7時間。日本はもうすぐ夜の8時。8時が「リブロアリア」からの新作、オンライン販売の予約開始の時刻なのだ。
「あーどきどきするー」とYがにこにこしながら言う。こんなとき、にこにこしてるね、というと「にこにこしてるんじゃない、こういう顔なんだよ」憤慨するので言わない。
1時になった。私はちょっとだけ案じながらYを見守る。
やがて「わあ、すごいー」という声がYから発せられて「みてみてー」と私にiPhoneの画面を差し出された。Yは満面の笑み。最高だ。そして画面には「M」マークがたくさん、つまりGメール受診の通知がものすごいスピードで流れていた。購入通知だ。
「すごいねー。バズって喜ぶところを記念撮影しよう。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂がちょこっと見える街並でね」
ということで記念撮影などをしていると、やがて「売り切れた」とYが言った。
「なんでもっとたくさん作らないの?」と知らないからこその私の無責任発言に、Yは優しく答えた。「手作りだからね、限界があるんです」。なるほどねー。
Yは飛び跳ねるように街を歩く。
いつもそうだ。
新作発表、予約開始の前はナーバスになって、マイナスのことが頭をめぐって落ちこんだり、いや大丈夫死ぬわけじゃないし、と自分に言い聞かせたり、眠れなかったり、たいへん忙しくしているのだが、予約開始が始まると、そんなのがどこかに吹っ飛んだようになる。
そんなことを何度も何度も繰り返している。
Yの仕事を支えてくれる人たちはいるけれど、そしてそのあたりはとても恵まれていると思うけれど、アイディアから経営まですべてひとりでこなしているのだ。その重圧が相当なものであることは想像に難くない。
だから飛び跳ねるようにしてフィレンツェの街を歩くYを、私は労わるような想いで眺めていた。
◾️世界最古の薬局「サンタ・マリア・ノヴェッラ」での意外な出来事
列車の時刻までちょっと時間があるから世界最古の薬局に寄りましょう、ということで私たちはホテルに帰る途中にある「サンタ・マリア・ノヴェッラ」に向かった。
800年以上の歴史をもち、現存する世界最古の薬局と伝えられている「サンタ・マリア・ノヴェッラ」。
日本にも店舗はあるのだが、香水、コスメ、さまざまなプロダクトが本店でどのように展示販売されているのか「リブロアリア」代表としては見ておきたいところなのだろう。
この薬局は1216年、ドミニコ修道院が創設されたときに作られたものだ。
この修道院は心だけではなく体の救済も重要な教義ととらえていて、庭園で薬品として使えるハーブを栽培していた。ざっくりだけど、それが始まり。とにかく歴史がある薬局で、いまや人気のコスメブランドになっているという理解でよいかと思う。
そしてここにもスモーキーブルーのYシャツの人がたくさん。そんななか、私たちは美しい店内を見て回った。気に入ったものがあれば買って帰る、と言っていたYだが、これといったものには出会わなかったようで、「このデザインは……」「香りが……」「この展示の仕方って……」などとぶつぶつ言いながら回っていた。
私も軽く店内を見て回って、「そろそろ出よう」と出口に向かったとき、その絵があった。
これは思い返してみても、私にとってちょっとした出来事、そこからちょっとしたことを考えさせられた出来事だった。
出口付近の、最後の部屋に飾られていた一枚の絵。
その絵の前に立った瞬間、とっさに私は「あ。なんちゃってフラ・アンジェリコだ」と口にしてしまった。
ルネッサンス期の画家フラ・アンジェリコの「受胎告知」は、35年くらい前、フィレンツェのサン・マルコ修道院でその美しさに感動したフレスコ画。雑誌の美術エッセイで取り上げたこともある、私にとってはたいせつな絵の一枚だった。
その絵を模したものが、なぜこのような由緒ある場に、こんなにたいせつそうに飾られているのだろう。なぜここに、なんちゃってフラ・アンジェリコがあるのだろう。頭が疑問符でいっぱいになったが、すぐにその謎は解けた。部屋の隅にその絵の説明があったのだ。
……ホックニー作だった。イギリスの画家デイヴィッド・ホックニーによる《受胎告知2、フラ・アンジェリコに寄せて》(2017)。
ですよね。
と納得。
したあとに自分の審美眼のなさに絶望した。そして自分のアート離れを実感した。あんなに夢中になっていたのにね。執筆の始まりは絵画がテーマだったし絵画の本も出したのにね。
審美眼のなさへの絶望はいまに始まったことではないから流せるし、アート離れもいまに始まったことではないから、何度目かの実感ということになる。
けれど、それがとても怖かった時期もある。夢中になっていたことが終わってしまったのではないかという恐れだ。
けれど、年月を経ていまは、それが終わったのではないということがわかる。わかる、なんて言いきるとふてぶてしいけれど、だんだん、そんなふうに思えるようになってきたということ。
それらは私のなかでいろんな形で、いろんな匂いをもって蓄積されているのだと。
そして私は「ロンダニーニのピエタ」のときもそうだったけれど、作者への個人的な想い入れ、そしてその作品に出会ったときの私自身の「記憶」がたいせつなのだと。
だから一度、とても感動したときの「記憶」が台無しになるような想いをしたくなくて、傑作が日本に来ているときも、そして今回のように芸術作品であふれているフィレンツェにいても、あの絵をもう一度、とはならない。
そう、記憶。あのときのあの想い。見たこと感じたこと。それが好き。
そんなことを世界最古の薬局の一室で想った。
帰国後調べてみたら、サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局にホックニーの作品が展示されたのは9月26日から。なんと私が訪れる2日前のことなのだった。
画家フラ・アンジェリコもドミニコ修道院の人だった。そして薬局もドミニコ修道院発。ドミニコつながりがまずあって、そこに現在活躍中の画家ホックニーがフラ・アンジェリコの代表作を彼なりに解釈した絵を飾ることで、過去と現在、伝統と革新を結びつける、そんな意図があったのだった。
*フラ・アンジェリコの「受胎告知」についてのかなり昔のエッセイはこちらに
◾️フィレンツェからローマを経てリスボンへ
夕刻、ローマへの列車に間に合うようにホテルに帰る途中、ジェラートを食べながら歩いた。
イタリアはおしまいでこれから念願のポルトガルだ。「イアリアに行ったのにジェラートを食べなかった」という苦情を避けるために私はYにジェラートを食べさせることにしたのだった。ミラノでは寒くてジェラート気分ではなかった。
私が提案すると「ちょっとでいいんだよね、全部は食べられないから……いらないよ」とYは言った。
けれど、なんとしても食べさせなければという強迫観念みたいなものがあったのか、私は言った。
「大丈夫、私も食べたくなってきた!」
「ほんと? じゃあ、買う!」
ということでジェラートを買ったのだった。
前言通り「ちょっと」食べたYが私にカップを渡した。私は一口だけ食べてカップをYに返した。
「もう食べないの?」
「うん。私がアイス好きじゃないの知ってるでしょ」
「えー。嘘ついたんだ、私にジェラート食べさせないとうるさいと思って、嘘ついたんだ」
その通りである。
ジェラートをYは全部食すことができず、「無理に食べた」のち、残りをナイナイした。
Yはこの件を根にもち「ジェラート詐欺」と名づけて、いまもねちねちと私を責めている。
ホテルに戻ってスーツケースを受け取り、フィレンツェの駅へ。
そこから狭い座席に横並びになって座り、背中が進行方向という気持ち悪さと、大声で電話をし続ける近くの乗客に耐えた2時間半後、ローマのテルミニ駅へ到着した。
ものすごい人混みのテルミニ駅でフィウミチーノ空港までの専用列車のチケットを買おうと試みるが長蛇の列。優秀なYがその場でオンラインでチケットをゲット、列車に乗りこんだ。
その列車はスーツケースと人間とでぎちぎち。私たちは運良く座れたが座席が狭く、前の人と膝が重なり合うようなそんな席だった。体を微動だにできない状態に30分辛抱して空港に到着。
空港での出来事としては、Yの着替えが印象的だ。
グッチガーデンに行くために、戦利品を身につけていたYだが、空港に到着したら「LCC仕様に着替える」と言いだした。
「じゃあトイレを探さないとね」と私は言った。けれどトイレは遥かかなたにあるようだった。「しょうがない、行くしかないね」と私は言った。行くしかない。
歩き出した私をYが止めた。「大丈夫、ここで」
何が大丈夫なのだろうか。たしかに広い空港の隅っこに私たちはいた。背後に閉鎖中のカウンターがあった。
おもむろにYがしゃがみこんでスーツケースを開いた。そしてそこで……着替えたのであった。見苦しくないように工夫はしていたけれど、着替えは着替えだ。私は呆然とそのようすを眺めていた。この子の親はどんな教育をしてきたのだろう、と思わずにはいられない出来事だった。
さて。動きやすい服に着替えたYは軽やかに歩き、私たちはチェックインを済ませ、空港のレストランで私はリゾット、Yはチーズとトマトのカプレーゼを食べた。とてもおいしかった。ワインもね。
35年前のローマに想いを馳せたかったが疲労のため思考停止。
LCCなので搭乗口は延々遠く、飛行機はぎちぎちで座席もとても狭く(贅沢になっている)、私は眠れず、きつい3時間だった。
途中、機長のアナウンスが突然始まったので、ぎくりとしたが、乗客の誕生日のお祝いだった。みんな拍手をしていた。またしばらくしてアナウンスがあった。今度は結婚のお祝いだった。みんな拍手をしていた。歓声もあがっていた。
今回のイタリアでは以前来たときに感じた「陽気さ」を感じることがほとんどなかったけれど、最後の機内でちょっと感じることができた。
爆睡しているYはしるよしもない出来事。
無事にリスボンのウンベルト・デルガード空港に到着。22時近い時刻だった。リスボンはタクシーが安いと事前に喜んでいたので、ホテルまでタクシーで向かった。
ホテル「フェニックス・リスボン」にチェックインし、当然、ふたりとも瞬時にベッドにしずんだ。
しずみながら思った。
私、念願のポルトガルに着いたんだ。







