◎81本目『旅人の必需品』
【あらすじ】
ソウルを旅するフランス人女性イリス(イザベル・ユペール)は、生活費のためにフランス語の個人レッスンをしているが、かなり風変わりな教え方なので生徒たちはとまどいをかくせない。
レッスン後は年下の男友だちが待つ部屋へと帰ってゆく…。

♥M
撮影日数は短いのかな?
♣R
絶対に短いですよ。
♥M
アドリブ感があったね。
♣R
ホン・サンスの撮影方法は、たしか台本がなくて、当日にメモを渡されて演じているんですよね。
♥M
だから自然なやりとりに見えるのかな。
同時に話しちゃった、みたいなのがそのまま映し出されてる。
♣R
フランス映画祭で私たちがユペールを見た時、髪の毛をいじっていたり、呼ばれているのに気付かなかったり、ちょっとぽやっとしてる感じがありましたよね。
そういう素の部分みたいなところが、そのまま人物像として描き出されている感じがしました。
♥M
ちょっと浮世離れしているというか、ポケ―っとしているというか。
♣R
フラフラどこかに歩いて行っちゃうみたいな。
ホン・サンス映画の中のユペールは、そういう雰囲気の役柄が多いですよね。
当て書きで作られている部分もあるのかもしれないですね。
■ホン・サンスは衣装係

♣R
ユペールの花柄の衣装が印象的でした。似合いますよね。
♥M
あの衣装がユペールという感じがしちゃうもんね。
♣R
ユペールが一人芝居『Mary Said What She Said』の上演のために来日していた時、『旅人の必需品』のトークイベントをしたみたいなのですが、その時の記事にこんなことが書かれていました。
「ホン・サンス監督の他の作品でも、『こんなのはどうですか?』って自分の衣装の写真を撮って監督に送るんです。
『旅人の必需品』のときは、まだ考えがまとまっていなかったので、ソウルに行く前にスーツケースをいっぱいにして行こうと思っていましたが、夜のフライトまで時間があったので、近所を歩いていたらブティックがあって、そのショーウィンドに花柄のワンピースがあったんです。
試着して写真を撮り、監督に送ったら『これだ!』と。
そしてグリーンのカーディガンも同じように送ると『パーフェクト』。
まだソウルに行く前に、監督と連絡を取りながら衣装が決まったんです。
その後、帽子だけはキム・ミニさんと一緒に買いに行きました。
♥M
たしかに鮮やかなグリーンのカーディガンと花柄のワンピースの組み合わせ、よかったね。
♣R
「直感!」 みたいな感じで決まるものなんですね(笑)。
そういえば、他のインタビューでは、ホン・サンスの映画作りには衣装係がいないという話がありました。監督自ら衣装係も兼任しているんですね。
■深く掘り下げない人種

♣R
路子さんはどんなことを思いました?
♥M
夫婦にしても親子にしても、みんなそれぞれに関係性を大事にしている…大事にしているのは否定しないけれど、へんに均衡が保たれている関係というかんじもして、そういう関係性って、なにか本質的なものを突きつけられた時に崩壊するのはたやすいんじゃないかと思った。けれど、崩壊せず続いていく感じが、なんともいえなくて。
たとえば、2番目の生徒ウォンジュ(イ・ヘヨン)とウォンジュの夫(クォン・ヘヒョ)と3人での散歩のシーン。
夫が詩人の石碑の前で丁寧なお辞儀(クンジョル)をした時、主人公のイリス(イザベル・ユペール)が「何を感じた?」ってウォンジュに尋ねると、「哀れ」と答える。
けっこう衝撃だった。夫を哀れだと思う妻と妻に哀れだと思われている夫…
そこを掘り下げていったら、夫婦関係は崩壊すると思うわけ。でも崩壊しない。
そもそも、そういう事を深く掘り下げない関係だから、夫婦関係がうまくいっているという理解もできる。
ウォンジュはひどいことを言ったという自覚がないのかな?
ただ単純に「哀れ」だと答えているだけ?
♣R
フランス語のレッスンの質問の一環だから、ポンっと答えてしまったとか?
♥M
ああ、なるほど、人生相談とかではないから、答えやすかったのかな。
♣R
返答しやすい言葉を選んだ可能性はありますね。
そもそも母国語ではなく、英語を使って説明をしなくてはならないから、自分の感情を英語で表現するスキルが不足していますよね。
その中で、「幸せ」とか「哀れ」のような、強烈でわかりやすい単語を使って説明をしただけなのかもしれないですね。
細かく感情を表現できないことに対して、もどかしさを感じる人もいますが、この夫婦は、そういったもどかしさを感じたり、もどかしいから、上手くできるように頑張ってみようという意欲を持つような人たちではなさそうですよね。
■それは諦めているから?

♣R
返答をしないといけないのになかなかうまく返せない時、初対面の男女がふたりきりになった時、誰かに何かを疑われている時…、そういった日常生活の中にある「気まずさ」を作品全体に感じました。
♥M
観ていて居心地が悪かった(笑)。
すごくとげとげしくやり合っているわけでもなく、会話を運ぼうとしているし、その場をちゃんと過ごそうとしているけれど、どうにも合わないのよね。沈黙も怖がってるし。
♣R
心地のよい沈黙ではないですからね。
♥M
そう。居心地の悪い沈黙だから、意味もなく笑ってみたり…。
♣R
適当に相手が持っているボールペンについての話題を振ってみたり。
♥M
でも深い話には入っていかないという…。
そんな人たちのなかで、イリスは、深いところから色々なことを考えられる人だと思った。
♣R
異国の人として描かれているので、フランス人の特性もあるのかもしれないですね。
♥M
そうね。個人の内面、感情というものを重視する感性。
イリスの「何を感じたか」「他に何を感じるか」という質問に、答えられない生徒たちが描かれていたね。
イリスは、そういう質問に答えず、はぐらかすような態度をとられても、まったく平然としてる。あれは彼女がそういう性格なのか、それとも諦めなのか…
私ならイラっとするというか…分かり合えない、この人たちはこういう人種なんだろうな、って思うかもしれない。以前に比べればイラつきは減ったけれどね。
彼女の背景はいっさい明かされていないけれど、知り合いもいないのに韓国へ来ているわけで、複雑な過去がいくつもあって今に至っているのだと思うの。
だからそういう経験をしたことで、自分は問いかけることをするけれど、相手からそれが返ってこないとしても、何も思わなくなったのかもしれない。
♣R
個人レッスンのフランス語教師だからそう思っているのか、元々の彼女の本質なのか、複雑な人生を歩んできたからそう思うのか、韓国に来てからそう思い始めたのか…見方によって全然違いますね。
◾️友達以上?

♣R
イリスはそんなに感情を出すような人ではないのかなって思っていましたが、後半に出てくる青年イングク(ハ・ソングク)に対しては、真逆な態度を取っていましたよね。
イングクの前では表情豊かに笑うし、誰が見ても彼のことが好きなんだ、というのがわかるくらい、すごく好きすきモード全開でした。
♥M
イリスが「友達として?」と聞くと、イングクに「もちろん」と言われてしまうのにね。
♣R
2回も(笑)。
でも、イングクと彼の母親(チョ・ユニ)の会話を聞いていると、彼もイリスに対しては、友達以上の感情を持っているように思えますよね。
ラストこそ「友達として」という風に描かれていましたが、今後、関係が発展していく可能性も感じられました。
彼の母親が突然訪問してきた時にも、母親の混乱を避けるためにフランス語の教師だと説明すればいい、というイリスに対して、彼はそういう風には説明したくないというようなニュアンスを持っていたり、出かける彼女を引き留めようとしたりしていましたよね。
彼女のことをただの知り合いではなく、大切に想っているように感じました。
♥M
イングクは、まだ自分でもその感情がなんだかわからないのかもしれない。
あまりにも歳が離れているし、言葉もかよっていない。
けれど、どこか深いところで共鳴しているものがあるのを感じている。
今はそれを大切にしながら一緒にいるけれど、それが男女の恋愛なのかどうか、イングクは「まずあり得ない」というところから入っているのだと思う。
だからよっぽど何かが動いていかないと難しいよね。
イリスなら強気に迫っていくと思うけれど(笑)。
♣R
結構、強引さがありましたよね(笑)。
♥M
フランス語の教師を仕事にすることを薦めたのはイングクよね?
♣R
何もしないでプラプラしていたイリスをイングクが見つけて、話している中で、何もすることがないならやってみれば? くらいの提案ですかね。
♥M
ウォンって日本の金額で換算すると半分ぐらいなんだっけ?
♣R
ゼロの桁が一個減るんです。
10万ウォンだったら、日本円でだいたい1万円くらいですかね。
イリスは「今日一日で20万ウォン稼げたの。あげる!」なんて言っちゃって…完全にイングクに貢ぐ女みたいな感じでしたよね。
♥M
結局、レッスン2回分だから、1回のレッスンで1万円ずつもらったということよね。
♣R
結構いい値段をもらっていますよね。
だからウォンジュは「私のお金を奪う」みたいな嫌味な言い方をしていたんですかね。
まあ、生きたフランス語を教えてもらえますからね。
■風変わりなイリス

♣R
イリスは自由な人ですよね。
そのへんの小川に足を入れたり、リコーダーを吹いたり、外で寝ちゃったり…。
♥M
かなり風変りな人。
一番おかしかったのは、イリスがウォンジュの夫とふたりきりになった時のシーン。
イリスがわざとらしい笑い方でウケちゃった。
でもその時に彼の肩に手を置いたりして、ちょっと女を出している。
♣R
ちょっと意識してるのかな? って思ってしまいますよね。
♥M
くねっとしてアハハと笑うのも、肩に手を置くのも、媚態を感じた。
イリスはそういう部分も持ってるのね。
ウォンジュの夫もまんまとイリスに惑わされて…。
♣R
お酒を飲みすぎてしまう(笑)。
♥M
イリスは、こういう風にしなくてはいけないということが何一つないのか、それとも期間限定でプラプラしているのか、そういう背景も全然分からなかったけれど、期間限定感はなかった。
とはいえ、なぜ韓国? 昔の恋人が韓国にいたのかな?
♣R
何かあってとか、何かから逃げてきた、トラウマがある、という感じはしなかったですね。
トラウマほどではないですが、楽器を誰かに演奏されると、逃げるようにして煙草を吸いに行くとか…。
でもイングクの演奏にはちゃんと耳を傾けて、励ましたりするんですよね。
人間関係の違いによってコロコロ変わりますね。
♥M
文学を愛する人だということはわかったかな。
最初のレッスンでも本の話をしているし、詩を書いているイングクを励ましている。
♣R
作中に「詩」が何回か出てきましたね。
♥M
若くして日本の刑務所で亡くなった詩人のね。
実在の人物なのかな?
♣R
尹東柱(ユン・ドンジュ)という詩人みたいです。
※尹東柱(ユン・ドンジュ)
韓国の国民的詩人。
太平洋戦争の1942年に立教大学文学部英文学科で学んだ後、京都帝国大学西洋史学科を経て同志社大学文学英文学科に編入学。
在学中もハングルでの詩作活動を続けたが、思想犯として治安維持法違反容疑で逮捕され、1945年2月16日、福岡刑務所で27歳の若さで獄死した。
作品中に登場する「尹東柱詩人の丘」と「川を渡って森へ図書館」には、尹東柱の詩が刻まれた詩碑がある。
■「誠実に生きる人」と「精一杯生きている人」

♥M
ラスト、イングクに「帰ろう」と言われた時、イリスは「それって私の家?」と、言っているから、おうちは欲しているんだろうね。
♣R
念を押すように言いますもんね。
「自分自身の家」という感覚なのか、「イングクの家」に帰るという感覚なのか…。
♥M
家賃半分払ったからね(笑)。
♣R
そっちの意味でした?(笑)。
♥M
いやいやいや、違うと思うよ(笑)。
♥M ♣R
私たちの…。
♥M
居場所。
♣R
日常生活は難なくこなしているように見えましたが、イリスはかなり重そうな女ですよね。
♥M
かなりね。
ユペールが演じているから、私たちはすごく好意的に見てしまうけれど、知らない俳優が演じていたら、あんなに歳が離れているし、鬱陶しい女だと思うかもしれないね(笑)。
♣R
ユペールをかわいいと思っちゃいますもんね(笑)。
ホン・サンスの作品だからという見方もできますよね。
嫌な人でもあまり嫌な感じに映らないというか…。
♥M
嫌とか嫌じゃないとかの視点がないからね。
♣R
でも重い女には見える。
♥M
イングクと夕飯の話をしている時、「あなたの作ったパンが好き」と、ずっと言ってたね。
♣R
そんなにねだられたら、韓国料理の食生活から、パン生活に変化しますよね。
でも、イングクはそれでもいいと思ってますよね。
♥M
「そんなの食べ物じゃない」と、お母さんが怒っていたものね。
お母さんの手料理を「美味しい」と言いながら食べていたけれど、本当に美味しいと思っていたのかな?
♣R
本当に美味しいと思っていたのか、母親を喜ばせるために言ったのか…。
♥M
まあでも、久々に母親の手料理を食べたら、美味しいと思うよね。
イリスのことで息子と言い合いをしたけれど、自分の手料理を「美味しい」と言ってもらったことで、母親は息子を取り戻したような気持ちになっているんだろうね。
イングクとイングクの母親との会話の中では、「誠実に生きる人」と「精一杯生きている人」の違いを描いていたね。
「精一杯生きている人」は、目標や何か夢中になることに対して一生懸命に取り組む人のことで、それと「誠実に生きる人」とは違うと、イングクは言ってる。
イングクが考える「誠実な人」とは、いつか死ぬことを自覚して毎日を生きていて、偽りに惑わされず、現実に従って生きている人のこと。
イングクの母親は息子から「誠実」ではなく、「精一杯生きてる」と言われたことに対して、「誠実」よりもワンランク下に感じてしまい、かなり腹をたててしまう。
自分はどちらかな、と思いながら観ていたけれど、一生懸命にもなっていないから、さらにその下のランクかもしれない(笑)。
♣R
私もそうですよ(笑)。
イングクは、母親から、イリスの過去をよく調べてから判断するように説得をされていましたが、それでもイリスを探しに行くところを見ると、まわりから何を言われようとも、イリスを大切に想う気持ちは変わらないのかな、と思いました。
♥M
誰も面倒見てくれなくなって、捨てられたら、公園に行って笛を吹いていれば、イングクみたいな人が拾ってくれるかな(笑)。
