ふたりの映画鑑賞記/よいこの映画時間

☆7本目 『愛のあしあと』

2025/11/09

【あらすじ】
1960年代のパリ。靴屋で働きながら娼婦としても腹たきはじめたマドレーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ/娘時代をリュディビーヌ・サニエが演じている)は、チェコ出身の医師ヤロミルと熱烈な恋におちる。夫の故郷プラハで生活をはじめ、やがて娘のヴェラ(キアラ・マストロヤンニ)が生まれる。時が流れて、ヴェラは聡明で美しい女性に成長、年齢を重ねたマドレーヌとは絶妙な距離感で関係を築いている。
カトリーヌ・ドヌーブとキアラ・マストロヤンニが母娘役で親子共演。フランス人の母と娘、2代にわたるそれぞれの恋愛、人間関係がミュージカルシーンをはさみながら描かれている。

 

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[word_balloon id="1" position="L" size="S" balloon="bump" name_position="hide" radius="true" avatar_border="false" avatar_shadow="false" balloon_shadow="true" font_color="#ffffff" bg_color="#000000" border_color="#000000"]りきマルソー:♣R[/word_balloon]
♣R
ルイ・ガレルがよかったです(笑)。
唄う姿を拝めるなんて、ありがたやありがたや。

♥M
よかったね!笑
想いが叶わないちょっと悲惨な役柄だったけれど。

♣R
年代が進んでいく話なので、登場人物の見た目も変わっていくから、ルイ・ガレルの見た目の変わり方とかも、そんな風に老けていくのねって思ったり。
ひとつの作品でそんなにたくさんの変化を見せてもらえて嬉しい。

♥M
いい味を出してたよね。
錚々たる俳優陣のなかでもかなりよかった。
どの映画でもそうだけれど、ルイ・ガレルはとびきり暗いまなざしをするシーンが多いのよね。

♣R
死んだはずのヴェラが側に立ってるシーンとか、特にそうでしたよね。

ジェーン・バーキンやイザベル・ユペールとも共演していますが、影のある役柄が多くて目立つわけでもないのに、妙に存在感あるので目が離せない。
すごくイケメンという部類ではないけど、セクシーで、どんな女優や俳優が相手でも、ルイ・ガレルは輝きを失わない。

♥M
出てくるとそっちに目が行っちゃうから、マリリン・モンローみたいだと思った。マリリン的な輝き。
リュディビーヌ・サニエももちろんかわいいし、きれいだし、キアラ・マストロヤンニもいいけれど、ルイ・ガレルは異様な存在感がある。

♣R
ドヌーヴと一緒に歩いていても、存在が霞まないですもんね。

♥M
全然霞まない!
あれはすごい。

♣R
クリストフ・オノレ監督の作品によく出演してます。
監督はインタビューで「ルイ自体が僕の映画のようで、僕の映画がルイのように感じる」と言っていて。
だからオノレ監督にとって、ルイ・ガレルは、ミューズ的な存在なんですよね。

♥M
ミューズなんだね。
ルイ・ガレルってゲイなの?

♣R
ストレートだと思います。

♥M
バイセクシュアルでもないの?
そういう雰囲気があるような気はするけれど。

♣R
バイセクシュアルとも聞かないですね。
そういう役柄も多いですね。

♥M
オノレ監督は?

♣R
ゲイをオープンにしているようです。
日本で公開されていないですが、ルイ・ガレル、リュディビーヌ・サニエ、キアラ・マストロヤンニが出演している『愛のうた、パリ』という作品も、確か登場人物がゲイだったような気がします。
東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映されていました。
オノレ監督の作品としてはロマン・デュリス、ルイ・ガレルが出演している『パリの中で』もありますね、観たいと思ってるんです。

♥M
キアラが出てる『愛のうた、パリ』は観たいなあ。ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニの娘、キアラ。
りきちゃんお父さんのマルチェロ・マストロヤンニは好き?

♣R
そんなには(笑)。

♥M
でも、りきちゃんの好きなイタリア映画よ(笑)。

♣R
イタリア映画の台詞をものまねするのが好きなだけです(笑)。

♥M
マストロヤンニ、私は彼が出演している映画をたくさん観てる。ソフィア・ローレンとの『ひまわり』も好き。
彼はドヌーヴと恋愛関係にあって、その間に生まれた子どもがキアラ・マストロヤンニ。
だからキアラ・マストロヤンニというと、ドヌーヴとマストロヤンニのサラブレッドなんだという目で見てしまう。
鼻の横からの形や、笑い方とか、本当に笑っちゃうくらいマルチェロ・マストロヤンニに似てるの。
そういう変な見方をしてしまったけれど、そのキアラが、この映画ですごい存在感を出してた。
私、キアラがすごく好き。

サニエも好き。
マドレーヌが若い頃に働いていた靴屋さんの店員の雰囲気も可愛い。
いろんな映画に対するオマージュが感じられるし、「靴」に始まり「靴」で終わるという描き方も好き。
サニエも魅力的だったね。

♣R
サニエはいいですよね。
サニエではなかったら、こんなに許される感じには描かれなかったと思います。
ちょっと小悪魔的にやっちゃうよ、いいよ、進んじゃおう! みたいな雰囲気がサニエにはあるからピッタリでしたね。

♥M
メイクも60年代風、髪もボリューミーにしているし、若い時のドヌーヴのメイクを意識しているから、そんなに違和感なく、本当にドヌーヴの若い時みたいだなと思った。
色彩も『シェルブールの雨傘』とかを思い出した。
りきちゃんがこの映画のドヌーヴは割と好きだと言っていたけれど、「ザ・ドヌーヴ」ってかんじがないよね。

♣R
大女優になってくると、メインです! みたいな雰囲気が出るじゃないですか。
はい、私です! みたいな(笑)。

♥M
はい、登場しました! みたいなね。
でも、この映画ではそうじゃない。自己主張がバリバリでもなく、思想がそんなにあるわけでもない、世間的にも尊敬される人物というわけではない。でも求められれば逢引きに行っちゃうみたいなところもあったりして、それがとても自然だった。

♣R
若さからくるような迷いは感じられるけど、常に自分に正直ですよね。
再婚した後に元旦那が来ても、「もっと早く来ると思ってた」みたいに言っちゃうくらい、すんなり受け入れていましたね。

♥M
そうそう、悪びれずにね。
年を取ってから、ヴェラの部屋でパパとママが裸でベッドにいるシーンがあったけれど、そういうシーンでも「パパと会って話をしていたら、パパが触り始めたから」、と言うのよね(笑)。
そういう部分も、何も考えのないおばさまという感じ。でもそれが私はすごく好きなの。
ああいう感じがいいな、どうしてみんなそういう風に出来ないんだろうと思ったりした。

 

■人生は理路整然といかない


♥M

どういう風にりきちゃんが観てるだろう、感想楽しみだな、って思いながら観てたんだけど。

♣R
ミュージカルだったんですね。

♥M
ミュージカルほどではないけれど…『8人の女たち』くらいでしょう?
歌もフレンチポップスの軽やかな感じでよかったね。
サニエの声が可愛いし、サニエが唄ってる歌も可愛かった。

♣R
歌、好きでした!
『8人の女たち』の時もですがサニエの唄い方は本当にかわいいですよね。
最初と最後で同じ曲を使っていましたが、歌詞の違いでの対比もすごくよかったし、年齢が違う設定だから唄い方も違っていましたね。
サニエが唄ってる若い頃のマドレーヌはちょっと高めの声だけど、みんな年代が進むと声が低くなっていく。

♥M
ドスがきいてきたみたいな。

♣R
そこがまたよかったです。
1960年代ぐらいの明るくオシャレな感じで進むと思いきや、ストーリーが進むにつれて、トーンが暗くなっていきますね。

♥M
かなり暗くなる。

♣R
ドヌーヴ演じるマドレーヌの若い頃を、サニエが演じているんですね。
ドヌーヴは、きらびやかです!みたいなイメージがあるし、私はあまりそういう人は好みではないのでそんなに興味がなくて、みんなが熱狂するほどの気持ちも全然なかったんです。
でも今回のドヌーヴはすごくよくて、結構好きかも。
マドレーヌをベースに話が進み、その中に娘のヴェラが関わっていたりする。
自由奔放とはまた違う…出ている女の人がみんな、愛に飢えている気がしました。

♥M
そう、全員がね、愛に飢えてる。

♣R
ひとりの人では補えないから、他の人ととも、というのをそんなに悪いとは思っていない人たちの話ですよね。
そういうのが受け入れられない人にとっては、ものすごく嫌悪感を抱く映画かもしれない。

♥M
たしかにそうね。
結婚してるのに…とかね。
何かきっかけがあった訳ではないのだけれど、とにかくこの作品を急に観たいと思ったから、りきちゃんにつきあってもらったの。
まあきっかけは色々あったのかもしれない…。

今の自分を責めなくてもいい、複雑である状態をそれでいいんだと思わせてくれる映画が観たかったんだと思う。
「よいこの映画時間」で話すためにDVDを買うくらいには、観たかったんだと。
自分で観たときも以前ブログには書いていたけれど、そんなに詳しくは書いていなくて。こんな名作がなんでもっと騒がれないんだ、ってくらいで。

内容はさっき、りきちゃんが言っていた通りよね。
複雑で、いいかげんで、全て筋が通っていなくてもいいんだと思える。人生は理路整然といかないものなんだって。
この映画に出てくる人たちは、業を背負ってきているから、求める気持ちが強いのはどうにもならない。だから、そういう種類の人たちにとっては、こういう人生でしかあり得ないというのがとても分かる。

10年ぐらいが描かれているくらいなら分からないと思うけれど、50年ぐらいの流れが描かれていることによって大きく人生を捉えられる。
マドレーヌは年齢を重ねた上で、元旦那さんとアヴァンチュールを楽しみつつ、結婚相手とも関係を維持している。
何歳になっても同じことをやっているんだというところにすごくほっとするし、私はそういうのが好きだし、そういう人生がいいと思えた。

♣R
歳とか本当に関係ないですよね。
みんな全然ブレない。

♥M
うん、そうね。
ある意味全然ブレてない(笑)。

 

■「我慢」をしない人々


♥M

マドレーヌとクレマン(ルイ・ガレル)がセックスすると思ったの…それもありかなって。

♣R
年齢は離れてるけど別に違和感はないですよね。
そうなるかなって自分も少し思っていました。

♥M
雰囲気はあるのよね。
よっぽどミスフィッツたちの集合体の中で生きていれば別だろうし、すごくミスフィッツを出していられる季節もあったりするけれど、その部分を抑えながら生活をしている時にこういう映画を観ると、軌道修正が出来る。
こっちのほうが生きている感じがするし、違和感がない、って思い直せる。
私が我慢することを美徳と思っていないのはご存知でしょ?

♣R
存じております(笑)。

♥M
私、我慢とか忍耐ってあまり好きじゃないのよね。そこにどうしても意味を見出せない。
何でそれをするのか、何でそこでその我慢をさせるのか、しなきゃいけないのか、ちゃんと理屈があって納得が出来ればそれは我慢する。
でも人々が我慢しなさいということは、例えば誰かにごちそうになる時には嫌いなものが出ても我慢して食べなさいとか、団体行動をしている時は我慢してみんなに合わせなさいとか…そういうのはよくわからない。
そういうのがどうしても分からないままずっと生きてきて、今も分からない。
でも、周りから強く言われれば怖いから従ってるってだけよ。
本当にそれが必要だと思ってないもの。

我慢することで、自分にとって、どんないいことがあるのかわからない。
いつもりきちゃんには言っているけれど、タレントとかが浮気したとか婚外恋愛をしたということでみんなが叩き始めることがあるでしょ?
でもそれって、自分は他の人とセックスしたいのを我慢しているのに、お前は何で我慢しないんだ、という理屈に尽きると思うのよね。
どうして私は我慢しているのにあなたはしないの? という部分で色々な問題が起こってる気がするから、じゃあ我慢しなければいいのにと、いつも思うし、自分が我慢してるからといって、我慢しなかった人を責めるのはおかしいと思う。

この作品にはそれがない。みんな我慢していないの。
私に言わせれば偽善者じゃないところがいい。
全員が我慢しなかったら秩序がなくなると前に誰かに言われたけれど、秩序が今あるんですか? 良い世の中でもないし、あってこの状態だったらいらないんじゃない?

♣R
マドレーヌの再婚相手は我慢してませんか?
マドレーヌが元旦那と会ってそういうことをしているのも知ってるけど、マドレーヌを愛してるから離婚しない。

♥M
違うのよ!
彼も我慢してないのよ。
本当に我慢しているのなら、マドレーヌを手放すはず。
それが我慢でしょ?

♣R
ああ、そうか…してないからこそ手放さない… 彼のワガママみたいな感じですかね。

♥M
変な見方かもしれないけれど(笑)。
自分の欲望を我慢してないでしょ?

♣R
たしかにそうですね。

♥M
だから全員我慢してないの…まあ我慢の度合いなんだろうけどね。
この作品だって、登場人物がいろんな我慢はしてるけど、自分にとって一番重要な部分に背いてない、という感じかな。

♣R
再婚相手のしていることも、そのちょこちょこの我慢のひとつなんですね。
本当に些細なこと。

 

■性の結びつき


♥M

なんだかんだ言っても、関係が切れない人たちは、やっぱり性の結びつきや欲望があるような気がする。
だからこそ、それがなかったヴェラは死んでしまったのかな…。

私の好きな作家、大庭みな子が、大庭利雄さんという旦那さんとずっと添い遂げるのだけれど、自分は小説家で、そんなに愛情深くないから、他の人と浮気しても溺れないけれど、あなたは愛情深くて本気になるから、私には自由を認めよ、あなたが浮気したら刺し殺す、という不平等条約を結ばせたらしいの。赤裸々には書いていないけれど、そのふたりは多分年を取って老人になっても性的な結びつきがあったと思う。
大庭みな子は、他の人たちとも精神的な情愛関係を結んだり、若い時には身体の関係も持っていたはず。だけど、旦那さんともずっと一種の性の関係で結ばれていたんだと勝手に行間を読んでいるのだけれど…。
この映画を観ていて、マドレーヌと元旦那さんとの関係にそのことを感じたの。
あんなにおじいちゃんとおばあちゃんになっても身体を求めあっているのよ?
今の旦那さんとはもうしてないと思うし。
そこが一致しているふたりは、やっぱり重要なんだと思った。
精神的なものも、とても大事だけれど、性の結びつきも、関係を維持していく、という意味では重要だと思った。

♣R
年数が経つと、性の結びつきもなくなってくるとはよく聞きますが、そうではないということですか?

♥M
なくなってくるのが一般的。
頻繁ではなくなるし、前と同じような感じではないのだけれど。

♣R
でも、深い繋がりが。

♥M
何かしたい相手ということ…例えば機能しなくなってもね。
違う他の方法を探り、こちょこちょしたくなるような、そういう欲望を感じる相手かどうか、ということ。
こちょこちょですらしたくなくなるという人たちもいるからね。
だからそれがとても重要な気がする…初期の頃はそれがわからないのよね。
そこが初期の段階で分かっていれば色々な判断が出来るのだけれど、初期の頃は絶対にお互いに触れ合いたいと思うし、みんな夢中だから分からないのよね。
3年後を見極めるって難しいわよね。

 

■ふたりの愛の求め方


♥M

今回一番興味があったのは、ヴェラの愛の求め方。
クレマンを小脇に抱えキープしつつ、でも本命ではないのよね。

♣R
クレマンとしては、ヴェラに対して本命の気持ちはあったのに。

♥M
そうそう、クレマンはヴェラのことをすごく好きだけれど、ヴェラは友達プラスαくらいで、そんなに本気ではないし、ゲイのヘンダーソンに魅かれていく。
一方的な叶わぬ恋と分かった上で、恋人同士にはなれないけれどゲイの人に魅かれていて、何年も想い続けている。

最後は9.11が起こった。あの時はいろんな人が混乱した。
命の大切さや儚さというのを知って混乱している中のひとりとしてヴェラも描かれていた。
たまたま同じタイミングだったのかもしれないけれど、子どもが欲しい、という気持ちが出てくる。でもヘンダーソンはゲイだし、HIVだからと断る。

♣R
拒否された後、ヘンダーソンと彼のパートナーがいる部屋に戻って3人でセックスするシーンがありますが、拒否されただけでは自殺しようとは思わなかったと思います。

♥M
じゃあ3人でセックスをした時に、何か深く腑に落ちる物があった、ということなのかしら。

♣R
そんな感じがします。

♥M
そうね、セックスの後、薬を大量に飲んで下のバーに行って死ぬんだものね。

♣R
ただでさえ、9.11のことで精神的にも不安定になっていたし、そういうことと重なったからというのはあるかもしれない…でも、3人でセックスしたことで…。

♥M
もういいや、という気持ちがあったのかしら。
もういいやというと変な感じだけれど、分かるような気がする。
上手く言えないけれど…気が済んだ感じ。
分からないけれど、今、そんな感じがした。
全てのことに気が済んじゃったのかしらね。

♣R
子どもが欲しいと言っていたのは、本当に欲しかったからかもしれないけれど、ヘンダーソンとセックスがしたかったというのも理由のひとつですかね。

♥M
あそこではセックスのことは考えていなかったと思う。
精子を消毒すればHIVでも子どもが出来ると言っていたけれど、それは多分人工授精のことだから、ヘンダーソンとのセックスは諦めていると思う。
諦めているけれどヘンダーソンのことがとても好きだから彼との子どもが欲しい、という気持ちもすごく分かるし、拒否するヘンダーソンの気持ちも分かる。
そりゃ、私が男でもそれはよくないって拒否する。

だけど、子どもも作れないんだと思い、何となく3人でのセックスになり…気が済んだというか、ぐったり疲れていて休みたいと思っている時に、何か追い討ちをかけるような何かが起こって、もう無理、もういいかな、ってそんな感じ。
深い理由はないような気がする。

♣R
全編を通して、ヴェラの生き方の中に、生へのしがみつきや、生きていくことに必死になっている感じがしなかったですよね。
どこか投げやりというか、諦めというか、そういうのが最初から感じられました。
だから、ふとした瞬間に死を選んでしまったのかもしれませんね。

 

■セクシュアリティを超える「何か」


♣R

それにしてもヴェラとヘンダーソンは本当にものすごく惹かれ合ってますよね。

♥M
すごく強烈に、異性愛みたいなまなざしで見ているのよね。

♣R
ゲイで何も出来ないのに、ずっと君のことを考えていた、と言ったりしていますね。

♥M
ふたりが見つめ合うまなざしや、交わしてる会話は、恋人そのもの。

♣R
ちょっと分からないですよね。
ゲイだということを主張しているけれど、あまりにもふたりの関係が自然過ぎて分からなくなる。

♥M
分からない…そうなのよ。
ゲイだからセックスが出来ないと話をした後、クレマンのトークショーの場にヘンダーソンが来て、トイレでヴェラを口でイカせてあげるだけでしょ?
その行為をし終わってふたりで笑いあってるだけ。
自分は何もされてないの? あれって何もなかったのかしら? あれだけでおしまい?、という感じがあったのだけれども、それで何があったの?という感じ。
ヘンダーソンはヴェラを抱くことは出来ないけれど、彼女を悦ばせたくてそういうことをしたのだと思う?

♣R
自分がされなくても、そういうのが自分の悦びに繋がったりしませんか?

♥M
することによって相手が悦びを感じていて、自分も悦びを感じるということでしょう?
でも多分、ヴェラから何かされたらダメなのよね?
ゲイだからというのが前提であるし、多分それは悦びにはならないのよね?

♣R
それがヴェラであっても?

♥M
だってそれが成立するのであれば、その後のシーンでお返しをしてくれるとか、ほのめかしてくれると思うの。
私の中のテーマでは、あのふたりの関係がすごく重い。
精神的に愛し合ってはいるけれど、肉体的に結ばれていないだけなのかしら?
でもあそこまで関係を持ったら肉体的にも…という感じになるでしょ?
一切セクシュアルなことをしないわけではないから。

♣R
そのあたりはちょっと分からないですね。
ゲイの中でも、そういうことが出来る人はいるかもしれないけれど…。

♥M
したいとは思わないでしょ?

♣R
少なくとも、自分はそう思わないですね。

♥M
だからこそのゲイ。
それを飛び越えてまでの愛の相手だった、という見方もできる。

♣R
バイセクシュアルとは絶対に言わないですよね。

♥M
そうなの、バイセクシュアルじゃない、と思ったけれど違うのよね。
ヴェラのことをずっと考えていてもしないんだもの。

♣R
やっぱり、超える何かがあったということですよね。
精神的に繋がっていると。

♥M
ヴェラもヘンダーソンをすごく好きだけれど、肉体的にというのは、諦めているから求めてもいないと思う。だからこそ、子どもが欲しいと思っている訳なのだけれど...。
必ずしも強烈に愛するということは、肉体的な結びつきは絶対なくてはならない、というものでもないんじゃない? というのが描かれていたのかな。
だとしたら、「全部受け入れなくてもいいからあなたを愛する。でも子どもが欲しい」というのを受け入れて貰えなかったらショックかしらね。

ヴェラは子どもを作りましょうという生を生み出す行為を提案した数時間後に死を選んでいる。真逆のことをするわけでしょ?

しかも衝動的な死というよりも、冷静さのある死なのよね。
でも、薬をふと目にして、それを飲んだということは、衝動的なのか…。

 

■「9.11」を選んだ理由


♣R

わざわざ9.11を題材にした理由はなんだと思いますか?
というのも、一般的に、たくさんの人の死を目の当たりにすると、その死に近かった人は自殺を考えたりはあるかもしれませんが、遠くから見ている人間としては、生きなくては、と思う人が多いような気がするんです。
それなのにヴェラが死を選んでしまったというのは、どういうことなんでしょう。
9.11という時ではなくてもよかったとも考えられますよね。

♥M
敢えて。

♣R
入れたんですよね。

♥M
命の重みや死というものは、ひとりの人にとって最重要事項、最悪の悲劇というのは、人それぞれなんだということなのだと思う。
相対的評価では、悲劇や絶望は測れないということ。絶対評価。
自分の中でしかないから、例えば9.11みたいなことが起こって、愛する人を失って絶望したり哀しんだりすることが世界の最重要事。
でも、そんな事件が起こっているのだから、自分の命を大切にしろという考え方は、私はナンセンスだと思う。
レベルが違う話になるけど、食べ物があって残したいけど、世界には飢えている子がいるんだから食べなさいっていうのと似ている。
昔から私はそれは関係ないし、おかしいと思ってた。

♣R
それが当たり前だと思うなということですね。

♥M
うん、そうじゃないんだよ、ということ。

♣R
『明日、君がいない』という映画を観た時に、近いことを思いました。
その映画では、この人傷ついてる、こんなひどいことがあって落ち込んだりしている、という人がたくさん出てくる中で、何が理由だったんだろう、そんな理由でなの? という人物が自殺をしてしまう話なんです。
自殺のきっかけは本当に些細なことなのですが、哀しみの比重みたいな物は人によってレベルが全然違うし、その背中を押されたタイミングも重なったりすると、死はとても近しいものになってしまうんだ、と、その時すごく感じたんです。
今の話を聞いていると、それにとても近いと思いました。

♥M
うん、そうだと思う。
9.11が起きているそんな時に、個人的なことで衝動的に自殺するだなんてとんでもないと思いますか? という問いかけもあるんじゃないかな。
最初にりきちゃんが言っていたけれど、全ての良識ある人々に対するちょっとした問いかけ、あるいは抵抗を私はこの作品全体に感じる。

最近、路子サロンで「茨木のり子」をテーマにしたから、彼女の作品を集中して読んだんだけど、沁みた言葉があって。

「浄化作用(カタルシス)を与えてくれるか、くれないか、そこが芸術か否かの分かれ目」

前回の『アメリ』も、今回の『愛のあしあと』もカタルシスがすごくある映画よね。
自分が思っていたり考えているけれど、言葉や行動で表現できなかったことが、2時間の映画を通してすべて描かれている感じで救いになったもの。

 

■すべては「靴」ではじまる


♥M

この作品は、「靴」が印象的に使われているね。

♣R
そうですね、最初も最後も。
ラストシーンあたり、マドレーヌはなぜ靴を置いていったんだと思いますか?
あの靴は若い頃に盗んだ靴ですよね?

♥M
赤い靴のことよね?
多分そうだと思う。

♣R
その靴に履き替えてから、昔住んでいた部屋へ行き、過去のことを思い出した後、靴を置いて立ち去る。
冒頭では、その靴を盗んだからこそ始まった人生だと語られていましたね。

♥M
何かを終わらせたのかしら…。
今住んでいる家に帰ると旦那さんが外で待っているけれど、扉を閉めてひとりで中に入ってくシーンは、そのシーンのあとだっけ?
そのシーンを観て、ふたりの関係が終わるのかなって思ったの。
あれは拒絶だったのかな。

♣R
全てをなくしたいと思ったからですか?

♥M
いったん白紙に戻すのかな。
元旦那さんは死んじゃったけど、その場面の流れで元旦那さんとも今の旦那さんとも、関係が切れた感じがしたのよね。

♣R
今の旦那さんへの執着みたいなものは、あまり感じられないですよね。

♥M
そんなに愛していないはず。

♣R
元旦那と娘のヴェラの死を経験したことで、愛が終わってしまった感じを表現しているんですかね。

♥M
でも、娘が死んでから時が経って、娘の命日とかではなく、自分の誕生日という設定。
それなのに、旦那さんに「愛してる」、と言いたくない気分だったから、部屋に籠もってる。
その後、一応誕生日パーティーの場で挨拶くらいはするけれど、その場からクレマンと立ち去ったり、靴を脱いだりするのよね…何かが終わる時が来たのかな。
元旦那さんが亡くなってから時が経ってるけど、元旦那の存在があったからこそ続けられていた結婚生活も、バランスを失って崩壊し始めていたんでしょうね。
それで娘の死があり、かなりの衝撃を受けている状態で誕生日というひとつの節目を迎え、何かの終わりが全て見えたのかもしれない。

♣R
よく、自殺をする時に…。

♥M
靴を脱ぐ。

♣R
って言いますよね。

♥M
それを彷彿とさせる。
私もそのイメージをしたの。

♣R
やっぱり、俗世間との…。

♥M
さようなら的な意味があるのかしらね。

♣R
そうすると、マドレーヌはこの後自殺することになっちゃいますよね。
まあ、そうとも限らないか…区切りの意味合いで?

♥M
ある意味での「死」。今までの自分の生き方に死を与えるという。
マドレーヌの性格からすると、そんなに引きずらなさそうじゃない?

♣R
再出発の意味合いもあるかもしれませんね。
過去との決別。

♥M
そうかもしれない。
例えば1か月後には、まるっきり新しい男の人がふたりいるかもしれない。
彼女の場合はそういう感じがするね。

♣R
ジンクスみたいなものですよね。
この靴で始まったから、そのジンクスを終わらせる為にはそれを手放す。

♥M
一種の死でしょうね。

 


~今回の映画~

『愛のあしあと』
2011年 フランス
監督:クリストフ・オノレ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ/キアラ・マストロヤンニ/リュディヴィーヌ・サニエ/
ルイ・ガレル/ポール・シュナイダー

-ふたりの映画鑑賞記/よいこの映画時間