☆24本目『隣の女』
2026/01/16
【あらすじ】
妻と子どもと幸せに暮らしているベルナール(ジェラール・ドパルデュー)の隣の空き家に越してきた夫婦の妻は、かつての恋人マチルド(ファニー・アルダン)。
久々再会したふたりは、次第に…。

♥M
ラストの「あなたと一緒では苦しすぎる でもあなたなしでは生きられない」というセリフがすごく有名だけれども。
♣R
すっごくよかった!
本当にいいセリフでした。
♥M
分かるでしょう?
♣R
素晴らしい! トリュフォーは本当に素晴らしい!
それにしても、ドヌーヴの出演はないものの、『隣の女』が実はトリュフォーとドヌーヴの恋愛の話だったなんて、知る人は少ないと思いますよ。
♥M
私も知らなかった。
トリュフォーとドヌーヴも、このセリフに象徴されるような関係だったんでしょうね。
ふたりはここまでの狂気を持ってはいないと思うけれど、もし持っていたらこうなるほどの愛情を抱いていた、ということなのよね。
りきちゃんに『隣の女』観たことがあるかを聞かれたでしょう?
この映画は、私をこの世界にデビューさせてくれた人が勧めてくれた作品なの。
23歳ぐらいで、観た時はよく分からなかった。
ファニー・アルダンが主演なのね。
彼女はトリュフォーと付き合っていて、彼との間には…。
♣R
子どもがいるんですよね。
♥M
そういう風に見ると、『8人の女たち』でドヌーヴとアルダンが足を絡ませているシーンは、オゾン監督がトリュフォーへのオマージュとして計算してやっているんだな、って。
ドヌーヴは「オゾン監督の作品には色々な映画や女優たちへのオマージュがたくさんある」と、皮肉な感じで言っているから、アルダンと自分を絡ませる理由が分かっているのね。それにしても、現在の恋人に、昔の自分の恋愛を演じさせるなんて…。
■同じことを繰り返す

♣R
重い話ですが、とてもテンポがいいですよね。
♥M
すごく単純な話なのに、飽きさせない。
♣R
ジェーン・バーキンが「恋をしていないときは、どうしようもない寂しさがある。でも恋をしていないときのほうが、私は人間として良い状態にあると思う。だって恋をしていると嫉妬したり、疑い深くなったり、不安定になるでしょう?」と、言ってるじゃないですか。
まさにそんな感じですよね。
お互いの恋愛の温度が合致している期間が短い。
どちらかが上がれば、どちらかが下がる。その行ったり来たりの繰り返しでしたね。
♥M
苦しいよね。どちらが悪いというわけでもないし。
♣R
お互いがストーカーみたいになっていましたね。
♥M
そうなのよ。
最初はマチルドから誘うけれど、やっぱりやめましょうとなり、今度はベルナールが誘う。
その繰り返し。
最後はマチルドが引っ越したから、ベルナールの中で、これで終わったという気持ちになるけれど、マチルドの姿を見た瞬間に、感情が再び爆発してしまう。
本当に嫌だと思っていたら、ああいう風にはならないもの。
♣R
理由があって、好きだけれど別れなくてはいけないと区切りをつけた人がいたとしても、きっかけさえあれば、あっという間に気持ちが蘇ってしまう。それってちょっと怖いです。
いいと思ってしまう部分と、またあの苦しい時に戻ってしまうんだ、というのが混ざる感じ。
♥M
でも、そこまでの人って、そういないよね。
♣R
それなりの人はいたりしますけどね。
♥M
ここまではないよね。
♣R
いきなりみんながいる前で押し倒しちゃうくらいですからね。
♥M
あの時はもう、気が狂った状態なのよね。
ふたりとも狂気を持っている。
♣R
だからこそ共鳴していたんですよね。
♥M
8年前、マチルドは、このままだと自分がおかしくなってしまうと思い、姿を消すけれど、そのことでベルナールは躁鬱と言われるぐらい精神を病んでしまう。
♣R
それをまた繰り返しましたよ、という話ですよね。
♥M
そうそう。もともとそういう素質を持っているふたりだからね。
■私たちは欲張り

♥M
愛についてのセリフだけ取り出してみても、ピンポイントでも、それだけで話ができるくらい、愛について、考えさせられる作品ね。
語り部になっている義足の女性の話にしても、彼女は男に裏切られ、自殺に失敗し、足を失った。それを裏切った男に知られたくないから、旅に出たのよね。
それをマチルドは分かると言ってる。その割には、自分は違うことをしているけれど。
♣R
逆に見せつけるぐらいの勢いですもんね。
♥M
マチルドが精神衰弱して入院している時に、ベルナールが訪ねてくるシーンは、すごく共鳴した。ベルナールは、欲望もなく、労りしかないし、できれば早く帰りたいと思っているけれど、精神を病んでいる人は、そういう態度を見せられると本当に傷つくのよね。それこそ腫れ物みたいに扱われるって、本当に悲しい。
だからあの時のマチルドの寂しさや、もう来なくていいわよ、と言っている時の気持ちは、本当によく分かる。
♣R
「来なくていいわよ」なんて、本当は思っていないですもんね。
♥M
だって、求めて欲しくてしょうがない状態だものね。
恋愛ってめんどくさい。
♣R
あっははは!(笑)。
本当にめんどくさいですよー。
♥M
恋愛したいと思ったら、この作品を観るといいかもしれないね。
恋愛に溺れそうになったら、これを観よう!
♣R
冷静になれるかも。
♥M
これが欲しいの?と、自分に問いかけられる。
でも、死ぬ、死なないとか、気が狂う、狂わないとか、そこまでじゃなくても、ギリギリのところぐらいまでのものがないと、きっと満足できないのよね。
♣R
そこを求めてしまいますからね。
どこまでいけるか。
♥M
それがないと、物足りないのよ。
♣R
欲張り。
♥M
あっははは(笑)。
♣R
私たちは欲張り(笑)。
■トリュフォーが好きな愛のやりとり

♥M
トリュフォーが好きな愛のやりとりが、なんとなく分かってきたね。
『暗くなるまでこの恋を』 『終電車』 『隣の女』で出てきたやりとり分かる?
ラブシーンのところの…。
♣R
「待って」
♥M
そうそうそう!
「待って」と言うと「待つよ」と答えるやりとり。
男と女が逆になっても、「待って」「待つよ」のやりとりがある。3作品全部に出てきた。
♣R
私も、そのやりとりをまたしていると思いました。
そういえば、トリュフォーも言っていましたね。
「通俗的な歌の中にも人生の真実がある」って。
♥M
あったあった。『アクトレス』と同じだと思った。私が大好きな映画。
アクトレスのなかにも似たセリフがあって、すごく響いたことを思い出した。
やっぱりトリュフォーは、私たちと似ているのね(笑)。
きっと感性が似ているのよね。共鳴するところが多いもの。
♣R
たしかに!
あとは足のシーンが多いですね。
♥M
トリュフォーは脚フェチだからね。
『恋愛日記』という作品はお葬式のシーンから始まるのだけれど、女性の足がだぁーっと映し出されるの。時間があったらぜひ観てみて。
♣R
観ると思います。トリュフォー、すごく好きだと思います。
同じヌーヴェルヴァーグの監督でも、ゴダールは受け入れにくいですが、トリュフォーは好きになりそう。
♥M
トリュフォーは、セリフのやりとりが好き。
♣R
ゴダールは、ほとんど観ていないですが、男のかっこよさとか、これってかっこいいだろ?と、押し付けてくる感じがするんですよね。それって、自分のセクシュアリティに関係しているみたいで、おしつけがましいような男らしさに苦手意識を持つゲイの人の話、結構聞くんですよね。
トリュフォーの作品は、おしつけてくる感じはしない。もっと人間くさくて、彼の優しさや、愛情が、全部作品に描かれていて、観ていると愛おしくなってくるんですよね。
トリュフォーの本を何冊か読みましたが、彼の文章にも表れていました。
そういうのにすごく共鳴しますね。
ゴダールとゲンズブールって近いイメージが私はあるのですが…。
♥M
ゲンズブールはどちらかと言うと、トリュフォー寄りだと思う。
♣R
へえー、そうなんですか?
♥M
情けないの。
♣R
あぁ、そういう意味!
♥M
ゴダールは、見た目はスタイリッシュに見せようとしているけれど、ガソリンが足りない感じがする。
♣R
それはルイ・ガレルがゴダールを演じた『グッバイ・ゴダール!』でも感じました。
直前でやめちゃうというか。
♥M
燃え切らない感じ。
♣R
そうそう。そういう風に描かれていました。
♥M
ゲンズブールは行くところまで行くし、めそめそ泣いちゃう。
そういう意味では、トリュフォーに似ていると思う。
ジェーン・バーキンがゲンズブールと一緒に暮らせない理由は、まさにこの映画のラストのセリフ「あなたと一緒では苦しすぎる でもあなたなしでは生きられない」から。
だからふたりは別れた後も、ずっと離れなかった。
トリュフォーとドヌーヴも、この作品を観ていると、こうだったんだ、と、よく分かる。
どちらかと言うと、トリュフォーから見て、ドヌーヴのことをそう思っていたんでしょうね。
ドヌーヴがトリュフォーによって苦しめられた、という感じはしないものね。
♣R
トリュフォーの方が苦しんでる感じですよね。
♥M
ファム・ファタル的に描いているけれど、トリュフォーがドヌーヴとの恋愛で感じた、彼女の魔性的な面や、思い通りにならなくて翻弄されている様子を凝縮して描いたんでしょうね。
ふたりのやりとりを、きっとそのまま使っているのだと思う。
ドヌーヴがこの作品を見て、あまりにも生々しく自分のプライバシーを剽窃していると激怒してトリュフォーを訴えようとした、と言われているのは、きっとそういうことだからなのね。
■「愛している」の重さ

♣R
ファニー・アルダンのテニスウェア姿、すっごく似合わなかったですね。
♥M
彼女のテニスウェア姿を見て、『昼顔』の時のドヌーヴのテニスウェア姿を思い浮かべてしまった。年齢も違うから、見比べてはいけないとは思うのだけれど(笑)。
トリュフォーもオマージュ的なものがあるのかな。
♣R
トリュフォーの作品は、色々な映画のオマージュが入ってる、とトリュフォーの本に書いてありましたよ。
♥M
『暗くなるまでこの恋を』も色々な作品のオマージュが入っているんでしょう?
♣R
そうみたいですね。
自分が思っていない部分でも、無意識にオマージュ的になっている、ということもあるかもしれませんね。だからといって、あの映画もあの映画も、と繋げるのはちょっと違いますけどね。
♥M
ファニー・アルダンは、狂気の役が少し似合わないような気がする。
♣R
それは、この作品がドヌーヴの恋愛の話という目で見ているからですか?
♥M
たしかにドヌーヴと重ねてしまうところはあるよね。
でも、ファニー・アルダンが持っている正統派みたいなイメージが、どうしても狂気を感じさせないの。
♣R
狂気より、ファニー・アルダンの個性の濃さが前面に出てしまっていますよね。
♥M
脆さ、儚さ、狂気が感じられないの。
じゃあ誰が演じるの?となったら、やっぱりドヌーヴが面白いのだけれど。
この違和感は『ティファニーで朝食を』と同じかもしれない。
『ティファニーで朝食を』の原作者であるカポーティは、映画化にあたり、高級娼婦役が似合いそうなマリリン・モンローを主役に考えていたの。それなのにオードリー・ヘップバーンが演じることに決まり、脚本も変えられてしまった。そういうのを知らないで映画を観ると、ただ面白い作品と感じるだけになってしまうけれど、原作を読むと、ミスキャストだったと気付く。
その感覚と似てる。
どうしても崩せない清潔さなどが拭いきれていない気がする。
だからこそ、マチルドのことを余計に怖いと思うのかもしれないけれどね。
狂気を持っている人たちの伴侶は、全然違うタイプの人なのよね。
それぞれの妻も夫も普通の人。
ふたりが関係を持っていることに対して、どうしてもっと反応しないのかな?
♣R
逆上したりしないですよね。
♥M
自分がそういう感覚を持っていないから、想像も出来ないのかな?
♣R
そんなに?
♥M
自分の想像の範囲内でしか考えられなくて、しかも想像力が豊かではないとしたらどう?
♣R
たしかにベルナールの奥さんは能天気そうでしたが…。
♥M
能天気というか、感受性が鈍いというか…。
♣R
マチルドの夫はそういう感じじゃないですよね?
♥M
でも、手に負えなくなったら、もういいや、というタイプよね。
♣R
相手にゆだねる?
♥M
そうそう。愛しているとは言っているけれど、愛しているの重さが…。
♥M ♣R
全然違う!
♥M
同じ「愛してる」でも、形もにおいも熱さも全然違う。でも、そこが恋愛の悲しいところ。
夫にしてみれば100%で愛しているのかもしれないけれど、マチルドにしてみれば0.1%くらいの愛情にしか感じられない。
■苦しいから一緒にはいられないけれど、ひとりでは生きてはいけない

♥M
最後の決断(マチルドがベルナールを殺し、自殺をする)はどう思った?
♣R
苦しみの解放じゃないですが、最後にふたりが死んでしまうのは、ある意味よかったと思いました。あのままだと、同じことを繰り返しますもんね。
♥M
そうね。愛しているのに苦しいから一緒にはいられない。
でもひとりでは生きていけないからね。
あの時マチルドは、狂っていた訳ではなく、計画的だったのよね?
♣R
冷静にピストルを出していましたからね。
♥M
マチルドは、ベルナールが生きているのが許せなかったの?
♣R
許せなかったわけではないと思います。
♥M
自分と同類と思っての、決着のつけ方なのかな。
♣R
ずっと苦しい状態を繰り返していると、どこかで煩わしさを感じ始めると思うんです。
♥M
自分だけ死ぬという選択肢もあるはずでしょう?
同意を確認しないで行なっているから、いわゆる心中とは違う。
ベルナールとしては唐突に殺されている。それは、彼も同類だから、彼にもピリオドを打ってあげようという気持ちがあったのかな。
♣R
愛情の延長みたいなものですか?
♥M
思い込みと言う人もいるかもしれない。
復讐ではないから、それが彼にとっての幸せだと思わなければ、できないことね。
