■私のブエノスアイレス*8■
2018/12/13
ブエノス4日目も、シルビアのレッスンで始まった。
現地集合ということだったので、たまにはホテルのロビー・カフェで朝食をとろうと思ったら、その日に限って、何かのミーティングに使われていて、結局ルームサービスとなった。
私はホテルの部屋で朝食をとるのが好み。だからご機嫌。昨夜のタンゴバルドの余韻のなか、今日は1日元気に過ごせそうだわ、と思ったのを覚えている。
*写真は、歩いている途中、その色彩に目を奪われて、Buenos Aires ブエノスアイレス(美しい空気)って街の名前をふと思って撮った一枚。
***
シルビアのレッスン3回目。
ふりつけがあって、それを練習したのだけれど、私はこれがほんとうに苦手。次のステップが決まっていて、その次も決まっていて、となると、とたんに体が動かなくなる。次、何だっけ。覚えられない。だめだ。目を閉じてミロンガにいるつもりでリードに身をまかせちゃおう。女でよかった。男性はたいへん。覚えなくちゃいけないんだもの。
「タンゴに夢中になっちゃって」とタンゴを知らない人に言うと、よく返ってくるのが「あの、バラを口にくわえる……」(それはたぶんフラメンコ)、「すごい、脚、どこまであがるんですか!」(ぜんぜんあがりません)。
フラメンコとの混同は別として、脚、どこまであがるのかという質問をする人がイメージしているのは「ステージタンゴ」で、とうぜん、私はそちらのではなく、いわゆる「サロンタンゴ」。
どんなに年齢を重ねても踊れる。むしろ年齢を重ねている人のタンゴのほうが私は好き。
相手にリードされて踊る、次は何、という形はない。即興といえば即興。そこがおもしろい。
だから、ふりつけとは言っても、練習のためのふりつけに過ぎないのだけれど、それがほんとうに苦手。
でも、いいの、と自分に言い聞かせる。
<3>で書いたように、シルビアを感じていればいい。彼女は、今日も美しい。
とはいえ、何度も、いいの、いいの、と自分に言い聞かせながらも、私はもうこの時点で、自分のタンゴに絶望していた。ぜんぜん、だめ。私はだめ。だめだめだめ。タンゴを、踊れていない。
シルビアへの想いがある一方で、私にタンゴは無理、とも思う。じゃあなんでレッスンしているの? もうよくわからない。レッスン方面でも、私はぐちゃぐちゃになっていた。
そして、このぐちゃぐちゃのゆくえは、ミロンガ恐怖症となってあらわれ始めていた。
日本を発つ前から、先生から、さまざまなアドバイスや提案を受けていた。
……ミロンガ(タンゴのダンスクラブみたいなかんじ)で、たくさんの男性から誘われるように、女性たちは別のテーブルにいたほうがいいかもしれないですね。
……とにかく、「踊りたい」ってオーラを出すことが大事ですよ。
はーい。
私、ちゃんとよいこのお返事をして、楽しみにもしていたはずだったのに。
そして、ブエノスでのはじめてのミロンガ以来、いくつかのミロンガで、何人かに誘われて踊ったりもした。たいていが年配の男性で、あたたかなリードで、嫌な想いもしていない。
ミロンガでは、男性から女性を誘う、というのがルールとしてある。本来は「カベセオ」っていって、いわゆる視線の交換だけで、それをするみたい。
男性が女性に視線で「踊りませんか?」とばちん、合図を送る。そのばちん、の視線を受けた女性は、その人と踊りたい場合は「うん、踊るー」の意味で軽く頷いたり、目を合わせたまま微笑んだりして、そこで合意が成立すると、ふたりは席を立ち、フロアで踊り始める。
視線を送られても、「いやん」という場合は、さささ、と目をそらせばいい。
ブエノスアイレスにはカベセオしかゆるしませんっ、的なミロンガもあるらしいけれど、私が行ったところは、みな、男性が誘いに来てくれた。日本と同じかんじだった。
私はたしかにおかしくなっていたのだと思う。
タンゴバルドの生演奏で、もうどうなってもいい、って思うほどの状況になりながらも、一方で、ミロンガ恐怖症?
おかしい。
でも、もうひとりの自分が、上から私を観察していて、囁く。
あなた、何やってるの。タンゴって何なの、見知らぬ男女が体をぴったり密着させて、自分の世界に没入する姿を人前にさらす、っておかしいんじゃない? しかも、あなた、ぶざまよ、ぶざま。
そんな声が聞こえてくるたびに、どーんと暗闇に落ちた。
私、タンゴやめちゃうんじゃないかな、って思い始めていた。
ほんとうに矛盾かつ意味不明なのだけれど、レッスンで、ライブで、タンゴの恍惚の海を泳ぎながらも、溺れかけているかんじ。いや、違う。溺れるのは海に入らなければならない。海に入るのを恐れているかんじ。だって泳げないんだもん、って。
「私、踊れない」。
シルビアのレッスンでシルビアにうっとりしながらも、いや、だからこそなのか、「私、だめ。踊れない」状態になっていた。
怖くなっていた。知らない人と踊るのが怖い。だから、お誘いを受けたとき断るのはぜんぜんオッケーだとわかってはいても、慣れないこともあり、誘われないに越したことはない、と視線を下に向けていた。
一緒のお友だちたち&先生としか踊れないカラダ……いいえ、精神状態になってしまっていた。
せっかくブエノスのミロンガに行って、なんというもったいないことを。
と人は言うだろうか。
でもいまも、疑問符がいっぱい。
いろんな人と踊ることって、たいせつなことなのかな。タンゴ。
***
この日はその後、ちょっとショッピングをしてホテルにもどった。
みんながマクドナルドで「ブルーチーズバーガー」を堪能していたとき、私は隣のお店で指輪を買っていた。
お店の人がとってもキュートで、日本語を話したがって、石の説明もていねいにしてくれて、かわいかったから、つい二つも買ったのだった。けっして高額ではない。
そんなことはどうでもいい。
この日のメインイベントは、夜のEsteban Morgado エステバン・モルガドの生演奏。
しかも、プライヴェートライブ。
(2018.10.30)