彼女だけの名画

●美術エッセイ『彼女だけの名画』18:ブリュージュ、美の刻印

2025/11/10

 

「死んだ、死んでしまった……死の都ブリュージュ」。

 詩人ローデンバックの小説「死都ブリュージュ」のフィナーレ。

 美しい妻を亡くした男が、永遠の喪に服するために移り住んだブリュージュで、亡き妻に生き写しの女と出逢う。彼は女に妻を重ね合わせるが、しかし、彼女は実は妻とは似ても似つかない俗悪な女だった。彼は彼女と亡き妻との間の「類似」と「差異」とに翻弄され、ついには彼女を殺してしまう。

 まさに世紀末文学。全編「死」に貫かれた、霧のなかに浮かび上がるガス灯の仄かなゆらめきのような世界に私は魅了された。

 そして、「見捨てられた街」。

 クノップフはローデンバックのこの小説の扉絵を制作しているから、この絵と小説とは濃厚な関係にある。

 私がこの絵をはじめて観たのは6年前、渋谷の美術館で「クノップフ展」が開催されたときのことだ。

 美術展に足を踏み入れたときの感覚をどう表現したらよいのだろう。

 儚い美の世界。ただそこにいるだけで涙があふれてきてしまいそうな、懐かしさと憧れがあった。

 私はほんとうは彼の描いた世界にいるべきなのに、間違って、60年も遅く、しかも異国に生まれてきてしまった。

 彼の世界に戻りたい。できるならそうしたい。

 そんな感覚に浸りながら歩いていて「見捨てられた街」に出合った。

 ひんやりとした建物と、右側におもむろに海。淡い色調で描かれた沈黙の世界。そして沈黙のなかに存在する、おそろしいほどに声のない「孤独」。

 

 いうまでもなく、ひとは誰しも孤独だ。それはどこかで物悲しい事実ではあるけれど、孤独を受け入れることができたとき、はじめて感じる温もりがある、はじめて見えてくる愛がある。喧騒のなかでは感じられない貴重な心音に耳を澄ませ。

 一枚の絵、「見捨てられた街」から無限の物語が広がった。

 私にとってのブリュージュは、ローデンバックの「死都ブリュージュ」であり、クノップフの「見捨てられた街」だった。

 だから、強烈な思い入れを両手いっぱいに抱えて私はブリュージュを訪れたのだ。

 

 季節は、夏だった。

 いま思い出しても、再び落胆してしまうほど、「死都」ブリュージュは明るかった。

 想像とはまるでかけはなれた世界。すっかり観光地化され、建物の屋根は夏の眩しい光にきらきらと輝き、各国から訪れた観光客で賑わっていた。

 ひと周りしたのち、オープンエアのカフェでビールを飲みながら、私は思った。

 世の中には知らないほうがいいことがあるらしいけれど、もしそれが真実だとしたら、こういうことを言うのだろう。

 夏だからだよ、と恋人は言ったけれど、そういう問題ではない。

 ときは絶え間なく流れている。ここブリュージュも、いつまでも「見捨てられた街」ではない。それは当然のことなのだ。

 流れる時は、愛を破綻させ、ふたりの間に冬の海のような色しか見出せなくなっても、写真のなかのふたりは永遠に輝いている。それは美しい季節を生きたふたりが残した「美の刻印」。

 クノップフは「見捨てられた街」という一枚の絵で、彼が美を感じた時期の死都ブリュージュに「美の刻印」を押し、それを永遠としたのだ。

 ブリュッセルの王立美術館にこの絵があることは知っていた。けれど私はそれを観なかった。

 死都ブリュージュを愛したクノップフが、変わりゆく街を見たくなくて、ブリュージュを通るときには黒いサングラスをしていた、というエピソードを思い出し、それにふかく共感したのと、なにより、私は愛していた。

 6年前、あの瞬間に「見捨てられた街」が私に刻んだ「美の刻印」を。

 

***

1996年「FRaU」の原稿に加筆修正したものです。

絵はフェルナン・クノップフ「見捨てられた街」

この絵はほんとうに好きで、いまでも好きで、ずっと好きで、「ブログ言葉美術館」のイメージとしても使っています。

ブリュージュ、この原稿を書いてから、およそ20年後にふたたび訪れました。娘とふたりでした。
文中の「恋人」と表現したひととのあいだに生まれた娘。感慨深いものがありました。

こちらです。よろしければ。(ブリュージュ、と表記したい時期があったり、ブルージュ、が好きだったりね)

★21年後のブルージュ、美の刻印

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