◎66本目『異邦人』
2026/03/09
【あらすじ】
舞台は第2次大戦前のアルジェ、会社員のムルソーは母の訃報を受け取る。遺体安置所では遺体と対面もせず、埋葬の場でも涙を見せない。
翌日、偶然再会したマリーと海水浴に行き、映画を見て一夜を共にし、楽しいひとときを過ごす。
その後友人とトラブルに巻き込まれ、預かったピストルでアラブ人を射殺してしまう。
「太陽がまぶしかったから」という以外、ムルソーに理由はない。裁判所の法廷では殺害そのものではなく、ムルソーの人間性に焦点が当てられる。
そしてムルソーは死刑を宣告される……。
*ノーベル賞作家カミュの作品をイタリアの名匠ルキノ・ビスコンティが映画化。
主演はイタリアの名優マルチェロ・マストロヤンニ、主人公の恋人役はアンナ・カリーナ。
1967年に公開されたものの、権利関係やらなんやらでソフト化されずに「幻の作品」となっていました。今回デジタル復元版、イタリア語バージョンが公開されるというので映画館で観てきました。

♣R
原作に忠実でしたね。
♥M
地の文を結構使っていたね。
思っていたよりもよかった。
♣R
物語の入りが違うくらいですかね。
♥M
逮捕のシーンから始まったからね。
それでも有名な台詞「きょう、ママンが死んだ。」も始めの方に使われていたし、最後もほとんど忠実。
あれだけの文学作品だと、ヴィスコンティでも原作に寄っちゃうのね。
♣R
映画館にヴィスコンティのインタビューが貼ってありましたけど、「カミュの作品に手を加えることはできない」と、書いてありましたよ。
♥M
全然変えてないもの。公開当時もあまり反論はなかったと思う。
♣R
アラブ人が出てくるシーンのところだけ、ちょっと艶かしい感じで、やたらと美しくエロティックに描かれていませんでしたか?
♥M
悪そうな人たちには見えなかったね。
もっとゴツい感じかと思っていたら、少年みたいだったもの。
やっぱりヴィスコンティが監督だったからかな。
♣R
監督の好みですかね(笑)。
ヴィスコンティというと『ヴェニスに死す』のイメージがあるので、妖しさとか、美しさみたいな描かれ方をするのかと思っていましたが、アラブ人のシーン以外はそんなこともなく、割とテンポもよかったですよね。
♥M
音楽の使い方も王道だった。
■ ムルソーの雰囲気にはマストロヤンニ

♣R
ヴィスコンティのインタビューか何かに、ムルソー役はアラン・ドロンを想定していたと書かれていました。でも、ムルソーの雰囲気にはマストロヤンニの方が合っているからということで起用されたみたいです。
♥M
アラン・ドロンには知的な感じはないからね。
『モンパルナスの灯り』のジェラール・フィリップでもいいと思った。
♣R
ジェラール・フィリップはコクトーの映画とかにも合いそうですね。
♥M
うん、本当に美男子。彼の出演している『赤と黒』や『危険な関係』も好き。
それにしても、若い時のマルチェロ・マストロヤンニはかっこいいね。
♣R
何歳ぐらいですかね。そんなに若くないですよね…『異邦人』が1967年で、マストロヤンニが1924年生まれなので、43歳くらいですね。
♥M
ドヌーヴとの共演は?
♣R
『ひきしお』は1972年、『モン・パリ』は1973年ですね。
♥M
『異邦人』の5年後くらいなのか。『モン・パリ』の方が若く見えた。
アンナ・カリーナは、後半の裁判のシーンはイマイチだったけれど、ムルソーと出会った頃はとてもよかった。
♣R
原作のイメージから、もう少し大人っぽい人物を想像していました。
♥M
明るすぎた?
♣R
料理を作っているシーンもわあわあしている感じでしたね。
あとマストロヤンニの水着は変でした(笑)。
♥M
絶対に、りきちゃんは反応して、笑いを堪えているんだろうと思っていたから、気が気じゃなかった(笑)。
♣R
『ヴェニスに死す』の時もこういう水着でしたが、こんなにスクール水着感はなかったですよね。
♥M
かろうじて胸を隠しているような感じだったし、似合っていなかった。
ヴィスコンティの趣味なのかな。
■想像していたムルソー像
♣R
原作を読む限り、主人公のムルソー(マルチェロ・マストロヤンニ)は、もっと笑わない人かと思っていました。
♥M
私も初めて原作を読んだ時のムルソーのイメージは、暗くてムッツリしたイメージだった。
でも最近読み直したら、陽気に騒いだり、楽しく過ごしているように描かれているから、暗いイメージではないのかもと思い直して。だから映画のムルソーに違和感はなかった。
もし厭世的に嘆いているような人として描かれていたら違っていたかもしれないけれど、普通の人のように描かれていたからこそ、カミュが言いたかった不条理さが際立つのかもしれない。カミュは不条理さを描き出すのが、本当に上手い。
アラブ人を殺した裁判なのに、母親の葬式で涙を流さなかったということが彼の人間性と判断され、死刑になってしまうでしょう?
娘に冗談で話したことがあるの。「親の葬式で涙を流しておかないと、罪を犯した時に不利になるよ」って。
♣R
とりあえず顔を見て…。
♥M
そうそう、顔を見て、コーヒーを出されたら断り、タバコは吸うなと話しておいた。
冗談でそう言いたくなるくらい、不条理な話だもの。
♣R
他の人からしてみれば普通ではないということですかね。
♥M
そうね。
でもレストランの人とか、犬のおじいさんとか、彼の考えに寄っている人もいるでしょう?
♣R
ムルソーの本質を見ている人は、ちゃんと見ていますよね。
♥M
そうなの。
検事や司祭もムルソーの本質には迫っているものの、それがあまりにも自分の世界とズレているから許せない。
私たちは、現代の日本人だから、神がいないというのも分かるけれど、あの時代だし、しかもフランスがアルジェリアを占領していたから、支配層がカトリックの世界だったはず。
だから神を信じている人からしてみれば、神を信じていないということだけで犯罪だよね。
■ 何も感じなかった

♥M
裁判のシーンを映像で見ると、本で読むよりも、何とも言えない嫌な感じがより伝わってくる。
ムルソーは、検事がわぁって言えば言うほど、他人事に聞こえていたのかな。
最終的に「殺すつもりはなかった」と、事実しか伝えられなくなるような感覚が分かった。
♣R
ムルソーは自分に正直と言うか…嘘をつかない人ですよね。
弁護士に、母親が亡くなった日は感情をおさえつけていたと証言するよう言われた時も、「言えない。それはうそだ」と、はっきり断っていましたよね。
♥M
ある意味、極端な人…十字架を振りかざしていた警察の人が、ある一方の極端な人だとすれば、ムルソーはその反対側の極端な人。
「それはうそだ」と言った時の気持ちというのは、正義感よりも、それのどこがいけないのかという、そぼくな疑問。自分の行動への罪悪感もない。
♣R
母親の葬式で泣かなかったのも、全てがその考えによるものですよね。
♥M
マリイ(アンナ・カリーナ)に、愛しているかと聞かれた時も、「それは何の意味もないことだが、おそらく愛していない」と言ってる。
僕はこういう風に生きたいというものではなく、それが当たり前で、そう答えるところのどこが悪いんだろうくらいに思っている。
♣R
そしてそれを人には強要しないですよね。
♥M
そうなの。そこがいい。
♣R
神父とかは自分の考えを強要しがちですよね。
極端な話、あの当時は、親が死んだ時に泣かないのはおかしいという考えが当たり前だったということですかね。
悲しさを通り越すと…。
♥M
無感覚になる。
でもムルソーは感情を殺していたわけでは…。
♣R
ないですよね。
♥M
そう。そこが他の人には理解されないところ。
泣かなかったという事実があったとしても、あまりの喪失感で無感覚になっていましたと証言をすれば情状酌量の余地があった。でもムルソーは何も感じなかったと答えた。
犬を飼っているおじいさんが、ムルソーとお母さんはまるで違うタイプだったと証言していたけれど…。
♣R
一緒にいても会話もない関係性ですよね。
♥M
そう。でも、母親が亡くなったら、「適当にやってください」なんて言わず、お葬式にも行くし、ちゃんと働いてもいる。
そのあたりの社会性は持っているの。
殺す時の感覚も何となく分かる。暑くて…。
♣R
朦朧としてしまい…。
♥M
日射病みたいな感じだね。
「偶然」という言葉が何回か使われていたけれど、色々な条件がピタッと重なって起こったことだから、条件が重なれば誰でもムルソーになり得ると思う。
■司祭の役割

♥M
私は、「世界の優しい無関心に、心をひらいた」というラストシーンがすごく好き。
ムルソーが初めて死というものを受け入れた時に感じた言葉なのだと思う。
カミュのキーワードでは「不条理」が有名だけれども、「優しい無関心」もひとつのキーワード。
♣R
自分は、司祭が去った後にする、ムルソーの自問自答が好きです。
『異邦人』の解説によると、ムルソーが最後に語る言葉は、「わがことすべて終わりぬ(ヨハネ福音のみに見られるイエス・キリストの臨終の言葉)」という文句によるものらしく、この言葉もカミュのキーワードらしいです。
※戯曲『カリギュラ』、小説『転落』の主人公にも同じ言葉を呟かせていて、評論『シシュフォスの神話』でもそのことに言及しているみたいです。(※翻訳によっては、違う言葉で表現されている場合あり)
♥M
ラストのムルソーの心境を考えると、司祭の役割はちゃんとあったと思う。
♣R
司祭への怒りがあったからこそですよね。
♥M
ばぁーっと、ぶつけてね。
♣R
ムルソーは感情の浮き沈みというか…気持ちがわぁっとなって、すぐに落ち着きを取り戻すみたいなのが多いですよね。
♥M
裁判の落ち着きからすると、死刑が決まった後に呼吸が早くなったり、眠れなかったりするのも意外だった。
♣R
感情が爆発するほどではないけれど、繰り返しそういった場面が描かれていますね。
■自然礼賛な原作者 アルベール・カミュ
♥M
今、カミュの本を揃えているところで、ちょうど中条省平の『アルベール・カミュ:果てしなき不条理との闘い」(NHK「100分de名著ブックス)』を熟読しているところ。伝記映画も観たりしているのだけれど、カミュはアルジェリアで育っているから、それを抜かしては話ができない。
『異邦人』もアルジェリアの首都アルジェが舞台だけれど、アルジェは海がきれいだし、アフリカだから太陽の日差しが強い。
♣R
ずっとみんな暑そうでしたよね。
♥M
そうなの。冷房もない時代だからね。あの「暑さ」は大事な要素なのだと思う。
『カミュの手帖』を読んでいると、いかに自然が好きかというのが伝わってくる。メモ書きの中には、『異邦人』でも描かれているような、太陽の輝きの中での女性の美しさや、海についても書かれている。
カミュは暗いイメージがあるけれど…。
♣R
生命力にあふれた人だったんですかね。
♥M
自然礼賛みたいなところはあったと思う。
実存主義としてサルトルと一緒にされてしまうことが多いけれど、それは違って、サルトルの方がジトっとした閉ざされた空間の中で色々なことが起こるのに対して、カミュはアルジェリアの太陽の光や風を感じられるから、ふたりは全く違うと、中条さんが書いていた。
今日の映画でそれはすごく感じられた。
♣R
登場人物がいきいきとしていますよね。
♥M
そうなの。
だから逆にそういったところで育ちながら、よくこんな思想を生み出せたなと思う。
暗い国の方が人は考えると言われているけれど…貧乏だったということも影響しているのかな。
♣R
解説で読みましたが、カミュはこう書いていました。
「私の少年期を支配していた美しい太陽は、私からいっさいの怨恨を奪いとった。
私は窮乏生活を送っていたが、また同時に一種の享楽生活を送っていたのである。
私は自ら無限の力を感じていた。……この力の障害となるのは貧困ではなかった。
アフリカでは、海と太陽とはただである。
さまたげになるのは、むしろ偏見とか愚行とかにあった」
♥M
サルトルはブルジョアの中で育ったけれど、カミュは貧乏の中で育った。
身をもって貧乏というものを経験しているし、それは自伝的な小説『最初の人間』という作品の中でも描いている。
そういえば、カミュの伝記的な本に、私の好きなハンナ・アーレントが好きだという記述があったの。交流もあったみたい。
サガンはカミュの本で救われているし、自分の好きな人同士が繋がっているのが嬉しい。
最近、ブログを読んでくれたお友達が、哲学者のシモーヌ・ヴェイユと私が同じことを言っていると教えてくれてね。彼女は30代半ば頃に亡くなっていて、亡くなった後に著作がベストセラーになった人。
名前は知っていたけれど、難しそうで素通りしてた。
でも、そのお友達が写真で送ってくれた『重力と恩寵』のページを読んでみたら、そこに書かれていることが好きだったから、読んでみようかと思っていたの…そうしたら、そのカミュの伝記の本にシモーヌ・ヴェイユも好きだったと書いてあったから、繋がったと思った。
読む運命にあるのね。
♣R
どんどんと色々なものが好きになりますね。
♥M
哲学は難しいし、翻訳が難しいのもあるけれどね。
♣R
翻訳によって結構左右されますよね。
♥M
全然違う。そもそも哲学は学者が翻訳をしていることが多いし、言い回しが難しい。
♣R
自分が読んだジョルジュ・バタイユの本は、中学生の訳みたいでしたよ(笑)。
♥M
澁澤龍彦ではなく違う人の?
♣R
違う人の翻訳でした。
♥M
原文を知らなくても、これ少し違うような気がすると思う時はある。
原語を理解することと、それを日本語で表現することは、まるっきり違う作業で、美しい翻訳には、原語への理解と日本語学のふたつの才能が必要。
私は、中田耕治先生を通して翻訳というものを知ったのだけれど、翻訳者を好きにならなければ、外国の文学に肌感覚で触れるのは難しいと思ってる。


